渋谷
語る時が戻る。
時は黒川が鬼ヶ島へと流れ着く前。
森の中、木の枝葉で覆われ隠された真四角い洞穴。いたく錆付き、根が這わされた標識に"渋谷"の掠れ文字。直線だけで構成された人工物の入り口は、土蜘蛛たちの根城である地下迷路へと続いていた。
黒川は崩落した瓦礫のなかで背の高いひとつに上がり、大きな広場となった一帯を見下ろしていた。そよぐ風に肌を晒し、鳥たちの逃げる姿を見留めた。
来た。
彼女はそう察すると、スナイパーライフルを構え、照準器を覗き込んだ。
茂みを割いて現れた、陣傘を提げた足軽。そのいずれも呪札を額に貼り付けている。怨嗟込められて動く死骸。陰陽兵の姿がぞろぞろと黒い大地を踏みしめていく。
黒川は深呼吸した。
「よく狙え。どこを撃てば終わるか」
狩人だった父の教えを口の中で反芻する。
呪札のひとつに狙いをつける。
がしゃりがしゃりと揺れる歩に合わせて、照準のど真ん中を張り付かせる。
羽ばたく音。鳥の群れが何処かで飛び立った。
定めた陰陽兵が、ひとつ、立ち止まった。
気配察したかのように顔を上げた。
バレた。
黒川は咄嗟に引き金を引いた。
長筒の先より銃弾が飛び出す。頭を貫いて身体ごと弾き飛ばす。
そのまま彼女は身を翻し、叫んだ。階下へ。待ち伏せた同志たちへ。
「バレた!来るぞ!」
同時だった。
陰陽兵の群れが走る。無様に、滅茶苦茶に、支離滅裂に、姿勢を大きく崩しつつ脚だけを動かすように洞穴へ迫る。
入口付近の茂みが解かれ、土蜘蛛たちが身を晒す。構えるは古ぼけた銃火器の数々。軋む金属を無理やりに押し込むように、射撃が始まった。
閃光が連続する。光の尾を曳いて弾丸が桃源軍に突き立てられていく。
腕をもぎ、足を引き千切り、頭を粉砕する。だが、呪札を破壊しない限り陰陽兵は止まらない。数に任せて押し寄せる。
黒川は地へ降りた。真正面から狙いをつけて射撃を続ける。一体、二体、三体。着実に確実に、沈黙させていく。だが、数が多すぎる。
数多那由多より幾らか減らせてはいるものの、彼我は既に接敵の距離まで詰まった。
「白兵戦用意!」
誰かが叫ぶ。
銃火器による攻撃が暫し鳴りを潜め、土蜘蛛たちは接近戦用の得物へと切り替えた。ナタ、刀、バール、思い思いの武器を取り出して身構える。
黒川もまた、スナイパーライフルを捨て、軍用ナタを握りしめた。
手に汗が滲む。額を雫が伝う。呼吸がひとつひとつと乱れていく。教わったばかりの剣術をいままさに使うときが来たのだ。
敵が迫る。錆びた刀を振り上げて、切っ先の一体が防衛線の一端に触れた。
開戦。
血潮が上がる。悲鳴が響く。蒼の瘴気が迸る。剣戟の音が土と混ざって撒き散らされる。臓物が泥濘みを成す。阿鼻叫喚。喧騒。
陰陽兵の一体が黒川に襲いかかる。振りかぶり、叩き下ろされる。
焦るな。深呼吸。
一歩、足を引く。
なまくら刀が空を斬る。
黒川は音もなくナタを構えた。踏み込み、返す一撃。横薙ぎに呪札を狙う。
撫でるように表面を、一閃。
蒼の粒子が飛散し、陰陽兵はがくりと上体を反らした。座り込み、沈黙する。
まずは一枚。
横合いの仲間が抑え込まれて倒れた。刀を突き刺され、血を噴き出した。死。
黒川はゆらりと転じて、陰陽兵の顔面に白刃を突き立てた。
二枚目。
ナタを引き抜く。刃の先が重い。血濡れた柄がやけに滑りやすい。
背後で悲痛な叫び声が上がる。一瞥すると、更に同志が死を迎えていた。
黒川は荒い呼吸のまま咄嗟に身を引き、迫った一撃を避けた。鼻の先を白刃が通り過ぎ、中空に残された汗を砕いた。そのままにナタを翻し、縦に斬り裂く。三枚目。
肩で息をする。落ち着け、落ち着け。
戦場を見渡す。
前線が崩れていく。
防衛の陣はもはや形を成さない。互いに連係が取れていない。ひとり、また、ひとりと群れに飲み込まれて死んでいく。
尚も善戦する生き残りもまたじりじりと追い込まれ、呼吸を落ち着けるのが精一杯だ。黒川もまた同じ。
不意に、遠くで轟音が鳴った。爆発音。強烈な衝撃が大地を揺らした。
「撤退!戻れ!戻れ!」
誰かが叫んだ。
「攻め込まれた!地下だ!急げ!」
別の前線が突破されたことを告げているようだった。居住区に入り込まれたら大事だ。
そこには血も知らぬ赤児すら恐怖に縮こまっているのだから。
黒川は陰陽兵を蹴飛ばして、踵を返した。地下へと走る。仲間たちと滑り込むように洞穴の中へと入る。
「発破!」
大声とともに爆発。地下の出入り口が瓦礫によって塞がれる。
「走れ!走れ!」
束の間の休息すら無いままに、黒川たちは駆けていた。
背後ではがらがらと掘り崩す音が始まる。陽の光が一筋、また一筋と、数を増やして土蜘蛛たちを追い立てる。時間稼ぎにすらならない。
だから、逃げろ。
戦友たちの背を追い越すように、黒川は疾く走った。




