2、「レテとエウノエ」
………………。
あのときは、ただ悪趣味だと思った。
あるいは、地獄らしい悪趣味だと。単純に理解できんとしか思わなかった。だから、それ以上深入りはしないことにした。
地獄でただ一人見つけた話し相手だ。そしてこの時点では、もう他には見つからない話し相手かもしれんと思っていた。
相手が少々悪趣味だとしても、そこはスルーするべきだろう。
地獄跡で見つけた貴重な道連れだ。少々のことは目をつぶって。
そう接することにした。
「歩きながら話そっか。
あたしもこれ持ったまんまじゃ、なんだし。
おじいさんもどうせ他に行くところなんかないんだから、ぜひあたしのねぐらに来てよ。
まあ、ねぐらって言っても、あたしは寝ないんだけどね。屋根も寝床も何も無い、ただの本拠地みたいなもんだけどね」
寝ない?
少し首をかしげつつ、尋ねた。
「どこにあるのだね。どのくらい歩く?」
「あっち。
少し山になってるの、見える? あれがあたしのねぐら」
見ると、骨の野原の遥か彼方、とても彼方、やや低い白い山のようになっている箇所があった。遠かった。かすんで細部が見えない。遠すぎのようにも思えた。
「分かった。
歩きながら話そう」
それから、ふと、彼女の名前を聞いてないなと思った。
「そういえば、君、名前は何と言うのかね?」
「名前? ああ、名前ね」
忘れてた、思い出させてくれてありがとう、というような、そんな笑い方をした。
「レテ、って名前をずっと前にもらったよ。結構お気に入り」
「レテ?」
もらった?
「外人さんだったのか?
いや、考えてみれば、そもそも日本人である確率のほうが低いか。もしも地獄が国ごとに分かれているというのでもなければ。
む? では、なんで日本語が通じているのだ? 日本育ちか? いや、それも違うのか。地獄育ちと言っていたね」
「そりゃあ、おじいさんが日本人っぽかったから。
日本語で話しかけてみたら通じたんで、そのまま使ってるんだよ。他の言葉のほうがよかった?」
「いや。日本語以外はまるで分からん。日本語で頼む。
しかし、いろいろしゃべれるということか。頭が良いのだな」素直に感心した。
地獄で何ヶ国語もしゃべれることにどれほど意義があるのかは分からんが。
と思った後で。
もしかしたら逆かもしれん、と思い直した。
むしろ本来はいろんな国の死人が来るのだとすれば。何ヶ国語もしゃべれなければ不便なのがデフォルトなのか。
もっとも、こんな無人の骨の荒野では意味もなさそうだが。
……。
……そう、少なくとも今は無人だ。ならば、レテは誰に言葉を教わったのだ?
「なあ、レテ」
「おじいさん、なんだい」
「地獄育ちということだが、ずっと一人だったわけではないだろう?
それともずっと一人だったのか?」
「ん。そういうわけじゃないよ。
あたしが生まれたのはこの地獄が使われなくなってそんなに間が経ってない頃でね。
その頃は、まだ結構人が残ってたんだよ。
それから後も、たまにおじいさんみたいに迷い込んできてくれる人もいるしね。ずっと一人ってわけじゃあ、ないよ」
「そうか。
……?」
以前は結構人もいて。
たまに来る人もいて。
でも今は一人。
「待った。その人たちはどこだね?
地獄であるなら、もう死なないのでは? その人たちは、君を残してどこにいったのだ?」
「……。
死なないってわけじゃ、ないってことになるのかな」
「え? 死ぬのか?」
「おじいさんが今踏んでるものはなんなのさ」
今踏んでるもの。
足元。
骨の地面。
人骨の地面。
「あ……」
「そしてあたしが運んでるものはなんなのさ。
ま、そういうことなんだよね。
骨にはなっちゃうみたいなんだ」
「……」
絶句していると、レテが笑顔のまま、申し訳なさそうな表情をした。
「ここに住んでても骨にならないのは、あたしだけみたいなんだよね。ここ育ちだからなのかもしれないけど。
だから、おじいさんも骨になっちゃうと思う。
……。
あたしにはよく分からないんだけど、生きてた人にとって、骨になるって聞かされるのはやっぱりショックなんだよね?」
「ああ。そりゃまあ、確かにショックだ……」
あの世でもさらに死んで骨になるとは、いったいなんのジョークなのだ。
一瞬、記憶に残っている自分の死に際を思い出しそうになった。それを、頭を振って追いやった。
そんなものは思い出したくも無かった。腹に違和感を覚えたが、気のせいだと思い、無視した。
しばらく会話が途絶えた。
ふと思い出し、気を取り直して言った。
「そういえば、こちらの名前を言ってなかったな」
「あー、うん、そういえばそうだね」
レテは愛想よく相槌を打ってくれたが、それはこちらの話に喜んで付き合ってくれているだけで、こちらの名前そのものにはそんなに興味を持っていないことがなんとなく感じられた。
後から考えれば、レテは自分自身の名前にもそれほど名乗る意味を感じていないようだった。こちらが聞かなければ、彼女自身から名前を名乗ることも無かっただろう。おそらく彼女は、お互いを呼ぶ名前というものにそもそも興味を感じていなかったのだろう。
ともかく、相手がこちらの名前に興味を持っていないらしいことに軽い落胆と苛立ちを感じつつ、名乗った。
「私は、榎上だ。まあ、改めて、よろしく」
「? エウノエ?」
こちらの名前を聞いてそこでようやく何故か興味を惹かれたらしく、面白そうに、聞き返してきた。
「いや、エノウエ。エウノ、ではない。エノウエ」
「ふーん。レテとエウノエ、かあ。
おじいさん、あたしたちの名前は結構面白い組み合わせだよ」
よく分からないながら、私は訂正した。「エノウエ、だ」
………………。




