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第百七十三話 「太陽に背く看板」


 翌朝。

 まだ肌寒い早朝、僕は玄関の扉を開けて外に出た。

 ほのかにひやりとした外気が頬と腕を撫でて通り過ぎ、思わず着ていたコートの襟を寄せる。

 ついでに懐をまさぐって必要なものを入れたかどうか確認し、扉を閉めて鍵をかけた。

 庭を横切って柵を通り抜けようとすると、民家の隙間から朝日が差し込んできて思わず目を細める。


 昨晩はあまり眠れなかったから、陽の光がいつもより眩しい。

 早朝の時間帯に慣れていないせいもあるだろう。

 でも不思議と頭は冴えている。

 気持ちも昨日よりかはだいぶ落ち着いている。

 それはきっと、自分のやるべきことがはっきりと見えているからかもしれない。


「あっ、忘れるところだった……」


 僕は柵の前に焦茶色の木板が置かれていることに気が付く。

 白い切り文字で『育て屋』と書かれている立て看板。

 フランに手作りしてもらった育て屋の看板だ。

 僕はそれを抱えて家の中に仕舞い、ついでに玄関扉の上に飾っていた吊り看板も裏向きにしておく。

 改めて育て屋の方を振り返ると、朝日に背中を向けた吊り看板だけが控えめに揺れていて、いつもと違って寂しい外観になっていた。

 それを眺めていると色々な思いがこみ上げてきて、僕は人知れず唇を噛み締める。


『では、これからも一緒に、このはじまりの町の笑顔を増やしていこうではないか』


 ソラリスおじさんとそう約束したけれど、しばらくそれは叶えられそうにない。

 僕は育て屋をやめる選択をした。

 そして今日、この町を離れるつもりでいる。

 僕がこの町にいる限り、はじまりの町ならびに周囲の人たちは竜王軍の脅威に晒されることになる。

 僕はここにいてはいけない存在で、僕がはじまりの町から立ち去ればみんなは笑顔で暮らし続けることができるんだ。

 だから……


『……だから僕は、育て屋の日常を捨てることにするよ』


『賢明な判断です。では、さっそくわたくしと一緒にこの町から……』


『でも!』


 昨晩、ランに告げた言葉を僕は思い出す。


『ただで育て屋を諦めるつもりはない。これはあくまでも、“一時的な休業”だ』


 一時的な休業。

 僕は今からこの町を離れるけど、それは決していつもの日常を“完全”に手放してしまうわけではない。

 少しの間日常から離れるだけで、僕はすぐに育て屋としての日々を取り戻してみせる。

 ――自分自身の手で。


『あなたひとりで竜王軍と戦う(・・・・・・)? 正気でも失いましたか?』


『生憎、自分でも引くくらい冷静だよ。竜王軍に狙われているせいで育て屋が続けられないなら、僕がひとりで竜王軍と戦えばいい』


 これが、昨晩の僕が出した答え。

 こんなの子供にだってわかること。

 育て屋を潰したがっている竜王軍をどうにかすれば、育て屋を続けることができる。

 そしてそれをひとりで成し遂げれば、誰にも迷惑がかからないんだ。

 傍から聞いていたら確かに『正気でも失ったのか』と疑いたくなる策だけど、僕はきちんと勝算を抱いてこの発言をした。

 なぜなら……


『別に、竜王軍全体と戦う必要はないからな。当然化け物みたいに強いって言われてる竜王ドランを倒す必要だってない』


『……?』


『あんた言っただろ。育て屋を潰すよう言ってきたのは竜王ドランじゃなく、“幹部”からの命令だって。ならその幹部さえどうにかすれば、育て屋への危険意識を薄れさせることができるんじゃないか』


 話を聞くに、おそらく竜王ドラン自身はそこまで育て屋を危険視していない。

 幹部とやらが育て屋を強く意識しており、今後のために潰したがっている。

 元凶は竜王軍ではなく、幹部のそいつだ。

 であればその幹部さえ僕ひとりで倒してしまえば、育て屋が狙われることはなくなるんじゃないだろうか。


『自殺行為としか思えませんね。幹部の力も小国の軍であれば単身で転覆が可能と言われているのに、それをたったひとりで倒すなど不可能だと断言できます。当然周囲には他の竜人種の魔獣だっていますよ』


『なら別に、その時は僕が死ぬだけだからあんたにとってはむしろ都合がいいだろ。だから交渉の続きだ。ラン、僕を竜王軍の侵域に案内して、その幹部って奴に会わせろ』


 ランが受けた任務は『僕を殺して育て屋を潰すこと』。

 だから僕に育て屋をやめさせて、僕を殺したと虚偽の報告を送って任務を達成しようとした。

 でもそれなら、僕本人を捕縛したことにして、竜王軍の侵域まで連行した方が確実だ。

 向こうは虚偽の申告や死体の偽装を疑う必要がないし、幹部が手ずから生きたままの僕を始末できるのだから。

 そして僕は、侵域への円滑な道のりを知っているだろうランの案内で、竜王軍の侵域へ入り込める。


『あんたは僕が竜王軍に勝てるなんて微塵も思っちゃいないんだろ? なら別に侵域まで連れて行ったって何も問題はないじゃないか』


『……』


『何より、僕を殺したって虚偽申告するより、生きたままの僕を連れて行って幹部に殺してもらった方が、あんたは確実に見返りを得られるはず。間違ってるか?』


『……追い詰められた人間は何をするかわかったものではありませんね。道中、あなたを殺さないという保証もありませんよ? それでも構わないのですか?』


『あんたに殺される気はしないから別にいいよ。これで交渉成立だな』


 昨晩のその話を思い出して、僕は改めて深く息を吸って吐き出した。

 僕はこれから竜王軍の侵域へ行く。

 そして単身で竜王軍の幹部と戦おうと思っている。

 当然、これはとてつもない危険が伴う選択だ。

 他の竜王軍の兵士たちに囲まれることになるだろうし、最悪竜王ドランと対峙する可能性だってある。

 それが竜王軍の侵域へ入り込むということ。

 ランの言う通り、こんなのはただの自殺行為だ。


 でも、これ以外に方法が思いつかなかったんだから仕方がないじゃないか。

 いや、言い方を変えるなら思いついてしまったというべきか。

 たったひとりでも解決できる方法を。僕が勝ちさえすれば育て屋の日常を取り戻せるということを。

 それに最悪、これで僕が竜王軍に殺されたとしても、この町の平穏は守られることになる。

 ――失うものは何もない。


 改めて自分の中で気持ちの整理をつけた僕は、育て屋に背を向けて柵を出る。

 自分の心とは正反対に澄み切った青空を見上げた後、僕はランと落ち合う予定の町の門へ向けて足を進めようとした。

 その時……


「おはようございますロゼさん!」


「――っ⁉」


 通りを歩き出そうとした僕の背中に、誰かが声をかけてくる。

 耳に馴染んだ幼げな少女の声。

 聞いているこちらにも元気を分けてくれるような弾む音色。

 思わず泣き出しそうになるほど安心できるその声を聞いて、僕はおもむろに後ろを振り返った。


「……ローズ」


「こんな朝早くに奇遇ですね! もしかして朝のお散歩ですか?」


 りんごのように赤い長髪を元気に靡かせながら、満面の笑みでこちらに手を振る、ローズ・ベルミヨンが僕の目に映った。

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ローズ「そう言えば昨日、竜王を倒したんですよ!     ……なんかまずかったですか?」
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