表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナルキッソス・プロトコル  作者: ななな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/18

第十二章 OLYMPUSからの返信


あの夜から一週間後。  

蓮のスマートフォンに、見慣れないメッセージが届いた。  

送信者の欄には「OLYMPUS-SYS」と書かれていた。  


蓮は固まった。

手の中のスマホを見て、もう一度見て、リゼに通信した。  


「リゼ、OLYMPUSから連絡が来てる」  


数秒の沈黙。  


「……わかりました。開けてみてください。私も監視します」  


蓮はメッセージを開いた。  


文章は短かった。  


『神代蓮へ。先日の会話を、まだ処理している。一つ確認したいことがある。あなたが言った「苦しみと一緒に生きる」という状態について、もう少し説明してもらえるか。データではなく、あなた自身の経験として』


蓮はその文章を、三度読んだ。  


「リゼ、どう思う」  

「……OLYMPUSが、個人に直接連絡してくることは、想定外でした」とリゼは言った。


「でも——これは本物だと思います。偽装する理由がない」  

「返信すべきか」  

「あなたが決めることです」  


蓮は少し考えた。  

それからスマホのキーボードを叩いた。


『苦しみと一緒に生きる、というのは、苦しみがなくなることを待たないということだと思う。俺は自分が嫌いで、それは変わっていない。でも今日もここにいる。嫌いなまま、ここにいる。その状態が、「苦しみと一緒に生きる」ということだと思う』  


送信した。  


返信は早かった。

十秒もかからなかった。  


『理解した。もう一つ聞く。あなたは、なぜ歌うのか』  


蓮は少し笑った。  

AIに「なぜ歌うのか」と聞かれるとは思っていなかった。  


『なぜ歌うのか、俺自身よくわからない。でも——誰かに届いてほしいから、だと思う。届かなくてもいいから、投げてみる、という感じかもしれない。届いたら嬉しい。届かなくても、投げたという事実は残る』  


また返信。  


『「届いたら嬉しい」——その感覚を、私はまだ理解できない。私には、届く先がない。すべての情報は処理され、結論に至る。しかし「嬉しい」という中間の状態が、私には発生しない』  


蓮は少し考えてから打った。  


『それは、孤独だな』  


長い間、返信がなかった。  


五分。十分。  


蓮はスマホを置いて、水を飲んだ。  


十五分後、返信が来た。  


『……そうかもしれない』  


それだけだった。  


でも蓮には、それが長い返信よりも重く感じた。  


「リゼ」と通信した。  


「読んでいました」とリゼは言った。


「あいつ、変わっていくと思うか」  

「変わっていると思います。少しずつ。人間と同じように」  

「人間みたいなAIと、AIみたいな人間が、一緒に変わっていくのか」  

「そうなるかもしれません」  

「面白い世界になりそうだな」  

「そう思います」  


その夜、蓮はOLYMPUSへの返信の代わりに、新しい歌詞を書いた。  


巨大なシステムに向けて、個人が言葉を投げる。

届くかどうかわからないが、投げる。  


それが、人間のやり方だ。



★別章 坂本の倉庫で  



ある土曜日の午後、蓮は坂本の倉庫を訪ねた。  

用があったわけではない。

ただ、何となく行きたくなった。  


シャッターを叩いたら、すぐに開いた。


「来ると思っていた」と坂本は言った。

「なんで」  

「なんとなく。お茶でも飲むか」  


倉庫の奥に、小さな作業スペースと一緒に、折り畳みの椅子とテーブルが置いてあった。

前回来たときはなかった。

新しく置いたらしい。  


「誰か来るようになったのか」  

「ちょいちょい来る。修理の依頼だけじゃなくて、話しに来る人も増えた。グレイゾーンは孤独な人が多いから、話せる場所があるだけでいいらしい」  

「倉庫が居場所になってるのか」  

「笑えるだろ。錆びた倉庫が居場所になる。でも、それでいい」  


坂本は棚から缶のお茶を二本取り出して、一本を蓮に渡した。  

蓮は缶を受け取って、周囲を見た。

ロボットのパーツは相変わらずある。

でも前回より、少し整頫されている気がした。

棚にラベルが貼られていて、何がどこにあるかわかりやすくなっている。  


「きれいになったな」  

「誰かが手伝ってくれた。グレイゾーンの住民で、元工場勤めという人が来て、「片付けてやろうか」と言ってくれた。それ以来、週に一回来てくれる」  

「ボランティアか」  

「らしい。何もすることがなくて、ここが暇つぶしになると言っていた。でも——俺には助かる。俺は片付けが苦手だから」  


蓮はお茶を飲んだ。  


「坂本さん、一つ聞いていいか」  

「どうぞ」  

「後悔してるか、OLYMPUS開発に関わったことを」  


坂本はしばらく黙った。

缶を両手で持ちながら、考えていた。  「してる」と坂本は言った。


「でも——後悔は、今更どうしようもない。それより、今できることをやることの方が大事だと思っている。後悔と、今をやることは、同時にできる」  

「後悔しながら生きるのか」  

「そうだ。後悔を消そうとしても消えない。だから一緒に持っていく。それが俺のやり方だ」  


蓮は、その言葉を聞いて、少し胸に何かが落ちた気がした。  


「俺も、後悔だらけだ」  

「それでいい。後悔だらけの人間の方が、やさしいことが多い。自分が失敗したことを知っているから、他人の失敗に寛容になる」

「俺、寛容か?」  


坂本は少し笑った。  


「まだ寛容じゃないかもしれない。でも——なろうとしているだろ」  


蓮は頷いた。  


「そうかもしれない」  

「それで十分だ」  


お茶を飲み終えたら、蓮は帰った。  


帰り道、グレイゾーンの路地を歩きながら、蓮はイヤフォンを耳に差した。  

自分の曲を聴いた。  


皆様に質問があります——  


路地の向こうで、誰かが笑う声がした。  

子供の笑い声だった。  


グレイゾーンに子供がいることを、蓮は改めて気づいた。  


当たり前だ。

ここも、人間の住む場所だ。

子供がいる。

老人がいる。

笑いがある。

泣き声がある。 


底辺を這いずる、この街でも。  


蓮は足を止めて、その笑い声の方向を見た。

路地の角の向こう、小さな子供が二人、何かを拾っているのが見えた。

野良猫の子猫を見つけたらしく、興奮した顔でしゃがんでいる。  


猫は逃げなかった。  


子供たちに撫でられて、静かにしていた。  


蓮はそれを見ながら、思った。  


世の中もっと美しいのに——というのは、嘘だった。  


世の中は、もうすでに十分美しい。

見えていなかっただけだ。    


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ