第5話。アメジストの歯車と時計の違和感。
第5話:アメジストの歯車と時計の違和感
「うわあ……! 温かい……!」
交差点に戻った私を迎えたのは、朝日くんと夕日ちゃんの歓声だった。
私が現実世界の公園のベンチで、見知らぬ親子の笑顔から受け取った温かいエネルギー。それは、交差点の足元に転がっていたアメジスト色の結晶たちに引火するように、凄まじい紫色の輝きを放ち始めていた。
その光に照らされて、私は足元の「ある異変」に気がつく。パチパチとひび割れていた光の道路。
その亀裂の奥から見えたのは、ただの奈落ではなかった。
そこにあったのは――巨大な、見たこともないほど精巧な「時計の歯車」だった。
「これは……私の懐中時計の……?」
私が息をのむと、朝日くんが黄金色の髪を揺らしながら言った。
「そうだよ、アサヒ。この交差点はね、もともと一つの巨大な『時を刻む時計』なんだ。でも、いつからか歯車が噛み合わなくなって、僕たちはすれ違うことしかできなくなっていた」
床に散らばっていた紫色の結晶たちが、磁石に吸い寄せられるように、床の裂け目へと飛び込んでいく。
そして、軋んでいた巨大な歯車の「隙間」へと次々に挟み込まれ、ピタリと噛み合うクッションの役割を果たしたのだ。
ガチリ。
世界が一度、大きく震えた。
それと同時に、今まで止まっていた巨大な歯車が、ゆっくりと、滑らかに回転を始める。
「あ……。時計のネジが、巻かれたんだ」
私は自分のポケットにある、お母さんの形見の懐中時計を取り出した。
その瞬間、私は自分の目を疑った。
「え……? なにこれ……おかしいよ」
いつもなら「チクタク」と均等に右へ刻むはずの針が、【右回りと左回りに、同時に】、重なり合うようにして回り始めていたのだ。
一つの文字盤の上で、二つの針が真逆の方向へ進んでいる。
私は背中に、ゾクッと冷たいものが走るのを感じた。
右回りは、未来へ進む時間。
左回りは、過去へ戻る時間。
「ねぇ、朝日くん、夕日ちゃん。ずっと不思議だったことがあるの」私は震える声で、二人に問いかけた。「朝日は東から昇って、西に沈むよね。夕日も、西の空へ沈んでいく。……二人とも『同じ西の地平線』に向かって走っているのに、どうしてこの交差点で、お互いに【正面から】出会うことができるの?
私の言葉が、静まり返った交差点に響いた。
手元で、右回りと左回りに同時に回り始めた懐中時計が、カチカチと狂ったように異音を立てている。
朝日くんと夕日ちゃんは、驚いたように顔を見合わせ、それから私をじっと見つめた。
「気づいちゃったんだね、アサヒ」
朝日くんが、いつもの無邪気な笑顔を消し、真剣な顔で私を光の道路の端へと引っ張っていった。
「下を見てごらん。僕たちの『世界(道)』がどうなっているか」
言われるがままに、私は光の道の端から、真っ暗な奈落の底をのぞき込んだ。
その瞬間、私の頭の芯が、冷たい恐怖と驚きでカチリと凍りついた。
「なに、これ……」
十字路だと思っていた光の道。
それは、平らな道路なんかじゃなかった。
巨大なプラスチックの帯を、ぐるりと一回ねじって、端と端を繋ぎ合わせたような――巨大な「メビウスの輪」の形をした、立体交差のレールだったのだ。
「僕の世界はね、ただの平面じゃないんだ」朝日くんが、自分の足元の光る床をトントンと叩く。「僕は【未来(明日)】へ向かってレールの『表側』を走っている。そして夕日ちゃんは、みんなの思い出を抱きしめて【過去(昨日)】へ向かってレールの『裏側』を走っている。進んでいる方向は同じ(西)だけど、時間が真逆なんだよ」
「表と、裏……」
「そう」
夕日ちゃんが、軽くなったカバンを抱きしめながら言葉を継いだ。
「だけど、このレールには一箇所だけ『ねじれている場所』がある。表と裏が、ひっくり返って入れ替わる不思議な場所が……。それが、この交差点。ここでだけ、私たちは【表と裏に分かれたまま、正面を向いて向かい合う】ことができるの」
二人の説明を聞きながら、私は頭の中で、紙をねじって作った輪っかを想像してみた。
同じ方向へ走っている二人が、ねじれの場所で、床の「表」と「裏」に分かれて、お互いに正面を向いて向かい合う。
(待って。それなら、二人は通り過ぎるときに、どうやってハイタッチするの? 表と裏の床に阻まれて、手なんて届かないはずじゃ――)
そこまで考えたとき、私の心臓が、今日一番の大きさでドクンと跳ねた。
脳裏に、2年前、自分が5歳だった頃の過去(夕日の国)へタイムトラベルしたときの記憶が、フラッシュバックのように鮮烈に蘇る。
あの日、過去の世界で大人の私を見た5歳の私は、眠そうに目をこすりながら、私に向かってこう言ったのだ。
『あ、このおねえちゃん、夢でみたことある。朝日のくにからきたの?』
あの時は、ただの子供の他愛ない夢の話だと思って聞き流していた。
でも、【朝日の国=未来】なのだとしたら、あの言葉の意味は180度ひっくり返る。
5歳の私は、夢の中で、未来から来る大人の私の姿を予知していたのだ。
あの時のお母さんの、すべてを察したような深い目。
お母さんは、私のことを「未来から来た大人のアサヒ」だと、あの瞬間に気づいていた。
なぜなら――。
私はゆっくりと、自分のポケットにある懐中時計を見た。
右と左に同時に回る、お母さんの形見の時計。
「まさか、お母さん……。あなた、私が生まれたばかりのあの日に……」
私は気付いてしまった。
このメビウスの輪のような時間の中で、お母さんが私を育てる毎日に遺してくれた、すべての「優しい嘘」と、完璧な伏線の存在に。(第5話・おわり)




