41.止まることはない
肉切り包丁を構える弐番に対し、魔使は両手を広げ、笑みを返す。
片や乗り越える決意を、片や期待を胸に秘め対峙する。
――弐番が動いた。
刹那の内に距離を詰め、無防備な魔使の喉へ包丁を凪ぐ。
半歩下がる最低限の動きでソレを躱すと、魔使は伸ばされた弐番の腕を絡め取る。
下から肘を押し上げ、流れるように弐番の肘を折った。
弐番は即座に包丁を左手に持ち替え、絡みついた魔使を引き剥がす。
怯むことすらしないその姿に、魔使の口角があがる。
弐番は腕を修復させながらも、空いた間合いを即座に詰める。
もう反撃などされぬよう、息をつく暇もない程の連撃をしかけた。
が、一瞬の隙を縫うように、魔使の手が弐番の頭蓋を掴み、地面へ叩きつけた。
巻き上がる土煙。
それに紛れるように、弐番の刃が魔使の腕を引き裂いた。
不意の一撃であったが、噴き出す血は空中で固まり、包丁を固定した。
引き抜こうと手に力を込めた瞬間、狙い澄ましたかのように魔使が動く。
地面を抉りながら大きく腕を振り、弐番を壁へ投げつけた。
巻き起こる衝撃で、周囲の廃屋は抉れ、吹き飛ばされていく。
大きな振動。鼓膜を震わす轟音。巻き起こる土煙。
その中で向き合う両者は、悠然と立っている。
お互い負傷は癒えていく。
数秒もすれば、負っていた傷は跡も残らず治っている。
ほんの数秒の間に起きた戦闘を、加茂茜は数歩離れた距離から眺めることしか出来なかった。
介入するなど到底出来ない。
眼で残像を追うのがやっと。
明らかに力量不足な存在、と本人が誰よりも自覚していた。
そんな足手纏いがいることを、二人は気にも留めない。
「弐番。君から驕りが消えた。が、未だ恐怖は残っている。私に対して感じた、死への恐怖が」
魔使が口を開いた。
その顔からは歓喜が溢れ、声色は穏やかなものだ。
「先程とは違い、それでも向かってくるのは何故だ?」
その問いかけに弐番は嫌悪を滲ませるも、ぽつぽつと言葉を発した。
「・・・・・・約束、したから」
その言葉を皮切りに、再度弐番は駆け出した。
今度は最短距離の一直線ではなく。
壁から地へ。地から壁へ。
まるでピンボールのように跳ね回る。
跳ねる毎に、その速度も増していく。
そうして狙いを定めた瞬間――。
「ココは狭い。外に出よう」
駆ける弐番の腹に、魔使の足が突き刺さる。
人体を貫ぬかんほどの一撃が、弐番に深く、深く突き刺さる。
音に迫る速度で打ち上がり、外壁を砕きながら外へ吹き飛んでいった。
「君は吉岡君と合流してくれ」
弐番を蹴りあげた魔使はそう言い残すと、歪む空間の中に消えていった。
◇ ◇ ◇
外壁を突き破り、外に放り出されてしまった弐番は、震える手足でなんとか起き上がる。
眼前に広がるのは海岸線。
瞬間的に、鮮烈に焼き付いた、『死』を感じた光景。
そして、遠くからこちらに向かってくる人影。
自然と喉がひくつき、呼吸は浅く。
あの瞬間の光景と重なり、手足が微かに震える。
しかし。
「――・・・・・・母様」
逃げた先で再開した、自らの原点。
なんのために生きたかったのか。何故生きようとしていたのか。
それらを取り戻した弐番は、大きく息を吐いた。
じんわりと汗が滲む手で、肉切り包丁を握る。
「――うん、生きるよ」
一歩向かってくる弐番にまた、魔使は目を細める。
「向かってくるか。そうだ、その顔だ。私とは違う。使命を持って死に抗う者の顔だ」
喚起に歪む自らの顔に手を当てながら、高らかに嗤う。
駆ける弐番の速度が上がる。
もはや足場など関係ない。
地上、水上、空中。
上下左右の区別もなく、駆けた軌跡のみを残し。
なおも加速し、摩擦で肌が爛れ、音速すらも凌駕して。
・・・・・・ただ首を狙うだけじゃダメだ。
脇腹。
右腕。
頬。
その刃が、かの者を捕らえた。
次は――・・・・・・心臓。
その刃が胸に突き刺さる――。
その瞬間、その時が来た。
――核が、砕けたのだ。
「⁉」
突如襲いかかる強烈な違和感。
核による魔力供給を最大限駆使したことによる身体強化、加速が途切れたことによる身体的負荷。
身体に力が入らない。
包丁を握ることすらできない。
肺が押し潰されるかのような圧迫感が、弐番を襲う。
弐番の足が速度に追いつけず、地面を転がっていく。
と同時に、空間に亀裂が走っていく。
その光景を見て、吉岡が核を破壊したのだと察した魔使は苦笑した。
「核が破壊されたか。・・・・・・残念だが、ここまでのようだ」
「まだ!」
握った手。食いしばった歯。文字通りの限界。
それでも弐番は奮い立つ。
「・・・・・・領域がシンプルなことが幸いしたか。だがもう動かない方がいい。まさかその状態で、私と戦うと?」
壱番は核の魔力供給に頼り、自らの力量を越えた領域を作り上げていた。
そのため、核が壊れ、供給が途絶えたことで、自らの魔力だけでは領域を維持できなくなった。
その結果、壱番は地に伏す事しかできなかった。
しかし、海と島のみという構造がシンプルであった弐番の領域は、充分弐番の魔力だけで維持できるものだった。
そのため、核が破壊されても弐番は辛うじて動くことが出来た。
だがそれでも、以前のように音速を越えることなど出来ない。
凌駕してようやくその刃が届いた相手と、まともに戦えるはずが――。
「それでも! ・・・・・・それでも、菊は、生きるんだ。生きなきゃ、ならないの・・・・・・」
母様のために。
「・・・・・・素晴らしい。あぁ本当に素晴らしいよ君は。だからこそ、残念だ」
立ち上がった弐番が膝を突く。
見ると膝下が光の粒子となって霧散していた。
限界だったのだ。
「なんで・・・・・・なんで・・・・・・⁉」
感じ取った終わりに、弐番は泣き叫ぶ。
「まだ、まだ、終わりたくない! だって、菊は――」
「もういいの。菊。あなたはもう、充分すぎるほど生きてくれたのだから」
泣き叫ぶ弐番を、優しく、温かく包み込む。
何処からともなく現れたのは、丈の短い赫色の着物を着た女性。
長い髪を一つに括り、涙を流しながら弐番を抱く。
「――・・・・・・っ!」
弐番もまた、言葉にならない叫び声を上げながら、その女性にしがみつく。
黒と紺を基調としたランプを手に近づいてくる魔使に、女性が気づいた。
「あなたが吉岡様が言っていた・・・・・・。この娘を救っていただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げる女性もまた、足下から徐々に光の粒子となっていく。
女性と弐番は、強く、強く抱き合いながら、粒子となって昇っていく。
その光景を静観していた魔使だったが、手に持ったランプを掲げ、揺らす。
何も入っていなかったランプに、青い炎が灯った。
まるで何かが混ざり合っているかのようにぐるぐると渦巻きながら、ランプの中で燃え盛っている。
そのランプを影の中へ落とし、二人と合流しようと背を向けた魔使の両肩を、ガシッと巨大な手が掴んだ。
「・・・・・・モラクスか」
「貴方、今、躊躇しましたか?」
牛の頭からギョロリと覗く目玉が、魔使を覗き込む。
「まさか情に絆されましたか? 肉親を自ら捨てた貴方。理解していますよね? 貴方がその脚を止めたその時が――」
「言われずとも分かっている。それともモラクス。貴様にはこの脚が止まっているように見えるのか?」
「理解しているのであれば、それで良いのです。ですが、努々忘れること無きよう――」
忠告を残し、悪魔は影の中へ消えていった。
「分かっている。止める気などないさ」
自らの手を見つめる。
「私自身が選択した業なのだから――・・・・・・」




