奇跡なんて
サキは夕焼けに沈む猫横丁を帰路へと歩いていた。
しばらく俯き加減のまま、視線は足先の判然としない辺りに向いている。
対向する足音にぶつからないように避けるのが精いっぱいだった。
奇跡なんて言葉にムキになった自分がいたのを覚えている。語気に混ざった刺々しさを思い出すと、何だか胃袋の底あたりがざわざわして、思わずギターケースのベルトを握りしめずにはいられない。
ツクモ狩り部の面々を思い浮かべると、周囲がとてつもなく大きく広がって、自分の影がとてつもなく小さくなっていく。足元はゆらりとぐらつき、浅い沼を歩いているように足取りが重くなっていく。夕日の色に感傷的になってしまったのだろうか。それとも、後ろめたさが形となって追いかけてきているのか。
どちらとも判然としないまま、反芻する。
奇跡なんてない。
そうだ。
そんなものない。
何度だって願ってきたのに、ひとつも叶わなかった。
奇跡が起こって欲しいときなんていっぱいあった。
あの子も、あの人も、父さんも、母さんも、犬童さんも、茨木さんも、みんなみんな。
奇跡が起これば、無事だったんだ。
足が止まる。
胸が痛い。目頭が熱い。身体が、火照る。
歯を食いしばる。
自分は正しい。
奇跡なんて起こらない。
だから、自分の力を信じるしかないんだ。
今できることを、今しかできないことを、ただひたむきに。
他人の力なんて必要ない。
仲良くする必要なんてない。
首元のマフラーを握りしめる。爪が掌に食い込む。白肌が赤く色づく。
だから——。
「あれ——?」
僅かな揺れに気づいた。
なんだか港の方が騒がしい。
大きな工事でもやっているのだろうか。微かな震動と潮騒に混じる破砕音。遠くからサイレンの音も聞こえてくる。
そういえばノアの工場跡は港の近くにあったっけ。
「まさか、ね」
熱い雫を払って、顔を上げた。今度は確かな足取りで帰路を進んでいった。




