第百八十四話 「会敵」
ダリアと別れた後。
僕たちも頃合いを見て洞窟を出ることにした。
黒い砂嵐はかなり落ち着いてきて、しばらくぶり返すこともなさそうに見える。
これなら一気に進めると思い、僕は後ろを振り返ってランに告げた。
「じゃあ、また案内頼むよ。この天候なら今日中にはかなり先まで進めるだろうから」
すると後ろに立っているランは、こちらを見ずに手元に目を落としていた。
手には何かを持っていて、それをじっと見つめており、釣られて僕もその何かに目を奪われる。
それは“角笛”のような代物だった。
「な、何それ?」
「竜魔族の角ですよ。厳密に言うなら、あなたの暗殺をわたくしに依頼してきた幹部の、落角した角です」
「へぇ、本当に生き物の角なんだ。ていうか竜魔族の角ってそんな風になってるんだ」
色は赤くて、表面はザラついており、形は少しだけ波打っている。
小動物の角と違って、少し禍々しい見た目をしていた。
こうしてまじまじと見るのは初めてだな。
ていうか他の生き物と同じで、角って生え変わったりするんだ。
「で、なんで今それを持ってるの?」
「竜魔族の角は不思議な性質があって、触れながら念じると角の持ち主に伝言を送れるんです」
「えっ、何その便利な機能……。あっ、ていうかそれで連絡を取り合ってたのか」
どのようにして竜王軍の幹部と意思疎通をしているのかずっと疑問だったが……
ここにきてようやくそれが判明した。
竜魔族の角にそんな使い方があったなんてな。
「逆に向こうから伝言を送ることもできて、その際は角が熱を帯びて通知してくれます。たった今その熱を感じたので、角に送られた伝言を読み取っていました」
「そういうことね。じゃあそれが終わったら出発しよう」
どれだけの時間が掛かるかわからなかったので、僕は気を遣ってそう言う。
しかしランはすぐにかぶりを振って返してきた。
「待っていただく必要はありません。もう済みましたから。ただそれの関係で、出発する前にひとつだけ伝えておくべきことができました」
「えっ、僕に?」
「あなたを連行する場所についてですが、竜王軍の侵域内ではなく、別の場所に連れてくるよう伝言が残されていました」
別の場所……?
竜王軍の侵域まで行かなくていいのか?
「この場所から少し進んだ先にある洞窟に、今日中に育て屋を連れて来いとのことです」
「んっ? それってつまり、向こうから迎えに来てくれるってことか?」
「えぇ。わたくしが最後まであなたを連行できる保証がないからとのことです。途中で拾った方が確実と判断したのでしょう」
……そうきたか。
侵域に近づくにつれて凶暴な魔獣も増えるって話だから、その判断は頷けるな。
現にさっきもダリアが来てくれなかったら、最悪ここでふたりとも魔獣のエサになってたわけだし。
にしてもそうか……
「……向こうから来てくれるのか」
これは少し、僕にとって好都合かもしれない。
竜王軍の侵域まで行く手間が省けるのはもちろんながら。
敵の本拠地に乗り込んで、大勢の竜魔族に取り囲まれるって展開を避けられる。
おそらく迎えに来るのは、くだんの幹部と何人かの兵士くらいだろうから。
戦いが少しだけ楽になるぞ。
それにダリアが言っていた懸念も回避できるかもしれない。
幹部を倒してしまったら、今度は竜王軍全体に睨まれることになる。
だから結局、軍そのものを壊滅させないと問題は解決できないという話になった。
でも侵域の外で幹部や周りの兵士を倒せば、他に竜王軍の目撃者はいなくなる。
もしかしたら僕の仕業だと気付かれないまま、くだんの幹部を始末できるかもしれない。
向こうには便利な通信手段があるし、連れの兵士の人数によって色々と状況は変わるけど、上手くいけばそこですべてを終わらせることができるな。
「……何やら顔つきが明るくなったように見えますが、これは単にあなたの死期が近づいたというだけですよ」
「あんたからしたらそうかもしれないけど、僕としては嬉しい知らせなんだよ」
少なくとも今回の件を楽に収束させられる可能性が出てきたんだから。
ランはいまだに僕が幹部に勝てるなんて微塵も思っちゃいないから、死期が近づいただけにしか見えないだろうけど。
「まあとにかく、変わらずそこまでの案内は頼むよ。最初は侵域までって話だったけど、次の洞窟までの案内で僕たちの協力関係は終了だ」
「えぇ、そうなりますね。それとあくまであなたを案内したのではなく連行した形にしますので、目的地が近づいてきましたら両手を縛らせてもらいます」
「あぁ、そういう約束だったからな」
僕は両手を縛られて幹部たちの前に突き出される。
そうすればランは僕を連行できたことになる。
で、僕は僕で自力で拘束から抜け出して、その後に標的の幹部と戦うことができる。
そこまでが僕たちの協力関係ということになっている。
ランは僕が竜王軍の幹部に勝てるとは思っていないから、この協力関係は成り立っていて、彼女は僕が死んだ後でゆっくりと褒美を受け取ろうと考えているみたいだ。
「……ちなみになんだけど、拘束から抜けやすいように縄を少しだけ緩くしてもらえたりできるか?」
「変に手を抜いていたら向こうに結託がバレるではないですか。そこは自力でなんとかしてください」
「……まあですよね」
ランが手加減してくれるとも思わなかったけど一応聞いてみた。
など、諸々の確認を改めて済ませた僕たちは、いよいよ洞窟を出て砂漠を進み始めた。
どうやら落ち合う洞窟はさほど遠くないらしく、三時間も歩けば到着するとのことだ。
砂に足を取られて快適な道中とは言えなかったけど、情報の通り三時間ほど歩いたところで岩場が見えてきた。
砂漠地帯の所々に岩場はあったが、ここは少し他よりも広いように見える。
そして一層目を引くのが、ぽっかりと大きな穴が空いた巨大な岩山。
「あそこが指定された洞窟です」
とのことだったので、話し合っていた通りに僕は両手を縛られることになる。
それが済んでから洞窟に入ると、そこは僕たちが休憩していた洞窟よりもなお広い空間になっていた。
黒い砂塵が落ち着いて、大きな入口から日も入るようになったので、松明なしでも中は見通しがきいている。
見る限り、まだ例の幹部はここには来ていないらしい。
そのことに少し安堵しながら、ランと一緒にその場で待つことにする。
その間、僕はじきにここに来るであろう幹部に思いを巡らせた。
いったいどんな人物なんだろう?
いや、人じゃないからどんな竜魔族と言った方が正しいか。
育て屋の噂を聞いて僕を危険視し、刺客を送り込んできた元凶。
自ら手を下さず、人間を使って育て屋を襲撃させる抜け目のなさがある。
慎重で冷静な性格であることは間違いない。
それにあの竜王軍で幹部を担っているということは、相応の実力も当然あるはず。
そう考えると、ランから掛けられた言葉が僕の中で肥大化していき、自然と額に脂汗が滲んできた。
『これは単にあなたの死期が近づいたというだけですよ』
これからその幹部がここに来て、命のやり取りをすることになる。
勝ち目が薄いのは百も承知だ。
そう覚悟を決めてきたつもりだったけど、さすがに少し緊張してきた。
でも、ここで逃げ出すわけにもいかない。
あの町でまた育て屋を開くために、ここで退くわけにはいかないんだ。
「……そこまでして守るべき価値はあるんですか」
「はっ?」
突然横に立っているランがそう呟く。
何のこと? と問い返したくなったが、僕はすぐに彼女が言わんとすることを悟った。
そこまで怖い思いをして……命を懸けてまで……“育て屋”に守るべき価値はあるのかと聞いてきている。
僕の強張った表情を見て緊張が伝わったからだろう。
「所詮、育てるのは利己的で傲慢な人間たちではないですか。そんな人間たちを手助けしたところで得られるものなんてたかが知れています。紙のように薄い感謝の言葉に、大したことのない依頼料。なのになぜ、あの場所を必死に守ろうとしているのですか」
本音で語るようになったランが、ここまで長々と喋ったのは初めてな気がする。
どんな意図があっての問いかけだろうか?
まさかとは思うが、最後に僕に思い直す機会を与えてくれているのか?
すべてを投げ出して逃げ出すなら、今が本当に最後のチャンスだから。
……まあ、ランに限ってそんなことはないか。
そう思いながら僕は、他にやることもないのでぼんやりとその答えを考える。
育て屋を守りたい理由。
駆け出し冒険者たちを助けたいから。僕にしかできないという使命感があるから。頼ってもらえるのが嬉しいから。
まあ色々と理由はあるけど、やっぱり一番しっくりくるのはこれかな。
「人を育てるのが好きだからだよ。確かに高い報酬をもらってるわけじゃないけど、行き詰っていた駆け出し冒険者たちを自分の力で成長させていくのは、この上ない達成感が得られるからさ。それに他にも得られるものはあるだろ」
「なんですか?」
ランにこの答えが響くとは思わなかったけど、僕は事実として育て屋で得られるかけがえのないものを教えた。
「育て屋に来た人との“絆”だよ」
「えっ?」
「あの場所で育て屋をやっていたから、仲良くなれた人たちがいる。僕はその絆を何よりも大切なものだと思っているんだ。それを育むことができた育て屋を、決して失くしたくはない」
これからも育て屋を続けていれば、きっと同じようにまた誰かと仲良くなることができるはず。
そんな場所をみすみす手放してしまうなんてあまりにももったいないじゃないか。
だから僕が育て屋を守りたい一番の理由は、人を育てるのが好きで、そこでしか育むことができない絆を、何よりも大切なものだと思っているからだ。
「あと、ひとつだけ言っておくけど……」
ランの口から聞き捨てならない台詞が出てきたので、僕は最後に一言だけ添えた。
「人間が全員、利己的で傲慢だなんて、勝手に決めつけるな」
「……」
少なくとも今まで育て屋を訪ねてきた冒険者の中に、利己的な人間はいなかった。
目の前で誰かが困っていたら、自然と手を差し伸べることができる、そんな優しい心の持ち主ばかり。
どんな出来事があって、ランがこれほどまでに人間を憎んでいるのかはわからないけど、人間だって一括りにして勝手に否定するのは間違っている。
だからランに今一度そう告げると、彼女の方からは何も返ってこなかった。
不思議に思ってランの方を見ると、聞こえていなかったわけではないらしく、彼女は何か言いたげにこちらを見つめている。
しかし返す言葉が思いつかなかったのか、結局何も言わずに顔を背けてしまった。
何か言いたいことがあるなら言えばいいのにと思った、その時だった――
「おっ! もういるじゃねえか」
「――っ⁉」
唐突に洞窟の入り口の方から声が響いてくる。
咄嗟にそちらに目を向けると、そこには腕と脚が青い鱗で覆われている“竜魔族”の男が立っていた。
――ついに来た!
と思ったのも束の間、僕はその竜魔族にさっそく驚かされることになる。
「……ひとり?」
そいつはたったひとりだった。
後ろに兵士を侍らせているわけでもなく、見るからに単身で洞窟の中に入ってきた。
てっきり複数人でやって来るものとばかり思っていたので、これには思わず唖然とさせられる。
僕をここで始末するだけなら、ひとりだけで充分と判断したのだろうか?
とするとこいつが、育て屋に刺客を送ってきた元凶の竜魔族?
そんな疑問を抱いていると、ふと横目にランの顔が映り込む。
するとどういうわけか、竜魔族を見る彼女の碧眼は限界まで見開かれていて、僕以上に唖然とした表情をしていた。
そして震えた口から漏れ出た彼女の言葉に、僕はさらに驚かされることになる。
「だ、誰ですか、あなたは……⁉」
「はっ?」
洞窟にやって来たその竜魔族は、僕らの前で不敵な笑みを浮かべた。




