1、「一万由旬の地獄跡」
………………。
気がつくと、骨で埋め尽くされた地面の上に立っていたのだ。
なんだ、これは。
まともじゃないな。
そう思い、ゆだるような熱気だったのに寒気を覚え、苦笑いしながら、状況を理解しようと私は周囲を見回した。
夕焼けのような、茜色の空。だが夕日は見えず、空一面にかかる靄のような薄雲が、燃えるように赤く染まっていた。
そんな空の下、うっすらと茜色を帯びて見える白骨が、どこまでも地面を埋め尽くしていた。
苦笑いがさらに大きくなり、めまいを感じて体の重心が揺れると、足元で細かい骨がボキボキと音を立てて砕けた。
なんで私はこんな場所にいるのだ?
そう考えて。
自分がそこで気がつく前、どこにいたのかを考えて。
はたと、答えにたどり着いた。苦笑いが最高潮に達したのを感じた。
「ああ、私は死んだのか。
じゃあ、ここはあの世かい。洒落にならん」
茫然とつぶやき、さらにぼんやりすること数分。
「で、これからどうすればいいのだ?」
骨ばかりで、他に何もなかった。
あの世とは、そんなものだったのか?
本来なら最初は三途の川だろう? だが、この景色はあの世の入り口というより、もう地獄のまん中のようだ。骨の平原などと、洒落にならん。案内人はいないのか? 獄卒の鬼は? でなければ、天使とか。
こんな場所で、私はどうすればいいのだ。
こんな場所で、ほったらかしか?
死んだ後まで、私はほったらかしにされるのか。
困った。
途方に暮れること、さらに数分の後。
「む?」
見回す景色の中、遠く、歩く人影が見えた。
「おい……!
あー、ゲフン、エヘン。そこの人! おーい!」
私は声を張り上げて呼びかけた。だが、死んでからどころか考えてみれば老人と呼ばれる年齢になるより以前から声を張り上げる機会などそうはなかった。久しぶりに大きな声を出そうとしたせいか、年老いた喉のせいか、それともそもそも死んでいるせいなのか、なかなか思うように声が出なかった。
声の調子を確かめながら、それでも精一杯の声を張り上げ、人影に向かって速足で歩き始めた。
骨の地面は歩きにくく、ときどき踏んだ骨が砕けてバランスが崩れ、何度か転んで骨の中に埋まりそうになった。だが、それでもできる限りの速足でそちらに向かった。
周辺の骨の地面に頭蓋骨が一つも含まれていないことには、後で気づいた。見渡す限りの骨の地面に、肋骨や、手足の骨や、骨盤や、どこのものかもよく分からない骨はあっても、目立つはずの頭蓋骨が見当たらなかった。
理由は後で知った。
ともかく、人影に向かって歩いた。ちょうど人影はこちらに近い方向へと歩いていたので、思っていたよりは早く距離を縮めることができた。
「おーい……!
エヘン、エヘン。ああ、喉が良くならんな……。
おーい……!」
しばらくすると、こちらの声が向こうの耳に届いたようだった。人影は歩く方向を修正し、こちらにまっすぐ歩いてきた。
骨の地面を。
軽やかな足取りで。
一方、私は歩き慣れない骨の地面をバキボキポキパキと踏み折りながら歩いていたのだが。
彼女の姿がはっきり分かるようになるまで近づいたところで、私は思わず足をとめた。
彼女。
年の頃は、十代後半だろう。生きていれば。いや、ここは地獄だと思われるし、ならば彼女も死んでるんじゃないかと思えたので年齢の推測に少し疑問を覚えもしたのだが、少なくとも、外見は十代後半に見えた。小柄な少女。
頭上の空の色をそのまま帯びたような茜色の髪。
異国風の厚めの生地で織られた濃緑色のワンピース。
そして両手に抱えた白色のもの。
茜色と、濃緑色と、白色。
茜色と濃緑色の美しさには素直に見惚れたのだが、両手に抱えた白色のものが問題だった。足をとめたのは、そのせいだ。
彼女が両手に抱えていたもの。
白い頭蓋骨が三つ。
なんでそんなものを持っているのだ?
彼女がさらに近付いてきたので、表情も見えた。それが例えば悲痛な表情であれば、違和感も少なかったかもしれない。だが、にこやかな表情だった。
なんで、にこやかに頭蓋骨なんて運んでいるのだ?
理解できん。このまま近づいて大丈夫か?
少し前に、ここが地獄なら鬼はどこにいると考えたのを思い出した。例えばだが、頭蓋骨を運んでいるこの少女が地獄の鬼だということはないだろうか。
いや、鬼の角も無く、どう見ても人間ではあったが。
そんなことを思っていると、少女がついに目の前まで来て、嬉しそうに笑顔を見せた。
「こんにちは、おじいさん」
「ああ……こんにちは」
「おじいさん、死んでここに来たんだよね?」
「……」
正面からそんなことを言われると、どう反応していいか分からなかった。
「ま、まあ、そのようだ。
君も、そうなのか? 君も、死んでここに?」なんだこの会話は。
「うーん、そうとも言えるんだけど、そうとも言えないんだよね。
あたし、ここ育ちなんだ」
「ここ育ち?」
地獄育ち?
「そう。で、おじいさん、ここには来たばっかだよね」
「ああ。
確認するが、ここは地獄でいいのかね?
それにしちゃあ、誰もいないようだが」
「うん。ここ、地獄だけど、もう使われてない地獄。地獄跡だから」
「地獄の跡地?」
「そう。だから誰もいない。誰も来ない。
でも時々手違いで、こちらに送られちゃう人がいるんだよね。
おじいさんはつまり、そういうこと」
「手違いって……」
なんだそれは。
そんなことでいいのか。
死んだ後すら、私は杜撰なお役所仕事に割を食わされるのか。
洒落にならん。
「まあまあ、おじいさん、そんな顔しないでさ。
苦笑いしたって、ここでは何も進展しないよ。
それよりお話しようよ。ここのことはあたしが話してあげられるし、おじいさんの話はあたしが聞くよ。
ここに来たばっかのおじいさんに聞かせてあげられることはたくさんあるし、おじいさんが話してくれることならあたしは何でも喜んで聞くよ」
「そ、そうだな。分かった」
確かに、苦笑いしているだけでは何も進展しないだろう。
茜色の空の下、無人の骨の荒野を改めて見回して、それから彼女に目を戻した。
「ここは、ずっとこんな景色かね?
他には誰かいないのか?」
「誰もいないと思うよ。広いから、たまにおじいさんみたいに新しく来た人がいても見つけられないことがあるけど。ずっといるのは、あたしだけだよ。
景色はずっとこんな感じだね。
まだ使われている地獄まで行けば景色も変わるし人もいるはずだけど、何万由旬も離れてるって話だね」
「由旬?」
「距離の単位だよ。
えと、おじいさんが生きてたとこでは何を使ってたのかな。一里二里? メートル? マイル?」
「メートルだな」
「メートルに換算すると、一由旬は約七キロって話だったかな」
「ふむ……」
では仮に少なく見積もって一万由旬だとして、約七万キロはこの景色が広がってるわけか。想像がつかん。
「次の質問だが。
私はここで、何すればいいのかね?」
「何って、うーん、何も?」
「?」
「何も。
何もしなくていいんじゃない?」
「……いや、ここは地獄だろう? あの世だろう?
あの世にたどり着いたら後はもうほったらかしで、やることもないのか。ひどくないかね?
本当に、何も、することがないのかね?」
「もう使われてない地獄だからね。
使われてる地獄まで行けば名高い地獄の責め苦が待ってるらしいけど、おじいさん、そっちに行きたいの?」
「いや、それはもちろん嫌だが」
釈然としないが、確かにこちらのほうがマシとは思える。
「……質問を変えよう。
君は、ここで何をして暮らしてるのだね?」
「特に何も」
「……」
ううむ。自堕落地獄跡ライフ。
何も進展しそうにない状況に頭を抱えそうになったが、ふと、聞いておきたいことを思い出した。
一目見たときから気になったが、怖く思えて聞くのをやめていたこと。
会話をしてみれば警戒心を抱くのも馬鹿らしいほどに気さくな少女だったし、改めて、それについて聞いてみてもいいだろう。
彼女が抱えていた、白色の頭蓋骨。
「それ」
「?」
「なんでそんなものを、運んでいるのだね?」
「ああ」
彼女はにこやかに、屈託の無い笑みを浮かべた。
「うん、そうだね。何もしてないってことは無かったね。
頭蓋骨を集めてるよ。
それがあたしの唯一の趣味だね。
……。
あっはっは。おじいさん、そんな顔しないでよ。生きてた人からはよく思われない趣味だってのはもう知ってるけどさ。
改めてそんな顔されると、傷つくよ。あっはっは」
言葉とは裏腹に彼女は全く傷ついた様子も無く、笑って、そう言った。
………………。




