5、「死の眠り」
………………。
どれくらい、頭蓋骨の声を聞きながらたたずんでいたのか。
やがて手に持っていた中国語の頭蓋骨を覆っていた炎は薄くなり、声も遠くなり、炎が消えるとともに声も消えた。
ようやく気を落ち着けて、改めてレテを見た。
レテは頭蓋骨の山の傾斜に腰をおろしていて、動かずに目をつむっていた。レテは自分が眠らないと言っていたが、本当だろうか? 目を閉じているレテは眠っているようでもあり、死んでいるようですらあった。
なるべく音を立てずに頭蓋骨の山に近づき、持っていた頭蓋骨を傾斜の上に乗せてから、静かに腰をおろした。レテが灯した傾斜の青い炎はまだ残っていて、小さいつぶやきがあちらこちらから聞こえていた。
目をつむったレテの顔をぼんやり眺めていると、やがて、自分のまぶたも少しずつ落ちてくるのを感じた。
そういえば私も全然眠っていなかったな、と思った。
逆らわずに眠りの中に落ちようと、目を閉じた。
夢見るように、
どんどん自分の内側に落ちていくと、
眠りの代わりに、
苦しみの中に落ちた。
!?
まるで腹の中で爆弾が爆発して、血が恐ろしい勢いで細胞を壊しながら全身を巡っているような感覚。
心臓と肺が、どうにか毒の血を遠ざけようと弱々しくも激しくあえぐが、それが毒の血の奔流を生み、体中を壊していく。特に、脳。脳が、壊れていく。思考が、壊れていく。
舌は毒の血で膨れ、どうにか腹の中の異物を吐き出そうとするように、自然に口からはみ出る。えずくが、しかし、実際には何も出ない。
ああ、クソッ。
この苦しみは、もう終わったのではなかったのか?
パニックで慌てて目を見開き、生前の死ぬ間際にしていたように、伏したまま、もがいて自分の腹に手をあてがった。自分の腹の皮を苦しまぎれにかきむしった。
違和感。
かきむしると、いとも簡単に皮は破れて。
空虚な中身に指が入った。
爪を立てようにも、肉も内臓も無かった。
奥まで指を入れると、自分の血肉ではない異物に触れた。
さらなるパニックに襲われ、私は着ていた安いシャツを慌ててめくりあげた。
あったのは、
紫色の木の実が詰まった空洞。
細い肋骨の一番下の辺りからごっそりと肉が削げ落ちて、内臓など何一つ無く、空洞だった。体の後ろ側にあるはずの背骨が、木の実の間に露出して見えていた。
だらしなくたるんだ皮だけが、破れた風船のように上半身と腰との間をつないでいた。
そして、その空洞に。
背骨と残った皮を受け皿のようにして、紫色の木の実がぼこぼこと新しく生じては人骨の平原に転げ落ちていた。
なんだ。
なんだこれは。
パニックで言葉が出せない私の耳に、レテの声が聞こえた。
「それがおじいさんの死因なんだね」
いつの間に目を開けていたのか、レテの表情は特に驚いた様子も無く、当たり前のように、木の実が絶え間なく生じる空洞の私の腹に目を向けていた。
立ち上がり、軽い歩調で近づいてくると、私の腹から転げ落ちた紫色の木の実を拾い上げた。
「おじいさん、お腹が空っぽだね。木の実だけが入ってる。
最後に食べたのがその木の実で、その前はしばらく何も食べてなかったみたいだね。
この木の実、毒なのかな?」
レテは平然と、木の実を口の中にぽいっと放り込んだ。
「味はそんなに悪くないね。舌に変な刺激があるけど」
ああ、その木の実は……。
故郷の山に生えていた、毒のある木の実だ。
死ぬ少し前に故郷を訪れたとき、もうほとんど過去の面影も思い出せない町並みに途方に暮れ、迷う足で山の中に入り、ふと見つけた木の実だ。
子供の頃、食べては駄目だと親に教えられた。体力の弱い子供や老人が食べれば死ぬこともあると。そんな幼い記憶を、唐突に思い出した。
私はそれを持ち帰り、誰も知人のいない町の誰も同居人のいない部屋で、食べた。
少し前には風邪を長くこじらせて体力が弱っていたから、きっと死ねるだろうと思っていた。もしすぐには死ねなくとも、身寄りなどなく訪ねてくる者もない孤独な老人だ、動けなくなれば誰も助ける者などない。遅かれ早かれ死ねるだろう。
ああ、誰も来ないであろうことは、風邪を長くこじらせていた期間で確認済みだ。医療費にも事欠き始めていた私は、ただ部屋の中で苦しんで時を過ごした。あのまま肺炎か何かで死ぬことも充分ありえただろう。
惨めな時間を続けるのは、もう嫌だった。
もう、終わらせたかった。
本当に弱っていたのは、体ではなく心だったのだろう。
もう、私は孤独に耐えられなかった。
私は苦笑しようとしたが、笑おうにも腹に力が入らず、というよりも腹に力を入れようにも文字通り腹が空っぽで苦しみを思い出し、それどころではなくなった。
苦しくて、涙が出てきた。
骨の露出した腹。もがいて木の実をかきだしていると、いつの間にか、一番下の一本しか見えていなかった肋骨が、下から二本目まで完全に露出していた。腹を中心に、肉の失われた部位が広がっているようだ。
ああ、そうか。
私は骨になるのだと理解した。
骨になれば、きっとこの苦しみも終わるのだろう。
終わるはずだ。でなければ、耐えられん。
この人骨の平原は、苦しみを終わらせるために骨になった人々でできていたのだ。
レテの声が聞こえた。
「無理をしないほうがいいよ」
優しい声だった。
寂しい声だった。
「どうせここには何も無いんだから。
骨になるのなら、逆らわずに骨になるのが楽だよ。きっとね。
長く苦しむ必要なんか無いよ」
優しい笑顔だった。
寂しい笑顔だった。
ああ、私は骨になり、苦しみも終わり、孤独も終わる。
だが……。
最後の間際に、ふと思った。
レテは、この少女は、この先どうなるのだろう?
………………。




