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異邦審判官と聖女の天秤 〜偽りの判決を砕く召喚者〜  作者: セルヴォア


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3/6

皇女の値踏み

東回廊の温室は、夜でも暖かかった。


法廷宮殿の冷えた石廊下を抜けた先にだけ、別の季節が閉じ込められている。高い硝子天井には月が貼りつき、その下で濃い緑の葉と白い花が静かに息づいていた。甘い香りがある。だが癒やしより先に、監視の気配が分かる。


真琴は足を止めた。


「隠れているなら出てこい」


葉の陰で、甲冑の革が小さく鳴った。


やはりいたか、と思う。ここは秘密の逢瀬の場所ではなく、獲物の逃げ道を消した商談の場だ。


「警戒心は及第点ね」


女の声が前からした。


花棚の向こう、月光の落ちる円卓のそばに、アルセリア・ヴァルハラが立っていた。法廷のときより軽い衣装だが、かえって隙がない。白金の布は体の線を隠しすぎず、隠さなさすぎもしない。高位の人間が、自分の見せ方を完璧に知っている立ち姿だった。


「座りなさい」


命令の形だが、無理に従わせる響きではない。従うかどうかを見る声だ。


真琴は向かいに座った。


卓上には酒ではなく、水差しと薄い紙束が置かれていた。


「色気のない招待だな」


「あなたに必要なのは葡萄酒ではなく、現実でしょう」


切り返しが早い。


アルセリアは紙束を卓の上へ滑らせた。


「今日、あなたが止めた処刑はひとつ。止められなかった処刑は今年だけで二十七。再審の機会すら与えられず、罪人として北方へ送られた役人は四十三」


真琴は紙を見た。名前、日付、処分理由。どれも短い。短いぶん、雑に人が消されているのが伝わる。


「これは」


「私が集めた分だけ」


アルセリアは自分の水杯に手を添えた。


「父は病床にあり、継承は宙に浮いている。七大貴族家は継承審問を買い、教団は奇跡認証を握り、誰もが帝国を自分の財布と思っている」


言葉に怒りはない。冷えている。だからこそ、長く見てきた現実だと分かった。


「あなたは、その財布に穴を開けた」


「褒め言葉か」


「価値判断よ」


彼女は初めて小さく笑った。


「使える刃か、ただの暴発か。その見極め」


真琴は紙束を置いた。


「で、結論は」


「半々」


即答だった。


「あの場で人を救ったのは見事。でも、あなたはこの宮廷の流儀を知らない。誰を敵に回したかも、まだ半分も分かっていない」


「教えてくれるのか」


「条件次第で」


予想どおりだ。


アルセリアは身を少し乗り出した。


「私に勝たせなさい、久城真琴。継承審問を正しい形へ戻したいなら、頂に立つ人間も選ばなければ意味がない」


「自分が正しいと言うつもりか」


「少なくとも、父の死を待ちながら帳簿を食い荒らす老人たちよりは」


短い沈黙が落ちた。


真琴は彼女の目を見る。


美しい女だ。だが、それより先に統治者の目をしている。欲しいものを言葉にすることを恥じない女だ。


だからこそ、ここで頷いてはいけない。


「俺は判決を売らない」


真琴が言うと、アルセリアの睫毛がわずかに揺れた。


「私に仕える気もない」


「では何に従うの」


「事実だ」


それだけ言うと、温室の空気が少しだけ変わった。


怒るかと思った。だがアルセリアは怒らなかった。代わりに、真琴を見る角度を変えた。


値札を貼る目から、強度を測る目へ。


「面倒な男」


「よく言われる」


「嘘ね。あなたは、人に分かりやすく嫌われる前に距離を取るタイプ」


真琴は答えなかった。


その沈黙を、剣の音が割った。


葉陰から、一人の女が歩み出る。


赤い髪を高く結い、白と金の胸当てを着けていた。腰の細剣が、月明かりで青く光る。法廷では兵の列に紛れていたが、近くで見ると圧が違う。整った眉と吊り気味の目が、まっすぐ真琴へ向いていた。


「ヴァレリア・ジャッジ」


アルセリアが言った。


「近衛付き審判騎士。あなたの監視役にちょうどいい」


ヴァレリアは一礼しなかった。


「殿下、本当にこの男を残すのですか」


「値踏みの途中よ」


「なら、私にも確認させてください」


言うより早く、ヴァレリアは細剣を抜いていた。


白刃が月を裂く。


真琴は反射で椅子を蹴り、横へ飛んだ。剣先が背もたれを貫く。乾いた木片が飛び散った。


「話し合いが早いな」


「死なない程度に測ります」


二撃目がくる。


踏み込みは鋭い。下から斜めに切り上げ、逃げた先へ手首を返して突きへ繋ぐ。迷いがない。訓練だけではない実戦の剣だ。


真琴は花壇の縁を蹴ってかわす。頬に風圧が走る。遅れれば鼻先を持っていかれていた。


剣筋が見えた。


正確には、見えているのはヴァレリアの体そのものではない。肩から肘、手首へ流れる、薄い線の連なりだ。力を込める前に揺れる脈。罪脈視と同じ質感だが、嘘ではなく動きの予兆を拾っている。


右からくる。


真琴は半歩だけ前へ入った。剣の最短距離を潰す。ヴァレリアの目がわずかに開く。肘を押さえ、刃を逸らす。続けて膝を払うふりだけ見せ、後ろへ下がった。


本当に倒す気はない。倒せる保証もない。


だが、致命傷だけは避けられる。


ヴァレリアの口元が、初めて動いた。


「面白い」


三合、四合。


真琴の呼吸は重くなる。ヴァレリアの剣は速い。速いが、型の美しさがある。誇りを持って磨いてきた剣だ。だから読み筋もある。


真琴は次の突きを紙一重でかわし、細剣の鍔に指先をかけて止めた。


刃が皮膚を浅く裂く。血が滲む。


それでも、喉元まで届く一線だけは止めた。


温室が静まる。


ヴァレリアは剣を引いた。


「ここまでで十分です」


呼吸も乱れていない声だった。


アルセリアが立ち上がる。


「結論は?」


「文官ではありません」


ヴァレリアは真琴を見たまま言う。


「剣士としては粗い。ですが、死線の見切りが異様に早い。護衛を付けなければ、いずれ誰かに刺されます」


「付ければ?」


「刺される前に刺せます」


それを聞いて、アルセリアは満足そうに頷いた。


「決まりね」


「決まってない」


真琴が言うと、第一皇女は肩をすくめた。


「拒否権はあるわ。でも、明日まで生き残りたいなら持っていたほうがいい」


彼女は卓の下から小さな鍵を取り出した。黒く焦げた鉄の鍵だ。


「旧審判記録庫の鍵よ。数年前の火災でほとんど焼けたけれど、全部ではない」


真琴は鍵を受け取る。


ずしりと重い。


「あなたが探しているものがあるかもしれない」


「親切だな」


「投資よ」


アルセリアは微笑んだ。


「あなたがどちらへ転ぶにせよ、その前に価値を最大まで見ておきたい」


温室を出るとき、真琴は背後の気配に気づいた。


ヴァレリアが二歩ぶん離れてついてきている。


「監視か」


「護衛です」


「違いは」


「私が判断します」


乾いた答えだった。


真琴は小さく息を吐く。


厄介だが、悪くない。


鍵の冷たさが掌に残っていた。焼けた記録の中に、あの偽印の手がかりがあるかもしれない。


そして、第一皇女がわざわざ自分にそれを見せる理由も。

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