記憶
――社の戸を開けて、眼の前に飛び込んできた光に思わず目を閉じた。
赤の轟々と猛る光は丘の麓、眼下の集落を踊り、視界を埋め尽くすばかりである。生まれてこの方、ここまでの炎の一帯を目にしてこなかったがためにこの世に太陽よりも厳しい光なんてものがあるのかと驚いた。ちりちりとした熱気を肌に感じ、灰混じりの火の粉にむせさえした。
「おっかあ」
ひりつく喉を引き剥がして、声を上げる。返事はない。
おっとうが編み直した草履の鼻緒に裸足の指を引っ掛けて、草地へと降りる。布を張り合わせた着物は丈短く、雑草の葉にいくらか膝を切った。肌に残るもぞ痒さもそのままに、燃え盛る村へと降りていく。
道端には影が幾つもあった。いずれも黒い水溜まりに顔を突っ伏し、破けた着物から背中を露わにしている。炎に照らされて、赤に彩られた。横を通り過ぎたときに、斬り裂かれた傷口なのだと初めてわかった。
「おっとう、おっかあ」
なお、叫んでみる。
返事はない。誰一人として、声を上げるものはなく、ただ火炎の柱だけが唸り、家屋を飲み込む。火に当てられた黒髪の毛先が少しずつ捻れていく。
「おっかあ、おっとう」
もはや、泣いていた。
この惨状が、何があっても出てはいけないよ、という母親との約束を破ったためだとでもいうのだろうか。だから母も父もこの血溜まりに沈んでいるのだろうか。
血走り上向いた両眼。壮絶な状況に反した間延びした口。惨たらしい刀傷は深く深く、井戸の底のように黒く滑っている。
「やはり、臭い」
駆け寄ろうとした矢先に声がかかる。
道の向こうから人影が幾つも歩いてくる。
白の祈祷服。烏帽子。狩衣の裾で口元を隠して、男が眉をひそめていた。視線は此方に向けられているようだ。
「下賤な百姓は、童の一匹すら肥溜めの臭いがするものよ」
そう吐き捨てる男の後ろで、影が蠢く。火に照らされて姿が見える。陣傘を被り、面表に札を貼っている。簡素な装備に身を包んだ足軽たちだ。それらは皺と節だらけの身体と皮膚をしていた。そして握られているのは血濡れの錆び刀であった。
「だ、れ⋯⋯?」
問うまでもなく、地獄を作り出した張本人たちということはわかっていた。だが、問わずにはいられなかった。そうでなければ、立っていられなかった。目頭が火照る。涙が熱気に蒸発していく。胸元が締め付けられるように苦しい。喉は乾いていく。
「名乗ると思うか?」
冷たく返された。ゆっくりと指をさす。
「死ね、童」
足軽たちが前に出る。蒼い瘴気が熱に踊り揺らいでいる。札の文言が赤く光る。
「い、や⋯⋯」
後退る。震えた脚で踵を返す。まだ、その気力は残っているようだ。もつれ合い、躓く動きで、駆け出した。村を離れ、社へと向かう。背後で、ほほほ、と笑う声が遠く聞こえた。がちゃがちゃと装備を揺らして追いかけてくる音がすぐ後ろで聞こえる。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
走る。走る。走る。
社の戸に手がかかる。
肩に圧。
引き戻される。
世界がぐるりと回った。
次の瞬間には、地に伏している。
痛い。冷たい土が頬を打った。
身体も痛い。よほどの勢いだったのだろうか。
身体伏せたまま、顔を振り上げる。
足軽の群れ。月に向かって刀を振り上げている。
嫌だ。
輝く白刃。
月明かりに照らされて死が嗤った。
死ぬ。
一閃。
閃く。
白閃。
足軽が弾け飛んだ。
影の群れが吹き飛んだ。
たったの三閃で周囲を薙いだ。
月光の下に、朱の角が光った。
白銀の長髪が揺らいだ。
朱い目が此方を見留めた。
彼女は、蒼の瘴気を振り払い、身の丈ほどの大太刀を鞘に納めた。
和装の戦衣をたなびかせゆっくりと、葉を擦る音すらなく静かに、歩き寄る。
頬は青白く、血の気を感じさせない。正された姿勢は揺らぐことなく、まるで人形だと、思った。
呆気にとられるなか、彼女は柔肌に包まれた手のひらを差し出した。
何も言葉はなく、朱の瞳だけが、来い、と告げているようだった。
ハナは迷うことなく、ただその手を握った。
カシャ――、そんな閃光が走って、人間の少女の記憶は白天に置き去りにされた。




