第九話「井戸の底」
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奥宮の扉は、今夜も開いていた。
社殿の中に入ると、常火が待っていたように揺れた。橙と金が混じり合い、二人の影を床に長く落とした。
ハルは炎の前に立った。
「床の中央を外す」と言った。独り言のように、しかし炎に向かって。
炎が揺れた。答えるように。
床を見た。古びた板張りが続いていた。中央の板は、他と少しだけ色が違った。長年の煤で黒ずんでいたが、継ぎ目の形が違う。四角く、一枚だけ浮いているように見えた。
膝をついて、板の縁に指をかけた。
重かった。しかし、動いた。
板を外すと、暗い穴が現れた。井戸だった。石で丁寧に積まれた古い井戸で、下からひんやりとした空気が上がってきた。深さは分からなかった。石の壁が闇に続いていた。
「暗い」とハルは言った。
炎が揺れた。
そして、炎の一部が——分かれた。
南の頂で光の粒を受け取った時と同じように、しかし今回は粒ではなかった。もっと大きな、手のひら全体を包むような光が、炎からゆっくりと離れ、ハルの体へ向かってきた。
「受け取れ」とミナが言った。傍らで見ていたミナが。
ハルは両手を広げた。
光が、体に流れ込んだ。
熱はなかった。しかし満ちてくる感覚があった。胸の奥から、手の先まで、橙と金の何かが巡っていくような。
「光ってる」とミナが言った。「あなたの手が」
見ると、手のひらがかすかに光っていた。炎と同じ色で。
「これを持って下りる」
「うん」とミナは言った。
ハルは井戸の縁に腰をかけた。石壁に手足をかけて、ゆっくりと降り始めた。
「待って」とミナが言った。
振り返った。
ミナは紙を持っていた。さっき川沿いで書いたものだろう。それをハルに差し出した。
「持っていって」
「記録を?」
「下に何があるか分からない。でも、これを持っていれば——」ミナは少し考えて、言葉を選んだ。「あなたが一人じゃないことを、思い出せる気がして」
ハルは紙を受け取った。懐にしまった。
「戻ってくる」と言った。
「うん」とミナは言った。「待ってる」
ハルは井戸を下り始めた。
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降りるほどに、暗くなった。
手のひらの光だけが頼りだった。石壁が古く、ところどころ苔が生えていた。深さが分からないまま、ひたすら下りた。
どのくらい下りただろう。
足が、地面についた。
井戸の底は、思ったより広かった。石壁に囲まれた円形の空間が、横に広がっていた。天井は低く、腰をかがめて歩かなければならなかった。奥に向かって、狭い通路が続いていた。
通路の先から、音がした。
低い、うねるような音だった。
根だ、とハルは思った。
手のひらの光を前に向けて、通路を進んだ。
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通路の先に、大きな空間があった。
天井が高く、壁が広く、まるで地下の広間のようだった。そしてその中央に——
あった。
根の源だった。
一本の巨大な根が、地面から垂直に生えていた。高さは天井まで届き、太さは人が両手を広げても抱えきれないほどだった。その幹から無数の細い根が四方に広がり、壁を這い、天井に張り付き、地面を覆っていた。根の表面は濡れたように光っており、かすかに脈打っていた。
呼吸しているようだった。
光を嫌うと老人は言っていた。
しかし、ハルが手のひらを向けても、根の源はすぐには反応しなかった。細い根がいくつか縮んだが、幹は動かなかった。
もっと強い光が必要だ、とハルは思った。
手のひらだけでは足りない。
どうすればいい。
考えた。
東の頂で気づいたことを思い出した。根を引き剥がした時、炎が大きくなった。光は押しつけるものではなく、根が退くことで現れるものだった。
ならば。
ハルは根の幹に近づいた。
手のひらを向けながら、もう一方の手で根の表面に触れた。
冷たかった。ぬめりがあった。しかし触れた。
根がびくりと動いた。
しかし離れなかった。触れたまま、手のひらの光を根の幹へ向かって、押しつけるのではなく——流し込むように。
体の中の光が、根へ向かって動き始めた。
根が震えた。
細い根が次々と天井から落ちた。壁から剥がれた。しかし幹は揺れながらも残っていた。
光が、少しずつ体から抜けていく感覚があった。
怖かった。このまま全部抜けてしまったら、自分はどうなるのか。
懐の紙が、触れた。
ミナが書いたものが、服の中で触れた。
ハルは、待ってる、というミナの言葉を思い出した。
もう少しだけ、と思った。
根の幹が、細くなっていた。光を受け取るたびに、縮んでいた。巨大だったものが、少しずつ、少しずつ。
最後の一押しが要る、とハルは感じた。
手のひらを幹に押し当てた。残った光を、全部流し込むつもりで。
根が、揺れた。
大きく、激しく、空間全体が震えた。天井から土が落ちた。壁の根が一斉に剥がれた。
そして、幹が——
光の中に溶けた。
橙と金の光が、地下の広間を満たした。根が消えていった。細いものから、太いものまで。次々と光に飲まれて、消えていった。
静寂が来た。
ハルは膝をついた。
体の光が、消えていた。手のひらはもう輝いていなかった。暗かった。しかし、根も消えていた。広間は空っぽになっていた。
しばらく、そのまま座っていた。
暗い中で、息を整えた。
懐から紙を取り出した。
暗くて読めなかった。しかし、紙の感触だけで十分だった。
立ち上がった。
通路を戻り、井戸の石壁を登り始めた。
上から、かすかに光が漏れていた。
常火の光だった。
ハルはそれを目指して、一歩ずつ登った。
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井戸の縁から顔を出した瞬間、ミナが走り寄ってきた。
何も言わずに、ハルの手を取った。
引き上げた。
二人は社殿の床の上に座り込んだ。
常火が揺れていた。穏やかに、安定して。
「終わった?」とミナが聞いた。
「終わった」とハルは言った。
「怪我は?」
「ない。でも、疲れた」
「そうでしょう」とミナは言った。
それだけだった。
それ以上の言葉は、今夜は要らなかった。
二人は並んで、常火の前に座っていた。炎が二人を照らした。橙と金の光の中で、二人の影が壁に長く伸びていた。
外から、虫の音が聞こえた。
里の夜の音だった。
常瀬の里が、まだそこにあることを告げる音だった。
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炎が、静かに語りかけてきた。
——よくやった。
「終わりましたか」とハルは聞いた。「根の源は」
——この巡りでは、消えた。里はもう少し続く。
「もう少し、というのはどのくらいですか」
——分からない。しかし、あなたたちが望む限りは。
ハルはミナを見た。ミナは炎を見ていた。
「一つだけ、聞いていいですか」とミナが言った。
——どうぞ。
「毎回離れる、と言っていた。これまでの二人は、どんな形で離れてきたんですか」
炎が揺れた。
——様々だ。片方が先に逝ったことも。引き裂かれたことも。間に合わなかったことも。すれ違ったまま終わったことも。
「今回は」
——まだ終わっていない。
「でも、離れますか」
炎は長い間、揺れていた。
——それを決めるのは、あなたたちだ。私ではない。
ミナは炎を見たまま、少しだけ口角を上げた。
「なら、私たちが決めます」と言った。
炎が、橙と金に、大きく揺れた。
まるで、笑うように。
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(第九話 了)




