それぞれの未来
放課後。
ハナは部室に向かう。
いつものようにお茶会をして、いつものように他愛もなく喋って、いつものようにふざけ合う。
この、いつものように、が今は辛かった。
「あ、サキちゃん」
部室の前で偶然にサキと会った。サキは戸を開ける手を止めて、ハナに向き直った。
彼女はしばらく無言で見つめてきた。見つめ返す。
気まずい沈黙に廊下がやけに寒々としている。サキの赤いマフラーもだいぶ時期的にちょうどよくなったなぁ、なんてぼんやり思った。
二人の距離は近いのに、透明で分厚い隔たりを感じた。
「進路」
あ……。
サキの一言を聞いた途端、後頭部にしびれを感じた。どっと冷や汗が背中に滲んだ。お腹がきゅうと萎んだ気がする。背後で廊下がぐぅんと伸びた感じがあった。その端が蛇の胃袋のように閉じていく。
逃げ道がなくなった。走り去ることなんてできない。恥ずかしくてそんなことできない。
口の中が酷く乾く。唇もわなわなと震えているようだ。唾も無いのに喉奥が上下に音立てる。
「あ、あのね、朝の話はね……」
絞り出す。かすかすの声。素っ頓狂なアクセントとイントネーション。
忘れてね、なんて言いたかったのに。
「白紙」
「え……?」
一瞬、サキが何を言っているのかが分からなくなった。ひとことだけで、何が何だか。霞の掛かった頭で必死に手綱を手繰り寄せた。
「私も何も書いてない」
「……」
目の前で透明な壁が音を立てて崩れていった。一気に音が近く感じる。双角とマフラーがぼんやりした視界の中でひときわ輝いて見えた。
意外だった。
サキはすっかり進路が固まって、準備も始めているものだと勝手に思っていた。
でも、彼女はハナと違って堂々と言いのけた。
それが何だかうらやましかった。
出し抜けにサキが扉を開け放った。
そして開口一番に言った。
「アンケート取りまーす!」
中に居た3人が目を丸くした。
ユカが戸惑いながら訊ねる。
「ど、どうしました、サキさぁん?」
「アンケート」
「な、なんの……?」
「進路の」
進路。その言葉に、呆然としていたハナが我に返る。
「ちょ、ちょっと、ダメだよ!」
慌てて止めに入った。
「なんで?たかが進路でしょ?」
「え、でも」
「誰かに言ったら不味いことでもあるの?」
「……」
確かに。改めて考えればそうである。
ハナは部室内の面々を見渡す。
驚いた表情ではあるものの、後ろめたさや悩んでいる様子はない。
それもそうだ。みんな。もう将来なんて決まってる。だから胸を張って言えるに違いない。
「アタシ、まだ決めてなーい」
「え」
「奇遇ね、私もよ」
「あれ?」
ユカとサキが手を上げる。
「ユカはお嬢様だからな」
「やめてその言い方」
ルカのからかいに本気で嫌がるユカ。
「ま、なんか楽しいことできたらなーって思ってるよ」
「た、たのしいこと……」
とんだ肩透かしだった。身構えていた身体から、なんだか力が抜けていく。
決まっていないのに焦っていない。飄々として、何だか楽しいことをしたいと言いのけている。
拍子抜けしたハナを尻目にルカが続ける。
「私は、とりあえず衛士隊の試験を受けてみることにした」
「ルカはちっちゃい頃から変わってないよなー」
ユカがルカの夢に対して得意げになっている。
ルカはそんなユカに眉をひそめながら続ける。
「受かるかどうかは分からないが、長年の夢だからな。何度でも挑戦するつもりだ」
「受かるか分からない……」
ハナが小声で反芻する。決まっているけど、確証はない。手探りで進まなければならない。それは、厳しい道だろう。辛い日々だろう。だけど、ルカはそれでもいいのだ。
「すごいわね~、カッコいいわ~」
ノアがぱちぱちと手を叩く。
「ノアは?」
サキが指し示す。
「私は~技術とか機械を学んでみたいと思っているの~」
「お、ノアにピッタリじゃん!」
「“女性整備士”って響きだけでもカッコいいでしょ~」
「ふ、ふわふわしてる……」
ぽわぽわ語るノアがハナには、なんだか眩しく見えた。得意なもの、好きなこと。それに一生懸命に突き進む。それは夢なのか、展望なのか、怪しいくらいに、確かじゃないのに、それでもノアは言い切った。こっちまで笑顔になれるくらい、楽しげに、嬉しげに。
「ね」
「え?」
サキがハナに向き直る。
「適当でしょ」
「う、うん」
「そんなんでいいのよ、将来なんて。何が起こるかなんて、今悩んだってわからないじゃない」
「サキちゃん……」
サキが微笑んだ気がした。
彼女の笑顔。
いつ以来だっただろう。
記憶を辿る、でも思い出せない。
ヒントを求めるように、部室の棚に不思議と目が行った。
アルバム。ハナがまとめたアルバムが並んでいる。
そうだ。紅葉狩りの集合写真。
あそこでサキは珍しく笑っていた。
笑顔。
窓の外、冬の空は白く、灰色で味気ない。
だけど、ハナの心には光が射し込みつつあった。




