最終話「この巡りの、最後に」
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それから、七日が過ぎた。
影の根は現れなかった。里の端からの消滅も、止まったままだった。西と北の外れに残った空白は埋まらなかったが、それ以上広がることもなかった。人々の顔から薄い膜のような感触が消え、声に厚みが戻ってきた。
常瀬の里は、静かに続いていた。
ハルとミナは、普通に暮らした。
普通に、というのは、これまでと同じように、ということだった。ハルは田を耕し、猟に出た。ミナは子供たちに字を教え、記録を書き続けた。ただ、以前と一つだけ違うことがあった。
夕方になると、二人は川沿いの土手に並んで座った。
特別なことは何もしなかった。ただ、川を見た。水が流れるのを見た。空が赤くなるのを見た。虫が鳴き始めるのを聞いた。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
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十日目の夜、ハルは目が覚めた。
何かの音ではなかった。ただ、目が覚めた。
起き上がって、窓の外を見た。
奥宮の方角が、光っていた。
いつもの常火の光ではなかった。もっと強く、もっと大きく、山全体が橙と金に染まるほどの光だった。
ハルは起き上がった。
外へ出ると、里の何人かも窓から顔を出していた。しかし誰も動かなかった。ただ、山の光を見ていた。
ミナの家の戸が開いた。
紙と筆を持ったまま、ミナが出てきた。ハルを見た。
「呼んでる」と言った。
「うん」
二人は並んで、奥宮へ向かって歩き始めた。
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参道は、短かった。
十歩も歩かないうちに、杉木立が途切れた。社殿が目の前にあった。扉は大きく開いていた。
中に入ると、常火が——変わっていた。
いつもの背丈ほどの炎ではなかった。天井まで届く、巨大な炎だった。橙と金が渦を巻き、社殿全体を満たしていた。しかし熱はなかった。ただ、光だけが、圧倒的にそこにあった。
炎の中に、無数の光の粒が見えた。
人の形をしたものが、いくつもいくつも、炎の中で揺れていた。
「里の人たちだ」とハルは言った。
「歴代の、全員だと思う」とミナは言った。「消えた田之助さん一家も。もっと昔に消えた人たちも。全部」
炎が語りかけてきた。
——来たか。
「何が起きているんですか」とハルは聞いた。
——巡りが、満ちようとしている。
「満ちる、というのは」
——終わりではない。今までとは違う終わり方だ。初めて、こういう形になった。
「どういう形ですか」
炎は少しの間、揺れていた。
——あなたたちが、離れなかった。
ハルはミナを見た。ミナもハルを見た。
——これまでの巡りで、二人がここまで揃って最後まで残ったことはなかった。必ずどこかで離れた。しかし今回は、根の源まで共に向かい、共に戻ってきた。そして七日が過ぎた。
「それが、何かを変えたんですか」
——変えた。巡りの形を。
炎の光が、一際強くなった。
——今夜、この巡りは終わる。しかし次の巡りは、これまでとは違うものになる。
「どう違うんですか」
——覚えている、ということだ。
ハルは息を止めた。
「覚えている」
——これまでの巡りでは、二人は毎回記憶を失って生まれ直した。しかし今回、あなたたちは最後まで離れなかった。それが、何かを固定した。次の巡りで生まれる二人は、全てを覚えているわけではない。しかし、何かを知っている状態で生まれる。この場所を。この光を。互いを。
ミナが紙に何かを書いていた。手が震えていた。それでも書き続けていた。
「でも、この巡りは終わるんですね」とハルは言った。「この私たちは、消える」
——そうだ。
「それは」ハルは少しだけ声が詰まった。「それは、仕方のないことですか」
炎は静かに揺れた。
——この巡りで生きたあなたたちは、この火の中に残る。消えるのではない。ここにいる。田之助たちと同じように。
「それは」ミナが口を開いた。筆を持ったまま。「慰めですか。それとも本当のことですか」
——本当のことだ。ここにある光の一つ一つが、かつて生きた者たちだ。消えてはいない。ただ、形が変わった。
ミナは炎を見た。無数の光の粒を。
「……私が記録してきた人たちも、ここにいるんですね」
——全員いる。
ミナは筆を止めた。
長い間、炎を見ていた。
それから、紙を折りたたんだ。懐にしまった。
「書くのをやめるの?」とハルは聞いた。
「終わりまで書く」とミナは言った。「でも今は、少しだけ、書かないでいたい」
ハルは頷いた。
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炎が、また語った。
——時間がない。最後に、二人に見せたいものがある。
炎の中の光が、動いた。
無数の粒が、渦を巻くように動いて、像を結び始めた。
二人の人影だった。
古い着物を着た男と女だった。炎の中で向き合って、何かを話していた。声は聞こえなかった。しかし、笑っていた。
それが消えると、次の像が現れた。
また二人だった。今度は別の時代の、別の装いだった。山の中を並んで走っていた。何かから逃げているのか、それとも何かへ向かっているのか、分からなかった。しかし、二人は手を繋いでいた。
それも消えた。次が来た。また二人。また別の時代。
何度も、何度も。
「これが」とハルは言った。「俺たちか」
——そうだ。これまでの全ての巡りの、あなたたちだ。
ハルは炎を見続けた。
違う顔、違う時代、違う場所。しかし確かに、何度も何度も現れる二人だった。そしてどの巡りも、終わりに近い場面だった。離れていく場面だった。片方が先に消えていく場面。すれ違ったまま終わる場面。間に合わなかった場面。
見ていると、胸が痛かった。
自分たちの記憶ではないのに、痛かった。
最後の一つが現れた。
今の自分たちだった。
川沿いの土手に並んで座っている、ハルとミナだった。夕暮れの空の下、二人が川を見ていた。何も話していなかった。ただ、並んでいた。
それが、炎の中で静かに揺れていた。
——これが、今回の記録だ。
ハルは、目が熱くなるのを感じた。
堪えようとして、堪えられなかった。
隣を見ると、ミナも炎を見ていた。頬に、光の筋が一本流れていた。
「泣いてる」とハルは言った。
「うん」とミナは言った。「泣いてる」
「俺も」
「うん」
二人は並んで、炎を見ていた。泣きながら、見ていた。
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炎の光が、また強くなった。
——もうすぐだ。
「最後に」とハルは炎に向かって言った。「一つだけ、聞かせてください」
——どうぞ。
「次の巡りの俺たちは、また出会えますか」
炎は長い間、揺れていた。
——出会う。必ず出会う。それだけは、変わらない。
「そして」
——そして、今回の記録が、あの二人の中に残っている。形は見えなくても。言葉にならなくても。初めて会った瞬間に、知っている、と感じるものとして。
ハルはミナを見た。
ミナはハルを見た。
「最初に会った時から、知っていた気がした」と二人はほとんど同時に言った。
そして、少しだけ笑った。
「これが理由だったんだな」とハルは言った。
「うん」とミナは言った。「ずっと積み重なってきた、何かだったんだ」
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光が、満ちてきた。
社殿全体を包む光が、強くなっていった。橙と金が溢れ、床も壁も天井も、すべてが光に染まっていった。
ハルはミナの手を取った。
ミナはハルの手を握り返した。
「怖い?」とハルは聞いた。
「怖い」とミナは言った。「でも、あなたがいるから、大丈夫」
光がさらに強くなった。
目を開けていられないほどの光だった。しかしハルは目を閉じなかった。ミナも閉じなかった。
「ミナ」
「うん」
「次の巡りでも、また——」
「うん」とミナは言った。ハルが言い終わる前に。「また、見つけるから」
光が、すべてを包んだ。
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常瀬の里は、夜明けと共に静かになった。
奥宮の光が収まり、山は元の稜線に戻った。常火は、いつもと同じ橙と金の大きさで、社殿の中に揺れていた。
里の者たちは、誰も何があったか覚えていなかった。
ただ、なんとなく、よく眠れた夜だったと思った。
西と北の外れの空白は、翌朝には野の草に覆われていた。まるで、最初からそこには何もなかったかのように。しかし草の中に、小さな石が二つ、並んで置かれていた。誰が置いたのか、誰も知らなかった。
弥三郎だけが、その石を見て、長い間立っていた。
それから深く頭を下げて、自分の家へ戻っていった。
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遠い山の向こうで、新しい朝が始まろうとしていた。
どこかの里で、一人の子供が生まれた。
産声を上げる前の一瞬、その子は目を開けた。
まだ何も見えない目で、どこか遠くを見るように。
まるで、何かを、覚えているように。
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そしてまた、どこかで。
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(第十話 了)
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# 常火の里――巡りの唄 完




