第6話。朝焼けのスケッチブック。
第6話:朝焼けのスケッチブック
「表と裏のレールを走っているなら、二人の間には常に『床』がある。……それなら、どうやってハイタッチをするの?」
私の問いに、交差点の底から湧き上がる時計の歯車の音が、より一層激しさを増した。
手元の懐中時計は、文字盤の真下(6時の位置)で重なり合ったまま、激しく発熱している。
朝日くんは、レールの表側(未来)から私を見つめ、夕日ちゃんは、レールの裏側(過去)から私を見つめている。
二人の距離はすぐ近くなのに、確かに二人の足元を隔てる「光の床」が、透明な壁のようにそこにあった。
「その答えはね、アサヒ」
夕日ちゃんが、自分の背負うアメジスト色のカバンをそっと愛おしそうに撫でた。
「私たちは、ただ通り過ぎるだけじゃ、お互いに触れることはできない。……だけど、世界中の人間が眠りにつく『真っ暗な夜』のあいだに、たった一度だけ、この交差点の床が、まるで透明な【スケッチブック】のようになる瞬間があるの」
「スケッチブック……?」
「そうだよ」
朝日くんが黄金色の手を、足元の床へとそっと伸ばした。
「真っ暗な夜から朝が生まれる、その一瞬。僕たちが走る2つのレールが、完全に『同期』するんだ。そのとき、僕たちの光の速度が限界を超えて、この隔たりの床を、内側から燃やすようにオレンジ色に染め上げる。それが――人間たちの世界でいう【朝焼け】さ」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で、すべての景色が一気に色鮮やかに塗り替えられた。
(朝焼け……。夕焼けの、あの少し黒っぽくて、寂しい紫色のグラデーションとは違う。生まれたての、夕日に強烈な光が差し込んだような、あの本当に綺麗な、燃えるようなオレンジ色……!)
「あの朝焼けのオレンジ色の光が満ちるとき」
夕日ちゃんが微笑む。
「表のレールと裏のレールを隔てていた床は、ただの透明なガラスになる。だから私たちは、横を向いて、手を伸ばすの。表と裏から、そのガラスの窓を挟んで、お互いの手のひらをピタッと合わせる。……それが、私たちの『ハイタッチ』の本当の姿」
床を挟んで、表と裏から、手のひらを合わせる。それは、時空を超えて、別の時間を生きる二人が、確かに「今」という瞬間で寄り添い合うための、世界で一番美しいハイタッチの儀式だった。
そして、そのハイタッチの瞬間に放たれた眩しい朝日の光が、ガラスを透過して人間の世界へとまっすぐ差し込む。
それこそが、朝、部屋の窓を開けたときに差し込んでくる、あの神聖な「光の道」の正体だったのだ。
「……そっか。そうだったんだね、お母さん」
私は涙を流しながら、手元で重なり合う懐中時計を見つめた。
(前作第2話)
5歳の私が言った
『あ、このおねえちゃん、夢でみたことある。朝日のくにからきたの?』
という言葉。
あれは、5歳の私が朝目覚める直前、部屋の窓が朝焼けのオレンジ色に染まり、そこに差し込んできた「光の道」の向こう側に、未来からタイムトラベルしてくる大人の私の姿を見ていたからだったのね。
そしてお母さんは、若い頃にこの交差点で大人の私に会い、さらにアサヒが5歳の時のあの事故の日、私に助けられたことで、すべてを理解した。
だからこそ、お母さんは私を育てる毎日の中で、朝、部屋の窓が綺麗なオレンジ色に染まるたびに、私にこう言い聞かせてくれていたのだ。
『アサヒ、窓を見てごらん。朝日さんがいま、夕日さんと窓の向こうでハイタッチをして、あなたに「ただいま」の光の道を届けてくれたのよ。だから、どんなに寂しい夜が来ても大丈夫。明日になれば、また新しい朝があなたを照らしに来てくれるから』
お母さんは、ずっと私を待っていてくれた。いつか私が大人になり、孤独に押しつぶされて時計を逆回転させてしまったとき、この朝焼けの窓の光を思い出して、未来へ歩き出せるように。
お母さんが毎朝、私と一緒に見上げてくれたあの朝焼けの窓は、お母さんから私へ遺された、時空を超える壮大な「時計仕掛けのラブレター」だった…、。
「アサヒ、エネルギーが満ちたよ! 君が朝焼けの本当の美しさに気づいてくれたから!」
朝日くんと夕日ちゃんの体が、猛烈なオレンジ色の光に包まれていく。
ひび割れていたメビウスのレールが、アメジスト色の光の粒子で完全に修復され、巨大な時計の歯車が、かつてないほど力強く
「カチリ」
と音を立てて噛み合った。
「さあ、アサヒ! 窓を開けて! 君の『新しい明日』が、もうそこまで来ているよ!」
二人の声が響き渡ると同時に、世界は圧倒的な朝焼けのオレンジ色で満たされ、私はゆっくりと光の中へ溶けていった――。(第6話・おわり)




