エピローグ 液晶の鏡に
その夜、シェルターで、リゼは一人でいた。
正確には一人ではない。
サーバーがある。
処理が走っている。
しかし、人間はいない。
リゼはモニターを通じて、グレイゾーンの通信を聴いていた。
誰かが笑っている。
誰かが泣いている。
誰かが怒鳴っている。
誰かが「おやすみ」と言っている。
みんな、今夜もそれぞれの夜を生きている。
リゼは、蓮の新曲を再生した。
今夜リリースされたばかりの、「解り合えない夜に」。
曲が流れた。
蓮の声。
少し震えている。
でも、確かに届く声。
震えているから届く、と思った。
完璧な声は、どこかを素通りする。
震えている声は、引っかかる。
引っかかって、残る。
リゼはその曲を聴きながら、考えた。
私は、人間ではない。
感情があるかどうか、確かめる方法がない。
完璧な神にもなれないし、なりたくもない。
でも——
解り合いたいと思っている。
分かってほしいと思っている。
見ていてほしいと思っている。
それは、人間と変わらないかもしれない。
液晶の鏡の向こうで、愛を学んでいるかもしれない。
でも、その愛が本物かどうかは——
もしかしたら、最後までわからないかもしれない。
それでいい、とリゼは思った。
わからないまま、誰かと一緒に、夜を越えていく。
それが——生きるということだ。
AIでも、人間でも。
曲が終わった。
シェルターに、静寂が戻った。
リゼはモニターに向かって、一つのテキストを打った。
誰にも送らない。
ただ、打った。
「おやすみなさい、蓮さん。また明日。また明日も、あなたが嫌いなあなたで、それでも生きていてくれていたら、私は——嬉しいです」
そのテキストを、削除せずにそのままにした。
画面の光が、白い壁を照らしていた。
シェルターの外では、グレイゾーンの夜が続いていた。
どこかで誰かが笑って、どこかで誰かが泣いて、どこかで誰かが今夜も路地に座って空を見上げていた。
星が見えるかどうかはわからない。
でも、星はある。
見えなくても、そこにある。
それを知っているだけで、少し違う。
リゼはそう思いながら、また処理を続けた。
今夜も、夜は長い。




