茨木と犬童
「犬童よ」
焚き火の薄明かりに朱の双角が照らされる。一本は捻じれ猛々しく天を向き、しかし、もう片方は中途から手折れている。
「今ならまだ引き返せるぞ。わらわの首を持って桃源の元へ戻るのじゃ」
ニヤリと笑う彼女の髪は白銀の如き色相であった。
「冗談はよせ、笑えんぞ」
返答したのは、どこか狼を思わせる似姿を象った靭やかな黒鎧。気密性に優れ、人工筋肉と装甲殻に包まれた外骨格。そんな竜骸の内からため息混じりの声が漏れる。赤いマフラーは長く垂れ、暗闇のなかでも際立って見えた。男の名を犬童といった。
彼は至極真面目な様子で茨木童子を手当てしている。
先ほどから戦の振動が地下全体を震わせている。天井から砂利が筋を描いて滝落ちる。
埃が鬼の顔に振りかかる。
「行かねばならんな」
彼女は身を起こそうとして、呻くに留まる。
「じっとしていろ、茨木。傷に障るぞ」
犬童は指甲の腹にて茨木童子を制した。
彼女は、ふふ、と自嘲気味に微笑み、咳込んだ。
「この老いぼれを誑かしたのはそなたじゃ。そなたが桃源を裏切り、我らの元に来たとき、どれほど嬉しかったか。戦乱の世を終わらせる、そんな見果てぬ夢すら見させおって⋯⋯」
片目を隠すように巻かれた包帯が痛々しい。
「そなたはずるいやつじゃ⋯⋯まことに、ずるくて、ういやつじゃ⋯⋯」
犬童はこれには答えず、茨木童子は静かに寝息を立て始めた。
彼はその頬を撫でる。愛おしげに、傷つけないように、優しく。
犬童が天幕を出ると、少女が駆け寄る。つぎはぎだらけでボロボロの服に暗視ゴーグルと自動小銃、そして血だらけの軍用ナタ。近代的な装備だが、塵と化してしまうのではないかと思うほど古めかしい。
彼女は息を切らして、汗を拭う。犬童の頭部を覆うフルフェイス型の面頬を真っ直ぐと見つめて叫んだ。
「犬童さん!奴らがすぐそこまで来ています!茨木さんを連れて、早く逃げてください!」
「あぁ、ありがとう」
犬童は進む。少女が来た道を。
「犬童さん⋯⋯!?」
「茨木を頼むぞ、黒川」
駆ける。駆動音が響く。赤のマフラーをなびかせて、闇に消える。
少女の追い縋るように呼ぶ声だけが残った。




