浮遊世界
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旧世紀。
この時代に研究が行われていた通信技術は人が過ちなく分かり合う術、窮極の交信技術の希求でもあった。
様々な試行の後、人は他者との交感に横たわる絶対的な違和の原因を脳の量子状態―――即ち量子領域の不確定性に求めた。
――――ならば量子状態が制御可能となる空間を介する通信によって完全な意志の疎通が実現できるのではないか、いいかえればこの技術をもってこそはじめて本当の意味で人は分かり合えるのではないか。
それは科学であり宗教であり思想であり夢だった。
誰もが理解しあい認め合い、創りだす理想世界という夢。
だが、彼らは研究の過程で特異量子空間を偶然に見出す事になる。運命や奇蹟として片付けるしかないような不確定性の振る舞いを左右する力を持った上位次元―――其処は無限のエネルギーの存在する場だった。
世紀の発見に沸く人々。しかし、それからどれ程の試行を重ねても人がそれを任意に抽出する事は叶わなかった。なぜならこの空間から得られるものは遍く上部領域より分け与えられる性質のものだったからだ。そうした空間の気まぐれな振る舞いを人に準えて、たとえば「神」と呼ぶものがいたとしても驚くにはあたるまい。
同じ頃、量子的特異空間の発見された頃と前後してこの空間とアクセス出来る特殊な人間が確認され始めた。
――――ある者は飛躍的な反射能力を手に入れ、またある者は強大な交感能力を身につけ、中には未来さえ見通す直観を持つ者さえいた――――。
当時、人の新たな進化だと目された特異体の数はしかし一向に増えず、いつしか長い時を経てそのような人々の存在は選民主義的な信仰を生むに至り、彼らもまた自らを神に選ばれた者、神人類、あるいは「神人種」と名乗りはじめたのである―――。
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「人は二つの極の間で己が道をひた走る。松明が、火を吐く息が現れて、昼と夜のあの背反をことごとく抹殺する。肉体はこれを死と呼び、心はこれを悔恨と言う。だがそれが正しいのなら歓びとは何か?」 (W・B・イェイツ―――螺旋階段とその他の詩「動揺」)
都市ユニット「バド・シェバ」は吼え狂う熱炎に嬲られていた。
爆砕に傾く建造物群を吹き抜ける不吉な霧は、次々と死霊機械を招きよせる。
『敵はゲフェンノーム以外にも複数…話が違うじゃないかっ…』
ゲフェンノーム一機でも充分過ぎる脅威だというのに、通信を遮断する黒霧と大量の敵機が加わってはさしもの各種特戦武装を揃えたオムニス部隊とて勝負にもならない。
その上―――。
『主長、見慣れない機体が…』
ニオブの軍団を率いる三機の機兵。
鋭角的な鋼鱗に覆われた刺々しいフォルムはまるで邪竜と思しき異容。背部ユニットから伸びる黒い翼は霧の奔流であった。
『こいつらが霧を撒いてやがるのかっ!?』
正体不明の機体に向けて聖導弓兵の長弓・長距離電振砲が雷矢を射放つ。直進する電光が未確認の機影を捉えた、そう、操者は確信したに違いない。が次の瞬間、彼はモニターを塞ぐ邪竜の凶悪な顔に凍りついた。神速で間合いを詰めた異形は抵抗する間も与えずに鉄鞭としなる尾で弓兵の首を容易く刎ねる。
途絶する意識の最後、弓兵の搭乗者が思い浮かべたのは―――。
「(―――こいつは…聖魂機…?)」
彼は、悪魔の禍々しい相貌に聖なる騎使を重ね合わせて逝った。
出会い頭の拳骨がダネルの頭にとんだ。
「っでえ!?」
「―――なんべんいわせりゃあ分かる小僧おおぉッ!お前の無茶な操縦のせいで発振機は軒並み再調整が必要、フレームも各部打ち直し、装甲なぞ全とっかえだ! こっちゃディキオスの面倒だけ見てればいい訳じゃないっ、ったく毎度毎度どれだけ手間かかせてくれりゃ気が済むんだお前はあああッ!」
「ちょっ、待った親方!」
距離をとったダネルは咄嗟に傍らの検査計に身を隠し飛んでくるスパナから身を守る。彼は今日も今日とて整備師長ダタン・ノファに怒鳴られていた。 彼の人となりは「親方」の通称からもうかがい知れよう。
一工師から腕一本で聖魂機の整備師長にまで上り詰めた叩き上げの職人であるダタン。筋骨ばった堂々たる体躯、白く蓄えられた口髭をともなった無骨な風貌はともすれば威厳のようなもの感じさせないでもない。
「っはあ!」
体重を載せた回し蹴りが、防いだ筈のダネルの身体を鮮やかに舞い上げる。
『いっそのこと粒子装甲全部取っ払ってやろうか!いくら馬鹿のお前でもコックピット剥き出しなら自重せざるをえまい!』
「そんな無茶苦茶な!」
聖魂機を取り扱うにあたってはそれなりの地位が要求される為、聖戒士という高い階位が与えられているが徳高き戒士の称号も老いてますます血気盛んなこの人物には不似合いどころか殆ど詐欺に近いのではないかとダネルは思う。
「聖魂機がいかに巧緻な代物か、お前も技術士の出なら分かっとるだろうが」
「だって俺、所詮は見習いだったしっ…」
「もっとこう生娘を扱うように繊細にだなあ…!」
「ああ、そりゃ余計わからない!」
ひとしきり荒ぶった後、ダタンは豊かな白髭を撫ぜながら改まって本題を切り出す。
「…お前さん身体の具合はどうだ?診てもらったんだろ」
「?何も問題はないよ。検査でも特に異常はないってさ」
「ふむ。そうか…これだけ機体が魔にどっぷり浸かり続けてたら乗り手にも何かしら影響が出てもおかしくないんだがな」
「ディキオスの防護能力の高さは親方が散々いってた事だろ。何ともなかったんだし、いいじゃないか」
「そういう安易な考え方がいかんといっとるんだろーがあ!」
踵を返して、整備長の怒りが爆発する前にその場から退散する少年に、ダタンは自分の癇癪のせいでもう一つ気がかりな点について聞きそびれてしまった事に気がついた。
ダネルの報告にあったディキオスが発したという蒼の炎について。
「(こいつにはそんな機能はついてやしない筈なんだが…)」
結局、多少気にはなったものの彼はそれ以上深く考えるのを止めた。機兵は奇蹟を体現する機械、時に常識外の能力を発揮することもない訳ではない。整備師として長年DFを扱ってきた彼とて分からない事も多々ある。特に聖魂機というやつはそういうものなのだ。
「……俺からも一言いってやろうと思ったがその必要はないみたいだなぁ」
通路から格納庫でのやりとりをきいていたのだろう、鼻を押さえるダネルを気の毒そうな顔でウェルバが見ていた。 そこに飛び込んでくる妙齢の女性が一人。
「ごめんなさいね、ダネル導士」
後を追い掛けてきたコズビ・ノファは遠慮する少年の鼻血を布巾で拭う。性名からも分かるとおり彼女はダタンの娘であり、炉心専門の調整士として働いている。
要するに親子揃って同じ仕事に就いている訳だ。同業を志すほどだからやはり親子同士似通った所はあるのかも知れないが、少なくとも外見的特徴に関しては彼女は父のそれを受け継がなかったらしい。
短く編んだ黒髪と紅い唇が印象的な彼女には容姿端麗という言葉がぴたりと当てはまる。
「父さん、あれで導士の事気に入ってるんです。少々手荒なのも心配してるからなんですよ」
気遣う相手の脳漿撒きかねないような心配の仕方はやめて貰えないものかなとダネルは心中密かに呟く。
「まあ、ディキオスはなまじ無理が効く分、聖霊手にも相応の負荷をかけちまうのが玉に瑕だな。聖魂機で一番乗り代わりが多いってのがその証さ」
「前の搭乗者、オベド・エケルも無茶してたのか?」
「流石にお前よりはマシだったがな。あの機体に選ばれる奴は代々直情型が多いらしいや」
「ふうん」
ウェルバは押し黙るダネルの背中を勢いよく叩いた。
「ほら、そろそろ到着だ」
コズビに手を振ってブリッジに赴いたダネルはモニターに映る空に浮かぶ半球体を目にして絶句する。
「なんだ浮界ははじめみるのか?」
「いや、そんなことはないけど、こんなにデカいのは…」
それは桁外れの大きさだった。
GRDN最大級戦艦・ガルガリン級は元々拠点防衛施設であった浮界を戦艦にあつらえたのが始まりであるが(その後用途のなくなった浮界は数を減らし今では最盛期の十分の一程にも減っている)、ダネルの前に見えるものはガルガリン級よりも遥かに大きく宙に浮く、小大陸といっていい程の代物。
かつて最大の軍事要塞だったこの都市はガルガリン級完成以降、至法院の管轄下に置かれある程度の自治権を許された都市ユニットとして再生を遂げた。
巨大な杯からあふれ出るように零れる大河は地に着く前に飛沫と散って再び杯の内へと戻っていく。杯の底から幾条もの下界に垂れる糸が見える。恐らく補助用の支柱だろう。
地から離れたユニットは幾重にも張られた障壁もあって容易に魔の侵入を許さない。この世界最大規模の浮遊都市ユニットを多重の障壁が作る幾つもの虹彩や景観の華やかさ、歴史的価値等から人は俗に「小神都」とも呼ぶ。
いうなれば大浮界「レホボト」は地上と隔絶した、一つの独立した「世界」だった。
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空を舞う杯の上。
外周を囲むように点在する泉から吹き上がる水柱は真昼の星霜を生み出し、それらはやがて天景に流れる淡雲と虹の線形を幾つも描き出す。
地に目を移せばなだらかな傾斜に段を重ねて立ち並ぶ積層都市を支える尖塔群。所々には手付かずの緑地が一帯の眺望に心地良いアクセントを加えている。
そして、中央に位置する円環には古都の雰囲気をそのままに残した街並み。舗光砂が敷き詰められた滑らかな曲線道路と、滔々と流れる清河の間に栄える建造棟。都市を高みから見下ろせば、まるで幾条もの金糸が紡ぐきらびやかな織物。
白亜の鐘搭立つ都の中心、織地を二つに割る大通りを抜けて小高い丘にある鬱蒼と茂げる樹海を抜ければ目前にきらびやかな宮邸が露になる。
開け放しの窓から爽風が頬を撫で。
「街が賑わってる…っていうか騒がしいな」
「そりゃそうでしょうよ。なんたってこれからお祭りなんだからね」
来客用車両から、ダネルは過ぎ去る町並みをぼんやりと眺めていた。
現在ダネルら聖霊手の四人は太守バニ・サウル・ツェファンヤとの接見に臨む為、太守公邸に赴く途次にある。
過去、軍事拠点であった浮界は移動要塞たるガルガリン級の搭乗によって無用の長物と化し、中でも最大規模のレボホトは破棄にしろ維持するにしろ莫大な資源の浪費になるというなんとも厄介な代物に成り下がってしまった。そのような扱いに困る代物を時の大祭祀長ザブド・シャンマが多大な権力を行使して手中に収めたのが今ある都市機構としての浮界の始まりであったという。
「…で爺さん、体よく掠め取った箱庭の手入れにせっせと励んだという訳だこれが。それこそ軍事施設の面影が跡形も残らなくなる位にさ」
窓枠に片肘を突いて横に座るダネルに、得意げに講釈をぶつウェルバ。
「聞けば奴さん相当野心的な人物だったっていうぜ。最終的には遷都まで目論んでいたって話だからな」
「それじゃ、ここってもしかしたら「小神都」どころか本当の神都になってたかもしれないのか?」
「さあ、どうだろう。いくら至法院のトップたって一個人があれこれ画策したところで聖府はどうこうなるようなもんじゃねえよ。結局、過ぎた野心を抱いたシャンマ大祭祀長は失脚、以来ここはそのままなんとなく至法院の管轄になって、院の任命した太守がここを治めるって事になったのさ」
「色々と複雑なんだな」
「ああ。さっさと太教院に譲り渡しちまえば良かったのによ、おかげで後が面倒ったらない」
「?」
「太守は代々ツェファンヤ家が引き継いでてな。昔から三院に人材を輩出する由緒ある血筋で、今の太守も祝生司長の孫にあたるんだと。おかげで中央もそう簡単には手が出せない訳だ」
自治権を備えたこの地は真世界の中にある一つの国家ともいえる存在であり、建立の経緯もあってか外部からの干渉を過度に嫌う癖があった。
「…じゃあ、もしかして俺達、探り入れに此処に来たわけか?ゲフェンノームからの都市防衛ってのをダシに使って」
当然の事ながら、ダネルはゲフェンノームの襲撃経路から割り出した最有力候補地として自分たちがこの場所に派遣されたのだと聞かされていたし、納得もしていた。
彼らの目的はゲフェンノーム討伐であって、反乱分子の調査ではない。内偵などは内部諜報機関である神智院にまかせておけばいいことだ。
「――大体、そんな細かそうなことが俺に出来ると思うか!?」
「威張るところじゃねーだろそこは。誰もお前なんかに頼りにしてないっつの」
そういきり立つダネルを制すウェルバ。
「けど、奴が来るかもしれないのは本当だぜ。それに、バド・シェバの一件を聞いたろ?あれは明らかに魔獣だけの仕業じゃない」
「バド・シェバ」強襲の詳細は事件後すぐに彼ら討伐隊の元に舞い込んでおり、報告にあった所属不明の機兵の存在は目下、彼らを悩ませている事案だった。
「……協力者か」
「ああ。でもってここはどうも臭い。「SIN」かもしくは別の外部勢力となにかしら関係があるんじゃないかってのがまあ上の見方だな」
ウェルバは指令の出所をわざと濁した。魔獣覆滅に燃える少年に後ろ暗い派閥政治の内幕などをあえて教えてやる必要もあるまい。
「そこからゲフェンノーム(やつ)と繋がるかもしれない、と…分かった。努力するよ」
「……いや、無理しないでいいから、とにかくなるべく普通にしててくれ」
それでなくともダネル本人としては既に手一杯なのだろうし。
「そうそ、あんたは先ず自分の世話を満足にこなすこと考えなさいな。ほら、しっかりしないと恥かくのはこっちなんだよ?」
ミディはダネルの襟の折り目を軽く正してやる。身を寄せた折微かに漂う芳香。
一行が今、身に纏っているのはいつもの制服とは違う正装用の法服であるが、彼女はその上いつもは結って纏めた赤毛を肩まで下ろし銀の髪留めで前髪を左右に分けている。そのしなやかな赤の流線は襞の多いゆったりとした法衣とあいまって平素にはない柔らかな雰囲気を醸していた。
普段若干きつめな印象のある面立ちもこうしてみれば、戦地という男の世界で生きる為に彼女が身に着けた仮面に過ぎないことが分かる―――――。
「―――そうして少年は匂いたつ彼女の色香にふつふつと沸く思慕の念を禁じえなかった…」
「人の内面を勝手に捏造すんな」
からかう彼女はにんまりと笑い首を傾けて髪をかき上げてみせる。
「へへっ、太守直々のお招きだもの、結構気合いれてみましたよ。褒め言葉の一つや二つかけたって罰は当たらないんだけど?」
「うおー、ミディさんの艶姿ったらいったいどこの貴族の令嬢かと見紛うばかりだぜ」
「言葉に心がないのはともかくせめてこっちを向いていいなさいよ!このウェルバ(バカ)!ねえダネルはどう思う?素直にいってみ?」
「俺っ?」
感想を求められたダネルは返答に窮する。まじまじと見詰められれば薄い紅をひいた唇が嫌でも眼に入り―――。
「…うーーん。そうだなぁ………いつもより、」
「うん、いつもより?」
「背が高いな。踵が高いのか、その靴」
「そ!ハイヒールっていうの!バーーーカ!!あんたは機兵の操縦以外にもちっと脳みそ使ったほうがいいと思うよ!」
「はははは、なっちゃいないなダネル。こういう時は嘘でも世辞でも適当に褒めちぎっておだてときゃ女なんてなそれで結構満足するもんなんだぜ」
「お前はお前でも少し誠意ってもんをもてぇッ!……ったく、足して二で割れば丁度いいんじゃないのあんた達。ほら、フィーラも何とかいってやってよ、そんな端っこにいないでさ」
話を振られた少女は所在なげに座席の陰に隠れていた。種々の式典に際して身に着ける法服は着慣れたもので様になっているが、被った頭巾を目深に寄せているので顔はみえない。
「いえ、私は少し…」
「駄目よフィーラ勿体ない!この可愛らしさを隠すなんて世界に対する冒涜いえもはや罪、神徒として神民として甚だ許されざる行為だわ」
何やら興奮したミディは拒む少女を熱心に説き伏せる。
「(何をいっているのやら)」
なんでも今回艦を降りるにあたってクルーの女性陣ほぼ全員で寄ってたかってフィーラの髪を弄り回したという話だ。仮にも聖府上層に関わる貴人に対して怖れ多い話ではある。
「(それは嫌にもなるだろうなぁ…)」
ダネルは内心同情を禁じえなかった。
「ほら、いいからさっ」
半ば強引にたくし上げられた布地から現れたのは、常とは趣きの異なる少女の相貌。
丁寧に梳かれた髪は細かに編まれて髪に結わえられた明るい紐飾りが彩りを添える。首元で軽くカールした銀髪が白い肌に映え、はにかみに紅く染まる頬はいつにもまして眩しい。
ミディの魅性を咲きほこる繚華の優美とするなら、フィーラのそれは淡やかに開く蕾の初々しさ。神秘的な佇まいにかえてこもれでる明るさを発散するその顔立ちはダネルはおろかウェルバまでをも神妙にさせる程、同性のミディにしてからがうっとりと見入いる程。
「色々手を入れてみたんだけど、素材がいいと変にいじらない方が映えるんだよね」
頭に手をやりながら上目遣いでおずおずと尋ねるフィーラ。
「なんだかすーすーして落ち着きませんよ…。これ、おかしくありません?」
「いやいや、似合ってるよ嬢ちゃん。これはお世辞でもなんでもなし。なぁ、ダネル」
「…ああ。少なくとも俺はいいと思うけど」
「…貴方がそういうなら、」
ほうとため息一つ、静まるフィーラ。
代わりに沸騰するミディ。
「ねえねえ、違くない?私の時と態度全然違くない?」
彼女は怒気のこもった笑顔を浮かべつつ恐ろしい力で二人の背中を抓りあげる。
「いてえっ!…肉が、肉が裂けっ、」
「いやいやいや、俺は、俺は褒めてたじゃん?ちょっ、あっ、ぐぁ…!」
車中にて少年二人の叫喚がこだまするのだった――――。
まだ痛む肌をさすりつつ、ダネルは同僚に釘を刺す。
「――というかさ、あんまりはしゃげるような状況でもないんだぜ。俺達はさ、要するに人質ってことなんだぞ」
自治圏ゆえの領域不可侵を持ち出されれば浮界に戦艦を停泊させる訳にもいかず、目下タルシス艦隊は浮界近隣空域にて待機状態にあった。そして、太守に招かれたのは聖霊手の四人のみであり、聖魂機は選ばれた者でない限り起動は不能―――――つまり、聖魂機の乗り手全員を招き入れる事で浮界側は追撃部隊の現有戦力の大半を押さえたと考えて差し支えない。
「その辺は分かってますって。だから着艦許可の交渉も含めて会いに行くんでしょ?ならさ、警戒を解く為にも少しでも相手に好印象アピールしなきゃさー」
「一応いっとくが太守って女だぞ」
「えっ、そうなの!?」
「ウェルバ、教えていただけませんか。私、世事に疎いので存じ上げないのですけど、太守閣下ってどういう方なんでしょう」
「ああ、嬢ちゃんが知らないのも無理ないよ。バニ太守ってのはなかなかの難物でさ、生まれてからこっち一度も浮界の外に出た事がないんだと」
「まあ、他人とは思えませんね」
「嬢ちゃんも箱入りだったっけ。ともあれ、おかげで中央でも彼女の思想信条はおろか詳しい人物像すら掴めてないって有様でな」
「それじゃ、会ってみたら案外話の分かる人だったりするかも」
「残念ながらその可能性は低いな。外部との関わりを避けるような手合いは余程の厭世家か裏でこそこそ手え回してるような策謀家か、もしくはその両方かさ。そういう人物の招待だ、多少は用心してかかった方が身のためだわな」
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棟々に下がる垂れ幕。
整然と縦横に長く伸びた街路は集群で溢れかえり、鳴りやまない雅楽の喧騒と舞踏の闊歩に街は一際その光彩を際立たせる。
今期で十八を数えるこの大祭儀は元々、九年毎にゆらぐ霊場により活性化する魔象を鎮めるという名目の祭りである。神都で行われる格式ばったものとは異なり、レボホトの祭儀は活気に溢れた純粋なお祭り騒ぎの感がある。
なんでもこの大祭の期間、特に中央での祭礼が行われる四日間は浮界のほぼ全人口が中央都市に集まるというのだから圧巻だ。そんな中、棟を縫って巡回する自動球「レ・ジュ」達。縁に細かな装飾を施された目玉をしきりに右往左往させている動き回る球形機に物々しさはなく、不思議と街の雰囲気に溶け込んでいる。
「文字通りの監視の目ってとこか。確かに人間相手だったら、あれで事足りるだろうな」
「けど、あんなのじゃ機兵には敵わない」
中央広場の縁石に腰掛けるウェルバとダネル。
「こうしている間にも奴がくるかもしれないってのに…」
「…そうならない事を祈ろうや」 頬杖をしながら気だるげにウェルバは応えた。
祝福の白い炎柱に囲まれた小搭に据えられ、広場を見下ろす白像はなにあろう聖魂機「セイリオス」である。
「ああいう仕事は早いこって―――」
話は先日に遡る。贅を尽くし過剰なまでの装飾に彩られた屋内。見事なまでの懐古趣味、貴人の戯れと呼ぶにはあまりに夥しい資源の浪費。まるで、時が止まってしまった様な空間。恐らくここは大祭祀の古びた夢を保蔵するの豪奢な巣窟なのだ。
「―――セイリオスをお借り受けしたいのです」
太守の臣下を務めるヨラム・ナダフはそう、切り出した。
太守の間から遠ざけられた十数人の侍女を除けば傍らの老人はヤアジヤ・シムイ卿――執政を兼ねる第一の臣下である。反対には侍従役らしき青年、ヨラム・ナダフ卿。更に御付の臣下と思しき男が一人――パルオーシュと呼ばれるその男は他の二人から一歩離れた場所に立っている。
「…ご存知の通り今日から十八周記の中心祭礼が行われます、その折にかの神機を祀らば、我らが民もさぞ慶ぶ事でしょう」
「(…我等が民ときたか)」
心中ため息をつくウェルバ。
俗称とはいえ神都の名を冠する都市である。神都を飾るセイリオスはさぞや魅惑的な装飾品であろう。 それはまだいいとして。
「(問題は、だよ…)」
燭台に天然の灯りが点る。室内に滞留する蛍砂――――一樽で機兵一機と等価といわれる希少物質だ――は大気そのものを和やかな明るさで満たす。
天幕の奥に鎮座する絢爛たる装飾を施された太守の大椅子。そこに寝そべったまま客人を迎える太守、バニ・サウル・ツェファンヤはあでやかな衣装に身を沈ませたまだ幼い少女といっていい年頃の娘だった。
艶のある金髪。整った顔立ち、だのに険の深い表情がすべてを台なしにしてしまっている。
不思慮にダネルらを睥睨する彼女の瞳に宿るいいしれぬ倣岸さは、ただ幼いゆえの稚気とばかりもいえまい。
(「ちょっとウェルバ…あたし聞いてないよっ、あんなガキだなんて…!」)
(「俺だって、てっきりいい年頃だと思い込んでたんだよ!だって、祝生司長ったら、いつ召されてもおかしくねー耄碌爺だぞ?どれだけ恥かきっ子の恥かきっ子だ!?」)
(「あのー、そういう問題ではないのでは…」)
(「そうだよ不味いぜ。他人の理屈に合わせる気がない分そこらの大人より性質が悪いかも…」)
ひそひそと小声で応酬をする四人。
果たして彼等の案じるとおり、幼さゆえの不遜さに貴人としての尊大さを仕込まれて育ってきた少女はまさに頑迷固陋の権化。とりつくしまもなにもあったものではなく着艦要求はにべもなく拒否されてしまった。
「―――今は、大祭のとりおこないにて忙しい。物騒な物音で民を脅かされてはたまらん。祭りが終わってから、また出直して来るがよい」
「お言葉ですが太守。それまで敵が悠長に待ってくれるとでもお思いですか?奴は、魔獣は怖ろしいやつですよ」
思わず反駁するダネル。
「ここには充分な備えがある。そもそもそやつが現れるどうかとて定かではなかろ」
「何かあってからじゃ遅いでしょうが!」
「おい、失礼だぞダネル」
言葉では諌めるふりをしているが、ウェルバには本気でとめるつもりは無い。むしろこの場の成りゆきを見守っているといった風だ。
「はっきりいおうGRDNの使者よ。儂はこの美しい浮界を鉄と血の臭いのする輩に踏み荒らされるのは御免なのじゃ。聞けばお主ら機関は魔獣対策にかこつけて、このところ急速な軍備の増強や部隊の拡大を繰り返しているそうではないか」
どこで聞きつけたものか、機関の内部事情も相応に把握しているらしい。
「…それだけ敵は大きな脅威なのです」
「そのゲフェンノームはそもそもそなたらGRDNの新型聖魂機であったと聞いているぞ。己の汚点を拭う為に協力を強いるような輩なぞとても信用には値せぬわ、のうパルオーシュ?」
主の意地悪い笑いに臣下のパルオーシュは控えめな愛想を返す。
「むしろ主らが防衛にかこつけてこの浮界を接収するつもりであったとしても驚くには当たるまいいよ」
「閣下!?それは流石にいいすぎでは…」
「お前は黙っていろヨラム」
「(―――ま、半分くらいは当たりなんだけどな)」
主と従者の諍いを尻目にウェルバはそれと分からぬほどの苦笑を漏らす。
太守の猜疑に満ちた視線にも構わずダネルは訴えを続ける。
「お願いします閣下。今はこんな風に内輪同士で揉めている場合じゃないんです。どうか俺達を信じて下さい、俺はもう奴に灼かれる街をみたくはないんだッ」
「ほお?わしを恫喝するのか、貴様の如き下賤風情が?」
「…太守であるというなら、貴方には此の地の人々を守る義務があるはずでしょう」
「義務?義務とな…」
太守は愉快そうに笑いながら身を起こす。そして横手に控えた台上の盃を手に取り、やにわにダネルへと投げつけた。
「一つ教えてやろう。儂は義務という言葉が大嫌いなのじゃ」
ダネルは顔を滴る水を拭おうともせず、ただ太守の顔をじっと凝視している。
「…なんじゃ、その目は」
「閣下、もうおやめ下さい!」
「ヨラム!お前ごときが口を挟むでない!」
一回りも年下の娘に怒鳴られヨラム卿は情けなく身を縮こまらせる。
「――――お待ち下さい閣下。仮にも聖魂機の使い手たる聖霊手の仰られることです、彼等のいうことも一理あるものかと存じます。ここはどうかひとつなにとぞご深慮くださいますよう…」
一触即発の空気を断ち割るのは好々爺然としたヤアジア卿のやんわりと宥めるような言葉。
「……フン、まあよい。ともかくセイリオスは借り受ける。また、着艦許可に関しては祭儀が終わった後に検討してやる。以上でよいな?」
(「……いいのか?フィーラ」)
(「仕方がありませんよ」)
不意に、それまでやり取りを面白そうに眺めていた男が急な思いつきを装って主に提案した。
「どうでしょう閣下、結論を出すまでの間、彼の方々にはこちらに逗留していただくというのは。ゆっくり祭礼をご遊行いただくうちに、我等の間にあるわだかまりも消えてなくなりましょう」
「おおそうじゃなパルオーシュ。それはよい思いつきじゃ。華やかさでは真世界一と謳われておる浮界の大祭、そなたらにとってもいい土産話になるであろうよ」
交わされる芝居めいた寸劇。
「(何もかも予定通りってとこか)」
内心でウェルバはまたも毒づく。これもまた選択の余地はないようだ。
会見の後。ダネル達一行を部屋に案内する役をいいつかったヨラムは平身低頭、しきりに主の不躾な言行を詫びた。
「――申し訳御座いません。閣下は少々神経質なところがございまして、今は祭期以外の事にまで気が回らないのだと思います」
「それならば祭礼さえ終われば了承を得られるという考えてよろしいでしょうか?」
重ねて問うウェルバにヨラム卿は恐縮した顔で返答する。
「は、私ごときには到底確約は致しかねますが恐らくは。それまでどうか、ご辛抱下さるよう…」
果たしてどこまで信用してよいものやら。
「――――とんだ長居になりそうだぜ……。あのガキ、自分中心に世の中回ってると思ってやがる」
「事実といえば事実だろ。少なくともこの中にいる限りはさ」
しかし、小世界での道理全てが外界に通用するものでもない。とりわけ圧倒的な暴力に際しては。
「…本当にゲフェンノームが怖くないんだろうか?」
「さあてな。もしかしたら、此処が襲われないっていう「確信」があるのかもな」
「だとすると罠かな、これ」
「かもしれない」
「なら!」
ダネルを手で制してウェルバは続ける。
「確たる証拠がなきゃあくまでも可能性の話に過ぎない、先走るなよ。第一もしも疑い通りだったとしたら、尚更慎重に立ち回らなきゃまずいだろ?どっちにしても焦りは禁物だぜ」
「…そういうもんか?」
「そうそ、動く時は動く。待つ時は待つ。人間、辛抱が肝心よ?」
いつのまにか群集の輪から出てきたミディが横でうんうんと頷く。
腰からのラインをくっきりと出す踝まで届く藍色の長衣。合わせた絹の上衣は豊かな曲線を描いて上体を包み、柔らかく波うたせた赤毛から覗く細かな意匠を施した銀輪が光る。
「どこらへんに辛抱の跡があるのか教えてくれ」
「いーじゃん別に。ずっと戦闘続きだったしこういう機会に一息入れたって悪くないでしょ。ど、似合う?」
「やっぱ裾踏んで転びそう」
ミディは無言で彼の頭をすぱんと引っぱたいた。
人垣の向こうでフィーラの声がする。小柄な彼女の姿は列なす人影に隠れてみえない。
「ったくもー、ほら、迷子にならないようについていってやんなさい」
ダネルを送り出した彼女はウェルバに口を寄せる。
「…なあんか、あれ余裕ないね」
「そうか?あいつぁ、元からあんなだろ」
「うん。普通は普通なんだけどねえ……それがちょっと気になるっていうか」
棄民の一件の後、ダネルはすぐに復調した。
今では表面上、前と同じかそれ以上に快活に振舞うものの、時折垣間見える昏さをミディは敏感に感じとっていた。むしろ彼の奥底に沈滞する感情は以前に増して濃く深い。
「なにかと一人で抱えこむ質だからねー、あいつ」
「お前ってそんなに気ぃ遣うやつだったっけ?」
「なあに、妬けちゃう?」
「俺が?はっはっは!」
笑うウェルバの足をミディは踏みつけた。
「さてと、いくつかよさ気な細工物屋みつけたんだよね。ちょっと見て回ってこようかな」
「ああ。俺は寝てるよ」
上の愚痴と女の買い物には極力つきあわないのがウェルバの信条である。
「あっそ。じゃーあとでね」
ミディがいってしまうと、ウェルバは流動する群集を横目にしばし思案にふける。
「(一応、「保険」はかけてあるが、さて)」
ふと、上空をくるくるとせわしなく動く自動球と目が合わさった。
「……こっち見んな、しっしっ」
淡橙の衣を目印に、忙しなくひょこひょことあちこちを物色して回る少女を追うダネル。
ごく簡素な色調の装いはかえって彼女を眩さを際立たせていて、たとえ群衆の中にあっても見失う心配は無いようだった。
「張り切りすぎだって。おい、フィーラ」
「私こういうの初めてですっ」
うっすらと頬を上気させた少女は呼気も荒いその口調からも興奮がありありとみてとれた。
「式典ご用達のセイリオスに乗ってれば機会なんていくらでもあったんじゃないのか?」
「いいえ、いつだって見下ろすだけでしたから!ああっ!」
興味を引くものの方へ手当たり次第に駆け寄るフィーラの表情は喜色に満ち満ちている。
「おぃ、いつかみたいにまた後でへばっても知らないぞッ?」
古風な噴水を幾重にも囲む斉歌の輪に入るフィーラ。
弦と笛とが奏でる即興の奇想曲に快哉の群舞はいっそう色めきたつ。
詩吟に波打つ華やかな喧騒の中、唄句口ずさむ少女の透き透った音律は歓びに跳ねるよう。
「(―――今だけは、まあいいか…)」
少女の姿を見守りながらダネルはそう、小さく笑う。
同日同刻――― 街に遠間から射す影が一条。高みより祭典を苦々しげに眺める鳶色の瞳があった。
「播祭の時期か…」
少年の古層にある記憶を揺り起こす、祭礼に沸く街―――――――セイリオスの佇像。
色褪せた長衣に身を包む彼の周囲は暗く不吉に澱んでいる。
少年―――――「D」と呼ばれる彼の瞳は刹那、鳶色から燃えるような緋色に染まる。
祭りに浮かれ恩寵の響きに包まれるこの街にもじきに災厄の火が降り注ぐであろう。
彼が在る場所、其処は常に深淵の昏闇なのだから。




