第三百二十四回 身分違いの恋も一度は相手に告げるべし
その場に残ったのは、蔭澤夏之丞の他に、神南家の照葉姫と鳥山秋千代のみ。
「さて、蔵屋敷の側は、照葉さまのこれからの扱いについて、どうすればよい、という話になりましたか?」
そう秋千代に問われた。
肝心のことをまだ報告していないことに夏之丞は気づく。
思わぬ財津右衛門らの邪魔が入ったにしても、従七位下の家の姫である照葉に対して失礼である。
夏之丞は顔ほ赤くした。
「申し遅れました、照葉さま。
当藩の大坂の癖屋敷の者たちの申し条によりますと、私と秋千代で、照葉さまのお世話になることになっていた白縫さまの大坂の常宿の玄海屋にお送り申し上げろとのこと」
「玄海屋」
と、照葉。
夏之丞は続けた。
「白縫さまの常宿ちされている玄海屋ならば、まず、ご安心でしょう。
もう少しお待ちくだされば、玄海屋の者を呼びに使いほ送っています。
神南さまにとってご本家にあたる定村のお家の風見さまも玄海屋にご逗留なされているとうかがいました。
もしも、それが万が一に駄目というのでしたら、当藩で他の宿も用意しましょう。早く照葉さまに迎えがくるように、京の各所に蔵屋敷から連絡します」
* *
翌年の寛永三年には、幕府将軍の徳川家光も京に上って朝廷から官位をもらうことが予定されている。
京の貴族を武家が助けたという話は武家に有利になる。
利用できる材料ならば利用させてもらいたいというのが、福岡藩の蔵屋敷の心算であった。
よくわからない時にはとりあえず礼を尽くした方が得になることは多い。
しかし、それは常に絶対の正解か?
家同士の関係から財津右衛門のような相手に頭を下げざるを得なかった蔭澤夏之丞は、自分のことが情けなく思えてたまらなかった。
頭を下げたのは、財津右衛門や太田孝介や彼らを評価する世の中に敬意はあったから。
虚礼ではない。
生きるため、かたちが有用になることは知っている。
知らないのは、かたちを守ることか、どのような時と場合にどのような経路でどのような程度に、自分にとって有益になるのか、である。
夏之丞はよくわからない時が多すぎた。
何よりも自分のことがわからない。
自分にとってかたちを守るべき時なのかどうかを判断できず、ただ機械的に守ってしまい、後で悔やむようなこともあった。
* *
玄海屋から迎えの者が来るという話。
照葉は浮かない顔をした。
「それは定村の本家の風見さまには何度かお会いして面識がありますので、ご一緒の宿に止まるというのは、やぶさかではありません。
しかし、今年に新たに定村の家に入った檜垣〈ひがき〉さまは、もともと神南家の娘で、私の腹違いの妹です。
檜垣さまの母親もともと神南の屋敷の女中だった小磯と申す者で、正室の私の母は嫌っていましたので、神南家の屋敷で私は檜垣さまの話したことはございません。
父の種員と一緒に玄海屋に参れば、父が母違いの姉妹の間にお入りくださる手はずだったのですが」
秋千代は溜め息をついて話をあわせる。
「僕は、神南のお家の内向きのことをよく存じ上げませんが、種員さまも思い切ったことをなさいますな。お家が内向きのことでもめていたのでしたら、照葉さまもお辛く思われたでしょう?」
「いいえ。
本来に、小磯は神南の屋敷を出され、幼い檜垣さまも出家つせるように命じられたのです。
小磯は、定村のお家の名跡の復興を目指されるという白縫さまのところに泣きついて、檜垣さまを定村のお家に引き取ってもらい・・・」
「わあ・・・」
秋千代は困惑の表情を浮かべた。
定村の家の名跡の復活を目指す白縫からすれば使える札を手元に集めておくというのは理の当然である。
しかしながら、もともと女中の子であった異母妹が本家の娘となったというのであれば、照葉も檜垣にどのように接したらよいのか悩むはず。
夏之丞は言った。
「私の口からも、風見さまに、うまく照葉さまと檜垣さまの間に入っていただくようにお願いいたしましょう」
「え?」
と、照葉。
一昨年の京での事件によって、夏之丞は風見と面識ができている。
懐かしい。
あの美しい姫君とまた一度お目にかかりたいと博多に戻ってからも夏之丞は夢に見ていた。
* *
鳥山秋千代が自分より年上の女を師匠と崇め奉るというのは、そういう性癖だったのだろう。
雪岡冬次郎が養子縁組・婿入りの口を求めて女のことを考える余裕がなかったというのも、時代の流れに彼なりに戦ったのだ〈蔭澤夏之丞は最初から蔭澤二十石の家の跡取りとして生まれたために、雪岡冬次郎ほどの必死さに欠けていた〉。
青柳春之助が恋する間もなく従兄弟の倉八長之助の背中を追い続けてしまったというのもわからないでもない〈倉八長之助が一万石超えの家老になる歴史に残る英才で、青柳春之助の挑戦は滑稽だったとしても!〉。
果たして、蔭澤夏之丞は、いかなる者なのか?
博多の町で【新かぐや姫】と謳われた美少年である切竹三百石の跡取りの御曹司、切竹磯之丞は、ただの町人娘の箱崎屋お畝に恋をした。
磯之丞は箱崎屋を狙った賊たちとの争いのあった夜、賊に刺された。自分の想いをお畝に一言も告げることなく黄泉路に消えた。
生命はおそろしく儚いことを、夏之丞も実感した。
身分違いの恋も一度は相手に告げるべし。
うまくいかなくて当然。
恥を覚悟した上で、自分の想いを自分で引き受けなければいけないような気がした。
都合の悪いことを見ないようにして、見れば忘れるという生き方を続けていては、なかなか自分を感じる機会がなくなる。
〈終〉




