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常火の里  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


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第四話「巡りの始まり」


---


三日後、里の西の外れで、家が一軒消えた。


消えた、というのは正確ではないかもしれない。朝になって、そこにあったはずの家が、跡形もなくなっていた。基礎の石も、井戸の枠も、庭の梅の木も、何もかもが消えていた。地面だけが残っていた。しかし地面にすら、家があった痕跡がなかった。まるで、最初からそこには何もなかったかのように。


住んでいたのは、壮年の夫婦と子供が二人だった。


名前を、誰も思い出せなかった。


---


ハルは、それを聞いた瞬間、足元が揺らぐような感覚を覚えた。


「どんな人だったか覚えてる人は?」と里の集まりで誰かが言った。


しばらく沈黙が続いた。


「……顔は見たことがある気がするけど」と一人が言った。


「祭りの時に見かけたような」と別の一人が言った。


「子供が二人いたっけ? それとも一人だったか」


誰も確信を持てなかった。四人家族がそこに暮らしていたはずなのに、誰一人その顔を鮮明に思い描けなかった。まるで霧の中に沈んでいくように、記憶が薄れていた。


ハルは隣に立っていたミナを見た。


ミナは紙に何かを書いていた。素早く、しかし落ち着いた手つきで。


「書いてあるの?」とハルは小声で聞いた。


「ある」とミナは答えた。「三ヶ月前、私はあの家の前を通った。奥さんが縁側で豆を選んでいた。名前は田之助(たのすけ)さんの家。子供は男の子が二人。上が七つ、下が四つ」


「なぜそんなことまで」


「記録しておいたから」とミナは静かに言った。「記録しておかなければ、いなかったことになってしまうから」


三年前から変わらない言葉だった。しかし今、その言葉はまったく違う重さを持っていた。


---


おヨネばあさんの家を訪ねたのは、その日の午後だった。


九十に近い老婆は、小さな部屋で火鉢にあたっていた。ミナが訪ねてきたのを覚えていたようで、二人が戸口に立つと、招き入れもせず、追い払いもせず、ただ火鉢の炭を見つめたまま言った。


「田之助のことを聞きに来たんだろう」


「はい」とミナが答えた。


「あれは消えたんじゃない」とおヨネは言った。「上書きされたんだ」


「上書き」とハルは繰り返した。


老婆は炭を見つめたまま続けた。


「巡りが終わる時、世界は新しい巡りに書き直される。その時、前の巡りにあったものは少しずつ消えていく。家も、人も、記憶も。でも全部が一度に消えるわけじゃない。端っこから、少しずつ」


「端っこ、というのは」


「里の外縁から始まる。西の外れが最初に消える。それから北、東、南と続いて、最後に奥宮が」おヨネはそこで初めて顔を上げた。皺だらけの目が、ハルをまっすぐ見た。「お前さんたちは奥宮に行ったね」


ハルは答えなかった。


「行ったんだろう。影の根を見た。裏の文字も見た。そういう目をしている」


「……はい」


おヨネは長い息を吐いた。「そうか。そうか、またか」


また、という言葉だった。夢の中で聞いたのと同じ言葉。


「またとは、どういうことですか」とミナが言った。紙を持ったまま、静かに、しかし確かな目で老婆を見ていた。「この巡りは、何度目なんですか」


おヨネはミナを見た。しばらく黙っていた。


「私が生まれてからだけで、三度見た」とやがて言った。「でも、私が生まれる前から、もっとずっと昔から、この里は巡り続けている」


「なぜ」とハルは言った。「何のために」


老婆は火鉢に目を戻した。


「それを知っているのは、あの火だけだ」


---


帰り道、二人は川沿いを歩いた。


夕暮れが近く、空が赤く染まり始めていた。川の水が赤を映してゆらゆらと揺れていた。いつもの景色だった。しかし今は、すべてが仮のもののように見えた。この川も、この空も、この里のすべてが、いつか書き直される一枚の紙に過ぎないかのように。


「怖い」とハルは言った。昨日ミナに聞かれた時には言えなかった言葉だった。「正直に言うと、怖い」


「私も」とミナは言った。


「でも止まれない」


「止まれない」


二人は同じことを、ほとんど同時に言った。そして少しだけ、笑った。こんな時に笑えるのが自分でもおかしかったし、隣で笑っているミナがいることが、単純に、嬉しかった。


「ミナ」とハルは言った。「一つ、聞いてもいい?」


「どうぞ」


「俺のことを、ずっと前から知っていたような気がする、って感じることはないか。この里に来る前から、もっと昔から、何度も会ったことがあるような」


ミナは歩きながら少し考えた。


「ある」と言った。「最初に会った時から。川沿いで紙を乾かしていた時、あなたが話しかけてきた瞬間から」


ハルは川を見た。


「俺も」


二人はそれ以上、何も言わなかった。言葉にしてしまうと、壊れてしまいそうな何かが、沈黙の中にあった。


---


その夜、里の北の外れで、また一軒が消えた。


翌朝、誰もその家のことを詳しく覚えていなかった。


ミナの記録の中にだけ、そこに誰が住んでいたかが残っていた。


---


ハルは夜中に目が覚めた。


何かの音がした。山の方からではなく、もっと近く、里の中から。低く、重い、地面が唸るような音だった。


起き上がって戸を開けると、夜空の下、北の山の方角が薄く光っていた。橙と金の光だった。


常火が、強くなっていた。


走り出す前に、ハルはミナの家の方を見た。


戸口に、すでにミナが立っていた。


紙と筆を持ったまま、山の方を見ていた。こちらに気づいて、目が合った。


何も言わなかった。


ただ、頷いた。


ハルも頷いた。


二人は夜の里を、奥宮へ向かって走り始めた。


---


(第四話 了)


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