新緑の季節
春先は過ぎ、桜も新緑に生え変わった頃。
少しばかり気温も上がって、陽射しに汗ばむ朝も増えた。
そんなある日の放課後。
港学園からの帰り道、商店街のアーケードへとユカは当たり前のように入り込んでいった。まっすぐ帰るつもりなど、最初から毛ほどもないというのがユカという学生だった。課外活動も含めて学生生活を謳歌している。そういった意味では模範的女子学生ではあった。
軒先に並ぶ、経年劣化で褪せた色の看板は、それでも多種多様な様相で客の目を惹こうとしている。古本屋から漂う古紙の埃っぽい匂い。八百屋の店先では色とりどりの野菜が鮮やかに列をなしている。雑貨店からは古時計が時を刻む音。
そんな賑やかな商店街の一角に、少しだけ落ち着いた小さな駄菓子屋がある。
開け放たれた引き戸の敷居を跨ぎ、奥に声をかけた。
「おばちゃーん、いつものー」
「あら、ユカちゃん、今日は早いのねー!」
奥から妙齢の女性鬼が店先へ顔を出す。
「ちょっと待っててね、今探すから〜」
そういってパタパタとまた奥に引っ込んでいった。
「ほーい」
と間延びした返事をしつつ、座敷の縁に腰掛ける。
店内ところ狭しと並んだ棚には、色とりどりの駄菓子が和気あいあいと押し込められている。子供向けの菓子ばかりなのに、それでも不思議な魔力を秘めたパッケージの数々に目を輝かせる大人も少なくない。
大人——と呼べる年齢では全く無いが、ユカにとってもそれは同じことだった。
「この感じがいいんだよな〜」
そう呟いてると、店主が箱を抱えて戻ってきた
「はい、お待たせ、きなこ棒3カートンね」
「ありがと〜。あ、あとこれもお願い」
螺旋状に伸ばされたゼリーのパッケージもレジに置いた。
その時、ふと違和感に気づく。
レジの横には細かな駄菓子が売られている。その一箇所、妙な隙間というか、そこだけ空間がぽっかり空いている。
「ここなんか置いてなかったけ?」
「あら、そうねぇ」
店主も覗き込む。
「なんかあった気がするけど⋯⋯」
二人して、首を傾げる。
「うーん⋯⋯」
「うーん⋯⋯」
けれど、いくら思い出そうとしても、浮かんでこない。なんかこう置物というか、なんというか、あったはずなのだ。
「なにせ、お店引き継いだのがだいぶ遅かったからねぇ。ウメさんもあんまり口数が多い人じゃなかったし⋯⋯」
「ふーん」
ユカはさほど気にする様子もなく、勘定ぴったしでお金を置いて、いまだ首を傾げる店主を置いて、出ていった。
「おばちゃん、またね〜」
「うーん⋯⋯」
店主はその後一日中悩み続け、仕事もあまり手がつかなかったらしい。
商店街の中、ユカは帰路へと進む。
頭の後ろに手を組み、首を傾げる。
「うーん、なんだったかなぁ⋯⋯」
「お、健忘症か?」
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
「あ、ルカ」
振り返ればルカ。コロッケをもぐもぐと食べながら、口の周りを衣で汚していた。
「お前覚えてない?駄菓子屋さんにあったヤツ」
「何が?」
「いや、なんかこう、レジ横にさ、あったヤツ。たぶん置物かなんかだと思うんだけど、これくらいの」
身振り手振りで説明するものの、もぐもぐルカもまた、例のごとく首を傾げる。
「昔から行ってるけど、あんまり覚えてないなぁ」
「そっかー」
「そうだなー」
これは他愛もない話のひとつ。帰路をゆったり進みながら、次第に話題は移り変わっていく。今日の授業のこと、大江先生のこと、部活動のこと。何の変哲もない女子高生たちの日常がそこにあった。
「あれ?」
ユカの足が止まった。
見慣れない場所だった。いや、進路は間違えていない。
普段の道とは全く様相が変わっていたのが、ユカの気を留めたのだ。
「なんか、最近、猫探しの張り紙増えてね?」
指差す先。大量の紙が電柱、シャッター、外壁、至るところに貼り付けられていた。それらは別々の内容ではあったが、みな一様に同じことを切羽詰まった文言で叫んでいた。
『大切な家族です』
『情報求む』
『見かけたらご一報を』
『探しています』
『探しています』
『探しています』
毛並みの違う猫の写真が、ズラリと道を覆っていた。
「あー、確かにな」
白黒。茶トラ。三毛猫。黒猫。アメリカンショートヘア。飼い主の名前や連絡先と一緒に、それぞれの猫の特徴が細かく書かれている。どれも大切に飼われていたのだろう。写真の中では、みんな幸せそうな顔をしている。
「そういや、野良猫もあんまり見なくなったなー」
ユカとルカが周囲を見渡す。
この商店街は昔から猫が多い場所だった。
軒先で日向ぼっこをしていたり、魚屋からこっそり生魚を分けてもらったり、悠々と道を闊歩していたり、と生活の端々には必ず猫がいた。
少なくとも港学園の生徒たちからは『猫横丁』とまで呼ばれる一帯だったのだ。
——それなのに、だ。
今日は一匹も見当たらない。
いや、今日だけではないのかもしれない。昨日も、一昨日も、異常はだいぶ前から起こっていたのかも。
ユカとルカがそれに気づいたのがついさっきだっただけなのかもしれない。
「ミケちゃーん、ミケちゃーん!何処行ったのー!?」
悲痛な声が前から聞こえてきた。
見れば、大量の張り紙を抱えた女性が、通りを行ったり来たりしている。
「ミケちゃーん!お願いだから出てきてー!」
チューブの猫用おやつを握り締めた彼女の目に大粒の涙が溜まっていた。
ユカが眉をひそめた。
「こりゃあ、匂いますな」
ルカが、ちらと視線を合わせる。
「そうだな、ぷんぷんしているな」
「ツクモ狩り部、久しぶりの課外活動と行きますかー!」
ユカの声が、春から初夏へ移り変わろうとする商店街に響き渡った。




