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第5話:論理による支配(物理を含む)

「認めん! 認めんぞ、あんな小娘の妄言など!」


 領都の中央広場。かつて市場が開かれていたであろうその場所で、一人の初老の男が怒鳴り声を上げていた。

 彼の名はバルトス。先代領主の時代からこの地の行政事務を執り行ってきた、いわばエメラルド領の古参役人だ。

 彼の周囲には、アイリスの指揮でスラッジを運び込んでいた若者たちが、困惑した表情で立ち尽くしている。


「いいか、若者たちよ。あの穴は呪われていると言ったはずだ! あんな灰を捏ねくり回して何が生まれるというのだ? 魔物の呪いを呼び込むだけだ! 小娘、今すぐその『精錬炉』とやらを壊し、王都へ帰れ!」


 バルトスが指し示す先には、アイリスが昨夜一晩で書き上げ、今朝から建設が始まっていた奇妙な構造物があった。

 アビス・クロウラーの殻を断熱材として使い、スラッジを加熱・圧縮するための、高さ三メートルほどの円筒形の炉だ。


「バルトス様。そのお言葉、非常に非合理的だわ」


 人混みを割って、アイリスが姿を現した。

 彼女の手には、使い古された計算尺と、炭のついた革の手袋。

 その瞳には、老人の怒りなど蚊に刺されたほどにも感じていないような、絶対的な静寂が宿っている。


「『呪い』という言葉の定義を明確にしてちょうだい。それはマナによる細胞の劣化を指すのか、あるいは未知の波動による精神汚染を指すのか。もし前者なら、適切な遮蔽と環境制御によってリスクは〇・五パーセント以下に抑えられるわ。もし後者なら、それを論証するデータを持ってきて。議論はそれからよ」


「な……論証だと!? この地でどれだけの人間が死んだと思っている! その歴史が、何よりの証拠だ!」


「それは単なる『管理不足の犠牲者リスト』でしょう?」


 アイリスは鼻で笑った。


「火は使い方を間違えれば家を焼くけれど、正しく制御すれば文明を支える光になる。この領地の人々は、ただ『火の使い方を知らない原始人』として、暖を逃して凍えていただけよ。私は彼らに、まともな文明を教えに来たの」


「貴様……! この地に根を張って生きてきた我々を、原始人呼ばわりするか!」


 バルトスは顔を真っ赤にして、手にした杖を振り上げた。

 年老いているとはいえ、長年の厳しい環境で鍛えられたその一撃は、細い身体のアイリスには耐えきれるものではない――はずだった。


「――入力ベクトルの計算、完了」


 アイリスは動かなかった。

 ただ、杖が自身の額に届く直前、手にした計算尺を「ある一点」に差し込んだ。

 バルトスの杖の重心と、彼の踏み込みによって生じた慣性の支点。その交点。


 カチッ。


 小さな音と共に、杖の勢いが完全に死んだ。

 アイリスがほんのわずかに手を捻ると、バルトスは自分の力に振り回されるようにして、無様に地面に転がった。


「な……何をした!?」


「物理法則に従っただけよ。老人の不安定な踏み込みが生むエネルギーなんて、支点一つで完全に相殺できるわ。それを『武術』と呼ぶなら、それは単なる『力学の応用』でしかない」


 アイリスは冷たく見下ろした。


「バルトス様。私は忙しいの。一分一秒を惜しんで、この領地の生産ラインを構築しなければならない。あなたの『感情的な保守主義ノイズ』に付き合っている暇はないわ。今すぐ退くか、あるいは私の助手として『薪運び』のタスクをこなすか選びなさい」


「ふ、ふざけるな……! 誰があんな化け物の殻で作った炉など――」


 その時だった。

 若者たちが組み立てていた精錬炉の頂部から、シュゥゥゥ……という、高圧の蒸気が漏れるような音が響いた。


「あら、圧力が規定値に達したわね。カイル様! 点火用の魔力供給を開始して!」


「承知した!」


 控えていたカイルが、炉の底部にある魔導回路の入り口に手を触れる。

 聖剣の輝きとは違う、強烈な青白い光が炉を内側から照らし出した。


 ゴォォォォォォン……!


 大地を揺らすような低い震動。

 炉の温度は瞬く間に上昇し、内部でスラッジが超高温・超高圧で圧縮されていく。

 広場に集まった領民たちは、恐怖で耳を塞ぎ、腰を抜かした。


 数分後。

 排気孔から白い蒸気が一気に吹き出し、炉の下部にある排出口がゆっくりと開いた。


 そこから滑り出してきたのは――。


「……何だ、あれは」


 バルトスが呆然と呟いた。

 灰ではない。

 そこにあったのは、煉瓦れんがのような形に整えられた、透き通った藍色の結晶体だった。

 

「『エメラルド・ブリック(魔導煉瓦)』よ」


 アイリスは、熱を失ったばかりのそれを手袋越しに持ち上げ、民衆に見せた。


「ただのスラッジを。熱と圧力による再結晶化、およびマナの安定化処理を施したものよ。これは、一度火を点ければ一週間は消えない最高級の燃料になり、同時に――カイル様、その剣で叩いてみて」


 カイルが大剣の腹でブリックを叩く。

 キィィィィィィィン!!

 澄んだ音が響いたが、ブリックには傷一つ付いていなかった。


「ダイヤモンドに次ぐ硬度。そして、マナを永続的に循環させる特性。これを使えば、魔物が二度と破れない家が建つわ。農地に埋めれば、スラッジの毒性が中和され、マナの栄養分だけが植物に供給される究極の肥料にもなる。……どうかしら、バルトス様。これが『呪い』に見える?」


 バルトスは、アイリスの手にある藍色の光を、震える手でなぞった。

 そこには、これまで自分たちを苦しめてきた「死の灰」の面影は一切なかった。

 ただ、暖かく、強く、美しい。

 王都の宝石すら霞むような、本物の「価値」がそこにあった。


「……信じられん。本当に、あのゴミから、こんなものが……」


「いいえ、最初からそこにあったのよ。それを引き出す『論理』が欠落していただけ」


 アイリスは、ブリックをバルトスの懐に押し込んだ。


「これを持って、冬に備えていない家々に配りなさい。燃料としての効率的な燃焼法は、後で図解を渡すわ。……協力してくれるかしら? それとも、まだ私をゴミと一緒に捨てたい?」


 バルトスは、重厚なブリックを抱きかかえたまま、深々と頭を下げた。


「……失礼いたしました、アイリス様。……いいえ、アイリス領主代行。私は、あなたの言う『文明』とやらを、この目で見届けたくなった。薪運びでも何でも、命じてくだされ」


「結構。あなたの行政能力は、後でロジスティクスの整理に活用させてもらうわ。タスクリストは山積みよ、覚悟してちょうだい」


 アイリスは満足げに頷くと、再び炉へと向き直った。


(フェーズ1、完了。次は、このブリックをネットワーク化して、領地全体にマナを届ける『マナ・グリッド』の構築ね。……ああ、やりたいことが多すぎて、計算機が足りないわ)


 エキサイティングな内政改革は、まだ始まったばかり。

 令嬢の背中には、もはや「悪役」の影などなく、ただ未来を切り拓く開拓者の光が差していた。

第5話、お読みいただきありがとうございました!

第一章(導入編)のクライマックスとなる、最初の成功体験回でした。

「エメラルド・ブリック」という最初の特産品が生まれ、領内にようやく暖かさが戻ります。


次回からは第二章。

このブリックを武器に、まずは領地の「食」の問題を解決する農業改革編へと突入します。

さらに、噂を聞きつけた「腹黒い商人」との頭脳戦も……?

新たなフェーズに入る『エメラルド・フロンティア』を、引き続きお楽しみください!


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