第9話:想定外のサージと非常用放熱
「……嘘。マナの流入圧が、一分間で四〇〇パーセント上昇? ありえないわ。この計算式は、過去百年間のアビスの観測データを元に構築したものよ」
領主館の地下に設置された『中央制御室』。
アイリスは、壁一面に張り巡らされた藍色の回路が、不気味に、そして激しく明滅するのを見て、初めてその眉根を寄せた。
外では、予期せぬ「マナ嵐」が発生していた。
エメラルド領特有の現象で、上空の寒気とダンジョンから噴き出す熱気が激しく衝突し、大気中のマナが異常活性化する事態だ。
それは通常、数年に一度の「災厄」として領民に恐れられてきたものだが――。
「グリッドが飽和するわ! アイリス様、緊急遮断を! このままでは街中の家庭に設置された給湯炉が爆発します!」
カイルが、制御盤のメーターが跳ね上がるのを見て叫んだ。
マナはエネルギーだ。許容量を超えたエネルギーが回路を走れば、それは文明の利器を一瞬で「爆弾」に変える。
「遮断なんて不許可よ! 今ここで供給を止めれば、蓄積されたマナの行き場がなくなって、中央発電炉そのものが臨界突破して吹き飛ぶわ。……損失総額、予測不能。最悪の場合、領都が地図から消えるレベルの致命的なバグ(爆発)になる!」
「なっ……! じゃあ、どうすればいいのですか!?」
アイリスは、瞬きの一つもせずに、目まぐるしく変化する数値の羅列を睨みつけた。
彼女の脳内では、数万通りのシミュレーションが同時並行で走っている。
「……やるしかないわね。カイル様、街中に緊急放送を流してちょうだい! 今すぐ、全戸の『暖房・給湯・照明』、全ての魔導スイッチを全開にするように!」
「何を言っているのですか!? 過負荷のところにさらに負荷をかけるなんて、火に油を注ぐようなものだ!」
「違うわ! 『負荷が足りない』からエネルギーが滞留しているのよ! 街全体を巨大な『放熱板』として使うの! 不要なエネルギーは、全て熱と光として大気へパージ(排出)してちょうだい!」
「街全体を……ヒートシンクに……?」
「早くしなさい! あと三〇秒で回路が焼き切れるわ!」
カイルは、アイリスの狂信的なまでに確信に満ちた瞳に押され、拡声の魔法具を握りしめた。
『緊急事態! 全領民、魔導具を全開にせよ! 暑くても、眩しくても、構わぬ! 全ての出力を最大にして堪えろ! 領主命令である!』
数秒の静寂。
そして――。
街全体が、カッと白光に包まれた。
各家庭の窓から、昼間のような強い光が漏れ出し、屋根の上に設置された放熱ダクトからは、陽炎となって熱気が噴き出す。
空から降っていた「灰」が、その熱気によって空中で昇華し、街の上空には奇跡のような「虹色の靄」が立ち込めた。
「……マナの流入圧、安定域へ降下。バイパス回路を祠に転送。……ふぅ。危機を脱したわ」
アイリスは、震える手で計算尺を置いた。
彼女の額には、初めて薄らと汗が滲んでいた。
「……助かった。助かったのか……?」
「ええ。サージ波形の収束を確認したわ。……でも、私の計算が『マナ嵐』という気象変数を軽視していたのは事実。これはエンジニアとして、屈辱以外の何物でもないわね」
アイリスは、カイルが呆気に取られている横で、激しく床を叩いた。
「この領地の天気予報士は何をしているの!? 百年に一度のレアケースだろうが何だろうが、予測できない変数はただの汚物よ! 明日から、気象観測用のアメダス……いいえ、魔導気象レーダーを最優先で開発するわ!」
「……死にかけたばかりだというのに、もう次の開発計画ですか」
カイルは肩の力を抜いて、力なく笑った。
領民たちは、家の中で蒸し風呂のような熱気に耐えながら、窓の外に広がる虹色の空を見ていた。
「領主様が、嵐の呪いを虹に変えた」
そんな根も葉もない噂が、また一つ、アイリスの預かり知らないところで彼女に「神秘のベール」を着せていく。
「……あ、アイリス様。……暑い、です」
ベルが、シャツの襟をはだけさせながら這うようにして入ってきた。
地下の制御室は、余剰エネルギーの排出先として最も過酷な場所になっていたのだ。
「我慢しなさい、ベル。この熱気こそ、私たちが生きているという『稼働ログ』なのよ。……さて、この余ったエネルギー、捨てるのはもったいないわね。この熱を利用して、明日のパンを焼く巨大な窯でも作ろうかしら」
「お嬢様……。あなたには、休むという概念はないのですか?」
「休む? そんな非効率な活動、領地の基盤システムが安定稼働するまで不許可よ。……さぁ、ログ解析を始めるわよ! 嵐という絶好のテストデータを無駄にするわけにはいかないわ!」
夜明け前のエメラルド領。
嵐が去った後の静寂の中で、アイリス・フォン・エメラルドの計算機だけが、再びカチカチと音を立てていた。
第9話、お読みいただきありがとうございました!
インフラものの定番、「想定外の過負荷」回でした。
供給を止めるのではなく、街全体をヒートシンクにしてエネルギーを使い切るという強引な解決策。
アイリスの「予測できなかったことへの怒り」が彼女らしいポイントです。
次回、領地の治安と「労働力」の再編へ。
魔物を単なる敵ではなく、自動化のための「動力源」として利用するアイリスの非人道的(効率的)なプランが始動します。
その名も、「デビル・オートメーション」。
ご期待ください!




