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常火の里  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


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3/10

第三話「扉の向こう」


---


扉は、開かなかった。


ハルが両手で押しても、引いても、分厚い木の扉はびくともしなかった。鍵穴もなく、(かんぬき)の類いも見当たらなかった。ただ、どこかで何かが噛み合っているような、重い抵抗があるだけだった。


「無理に開けようとしない方がいいかもしれない」とミナが言った。


「なぜ」


「分からない。でもそう思う」


ハルは手を離した。


扉の隙間から漏れる常火の光は、相変わらず橙と金を混ぜたように揺れていた。その光を正面から浴びると、目の奥がじんと痛んだ。痛みというより、遠い記憶を引っ張り出されるような感覚だった。


「記録しておく」とミナは言い、紙と筆を取り出した。


社殿の大きさ、扉の材質、苔の生え方、影の根が扉の下へ続いている様子。彼女は黙々と書いた。ハルはその間、社殿の周囲を一周した。


裏手に回ると、壁に何かが刻まれていた。


---


石でも木でもなく、社殿の裏壁には土を塗り固めた面があり、そこに細い線で文字のようなものが刻まれていた。ただし、ハルには読めなかった。里で使われている文字ではない。かといって、どこかで見た覚えもない。


「ミナ」と呼ぶと、彼女はすぐに来た。


刻み文字を見た瞬間、ミナの手が止まった。


「読める?」とハルは聞いた。


ミナは長い時間、壁を見ていた。


「……一部だけ」とようやく言った。「これは、すごく古い書き方。私が集落で習った書き方とも違う。でも、なぜか」


「なぜか?」


「読んだことがある気がする」


昨夜の言葉の続きのようだった。知っている気がする。来たことがある気がする。読んだことがある気がする。


「何と書いてある」


ミナはしゃがんで、壁の一部に指を沿わせた。「ここは、たぶん『巡り』。ここは『火』。それから……」彼女の指が止まった。「これは、名前だと思う。二つ並んでいる」


「誰の名前?」


「分からない。でも」


ミナは顔を上げた。夜明けの薄い光の中で、彼女の目が何か別のものを見ているような色をしていた。


「二人の名前だと思う」


---


里に戻ったのは、朝餉の支度が始まる頃だった。


炊事の煙が家々から上がり、鶏が鳴き、犬が走り回っていた。いつもの朝だった。昨夜から社殿の裏で何かを発見してきた二人のことなど、誰も気にしていなかった。


ハルは自分の家に戻り、土間に座って水を飲んだ。


頭が働かない。眠れなかったからではなく、あの刻み文字の二つの名前のことが、頭の中でぐるぐると回り続けているせいだった。


(二人の名前。)


(誰と、誰の。)


母が台所から顔を出した。「どこ行ってたの、こんな朝早く」


「山の方を少し」


母は特に詮索しなかった。この里の人間は、互いの行動をあまり掘り下げない。昔からそうだった。ハルは子供の頃からそれを不思議に思っていたが、今では少しだけ、その理由が分かる気がした。


掘り下げないことで、何かが保たれている。


何が保たれているのかは、まだ分からないけれど。


---


昼過ぎ、弥三郎の家に再び行った。


老人はまた縁側で縄を編んでいた。ハルが来たのを見ても、顔色ひとつ変えなかった。


「奥宮に行ってきました」


縄を編む手が止まった。今度は昨日より長く止まった。


「馬鹿なことを」と弥三郎は言った。声に怒りはなかった。疲れのような、諦めのような、何か重いものが混じっていた。


「社殿の裏に刻み文字がありました。古い文字で、二人の名前が並んでいた」


老人は答えなかった。


「弥三郎さん」ハルは縁側に近づいて、低い声で言った。「この里は、いつから始まったんですか」


長い沈黙があった。


風が竹藪を揺らして通り過ぎた。どこかで子供が笑い声を上げた。遠くの山で、鳥が鳴いた。


「お前さんには、言う必要がない」と弥三郎はやがて言った。「どうせ分かる時が来る」


「どういう意味ですか」


老人は縄を編みながら、目を細めた。


「この里には、時々、お前さんのような若者が出る。山の声を聞く者が。奥宮の光を見る者が」


ハルは息を止めた。


「そういう若者は決まって、同じことをする。奥宮へ行って、裏の文字を見て、ここへ来て同じことを聞く」ハルの目を見ないまま、老人は言い続けた。「そして決まって、里を揺るがすような目に遭う。そして――」


老人の言葉が途切れた。


「そして?」


弥三郎は答えなかった。縄を編む手だけが動いていた。


ハルは、全身に鳥肌が立つのを感じた。


「決まって、何ですか」


老人はため息をついた。長い、重いため息だった。


「決まって、消える」


---


夕方、ミナと落ち合った。


川沿いの土手、三年前に初めて話した場所だった。ミナは昼の間、里の古老たちを一人一人訪ねて歩いていたという。どこに行っても、奥宮の話になると口が重くなった。百五十年以前の話を聞こうとすると、みな話を逸らした。


「一人だけ、少し話してくれた人がいた」とミナは言った。「九十に近い、おヨネばあさん」


「何て言ってた?」


ミナは手元の紙を見た。記録してきたのだろう。


「『巡りが終わる前触れだ』と言っていた。影の根が出る時は、いつも巡りが終わる前触れだと。でも、巡りとは何かを聞いたら、黙ってしまった」


「弥三郎さんも、似たようなことを言っていた」ハルは川の流れを見ながら言った。「そして、消える、と」


「消える」とミナは繰り返した。「誰が?」


「たぶん、奥宮に関わった者が」


二人はしばらく黙っていた。川は変わらず流れていた。


「怖い?」とミナが聞いた。


ハルは少し考えた。正直に言うなら、怖い。しかし怖さよりも先に来るものがあった。あの社殿の前に立った時の、説明のつかない悲しみ。まるで何度も別れを経験してきた魂の重さのような、あの感覚。


「怖いより先に」とハルは言った。「知りたい。あの火が何なのか。刻まれた二人の名前が誰なのか。この里が何のために存在しているのか」


ミナは川を見ていた。


「私も」と静かに言った。「知りたい。でも」


「でも?」


「知ることで、消えてしまうとしても?」


ハルはミナを見た。彼女は川を見たまま、唇を少しだけ動かした。


「私は消えたくない。ここで記録を書き続けたい。あなたの隣で」


ハルは何も言えなかった。


言葉が出なかったのは、同じ気持ちだったからだ。消えたくなかった。この場所で、この人の隣で、続きを生きたかった。


それなのに、体の奥底で何かが囁いていた。


知らなければならない、と。


どれほど怖くても。どれほど失いたくなくても。


あの扉の向こうを、見なければならない、と。


---


その夜、ハルは夢を見た。


真っ暗な場所だった。足元に何もなく、上にも下にも果てがなかった。ただ、遠くに光が一つ揺れていた。橙と金の、あの常火の光だった。


光に向かって歩くと、誰かが立っていた。


後ろ姿だった。長い黒髪。細い肩。


名前を呼ぼうとして、呼べなかった。声が出なかった。


その人が振り返った。


顔が見えなかった。光が眩しすぎて、ただ輪郭だけが分かった。


でも、知っていた。


何度も会ったことがある。何度も、この場所で。


「また」とその人は言った。


声だけが聞こえた。


「また、始まるのね」


夢はそこで終わった。


ハルは暗い部屋の中で目を開け、天井を見た。


心臓が速く打っていた。


また、という言葉だけが、耳の奥に残っていた。


---


(第三話 了)


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