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丑三つ時に惡魔は嗤う  作者: Shatori
3.我が胎を満たす、朱い赫い臓物よ
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39.かつての。そして、眼前の。

「――アモン」


 右目に紋様が赤く浮かび上がると共に、その悪魔の名を口にする。


 その瞬間、魔使の魔力が変容し、肥大する。

 湧き上がり、煮え滾り、全てを呑まんとするほどの膨大な魔力。

 触れただけで何もかもを消し飛ばすかのような荒々しさがあった。


「……何だぁ? その姿は」


 同時に、魔使の様相も変わる。

 髪と眼は、燃え盛るかのように赤く。

 その身体はゆらゆらと揺らめき。


 まるで、人の輪郭を得た火災そのものだ。


「――『(アルドラス)(・グラティニス)』」


 吐く息は空を灼き、周囲の海が音を立てて蒸発していく。

 ただそこに存在するだけで、燃やし、溶かし、灼いていく。


「熱……」


 その光景に、弐番はゴクリと唾を呑む。

 ゆっくりと目を閉じ、大きく息を吸い、魔使の変化を五感全てで感じていた。


「・・・・・・あぁ、目を閉じれば脂の焼ける音が聞こえるようだぁ。鼻を通り抜ける芳醇な香り・・・・・・。――お前ぇ、どこまで儂の食欲を刺激してくれるぅ」


 口元が歪む。

 もはや垂れる涎を拭わない。


 肌を刺す熱も。

 異形と化したその姿も。

 全てが、食欲を加速させるスパイスでしかなかった。


 故に踏み込み、駆けた。


「こんな美味そうな人間(にく)は初めてだぁ。あぁ、早く喰わせろぉ!」

「――ワイヤーか」


 魔使の眼が空をなぞる。

 降り注ぐように張り巡らされた、透明で細い糸。


「領域の使い方に随分慣れているな」


 領域を展開した者は、いつでも領域内に存在する()を操れる。

 それは地形も、環境情報も例外ではない。

 故に弐番は、ワイヤーを出現させ、空中に張り巡らせていた。


 無数に張り巡らせたワイヤーを、弐番は手や足をかけ方向転換や加速に利用していた。

 弐番は加速を続け、無数の残像を周囲に残していく。

 だが。


「稚拙だな」


 更に加速していく弐番を正確に視線に捉えながら、魔使は鼻で笑った。


 そんな魔使を、弐番は観察していた。

 食欲が「早く(かぶ)り付きたい」と囁いてくる。

 しかし、捕食者としての本能が警鐘を鳴らしていた。


 奴が放つ灼熱は、ただそこに存在するだけで地を焦がすほど。

 更には一本、また一本とワイヤーが焼き切れていく。

 燃え盛る炎へと変色したその瞳は、ワイヤーを伝う自分を捉え続けている。

 ・・・・・・こんな人間(にく)は初めてだ。


 だが、それでも抑えられない。


 喰らいたいという衝動。


 数多の人間(にく)を喰らってきた経験から、魔使の首筋に狙いを定める。

 如何な生物せあろうとも、首を断てば死ぬものだ。


 ワイヤーに全体重をかけ、(しな)る反動で最高速へ――。


 魔使の背後へ。

 狙うは一点。


 首めがけて振るった。




 ――獲った!



 勢いのまま地面を滑り、確信をもって顔を上げる。

 そこには首を断たれ、崩れ落ちる魔使の姿がある――・・・・・・



 はずだった。



「あ?」


 魔使は立っていた。

 それどころか、首は繋がったままだ。


 ふと、その背後に宙を舞う何かが目に入った。

 黒く、所々が砕け、霧散していく何か。

 見覚えのある肉切り包丁を握った・・・・・・。


 確かめるように視線を落とす。


「――⁉」


 右腕がない。

 斬り落とされた。いつの間にか。

 痛みすらない。斬られたことすら認識出来ない。


 頬を伝う汗と共に、何かが、心の奥底で()()がふつふつと湧き上がる。


 ソレと同時に後方へ飛び、距離を空ける。

 着地した衝撃であがった水飛沫が降り注ぐ。


 滴る水滴を拭いもせず、弐番は魔使を再度見た。

 彼の手には、巨大な剣。

 荒れ狂う炎そのもののような剣。

 陽炎が周囲に生まれ、あらゆる全てを焦がしていく。


 あの武器は、いつから?

 いつ、斬られた?


 斬られた腕が再生していくのを感じながら、弐番をその疑問ばかりが埋め尽くす。


 その時。


「――・・・・・・」


 一歩、魔使が踏み出した。


 ただそれだけ。

 急激に距離を詰められたわけではない。

 ただ、一歩踏み出しただけ。


 それなのに、弐番は魔使から目が離せなかった。

 一挙手一投足。息づかい。

 あらゆる全てから目が離せない。


 いや、離してはならない。


 近づいてくる度、鼓動が馳せる。

 近づいてくる度、視界が霞む。

 汗は噴き出し、息苦しく、胃が痛み、吐き気まで襲ってくる。


 魔使が一歩近づいてくる度、弐番が一歩後ずさる度、それらは加速度的に酷くなっていく。


 弐番の胸の内から湧き上がる()()も、同じく大きくなっていく。


 それは、人を喰った時に遠くなったモノ。

 それは、怪異になったことで忘れてしまったモノ。


 生物が生きる上で何よりも重要なモノ。



 ――()()



 強者への恐怖。迫り来る死への恐怖。

 かつて忘れてしまったモノを、弐番は取り戻していた。


「支配領域というのは、この上なく煩わしいな」

「――ひっ」


 魔使が冷めた目を弍番に注ぎながら歩き出す。

 その声に、弍番は小さく悲鳴を漏らした。


 一歩近づいてくる度、後ずさる。

 もはや弐番にとって、魔使恵は美味そうな食糧などではない。

『死』そのものとなっていた。


 足が竦む。

 世界がぐにゃりと歪んだような目眩が襲う。

 もはや立っている事すら難しく、へたり込んでもなお後ずさる。



 ――どうすれば、どうすれば、どうすればッ!



 この恐怖から逃げ切る(たべもの)は、地下にある。

 しかし、その道中には、恐怖が立ち塞がっている。


 怖い。怖い。怖い。怖い。――でも。



「ぅぁああああああああああ!!!」



 がむしゃらに叫びながら、一気に駆け出した。

 目指すは、胎を満たすあの場所へ――・・・・・・。



「――!」


 裁断。


 魔使に向かって駆け出したその瞬間、弍番の胴が二つに断たれた。

 太刀筋など、ましてや魔使が動いた軌跡すら捉えられない。

 気づけば斬られていた。


 しかし。


「……ぅぁぁ、あああ!」


 腕で這うように、それでも目的地に急ぐ。

 今はただ、この場を離れなければ。


 胴体を斬られても、進み続ける。

 再生だけに魔力を消費、一切抵抗することなく走り抜ける。

 そして、転がり込むように、弍番は地下へ落ちていった――。


 その後ろ姿を見ながら、魔使は浅い溜め息を吐いた。


「逃げた、か・・・・・・。面倒だな」


 そう言いながら、後を追う。

 魔使は、弍番を留めることなど容易にできた。

 やろうと思えば、弍番を逃がさず捕らえることも出来た。

 だが、()()()それをしなかった。

 なぜなら。


「・・・・・・随分と焦った顔をしていたな」


 魔使は感じ取っていた。

 弍番は恐怖している、と。

 自分に、いや、自身と重なる何かに怯えていることを感じ取っていた。


 だから、()()()逃がした。


「全く……あぁ、面倒だ」


 面倒だという言葉とは裏腹に、その口元は僅かに歪んでいた。

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