たまちゃん
剣戟の音を砂煙の向こうにして、懇願する声が木霊していた。
ノアはたまちゃんにとり付いて泣き続けている。
「起きて、ねぇ、たまちゃん」
震える指先で、カメラアイを撫でる。静かに呼吸するように明滅するだけで、普段の軽快な電子音を聞かせてはくれない。関節からは、ショートした配線がバチバチと火花を散らすだけで沈黙したきりだ。
「たまちゃん、たまちゃん⋯⋯」
それでもノアは呼び掛け続ける。
お願い、起きて、と。必死に。
作業員を離れたところに担ぎ終えたハナが、ノアに駆け寄ろうとした。だが、足が思わず止まった。
「ノアちゃん⋯⋯」
とても声を掛けられる状態ではない。どんな慰めもノアに響くわけがない。ただ黙ってふたりの抱擁を見ていることしかできなかった。
一際大きな衝撃音。
ハナとノアが振り向く。
サキは戦っている。ぼろぼろになりながら、戦っている。
「サキちゃん⋯⋯!」
ハナが走り出そうとした。しかし、またも足が止まった。
恐くはない。自分が傷つき果てようとも、友達が無事ならそれでいい。
だが、ハナには何もない。武器も鬼力も。あのツクモガミは強い。分け入ったところで戦闘についていくことも、盾になることもできないだろう。そればかりかサキたちの足を引っ張ることになる。だから何もできない。いや、しないのだ。
胸元で拳を握る。自分には見ていることしかできないのか。人間だから、何も。
ノアが動いた。スナイパーライフルを握る。それを杖代わりに立ち上がろうとする。
ハナはその様子に気づき、近寄った。今自分にできるのは、友達を止めることだ。それだけだ、と。
「だめ!ノアちゃん、たまちゃんがいないと上手く歩けないんだよ!?」
そうだ。
事故にあってから、ずっとずっと、ノアは正しい歩き方を忘れてしまっていた。惨状を目の当たりにした後遺症だろうか。だから、たまちゃんがずっと足の代わりになってくれた。
あのツクモガミは早すぎる。今のノアでは避けきれないだろう。今のノアでは、ハナと同じく、無力だった。
「それでも」
だが、ノアは立ち上がった。
「私、みんなが大切なの。みんなが大好きなの」
支えようとするハナを突き放すように制する。
「こんな気持ちになれたのは、ハナちゃんのおかげだよ」
ジッ――。
「ありがとう」
ジジッ――。
「たまちゃん!?」
たまちゃんが動いた。
立ちあがった。
火花を散らして、ひしゃげた四肢でがくがくと。
カメラアイの点滅は不規則に、だが、確かな閃きを以てそこにあった。
「動いちゃだめ!」
ノアがよろよろと脚に取り付こうとする。
「だめ!!」
ハナが抱き止める。
たまちゃんのカメラアイが、ノアに向いた。ゆっくりと、静かに。
ふたりの視線が合う。
仄かな灯火。固い決意。
献身ではない。これこそ、想い。
そして、跳んだ――。
――衝撃に遠く彼我が離れる。
足元のアスファルトを剥がしながら、ずり下がる。
飛来。間髪入れずに、追撃の爪。
サキは大地を蹴とばす。横に大きく跳躍し、回避する。撒き散らされた瓦礫が、頬を浅く斬りつける。
砂埃が視界を覆う。
マフラーにて口元を覆い、暫しの呼吸。
巨影はワイヤーを巻き取って、次なる攻撃に備えている。
サキは刀の刃を確認する。欠け、はない。まだやれる。
だが。
敵は強かった。
肉とは違う。
鋼鉄の身体。
切り裂けはしない。貫けはしない。
故に圧すだけしかできない。
「アイツら、丁度いい殻を見つけたのね」
サキが忌々しげに呟く。
ツクモガミの身体から漂う蒼の瘴気。鬼力の残滓を示す黄金色の粒子は、蒼に塗りつぶされ、もはや何処にも見られない。
赤いカメラアイが、獣性を帯びて閃く。
来る。
どっちだ。
アームか。爪か。
いや。
関係ない。
サキは一気に前進した。
ツクモガミへ一直線。
そこに遅れて、アームが叩き付けられる。爪が飛ぶ。
微かに身を捻じる。目と鼻の先を空圧が過ぎる。刀の刃を滑らせる。火花散らす。受け流す。舗装が砕ける。
尚も、走る。駆ける。潜り込む。
四肢の下。アームの基部。死角。
見つけた。
札。血文字にて呪式書かれた1枚の札。蒼の瘴気放つ悍ましき形代がそこに取り憑いている。
これさえ、斬れば。
駆け寄りながら、両刀を開く。斬り上げの構え。
カメラアイが此方に向く。
だが、遅い。
いける。
一気に――。
轟。
ふたつの鉄塊が。
眼前に。
「うそッ!?」
後ろ脚だ。
ツクモガミは前脚にて身体を浮かせ、後ろ脚にて蹴りを放ってきた。
避けきれない。
直撃――。
ガキン、と衝突音。
鋼鉄の巨体が遠ざかる。
衝撃の圧。
たまちゃんが真っ向からツクモガミにぶち当たっていた。もつれ合い、組み合い、後方へ倒れ込む。
「サキちゃーん!!」
声。
振り返る。
ハナが手を振っている。
その横に、ノア。
立膝にスナイパーライフルを構えている。
サキは一瞬で判断する。
ノアは準備万全だ。
なら、これしかない。
たまちゃんとツクモガミは組み合っている。
黒い機体はアームをぶつけ、脚で引き剥がさんと何度も何度も、蹴りつける。何度も、何度も。
たまちゃんは離れない。四肢が更にひしゃげ、配線が引き千切れようとも、火花散らし、カメラアイにヒビ入ろうとも、離さない。
「ノアッ!!」
サキが叫ぶ。刀で一点を示す。
「撃って!アイツの札を!射抜いて!!」
ノアは無言で頷く。
照準器を覗き込む。
視野が狭く、像が大きくなる。
たまちゃんのぼろぼろの身体、必死に押さえつけようとする姿。火花。閃光。黒煙。
痛々しい。生々しい。胸が苦しい。
だけど、目を、逸らさない。
札を探す。
トリガーに指を掛ける。
深呼吸。
――見えた。
射撃。
弾丸は真っ直ぐ、逸れることを知らず、札に吸い込まれるように突き刺さった。
札が、剥がれた。
ツクモガミの動きが一瞬止まる。
「たまちゃん、離れてッ!」
サキの叫び。
たまちゃんが仰け反るように身を離す。
サキが突貫。
ツクモガミの脚を狙って、突く。
押す。
圧しきる。
ツクモガミが、ついに、倒れた。
静寂。
沈黙。
黄金色の粒子が立ち昇る。水平線から顔を覗かせた陽の光を浴びて、きらきらと輝く。気持ちよく乾いていて、朗らかな煌めき。そこにもはや粘り気のある蒼い色味など、どこにも残っていなかった。
ユカとルカが、いてて、と互いに肩を貸し合いながら集まってくる。ハナがぱたぱたと走り寄る。
たまちゃんはぼろぼろになりながらも、ツクモガミに近づいていく。その背中にはノア。
たまちゃんは静かに、優しく、ノアを降ろすとその場にへたり込んだ。
ノアはツクモガミに触れる。そして、呟いた。
「お父さん、お母さん……」
「え——?」
潮騒に消え入りそうだった言葉をハナの耳は拾った。
「もしかして⋯⋯」
ハナの言葉にカメちゃんがぴょこりと顔を出す。ハナは慣れた手つきでツクモガミを撮影する。
写真が1枚。ハナはそれを抱き寄せると、うっすら像を成していく表面を見やった。
写っていたのは、鬼の少女と両親の朗らかな食卓の風景。この娘の誕生日なのだろうか。豪勢な食事に、飾り付け、そしてケーキ。『ハッピーバースデー、ノア』
プレゼントは、小さな四足ロボットだった。
「私は、大丈夫だよ」
ノアがツクモガミに呼び掛ける。
流れる大粒の涙。
「みんながいるから、寂しくないの。だから、もう守らなくていいの、想い出の場所を」
明滅するカメラアイに頬を寄せる。
「今までありがとう」
赤い点滅の間隔が長くなり、次第に消える。黄金色が空気に滲んで消えていく。ただ朝は静かにゆっくりと、街を陽の色に染め上げていった。




