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一矢

 死闘は、坂田が圧していた。

「どうした?この程度か」

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 数え切れない斬撃を、犬童はただなまくら刀で受け切る。獣性に任せた攻撃の乱れ手に、深く呼吸することもかなわず、踏み出せない。

「残念だ」

 坂田は悲しみの声を漏らす。

「女々しい人形遊びにかまけたせいで、貴様の内の修羅は死んでしまった」

 先ほどまでの喘ぎの色を無くし、諦観に満ちた嘆きは凶刃とともに一気に振り下ろされた。

 一際、大きな衝撃。

 犬童の得物が弾き飛ばされる。構えが解ける。姿勢が崩れる。

 そして、ずん。

 巨大な足で地面に踏みつけられる。

 上体が固定され、無防備となる。

 だが坂田は大斧を振り上げる動きをやめない。

「だから、死ね、犬童」





 犬童――。

 茨木童子は遠く二人を見つけた。

 巨体誇る坂田が犬童を踏み締め、今まさに処さんとしている最中。

 茨木童子は迷わず獲物を弓として構え、気でできた光の糸を張る。光矢を生成する。

 狙いは一点。坂田の頭部。

 狙いはひとつ。犬童の救出だ。

 だが、腕に力が入らない。腕の動かし方を忘れたためだ。

 だが、やらねばならぬ。

 たどたどしく、矢をつがえ、引き絞り――。

「犬童――!!」

 叫びとともに放った。




 火花が坂田の竜骸の表面で弾けた。

 軽い炸裂音。

 弱い。

 弱すぎる。


「ああ、なるほど、犬童」

 諦観が滲む吐息のように、坂田は茨木童子に顔を向ける。

「あれを壊せば、お前は目覚めてくれるか?」

「やめろ!」

 犬童の悲痛な叫びを尻目に、坂田は大斧を持ち直し、投げた。

 茨木童子に――。




 二の矢をつがえ――。

 茨木童子は坂田への着弾を待たずして、すぐさま矢を生成していた。

 斧が飛んでくる。

 二の矢をつがえ――。

 震える腕で矢先を弓にかけ、引き――駄目だ、力が入らない。

 引き、絞れない。

 暴虐の刃の先が目の前に。

 迫る。

「――茨木!!」

 犬童の声が、茨木の世界を無音に変えた。

 時が止まる。


 ああ…思い出した。

 茨木、わらわの名前。

 そなたが呼んでくれたものだったな。


 瞬間、矢を力いっぱい引き絞り、放つ。

「まこと、ういやつよ――」

 強烈な光条が斧を両断し、なおも直進、坂田のこめかみを貫通した。

 同時、斧の一片が茨木童子を、吹き飛ばす。




 ず、震。

 巨躯が倒れ伏す。

 砂埃が上がり、アスファルトがひび割れる。

「茨木!」

 犬童は倒れた敵に見向きもせず、茨木の元へと駆ける。

「茨木!!」

 力ない身体を抱き寄せる。まだ、息がある。

「犬童⋯⋯」

 血濡れた手で竜骸の頬を撫でる。愛おしげに、優しく。

「今宵の月は、綺麗じゃろうか?」

「あぁ」

 犬童が嗚咽を押し殺した声で握り返す。しっかりと、熱を伝えるように。

「綺麗な満月だぞ、茨木」

 茨木の手が力なくだらんと垂れ落ちる。

 慟哭。地の底で、見えぬ月に、犬童は吠えた。

 呼応するかのように轟音が世界を揺らす。

 遠く衝撃に洞穴内が大きく揺れた。

「犬童さん!」

 黒川が駆け寄る。

「大変です!奴ら水責めを――」

 竜骸の腕の中で血まみれの茨木童子を見やる。

「茨木さん!?」

 即座に覗き込む。

 体温は――ある。

 呼吸も――している。

 黒川は少し安堵しながら胸を撫で下ろす。

「良かったすぐに処置を⋯⋯」

「いや、もう大丈夫だ」

 犬童が感情を噛み殺した声で制する。

「で、でも――」

 戸惑う黒川の目の前で、傷だらけの身体が癒えていく。思わず驚きに目を見開く。

「これが鬼、不完全な不死の存在だ」

 犬童はとくとくと語る。

「いかなる傷もたちまちに癒え、死ぬことはない」

 言葉を切り、深く息を吐く。

「だが、その胆力の根源は記憶」

 犬童は腕の中の小さく、幼くなっていく存在を強く抱き締める。

「俺たちの茨木は死んだ」

 無音を満たすようにに、水の塊が押し寄せる音。地の底を震わせる。

 不意に。

 どっ――と。

 背後の瓦礫が弾け飛ぶ。

 現れたる血だらけの竜骸。二間の巨体。

「犬童ぉぉ!!」

 坂田がなおも縋る。

 その双眸は火花のように、紅く、点滅を繰り返す。

「まだまだ、死に足りんぞぉぉ!俺を、殺しに来いぃぃッ!」

 獣の咆哮を上げ、ゆっくりゆっくりと地面を踏みしめる。その度にボタボタと大量の血が滴り落ちる。

「黒川」

 犬童は怯える黒川を真っ直ぐ見つめる。

「俺と茨木は死んだ」

 茨木童子の得物と、自らのマフラーを託す。

「生きろ。死んでも、生き延びろ」

 涙を浮かべて戸惑う黒川を突き出す。

「生きて、語れ。他でもないお前の生を、お前自身の生を語れ」

 黒川はおずおずと、だが、次第に速度を上げて走り出す。わんわんと泣きながら、茨木の得物と犬童のマフラーを抱き締めながら。


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