セメントガーデン
■
ダネルはまたしても機影を見失った。
視神経を介して捉えられる幽視界は六面―――六つの目から逃れた敵影。間をおかずモニタも死界に機体を振り向けるダネル。
「―――上かっ!」
咄嗟に推進管を反転・逆噴射させ、五月雨れる鋼弾から機体を逃すものの全ては躱しきれなかった。
コックピットを襲う振動。
「(やっちまったか――!?)」
視覚情報を介して即座に機体の損傷状況が伝わる――――装甲・関節部の軽微破損。それと片側の制動小翼がやられた。これで上空には逃れられない。
戦闘続行。
激しい剣戟を舞い散らせるオムネイの改良機、白と赤の「改式歩兵」が二機。その内、白く塗られた改式に乗っているのがダネルである。
「(いちいち反応が鈍いッ…!)」
ダネルは聖魂機以外の機兵に乗った経験が殆どない。それゆえ聖魂機と一般的な聖導機との差異に必要以上に梃子摺っていた。機兵の駆動を司る骨格、重層躯形は魂核から操縦基を介して送られる霊子流によって反応する。その際、霊子の流れは操縦基と繋がる乗り手に、知覚反応としてフィードバックされる仕組みだ。つまりは機兵にとって躯形は運動性、追従性、感知能力を兼ね備えた骨であり肉であり神経といっていい。
また、躯形は霊流のパルスを伝える為、強度、剛性を失わないように慎重に加工された重層構造になっている。基本的に躯形の層の数は多ければ多い程流れる霊質の量が増えていく(その分加工も覿面に難しくなるが)。
要は、躯形に施された重層処理の多寡が機兵の明確な性能差として表れるということである。
例えば、量産型機兵の層数は凡そ千から二千五百。対して聖魂機の躯形層数は約一万超――これは人間が持つ神経系端末ほぼ全てでやりとりする知覚情報総量を生み出すに足る数である――要するに、聖魂機級の搭乗者は機兵をあたかも生身と同じように五感を駆使して動かせるという事だ(聖魂機が霊流の微細な変動によって統御する飛鐘分翅などの特殊兵器や、制御の難しい超高威力武装を扱えるのは、知覚によって霊子を直観的に把握できる程に卓越した躯形の知覚性能に負う所が大きい)。
そんな文字通り桁違いともいえる聖魂機との一体感に慣れてしまったダネルには、新改良型、躯形層数三千超の改式歩兵であっても動きに不満を覚えるのも無理からぬ話。
「(こうも動きがもっさりしてちゃ、やりづらいったら…!)」
マシンと操縦者の僅かな齟齬――神経の間に薄皮一枚の衝立あるような歯がゆさがつきまとう。
錘のついた手足を振り回す感覚に舌打ちをするダネル。元来ムラっ気のある性質でもある、実戦ならともかく今のような模擬戦では今一歩身が入らないというのも事実。
「見よ。此方の方が圧倒的に押しておるわ」
特大の映写球を覗き込み太守は愉悦に浸る。
小さな村ならそのまま入ってしまう程の演習場を見下ろす屋外に掛かる天幕の下、典雅に設えた即席の観覧席にて少女はいかにも女王然とした態度で二機の戦いを眺めていた。
「くく、これが音に聞く聖霊手の腕前とは。噂というのはあてにならぬものよの」
幼い太守の遠慮仮借ない一言に、同席するウェルバは返す言葉もなくただ苦笑いを浮かべるほかない。つまるところこの戦闘は浮界側とGRDN側の代表との親善試合、模擬戦だった。
幾つもの隆起した岩盤を挟んで交わされる銃撃のやりとり。
機体性能は互角のはず。だが機体特性を熟知した手ごわい立ち回りにダネルは圧倒されていた。
赤い改式の、複雑に入り組んだ岩場にあって少しのぶれもなく上昇・旋回をこなす様は完璧な戦形把握の証左。中距離戦では単純な反射反応に頼ったやり方ではなく経験からくる予測に基づいた操縦がものをいう。事実として両者の射撃精度の差は歴然としており、ダネル機の銃撃は空を切るか岩を穿つばかり、 一方で敵の銃弾は的確にダネル機を捉えてくる。
防盾頼りに半ば強引に距離を縮める白の改式を突然の発光が襲った。
携帯榴弾を目くらましに使った敵機、岩間を縫ってこもれ出る閃光に視界半分を奪われたダネル機。
牽制にばら撒かれるバルカンを矩形の防盾で軽くいなし、お返しとばかりに蹴撃を見舞う赤い改式。
「…がッ!」
―――離れれば継ぎ目のない巧みな射撃に足を止められ。かといって強引に接近を試みれば見失う。
「(くっ……完全に遊ばれているな、俺…!)」
赤の機兵の見事な動きはウェルバをして感嘆せしむる程。
「―――――まるで機兵戦闘の教科書みてえな動きじゃねえか。奴さん相当な腕だわ…!」
ウェルバすら認めざるをえない卓越した操縦技術は恐らくは余程の研鑽の賜物であろう。
頃合良しと見るや機銃を捨てて一気に間合いを詰める赤のエルゴ。
抜き放たれた加熱帯剣は突き出された防盾を真一文字に切断して、尚も白の改式を追う。
「(――――やられるっ…!?)」
落とされる刃に殺意の閃きを感じとるダネル―――――――刹那、戦場で培った殆ど動物的ともいえる勘がしらず彼を動かした。
振り下ろされる剣と機体の僅かな間隙に半分だけになった盾が滑り込む。
火花を散らす盾を払い捨て、ダネル機は敵機に組みつきそのまま推進管を全開した。
強引に力でおさえこまれてはいかな技術も発揮しようもなし。 爆発的な加速圧をもって相手を組み伏せる白機。
が、組み合う二機が猛進する先にはそそりたつ岩柱――このままでは数瞬とおかず両機体は諸共に岩盤の餌食になる。
衝突の寸前、咄嗟にダネルは推進管を水平から下方へと捻り込む。方向を変えた加速力は加重となって、地に押しつけられた改式の赤い装甲を軋ませる。
方膝をつきながらもバルカンでくびきを断って横方へ逃れ出る赤い機体、だがその隙を逃す聖霊手ではない。
姿勢を立て直した赤の改式歩兵の眼前には既にダネル機の剣がつきつけられていた。
演習上から丘を一つ上がった観覧の席では貴人の会合が繰り広げられている。
「―――いや、参りました。流石にお強い」
機兵からおりた熟達の操り手は、ダネルと顔を合わせた途端に相好を崩す。
パルオーシュ・ソデレは真世界内外で近年急増する魔災に備え、つい最近新たに立ち上げられたばかりのレボホト自警組織の長であり、今回の懇談にもその関係で加わっていた。彼は機兵操縦の技量だけでなく政治面でも相当なやり手らしく、その腕はGRDNでも配備数が少ない改式をどこからか調達してきた事実からも窺い知れよう。
「名にし負う聖霊手の素晴らしいお手並み、この身をもってしかと体感させて頂きましたぞ」
端正な顔に浮かぶ柔和な笑みを前に、先刻感じとった殺気は気のせいだったのだろうとダネルは結論づけた。
「いえ…最後のだって偶々上手くやれたってだけですし」
「――そうそう、まったくだ。いい勝負どころか、あのまま銃で押されてたら完全に負けてたぞ」
喜色にざわめく人の間を縫って来たウェルバが苦言を呈する。
「悪かったよ」
浮界側にとってこの模擬戦は己が力をみせつける示威行動の一つ。一方でダネルらとしてはこの場を借りて聖霊手の実力を披露し、以って武力配備の要を説く機会とする心算だった。それが、この有様では、ダネルとしては返す言葉もなかった。
「――何故諦めたのだパルオーシュ。おぬし程の技量ならあそこからいくらでも切りかえしようがあるであろ」
むっつりと一際高い台座に座り込む太守は勝敗への不満を隠そうともしない。臣下を迎え入れる言葉には労いのひとつもなく、ただ苛立ち紛れの叱責があるのみ。
「お言葉ながらあの時点でとうに勝負は決しておりました。彼がその気ならそのまま剣を止めずにこちらの頭に叩き込めたはずでしょう」
「ふん。調子に乗って戯れておるからじゃ。我が機兵部隊を預かるお主がこれでは浮界も安泰という訳にはいかぬな」
男はよほどの胆力の持ち主なのか太守の放った言葉の棘をさらりと受け流した。
「これは手厳しい…ですが閣下、私は終始全力でダネル殿のお相手を致しておりましたよ。むしろ手心を加えられていたのは私の方かと」
ミディがそっとダネルの脇を突ついた。
「あんた、手を抜いてやってたの?」
「そういう訳じゃないけどさ。だってさ、借り物の機体めちゃくちゃにしちゃまずいし…新型だろあれ?」
「他所様の機体守って、代わりにテメエの面子を潰しちゃ世話ねえだろ、アホタレ」
どうやら常日頃から整備長にどやされている成果が思わぬ所で出たようだ。
「流石は聖魂機の駆り手、私如きが敵わぬのは当然ですな……閣下、私めの力が至らぬのは情けない限りではございますが ここはアラクシ導士を称賛すべきところかと」
皮肉にもまるで応えない臣下に興味を失ったのか太守は鷹揚に応じる。
「は、よいであろ…。聖別者どのに惜しみない賛辞を」
太守の言に合わせて、政治的駆け引きなどとは無縁の貴人の無邪気な喝采がわき起こる。
「あーあ、このうえ花までもたせられて、立つ瀬ねえなーホントにもう。やっぱり俺が出るべきだったなあ」
「何だよ、元はといえばウェルバが面倒くさがって俺に押し付けたんじゃないか」
「そーよウェルバ、あんまり責めるのはよくないよ。機兵乗りとしての腕前くらいしかとりえがないのに、たった今そこらのおっさんに敗けてそれさえ否定された可哀想なダネルの気持ちを少しは考えたげて」
「わりとお前の方が容赦ないよミディ」
「お疲れ様でしたアラクシ導士。ささ、あちらに席を用意してありますので、演舞でもごゆるりとご覧下され」
ヤアジア卿がにこやかに席を勧める。
GRDNと浮界、互いのプライドを賭けた一番も小世界を取り仕切るこの老人にあっては祭りを飾る行事の一つ、会宴を彩るただの見世物に過ぎぬらしい。
高空に外装に華美な装飾を施したオムネイの編隊が白煙を舞い上げ鮮やかな直光を結んで天にレボホトの紋を飾る。こうして会宴の時間は滔々と流れ過ぎゆく。
「はあ……」
慣れぬ機体の操作に消耗したのだろう、歓談の輪を離れた少年は深く息をついて節くれだった木の根元に座り込む。
「あぅふ…ダネルぅ、大丈夫ですかぁ…」
フィーラが気の抜けた声をかけた。
「…そりゃこっちが聞きたいよ。いわんこっちゃない」
饗宴の場から一寸離れた、専用の日除けの中に少女は寝転がっていた。お祭り騒ぎのつけが出たらしく、彼女は先日のはしゃぎようと打って変わった調子で白い顔立ちを更に白くして力なく座椅子に横たわっていた。朝からもうずっとこの状態である。
「すみませぇん…もう何とかぁ…」
「まだ休んでろよ。今日はついて来なくても良かったのに」
「いえ、そういう訳には参りません。いやしくもGRDNを代表してこの地に赴いた身です、己の都合で勝手に休むなど……あー…」
急に身を起したせいで立眩んだのだろう、ダネルは少女の小さな背中をそっと支えて、ゆっくりと座椅子に戻してやった。
「無理はするなって。俺もこういう場所は苦手だし、暫くはゆっくりさせてもらおうぜ」
「では、お言葉に甘えてしまいましょう」
彼女は観念したように目を瞑る。
束の間の爽風と、空を舞う機兵の振動音に揺られる午後の一幕。
「法士様、お加減はいかがでしょうか?」
様子を見に来たらしいヨラム卿。
喧騒を避けるように据えられたこの席も恐らくは彼が気を配ったのだろう。
「ええ、もう大分。卿はお忙しいようですし、どうぞそちらに専念なさってくださいませ」
「あいや、しかし…」
「フィーラは俺がみていますから。遠慮なんかしないでください」
「お心づかい痛み入ります。…皆様がいらしてから、バニ様も喜ばれているようでして、いつもより和やかな様子で職務を果たしております。どうかこの場を借りてお礼を申させて下さい」
「お礼といっても特に何かをした覚えなんてありませんが?むしろ怒らせた記憶しかないような……」
戸惑う少年にヨラム卿はただ微笑み、
「私には何も出来ませんが交渉が上手くゆくよう祈っています。では後ほど」
再び饗宴の場に戻るヨラム卿の後姿。
「苦労してるなあの人も。主人が主人だけに」
「ええ、けれどあの方がバニ太守について語る言の葉は優しい響きをもっていました」
「そうかな、単純に人が良いだけだと俺は思うけど。 ……にしてもあれで上機嫌って。普段はいったいどれだけ酷い有様なんだ?」
―――――――真黒き陰府ともつかぬ息室に禍つ身を横たえたソレは仮初めの眠りを貪る。
鉄の脳髄より零れる果てなき悪夢はふつふつと現に涌き出でて澱と溜まっていく。
澱は地に垂れた糸を伝い伸びる邪なる蔦となって生長を続け天の揺籃に黒い毒蜜を滴り落とし邪濁な滴は点々と虚ろな杯を満たしせり上がる悪意は密やかにひたすらに閉じた聖域を浸して汚す。
華飾に踊る大天楼を終へと誘う破滅の壊調は低く低く染み渡り……栄えを誇る煌都が謳う礼賛に通低する調べは次第にその軋音を拡げつつある―――――――――。
■
「―――ようこそ。ツェファンヤの宝珠庭園へ」
四人が招かれたのは太守邸の一角にある庭園だったが、そこは庭と呼ぶには壮観に過ぎる広景だった。
全天を囲うよう細緻に組み合わされた飾柵に巻きつく蔓の束は流麗にうねり生え庭と外とをわだつ境界を巡らせる。
天頂部にある天窓から入る反射散光が庭内を隈なく照らし、敷き詰められた緑面を燦然と咲き誇る千々の花蕾が埋め尽くす様は、なるほど珠玉の園に喩えられよう。
白磁の器を満たす琥珀の表面には舞い落ちた一片の花弁。 飲みさしのティーカップを置いて、ウェルバはもう一度念を押す。
「では、我々の申し出を許諾していただいたと受けとってよろしいのですね?」
「そういっておるであろ。細部の詰めは中央祭の後で、それで良いなヤアジヤ?」
自領の趨勢を決めかねない決定事だというに太守は素っ気無く応える。
「はい、閣下さえよろしければすぐにそのように取り計らいます」
今日になって事態は意外な進展をみせた。
明後日には着艦許可を含むGRDNの浮界への介入措置の具体的な取り決めを行えるという事だ。執政役の老人の様子からすると決定は太守の独断らしくもあり彼女の気まぐれである可能性も否めなくはないが、とりあえずは一安心といったところか。
「すみません、もっと早くには無理なのでしょうか?」
太守は眉をあげ言を発したダネルをねめつける。
「なんじゃそなたは儂の決定が不満なのか?」
「備えるのであれば一日だって早い方がより効果的な対応策をとれるでしょう。相手は大都市を五つ沈めた怪物です、いくら準備を整えても不足ということはありません」
すました表情を保つ太守だったが、白磁のカップを運ぶ口元は意地悪い笑みで僅かに歪んでいる。
「さて、どうしたものかの。気に召さぬのなら取りやめても構わんのだが」
「いえいえ!不服などは御座いませんとも太守様。彼の者は外地の出ゆえ、この様な席での作法には不慣れでして、なダネル?」
即座に取り繕うウェルバに、ダネルは不承不承頷く。こんな些事で太守の機嫌を損ねて決定を覆されてされてはたまったものではない。彼にもその程度の事は分かっているのだが。
(「けど…育ちは関係ないだろウェルバ…」)
(「うっせー、少しは場の空気を読んで動けバカタレ」)
彼はテーブル下でダネルの脇を小突く。
(「ダネルは何もおかしな事はいってないと思いますよー」)
(「嬢ちゃんもな、物事は正しけりゃいいってもんでもないの」)
一方、その間珍しい動物でも見るかのような目で不遠慮にダネルを見回す太守は、
「ふむ、焦れておるか。……成る程、いわれてみればみるからに蛮人めいた無粋極まる面構え。なれば、導士殿はここの空気を吸って典雅の趣風を僅かなりとも身につけるとよいであろ」
(「……!!」)
(「こらえてこらえて…」)
テーブルクロスを握り締めるダネル、背後で宥めるミディとフィーラ。
「こんなところか…茶の時間は終わりじゃ、さてと、少し庭を案内しよう」
席を離れる太守の後ろでは誰に命じられるでもなくヨラム卿がいそいそと後片付けを始めていた。
庭園中央を貫く柱に螺旋を描いて咲き乱れる薔薇の大輪が訪れた者の胸を甘い芳香で満たす。
つたう茨の棘は主に似て目に刺す程に鋭く、それでいて花弁を染め上げる真紅は目を逸らせぬほどの蟲惑。
御神の封土に浮かぶレボホトという小世界のさらにその中にある入れ子細工の如きもう一つの世界。それが太守の庭壇だった。
「…どうであろうな、ここは。華やぎにかけてはかのエリド宮にも劣るまい…」
機関構成員にすら明かされていない秘密の花園の名を太守は口にする。中央から足が遠のく程、かえって耳聡くなるというのはどうやら真実であるらしかった。
「勿論です、太守閣下。草花に貴賤はありませんもの」
とり様によっては皮肉に聞こえる言葉もこの少女から漏れれば花を愛でるものへの素直な共感に満ちた無邪気な歓びと響く。
フィーラとバニ。
絢爛の園に花開く白百合の至純と紅薔薇の香貴――対照なす二人の令姫に天窓から下りた鮮やかな光輪がかかる。
木陰が作り出す明と暗が絶えず動く光源によって緩やかに色合いを変えていく。
蘭の敷布に挟まれた川沿いの小道にふと道端に腰を落とすミディ。
彼女は路傍に咲く胡蝶蘭を折らぬようそっと手繰り寄せる。
空間把握に長けた彼女の両眼は一見すると無造作に生える野花でさえも庭景を乱すことなく植えられた地を彩る細飾の一つであると程なく看過するに至った。
精妙な構成の元に生み出される調和空間。これを維持するのにいったいどれ程の手間隙が費やされるのだろうか。
「(本当、贅沢なことで…。羨む気も起きないくらいだわ)」
そんな彼女に目を留めてダネルは歩み寄る。
「ミディ、ウェルバは?」
「後ろ。さっきからずっと爺さんとくっちゃべってる」
ウェルバとヤアジア卿は庭を散策がてら早くもGRDN艦上陸についての具体的な段取りを交わしていた。
「―――こうも滞りなく諸事を進めて頂ければ、使者としての我々の面子も立ちましょう。この地の事情を鑑みれば、御太守の果断には感謝の言葉も御座いません。近年はずっと余所からの介入はなかったのでしょう?」
「いやいや、お気遣いは無用。GRDNの特に聖別者の皆様方となれば話は別ですとも。聖魂機の守護に預かれるなどこの浮界にとってまっこと光栄の至りで御座いましょう…」
段取り交渉の合間、それとなく探りを入れているといった具合のウェルバ。こうした点においてGRDNの幹部である彼は流石に如才がない。
「――俺達も一緒の方が良くないか?」
「アンタがいったら色々と台無しよ。そこらで大人しく野苺でも摘んでなさいな」
「偉そうによくいうよ。爪弾きは自分だって同じだろうに」
「……」
ダネルは小川の水を引っ掛けられた。
「ぶわっ冷てっ!何すんだよ」
「何となく」
「子供か!そっちがその気なら、こっちだって…!」
お返しとばかりに彼が掬い上げた水はミディの脇をそれて見当違いの方向に飛んでいく。そうして飛んでいく水飛沫は、
「あ、」
「まずっ…」
傍らで、騒ぎ立てる二人をにこやかに見守っていたヨラム卿の顔をぴしゃりと叩いた。
「すっ、すみません!ついうっかり…」
平謝りに謝るダネルに対して柔和な面持ちを崩さぬまま青年は逆に頭を下げる。
「こちらこそ失礼いたしました。ろくに注意も払わずに立っていた私が悪いのですから、どうかお気になさらぬよう」
そういわれて気にしないわけがない。悪戯をみつけられた子供のように罰が悪いことこの上ないダネルとミディだった。太守や他の臣下とは違うヨラム卿の柔らかな物腰と誠実な人柄もあってか、二人はすぐに打ち解けられた。
「…どうかお気を悪くなされませんようにお聞き下さい。実を申しますと、初め執行機関の方々がいらっしゃると伺った時にはあれこれと気を揉んだものでした… しかし、今このように皆様のお人柄に触れてみれば全て私の杞憂であったと思えます」
「「こいつは例外ですけど」」
さも不本意げに互いを指さしていう二人。確かに人が抱く執行者のイメージから程遠い彼等ではある。
「であればこそ、バニ様も喜ばれたのでしょう」
「?」
「ダネル導士のようにああも率直なものいいをなさる方は太守の回りには久しくおりませんでしたので」
「それ、素直に喜んでいいんでしょうか?」
単に場を弁えない無礼者と言われている気がしないでもないが。
「良かったねダネル、単純馬鹿で。褒めてもらえたよ?」
「申し訳御座いません、そう悪くとられませんよう…」
笑い声が暫し、ざわめきとせせらぎの音を三人から遠ざける。ふと、少年は何気なく目の端に覗く光景に注意を向けた。
木立に遠ざけられた向こう、深い調琢に飾られた壁柱の奥に立っている二人を確認する。
今、太守とフィーラは一行の輪から離れて二人きりで庭を回っていた。
「…外の旅は、楽しかったか?」
「それはもう!とても言葉では言い尽せぬほどです」
気難しい太守といつのまにか親しげに会話しているフィーラ――――この少女には不思議と人心を解きほぐす魅力がある。それを人徳とも呼んでもいいが、彼女の場合相手が彼女の類稀な容姿と、それに反する天真爛漫な中身との相違に毒気を抜かれるといった方があたっているかもしれない。また近い年頃同士の親近感もあろうし、何より似通った境遇の両者ではある。
神都から出ることのなかったフィーラと、レボフォトから出た事のないバニ。
光射す花園に対峙する二人の少女の様は一幅の画布に似る。
――惜しげなく金地を織り込めた瀟洒な紅紫の更紗に身を包む太守。
――花嵐舞いうつ庭にあって、主はひときわ眩しく芽吹いた色鮮やかな大輪。
向かい合うのはもう一つの華、白く慎ましやかな法服を纏ったフィーラの佇まいは太守に比べていかにも儚なく、百花繚乱す壮景の中今にも消え入りそうにみえる。
だのに何故か、少年の目に霞むのは太守の方だ。纏う燦色に一条の翳りが射して褪せた光輝。そう、ダネルの目には映った。
同じ頃。
ミディは、前方の茂みの奥に蠢く何ものかの正体を突き止めようと忍び寄る。
図抜けた観察眼を備えた彼女でなければ、叢に潜む密やかな気配など気づきもしなかったろう。
周囲の異和感を敏感に察知する彼女の能力はともすれば神経を著しく疲弊させてしまいかねないが、そうならないのはどんな物事も積極的に受けとめる逞しい精神ゆえ(それを一部では「図太い」と揶揄するむきもないではないが)。
そんな訳で彼女の行動は持ち前の前向きな精神の現れ、はやく言えば純然たる好奇心による。結果、彼女はこの軽挙を心底後悔する羽目になるのだが…。
「――――貴公は刻をみる娘なのだと聞いた……」
彼女はふと、呟くようにいった。
「ほんの座興じゃ、ひとつこのレボホトの未来を占うてはもらえぬかな?」
努めて冗談めかした調子で太守はいう。
一陣の清風が二人の頬を撫でてゆく。
ややあって、フィーラの透き通った声が答える。
「申し訳ございません太守様。私の眼は自在に未来を眺望出来るようなものではないのです。ですが…その時は決して定やかならず、けれどもいずれは訪れるもの。そのようなものを怖れてみても詮ないことでありませんか」
「…怖れる?この儂が…」
その時初めて、常に不遜な態度を崩す事のなかった太守が僅かにたじろいだ様にみえた。尚も言の葉を継ぐ凛としたフィーラの声はますます透き、しかし力強く響く。
「バニ様、人の心を囲う檻など御座いません。たとえどのような明日が待とうとも、自らの意志で今を歩む限りその先に迎える刻はきっと素晴らしいものだと。私はそう、信じます――」
そういって、少女はうららかな陽光に映える微笑みを太守に向けた。つかの間、華美の鎧に生じた瑕疵は無防備な太守の姿を曝し、高慢な仮面の下に覗く素描が喘ぐように揺らいだ。
が。太守の強張った指が足下の花を掴み無碍に毟る。先程までの動揺は影を潜め、再び倣岸さを湛えた面相がみるみる怒気に染まっていく。
「……このわしを諭そうというのか…?GRDNの人形の分際で!お前などに儂の何が分かる!」
彼女は引き抜いた草花を力任せにフィーラに投げつけた。
思わず飛び出すダネル。だがヨラムの方が早かった。彼は即座に太守を押し留める。
「お止めなさい、閣下!…どうかお気を鎮め下さい」
「黙っておれ!お前はいつもいつもいらぬ所ででしゃばりおる!」
どうやら彼女の癇癪は忠実な臣下に向いたようだ。
「フィーラっ」
「大丈夫ですから、ダネル落ち着いて…」
口に入った砂土をぺっぺと吐き出しながら少女は応える。ダネルは太守に向き直り、
「いい加減にしないか!太守だろうとなんだろうと、やっていいことと悪いことがあるんだぞッ」
「その者はわしを嘲笑ったのだぞ!」
「彼女がそんな事をする訳がないだろ!」
「申し訳御座いません導士様、ここは…どうか」
尚も太守を宥めるヨラム卿が目で必死に訴えていた。
「いいんですダネル、私のいいようが悪かったのですから…」
フィーラにまで止められてはダネルも引き下がらざるを得ない。
丁度その時だった。草木を劈く絶叫が庭内に響き渡る――。
■
夜半過ぎて、バルコニーから仰ぐ央都は祭礼の間常に灯される。天を衝く四本の炎柱に照らされ煌々と明るく、昼間の賑々しさを残す。
「だ・か・ら!本当にみたんだってえ!」
「分かったから。声大きいよ、ミディ」
「ううー…」
さも不満げに下唇を噛むミディを窘めるダネル。
―――曰く。あの時、草を掻き分けたミディの視界に飛び込んできたのは長大な身を引きずる大蛇の、赤子なら丸呑みに出来そうな程の胴回りだった。頭であるべき所には大きな目玉が 一つついているだけ。振り返った目玉は彼女の姿を捉え…にやりと笑うように目を細めた。
彼女の記憶はそこまでで、駆けつけたダネルらが目の当たりにしたのはただだらしなく尻餅をついたくミディの姿だけだった。その後、ミディのいうままに辺りを探索したが何ら怪しい気配はみつからず、ウェルバなどは初めからまともにとり合いすらしなかった。
「―――いいから少し休め。な。きっと疲れが溜まってるんだろう――だってあの野郎!他人を可哀想な人みる目で見やがってーっ!絶対いたの!目玉がさ、こうぐわっと…」
「だから大きいって声!」
むきになったミディはまたも大声を張り上げる。彼女の眼の良さは本人の自負する所でもあり、それを頭ごなしに否定されたのがよほど悔しかったとみえる。
「ケーブルとか、それか監視用の自動球を見間違えたとか」
「いくらだだっ広いったって、そんなものが庭の中うろついてるなんてありえるはずがないでしょ!」
「(少なくとも大蛇よりはましだと思うけどな)」
「本当、駄目なのもう…うねうねしたやつとかぞわぞわしたやつとか」
昼間の光景を思い出したらしい彼女は今にも泣きそうな情けない面持ちで身を竦ませる。ダネルにとって日頃しきりに先輩風を吹かせる少女のとり乱しようは少しおかしくもあった。
「……その顔、何か変な事考えてない?」
「や、別に」確かに自負するとおり明敏な観察力ではある。
「でもあそこ、確かにちょっと妙だったな。土くささがないっていうか…どことなく嘘っぽかったような」
「庭園なんてそういうものでしょ?この上気持ち悪い虫なんかみたら私立ち直れなかったよ…」
「そういうもんなのか?あれだけ草木があるってのに」
ダネルには知る由もないが「エリドの庭」の白眉はほぼ完全な閉鎖生態系を実現している点にある。人為に依らぬ自然の営み、その循環をそのまま移しこんだのが「エリドの庭」なのだ。
それに比して太守の宝珠庭は見た目こそ華美極まりないが、常に人の手をかけてやらなければあっけなく萎んでしまうあくまで人工的な創造物でしかない。
だからこそユニット外の耕地で育ったダネルはなんとはなしに庭園の美に不自然な印象を持ったのだろう。
結局、ミディの大騒ぎと気分が優れないという太守の理由により庭園巡りはそこでお開きになった次第である。
「あのさ、フィーラと太守、何かあったの?」
「よく分からない。占いがどうとか――」
「ははあ。フィーラを予言者かなんかと勘違いしてたんだねきっと。あの娘、神都じゃ託宣式とか出るし、本人雰囲気あるもんだから結構誤解されるかもね」
「だから、フィーラも無理だっていったんだよ」
「太守様はそんな事で怒ったってわけ?フィーラも災難だわ、ほいほい予知なんて出来たら機関なんて要らないつーの」
勝手に得心する彼女に口を挟もうとするダネルだったが、実際の所太守の怒りの原因は彼にもよくは分かっていないし上手くニュアンスを伝えられるはずもないのでそのままにしておいた。
「えらくむっつりしてたね太守。明日になって承諾取り消しなんていいださなきゃいいんだけど」
「いくらなんでもそこまで子供じゃないだろ」
「みたまんまガキじゃんよ。ヨラム卿が可哀相だよ、あんな娘の顔色窺ってさ…」
そういわれて、彼はひたすら平謝りに謝る青年の姿を思い起こした。会合の後も終始、頭を下げ通しだったヨラム卿。
「――重ね重ねお詫び申し上げます。どうか太守の面目をお保ちくださるよう…」
ただでさえへりくだった態度はますますひどくなり、いっそ卑屈といえる程。主の失態を我が事のように語り、幼い主の身を一心に案じる姿は臣下としての忠節以上のものをこちらに感じさせる。
「どうかご容赦くださいませ……」
まるで太守をあのようにしてしまった非は自分にあるとでもいうような口ぶりだ。だが、それならばどうして。
「そんな事、俺達にいっても仕方がないと思いますよ」
歯がゆさが口を突いて出た。
「いいましたよね、太守にははっきりものをいう人がいないって。だったら誰でもない貴方が諭してやるべきでしょう。彼女放っておかれているようなもんじゃないですか」
太守の座が強いる絶え間ない重責は幼い少女を次第に歪めやがては少女ごと押し潰す―――少女の身を常に案じる彼に分からないはずがあるまい。それならどうしてみすみす主の破滅を黙って見過ごさなければならないのか?
「この際、身分なんか関係ないでしょう。彼女の為を思うのなら」
青年は自分を見据える少年の真っ直ぐな瞳に対してふっと、やるせない笑顔をこぼし済まなそうに首を振った。
「…私には無理なのですよ、導士殿」
そう侘しげに語りその場を去っていく青年の後姿はどこか小さくみえた。
「―――ああまでして仕えなきゃならないのは、不憫だよねぇ…」
喋るだけ喋って落ち着いたのか、ミディは欠伸をかみ殺した。
「もう、寝よか。もやもやした事は眠って忘れるに限る。ここの寝台が極上品だってのが救いだわ」
「簡易寝台の方が効率いいじゃないか。睡眠少なくて済むし」
「あの無理やり寝かされてる感が好きじゃないのよ。身体じゃなくて気持ちの問題なんだ」
「俺はあんまり寝つき良くないな。ここに来てからさ、なんだか嫌な夢をみる」
目覚めてみれば輪郭さえ覚束ない、ただ嫌な感触だけが残る悪夢の連続。それだけではない――この地に訪れた時に感じた些細なわだかまりは日ごとにいやまし、いつしか汚泥のような濁りになって少年の胸の内に溜まっている。
「なんだろね…確かに妙な気配があるんだよね、ここ。今日私がみたやつだってさ」
「まぁそういう事にしとこうか」
「もう!じゃあね、お休みっ」
後に残されたダネルは今も耳に残る二つの言葉を想起していた。去る間際、青年は確かにそういった。
(「あの方は、バニ様は哀れな方なのです…」 )
そしてあの時。ミディが悲鳴をあげる直前、彼が聞いた太守の呟き。
「―――いっそ何もかも、消えてなくなってしまえばいい……」
屋敷を挟んで反対側のバルコニーには夜風にあたりながら星辰が彩る闇の黙を仰ぎみる少女が一人。
「―――夜更かしはいけないぜ、嬢ちゃん」
声をかけたのはウェルバ。
「ウェルバこそ早く休んだほうがよいですよ。こちらに戻ってからずっと調査記録と睨めっこしていたのでしょう?」
「お見通しかよ。嬢ちゃんにはかなわんな」
少年は頭をかく。
「もう休みますから、あとちょっとだけ風にあたらせて下さい」
「何か悩み事か?フィーラ」
少女をみつめるのは飄々とした相好を纏ったいつもの少年ではなく、その整った顔立ちは別人ともいえる精悍さと冷えた鋭さを宿している。若くしてGRDN上級位階を与った人間に相応しい貫禄で彼は問う。
そんな彼に少女は夜空をみやりながら、淡々と柔らかに心中を語った。
「少し考えていたんです。あんな風に太守様に偉そうにいったくせに私自身はどうなんだろうって。……ゲフェンノームと対した時、私は彼の者にちゃんと向き合えるのか、少し不安です…」
しばしの間をおいて、語るウェルバは既にいつもの斜に構えた表情に戻っていた。
「――――嬢ちゃんさ、ダネル好きだろ」
「ええ勿論!ミディも貴方も皆大好きですよ」
「だったらたぶん平気さ。他人を大事に出来る奴ってのは、得てして強いもんだ」
「ウェルバもそうなのですか」
「うーん、俺は違うなぁ。いつだって自分の為。自分の為にやってる…」
「そういう事にしておきましょう」
「んむ、嬢ちゃん相手だとどーも調子狂ってしゃあねえ」
そう頭をかくウェルバをみてフィーラは少しだけ笑う。
「…楽しいかい、この旅は?」
そう問われた少女はしばし考え込み、それから徐に頭上の空を仰いだ。
「まるで夢のようです。ええ、夢なのでしょうねきっと、この日々は―――」
「…そうか。ま、お互い不自由な身の上だ。今はせいぜい楽しんどくとしようか」
――地には火の穂。天には数限りない光芒の粒。
去りゆく今日は二人にとって仮初に過ぎない幻朧の灯火か。それとも、酷薄な運命の闇にひとつ輝くかけがえない真実の光点か。今はまだ、その答えを知るものはいない。
静まり返った暗闇の中、邸内の一室にての会話である。天幕の奥、二人が交わす囁きは幾条にも垂れ下がる厚い幕地に遮られ決して外に漏れる事とはない。
「―――まったく昼間の一件は少々肝を冷やしたぞ…遊びにしても度が過ぎるわ」
『何、こちらの企みに気づいたところで彼等には何も出来ますまいよ。閣下の方こそどうなのです?彼等との必要以上の接近は避けて頂きたいのですが』
「いずれ明後日には露見することじゃ。それまでに彼の者ら、いっそこちら側に取り込めれば――」
『あのような時代遅れの骨董品なぞ、手に入れる必要はないかと。過ぎた欲は身を滅ぼしかねません』
「誰に向かって道理を説く気…我こそははこの浮界の主ぞ…!」
『とくと存じ上げておりますとも太守閣下…だからこそ申し上げているのです』
「…分かっておるな……これまで、お主のいうとおりに事を進めてきたのもみなお主の言を信じての事じゃ…」
『落ち着いて下さい、事は順調に進んでおります。今少し辛抱いただければ必ずや閣下の夢は叶いましょう。全ては明後日、貴方の浮界はその時こそ…』
「…その言葉、くれぐれも忘れるでないぞ」
『勿論ですとも。閣下もそれまで早まった真似をなさらぬよう――――』
(――やれやれ、子供染みた浅はかさと年寄り染みた頑迷さが相半ばするか。あやすのも一苦労だ)
部屋を発ち、心中でそう呟く男の姿は夜陰に隠れ判然としない。
その足で扉をくぐりもう一つの目的の場所へ向かう男。彼が着いたさきは、先ほどとはうってかわった眩光の間。
「首尾はいかがです?」
「準備が終わるまであと数時間。処理速度からいって、それから開始しても丸一日とかからないだろう」
「それは大変結構。充分に間にあいますな…合わせてこちらも手筈を整えておきましょう」
「好きにするがいいさ」
純白の室内に座したまま、さも興味なさげに言い放つ少年に細めた目を傾けるその男の相貌は、ヨラム・ナダフのものであった。
延々と続く階段をひたすらに下り――――奈落と誘う階梯を降り、辿り着く深淵の底。
待っていたのは冥い海が広がる一面の死景。
無数の礫柱が突出した海面にさざめく波紋、その中心よりゆっくりと浮き上がる魂核炉心。
寄せ木細工のように緊密に編まれた外表が破れた炉心は中枢部である魂核本体をさらけ出している。
鉄の揺籃に包まれた幽かに光り放つ翡翠の胎児。
海の闇に浸る胎児はやがて徐々に姿形を変え、ぶくぶくと膨れ上がる肉躯は次第に海の昏色を吸い上げて黒く禍々しく成長を遂げる。
―――かくて。昏き淵海に出でしは一頭の狂える獣。
その嘶きに呼応し発火する冥海。
情景の一切は淀んだ炎の渦にくすんで消えていく―――。
気がつけば夜明けは未だ遠く、暗い天井が視界を重く塞ぐ。
眠るたびに悪夢は鮮明な輪郭を結び、目覚めるたびに催す不快の気は深くなる。
「なんだっていうんだッ……・…くそッ!」
服をぬらす汗を拭い、両腕を握り締めながらひしひしと迫る影に全身を経巡る震えを押し殺すダネル。
底冷えのする予感が強く告げている――――――再会の時はもう、すぐそこまで迫っているのだと―――。




