第百八十五話 「小さな芽」
ランの反応からして、目の前の竜魔族とは面識がないらしい。
この竜魔族が例の幹部じゃないのか?
てっきりランと面識のある幹部が迎えに来ると思っていたので、この展開は予想外だ。
「バ、バイパー様はどちらにいらっしゃるのですか? あの方が迎えに来るはずでは……」
「そのバイパーと話をつけて俺がここに来たんだよ。名前はレザールってんだ。あっ、俺も一応幹部だからな」
レザールと名乗った竜魔族は、頭の後ろに両手を回して余裕綽々と微笑む。
今の話からしてバイパーという名の竜魔族が、ランに僕の暗殺を任せた元凶のようだ。
でもなんでそのバイパーではなくレザールがここに来たんだろう?
しかもたったひとりで。
僕としてはかなり不都合な展開だ。
ここに元凶のバイパーが来ていれば、そいつを倒してこの件は片がついていたのに。
「で、もしかしなくてもてめえが育て屋か? ハハッ! 思ったよか普通の人間なんだな」
「……」
レザールは僕に視線を止めて興味ありげに見てくる。
僕を怪物か何かだと思っていたのか。
どうやらバイパーから育て屋のことは聞いているらしく、同時にこちらの能力がある程度向こうに把握されていることもわかった。
「聞いたぜ。人間の天職を五倍の速度で成長させられるんだろ? しかも人数の制限もねえし、近くにいるだけで周りの人間を強くできるらしいじゃねえか」
【育成師】の『応援』スキルについては、概ねその理解で間違っていない。
どうやって【育成師】の能力を調べたのかは知らないが、向こうには相当な情報網があるようだ。
「バイパーの奴がえらく警戒してたぜ。てめえは人間と魔獣の均衡を崩すやべえ存在だってな。兵士を育ててる軍事官だから、余計にてめえからよくねえ予感を嗅ぎ取ったんだろうが」
レザールは頭の後ろに回していた両手を解き、右の手でこちらを指し示してくる。
「てなわけで、今から俺に殺されてくれ。死体をバイパーんとこに持ってかなきゃなんねえかんな」
明確な殺意を向けられた瞬間、緊張が寒気となって背筋に走る。
僕はいつでも縄から抜け出せるように袖口からナイフを取り出し、刃先を縛り口に静かに当てた。
その時――
「こ、この方を引き渡す前に、わたくしとの契約を履行してください」
「契約?」
ランが慌てた様子で僕の前に立った。
任務を与えてきたバイパーではなく、別の幹部が来たことで、彼女は脳裏に一抹の不安がよぎったらしい。
「育て屋の連行が済んだら、バイパー様はすぐに“竜生の秘術”を執り行うと約束してくれました。先にその約束を果たしていただけませんか。でなければこの方を引き渡すことはできません」
ランは竜王軍の配下ではない。
あくまでバイパーと取り引きをしている関係である。
だというのにやって来たのは別の幹部で、このまま僕を奴に引き渡すのは危険だと判断したみたいだ。
育て屋が抹消されたらランは用済みになる。約束を反故にされる可能性が高い。
「あぁ、そういやバイパーは人間の使いと取り引きしたって言ってたな。で、こうして育て屋を捕まえて連れて来たからその褒美が欲しいってことね」
レザールはランに目を向けると、乾いた笑みを浮かべた。
「でもあいつ、てめえのこと食っていいって言ってたぞ」
「えっ?」
「確認してえのは育て屋の死体だけだから、使いの人間は食っちまっていいってな」
食っていい。
言い方を変えれば、“殺してしまっていい”ということ。
その言葉だけで僕はすべてを察する。
バイパーはランとした約束を、最初から守るつもりなんてなかったんだ。
だからバイパー本人はここには来なかった。
代わりにレザールを寄こして、好きなように殺していいと言ったんだ。
ランが騙されていたとわかって、僕はさほど驚きはしなかった。
むしろ“やはりこうなったか”と虚しさが湧いてきた。
……竜王軍との協力関係なんて、最初から無理があったんだよ。
長年人類と敵対してきた最悪の魔王軍と、対等な取引なんて成り立つわけがない。
しかしランはそれを受け入れることができないようで、おもむろにかぶりを振りながら声を震わせる。
「で、ですが、バイパー様は……竜生の秘術で、竜魔族を生き返らせることができるって、教えてくれて……」
「竜魔族を生き返らせるだぁ?」
その言葉を受けて、レザールは思わずといった様子で吹き出した。
「ブッ! ハハハッ! そんな秘術あるわけねえだろうがバーカ!」
「……」
しばらく奴の大きな笑い声が、洞窟内を震わせる。
その中でランは、次第に現実を飲み込んでいくように、力なく膝から崩れていった。
やがて笑いが収まってきたレザールは、目の端の涙を指で拭いながら続ける。
「バイパーの奴、んなこと言って言いくるめたのかよ……! さすがに無理が過ぎるってもんだぜ!」
「竜生の、秘術は……存在するって……」
「あのな、んなことできりゃとっくに先代の竜王とか幹部を蘇らせてるっつーの。賢くねえ俺でもわかるってのに、少しは頭つかえよな。人間の取り柄はそこだけなんだからよ」
レザールに同調するわけではないけど、確かにそこには少し違和感があった。
ランは馬鹿ではない。
少なくとも冷静に物事を見ることができる常識がある。
だというのにどうしてレザールが気付くほどの矛盾に気付かず、バイパーに手を貸していたのか。
竜魔族を生き返らせたいという理由については定かではないけど……
「そんな話を信じて、こいつらに協力していたのか」
僕は目の前で項垂れるランに、憐れみにも似た視線を向ける。
どうして彼女がこんなわかりやすい嘘で竜王軍に騙されてしまったのか、その違和感の正体を確かめるために続けた。
「死んだ者を生き返らせるなんて、人間だろうと魔獣だろうとできるはずがない。そんなの、あんただって最初からわかって……」
「それでも!」
叫びにも似たランの声が、僕の声を遮った。
そして彼女は、肩を震わせながらこちらを振り向く。
その顔には、大粒の涙が滴り、数本の白い髪が、濡れた頬に張りついていた。
「それでも、縋るしかなかったんです……! もう一度、大切な家族と会うためには……!」
「……」
……初めて、ランの本音を聞いたような気がする。
ずっと僕との間に壁を作って、素顔を見せようとしなかったランが、今ようやく本当の気持ちを明かしてくれたように見えた。
“大切な家族”と、会うために……
「ま、こんなわかりやすい嘘に騙される方が悪いってこったな。大人しく俺の腹の足しになってくれよ、人間」
レザールは涙を流すランにさほど興味がなさそうに、欠伸まじりに言う。
そしてこちらに近づいてこようと、一歩を踏み出したその瞬間――
今度は僕が、ランの前に立った。
後ろ手に結ばれていた縄をナイフで裂き、拘束を解いて手首をならす。
それを見たレザールは足を止め、僅かに目を細めてこちらを睨んできた。
「……詳しい事情は知らないし、そこにどんな理由があっても同情はしない。僕はあんたに一度殺されかけてるからな。けど――」
僕はランの前に立ちながら、ナイフを構えてレザールを見た。
「さっきよりか少しだけ、やる気が出てきた」
「なんだ? 俺とやるってのかよ、育て屋」
レザールもゆったりと身構えて、この場の空気が張り詰められていく。
言った通り、ランに同情したわけではない。
最初からここに来た幹部とは戦うつもりでいたから。
それでも改めて竜王軍の卑劣さを目の当たりにして、僕の気持ちに火がついた。
僕の育て屋を狙い、人間を使い捨ての駒のように扱う奴らを、絶対に許すわけにはいかない。
「【敏捷強化】!」
先に動いたのは僕だった。
足回りを強化する支援魔法を施しながら、地面を蹴ってレザールに肉薄する。
一瞬にして懐に潜り込むと、奴の首筋に向けて刃を突き出した。
「シッ!」
レザールはその動きを完璧に目で捉え、余裕の笑みを崩さないまま首を捻って躱す。
間近まで奴の顔が接近すると、お互いの視線が交差し、見えない火花が散った。
レザールが右腕を振りかぶったのが見えたので、すかさず僕は後退する。
距離をとって再び身構えると、右腕の行き先を失くしたレザールが、こちらを見ながら感心する声を上げた。
「へぇ、速いじゃねえか。育て屋自身も戦えるのは意外だったな」
……できれば今の初撃で決めたかった。
今ので奴の目も僕の速さに慣れただろうから、次から確実に反撃がくるはず。
まあ、相手はあの竜王軍の幹部だから、そう簡単に倒せるはずもないか。
それにしても、他の兵士を連れずにこいつひとりだけで来てくれたのは僥倖だな。
多対一になっていた場合、かなり時間が掛かっていただろうから。
必要があれば一度退いて潜伏し、不意打ちで一人一人を確実に始末するという長期戦まで想定していた。
でも一対一なら、下手に潜伏をしたり不意打ちを仕掛ける必要がなく、正面戦闘でも活路を見い出すことができるはず。
それでこいつを倒すことができれば、竜王軍に大きな削りを入れることができる。
欲を言えば、ここにバイパーがひとりで来ていればなお都合がよかったけど。
まずはここで幹部のひとりを早々に倒せるだけでも相当でかい。
そう思ったのも束の間――
前にいたはずのレザールが、そこに僅かな土煙だけを残して消えた。
「――ッ⁉」
気付けば、すぐ左隣で青い鱗が光っていた。
横目にレザールがゆったりと右脚を振りかぶるのが見える。
僕は咄嗟に左腕を構えて腰を据え、防御の姿勢に入った。
刹那、風切り音と共に奴の右脚が振られ、僕の左腕が強打される。
「うっ――!」
防御は完璧に間に合った。
両脚に踏ん張りを利かせて、腕の腹で的確に蹴りを受け止めた。
だが、奴の蹴りを受け止めたその瞬間………僕の足が地面から“離れた”。
いや、“浮かされた”と言うべきか。
あまりの力強さに体が浮き、風に巻き上げられた落ち葉のように吹き飛ばされてしまった。
何度か地面を弾んだのちに受け身を取り、片膝を立てて着地する。
左腕に強烈な痛みと痺れを感じながら、僕は驚愕の目でレザールを見据えた。
僕の素早さなんかとは比べ物にならない速力。
しかもしっかりと身構えて蹴りを受け止めたはずなのに蹴り飛ばされてしまった。
それも奴はただ、ゆったりと脚を振りかぶって、遊具の球をパスするような気軽さで蹴っただけなのに。
今の一度の接触だけでもわかる。
この魔獣は…………あまりにも“強い”。
『幹部の力も小国の軍であれば単身で転覆が可能と言われているのに』
……侮っていたわけじゃない。
むしろ自分よりも上の存在だと認識していた。
でも、こんなにも離れているなんて思いもしなかった。
身体能力とか技術とか経験とか、そんなちゃちな差なんかではない。
“生物的”に、遥かに上の次元に立っている。
「おい、なに勝手に絶望してんだよ」
レザールの不気味な笑みが、僕の脳裏に恐怖を植え付けてくる。
一瞬にして奴の存在が、果てしなく大きく見えてきてしまった。
幼子が大人を見て、『勝てるか勝てないか』なんて考えるだろうか。
生物的に端から勝負になっていない相手には、『勝てるか勝てないか』なんて考えるのもおこがましい。
それが、僕と目の前にいる魔獣との差。
「面白くなんのはこっからだろ、育て屋」
「……」
……そうだ、絶望している暇なんてない。
なんのためにここまで来たと思ってるんだ。
自分の手で戦って、勝って、あの日常を取り戻すって決めたからだろ。
またあの町で、みんなと一緒に笑って過ごすために、僕はこいつに立ち向かわなきゃいけないんだ……!
脳裏にこびりついた恐怖を振り払い、僕は立ち上がる。
“目”の奥に、確かな熱が迸った。




