3、「骨の山」
………………。
歩きながら、レテの話を聞いた。
レテの記憶にある限り、ここはずっとこんな景色なのだそうだ。茜色の燃えるような空と、人骨の平原。
地獄として使われていた頃にどのような責め苦の場所として使われていたかは、レテが伝聞として知っていた。だが、少し聞いただけで陰惨な内容だったので聞くのをやめた。特に、レテがにこやかにその内容を話すのがなかなか違和感が強く背筋に寒気が走った。やはり地獄育ちなのだなと思った。
どのくらいレテはここにいるのか、と聞くと、分からない、という答えが返ってきた。
分からないほど長いのだろう、とは思ったが、このときは実感が無かった。少女でしかないレテの容姿のせいもあっただろう。
せいぜいレテの容姿から想像できる十数年の年月しかないもののように、そう錯覚していた。
長くはあるだろうが、想像できる時間の範囲だろうと。そう勘違いしていた。
ここで育った以前の記憶は無い、とレテは言った。
レテが死んだのは、赤子のときだったらしい。どうも、そもそも死産だったようだ。とにかく物心など無い状態で、ここに来たらしい。
そしてどういうわけか、年を取らないはずのこの地獄で、レテはゆっくりと年を取った。そして、骨にもならなかった。理由は分からないそうだ。
もしかしたら、その頃には既にこの地獄跡が使われずに管理されていない状態だったことも関係しているかもしれない。だが、他の人間が誰一人として彼女と同じように年月を暮らし続けることができずに骨になったらしいことを考えると、他にも何か分からない理由があったのだろう。
とにかく、当時はまだ残っていた元地獄の住人たちの中でレテは物心を獲得し、他人との触れ合いを覚え、育った。
そして元地獄の住人たちが一人残らず骨になった後も、レテはここに残った。
レテの話はどれも興味深かったが、このとき現実問題として一番興味を引いたのは、人間ではない管理者のことだった。
地獄にはちゃんと鬼や悪魔がいるのかと聞くと、レテは答えた。
「いるよ。
もちろん、使われている地獄のほうにいて、こっちには住んでないけどね。
一人だけ、たまにこっちに訪ねてきてくれるおばさんがいるよ。気さくなおばさんだね。この服も、おばさんからもらったんだ」
そう言って、お気に入りらしい濃緑色のワンピースをひるがえすようにして示した。
言われてみれば、なるほどと納得した。
ちなみに私自身は、死ぬ前の自分の記憶にある服装をそのまま引き継いでいた。セールで買った安いシャツに安いズボン。長く着古したためにあちらこちらに残る汚れと、直す意味も感じず放置したほつれ糸もそのまま。
自分も相手も服を着ていたので何も考えていなかったのだが、もし私のように生前の服を着ているのが普通だとしたら、ここで生まれ育ってそれ以前というものがないというレテは、服装がどうなるかは確かに疑問ではあった。そうでなくとも地獄跡暮らしが長いのだろうし、綺麗な服を着ていることに疑問を持ってもよかったのだろう。
とにかくその服は、その誰かからもらったものらしい。
一応、そのおばさんの名前も聞いてみることにした。
「おばさんの名前? 名前はアメミットさんだよ」
「アメミット?」
どこの国の名前だろうな、と思った。あるいは、地獄独自の名前である可能性もあるが。
だが、名前はこの際どうでもいい。考えるべきなのは、そのアメミットさんには何ができるのか、だろう。
何も行動指針の無いこの地獄跡。だが、もしかしたら、人間ではなく地獄を管理する側の存在の一員であるそのアメミットさんと仲良くなれば、何かを進展させることができるのでは。
……今更、死んだ後の生活で特に何がしたいと思うわけではないが。
それでも、ほったらかしで何もすることがないという今の状態は変えられるのではないだろうか。
「そのアメミットさんは、いつ来るのだね?」
「うーん。特に何も約束はしてないからねえ。おばさんの来たいときに来る感じ。
いつ来るかは、分かんないな」
「こちらから呼んだりは?」
「普段は地獄跡の外にいるからねえ。一万由旬のさらに遠くだし、手段が無いねえ」
ということは、アメミットさんが偶然気まぐれを起こして来るのを待つしかないようだ。
仕方なく、アメミットさんの名前を忘れないように記憶するだけに留め、他の話を聞いた。
私のほうからレテの話を聞くことが多かったが、合間に、レテから私の生前のことを聞かれることもあった。
ただし、死ぬ間際のことは聞かれなかった。
例えば、どんなことが趣味だったのかとか、それはどんなものだったのかとか。そんな話をした。
もちろん私が生前に趣味としてきたものはこの地獄跡には影も形もありはしなかったから、説明しようと思えば根本からかなり微細に話す必要があった。プラモデルの話をしようと思えばその前に題材となった実物や作品のことを聞かれるし、音楽の話をしようと思えばまずそれを聞いたメディアがどんなものなのかを説明する必要があった。
レテは地獄跡に住んでいるとは思えないほど多くのことを知識として知ってはいたが、実際にはそのほとんどを見たことも触れたこともないわけだから、それだけ多くの説明が必要だった。ただ、どんな話も楽しそうに聞くので、話すのは全く苦痛ではなかった。
例えば、住んでいた場所の景色はどんなだったかとか、どんな景色が好きだったのかとか、そんな話をした。
私が生まれた土地は山間にあって、家のすぐ裏手から緑に覆われた山に入ることができて、幼少期の遊び場になっていたこととか。
学生の頃、親に連れられて都会に移り住み、緑の少ないコンクリートの住宅地にしばらくは戸惑ったが、やがては慣れていったこととか。
親元から独立してしばらく一人暮らしをした後、妻と出会って結婚して一緒に暮らすようになったこととか。それからの数十年、子供はできず、妻が死ぬまで二人でずっと暮らしてきたこととか。
市営住宅に住んでいて、定年後もずっと暮らしていける契約になっていたはずが、市の開発事情が変わったとかで、急に追い出されることになったこととか。定年を過ぎて年金以外に収入が無く、子供や親戚といった身寄りのない老人に部屋を貸してくれるような不動産はなかなかなく、やっとの思いでそれまで住んでいた地域とはかなり離れた町に晩年の住まいを見つけたこととか。
その頃には妻は死んでおり、ただ一人で見知らぬ土地で暮らしていたこととか。
死ぬ少し前に生まれ故郷の山間の町を訪ねたが、やはり誰も見知った相手など見つからず、景色も変わっていて孤独が募るばかりだったとか。
……話が私の死の付近に近づき、私の口は重くなり、肩をすくめて話をやめた。
尻切れトンボな口のつぐみ方になってしまったが、なのに、レテは続きを聞き出そうとしてくることは無かった。
それは気になることでもあった。レテは話好きで好奇心旺盛だが、一方で、こちらがしゃべりたがらないことは全く追求せずに切り上げて次へと話を移すのだった。
その点を聞くと、レテはこう答えた。
「いつでも聞けるからね。今は、おじいさんが話したいことを話してくれたらいいよ」
いつでも、
というのが気になった。
レテ以外の人間は、ここでは骨になるのではなかったか? 骨になったら聞けないだろう。
ならば、骨になるまでの間にいつでも聞ける、という意味か。それだけ暇な時間があるからゆっくり話したいときに話せばいい、という意味か。
気にはなったが、そう解釈して、私は頷いた。
それもまた、勘違いだった。
話は尽きなかったが、目的地にはなかなか着かなかった。
レテが自分のねぐらだといった、遠くに見えた山。それを私は最初、遠く離れているとはいえ目に見える範囲にある小山だと思っていた。だが歩けど歩けど、なかなかそれは近づいてこなかった。
それは思ったよりもずっと遠くにあり、従って、実際には遙かに高度のある山だった。
時間の経過による疲れも飢えも不自然にやってこず、日が落ちることも無く時間の概念がよく分からない地獄跡を延々と歩き、もしかしたら一日を遥かに超える距離を歩いて、ようやくその山の詳細が見えてきたとき、私は絶句した。
高く、広々とした山だった。
頂上に上りきるのに、半日では足りないだろう。
ふもとにようやくたどり着き、畏怖を感じながら見上げていると、レテが言った。
「着いたね。ここがあたしのねぐらだよ。屋根も何も無いけどね」
軽やかな足取りでその山の傾斜に足をかけ、足元を踏み割らずにひょいひょいと上っていくと、適当なところに、丁寧に、だが場所には全くこだわる様子も無くぞんざいに、手に持っていた頭蓋骨を加えた。
足元の山に、頭蓋骨を。
どうしてここまでの景色の中、人骨の平原に頭蓋骨が無かったのか、ようやく分かった。
それは、レテが集めていたからだ。
一万由旬あるとかいう地獄跡。時間の概念も無く、彼女は拾い集めたのだ。
見上げんばかりの、そして裾野広く広がる、
頭蓋骨の山だった。
………………。




