決別
――街灯が点々と明るむ夜の住宅街。商店街の喧騒はとても遠く、虫の音のみが静寂を揺らす。
ハナは独り、とぼとぼと帰路を歩んでいた。
ノアを残して部室を後にした彼女が向かったのは、大江の元だった。初日の出のあのとき、思い出した自身の過去について聞いてみたいことがたくさんあった。だが、返ってきたのは、突拍子もなく感じるほど世界観が広すぎる話だった。
はぁ、とため息を吐く。白んだ吐息はゆらりと暗闇に消えていく。
頭の中で話の内容を逡巡する。記憶。記録。ヤマタノオロチ。自分の未来の話。契約。
どれもこれも言葉を思い浮かべるのが精一杯で情報の濁流に溺れかけていた。つい最近まで自分の将来のことでさえ、見定められなかった少女には重荷が過ぎることだ。
鬼ヶ島の――いや、鬼たちの存在自体を揺るがしかねない大事だ。
ひとりで決められないの?
そんなサキの言葉が脳裏を巡る。鼓膜にこびりついて離れない。
友達になれた。そう見栄を切った自分が恥ずかしい。一人じゃ何もできないから、考えることさえ辛いから、逃げてただけじゃないのか。
ここはみんなで揃って帰った道。思い出すと涙が出そうになる。
もう、戻れない。
あの頃には、みんながずぅっと仲良しだったあの頃には。
不意に、強烈な光が視界を刺した。
クラクション。
猛烈なスピードで車が目の前を通り過ぎた。
「なに、あれ⋯⋯」
振り返り、尾を引くテールランプを目で追う。金色の粒子が線となって残り香を漂わせている。
車のツクモガミだ。暴走しているのか、とんでもない速度で走っている。
大変だ、とめなきゃ!⋯だけど。
あの日の悲劇が一瞬、フラッシュバックした。
自分には何もできない。非力で無力で、眺めていることしかできない。足手まとい。
ルカのようにまた誰かを失うかもしれない。
でも!鞄のストラップを握り締めて、追いかける。
それでも、何かできるはずだ。
大事な記憶を失わせてしまう前に、自分にも何かが。
着いた先は人気のない立体駐車場だった。
折れた遮断器が痛々しい。タイヤの跡は黒黒とアスファルトに刻まれ、誘われるかのようにハナは階上へと急いだ。
鉄と鉄がぶつかり合う音。ゴムの足が床を酷く擦る金切り音。
戦闘は今まさに行われていた。
赤いマフラー。二刀の白刃。サキが逃げるツクモガミを追い込んでいく。冷たく、無感情に、無機質に、刀を振るう。
車のツクモガミは一太刀一太刀のうちに、火花を散らし、凹み、砕け、ぼろぼろになっていく。
だめ。
叫ぼうとした。
サキを止めたい。だけど、声が出なかった。
恐怖。後悔。無気力感。脚が竦む。
あの日と同じように、ハナは立ち止まった。
不意に光が顔を照らす。
クラクションが叫び声のように響く。
来る。
なりふり構わず猛突する鉄の塊が走ってくる。
ぶつかる。
避けられない。
「危ない!」
ノアが飛び出して、ハナを引っ張った。たまちゃんがツクモガミに横合いから体当りして進路を変える。
「ノアちゃん⋯?」
「大丈夫〜?怪我してないかしら〜?」
ノアとたまちゃんが心配そうに覗き込む。
「うん。わたしは大丈夫、でも⋯」
ハナはノアの寄り添う手をするりと抜け出して、壁に激突して動けなくなった車のツクモガミに近付く。
オイルを血のように垂らしながら、なお逃げ出そうと、恐怖に震えている。僅かな鬼力が揺らいで、黄金色に滲んで消えていく。
「どいて」
サキが背後からゆっくりと歩み寄った。
ハナは深呼吸をひとつして、振り返った。
「どかないよ」
「ツクモガミはいずれ害になる」
「ならないよ」
「嘘吐くな」
「今までだってそうだった。ツクモガミたちは誰も傷つけてないよ」
「ルカはッ!」
声を荒げる。
「⋯⋯ルカは、ああなった」
「⋯⋯」
静寂。
「だけど、それでも」
ハナが声を絞り出す。
「きっと誰かの思い出なんだよ」
両腕を広げて、立ちふさがる。
「大切な思い出なんだよ。誰かが残した、大事な、大事な、思いなんだよ」
ハナが泣き出す。だが、その広げた腕は降ろさない。
「ふざけないで⋯」
サキは表情を変えない。静かだ。
「サキちゃんにも」
「うるさい」
「あるんだよね?」
「うるさいッ」
「大事なマフラーなんだよね?」
「黙れッ!!」
静寂。ゆっくりと間を置いて、ハナがまた口を開く。
「だから、退かないよ。私には見えるの。暖かな金色の光が」
「意味わかんない⋯⋯」
ハナの答えを確かめるようにサキは呟く。
そして大きくため息を吐いた。
諦めたように眉をひそめ、そして、きっ、と睨視を向けた。
一瞬の出来事――柄を繋げて弓にする。構え、光の矢をつがい、放つ。
唖然。
「え――?」
ハナの頬に浅く傷。血が滲む。
同時――車のツクモガミに着弾。爆発する。業熱が風に乗ってハナの身体を押し出す。
熱気を背に、ハナはぺたりと座り込んだ。呆然とサキを見つめる。
「言ったでしょ」
サキは無表情で背を向け始めた。
「特技は射撃だって」
その背中は遠く、遠く――。




