↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神醒躯導スピリデウス  作者: ↑
神、天にしろしめす
PR
5/19

楽園の最果て

■

 2番艦(バートルビ)・第二司令室の外にまで怒気をはらんだ声は響いた。

「―――――だから、やっぱり受け入れできないってどういうことなんだよッ!?」

「やめなさいダネル、落ち着きなって…」

 宥めるように触れるミディの手を振り払って、激昂するダネルは尚も詰め寄る。

 ミディが目で促すと、通信師は手早く盤面に指を走らせ棄民の検査記録を記した視覚データを次々に球体盤へと映し出す。

「これが最終的な検査結果になります」

「高濃度の魔性による重度の汚染…だって…?」

 データに目を走らせる彼の脳裏に機蟲(ラーバ)の一件が頭をよぎる。

 あの時にまみえたゲフェンノームの幻体(かげ)。

「まさか、あれと同じものが村に……!?」

 ゲフェンノームが零し落としたあまりに濃密な瘴気は棄民をあまりに早く侵食していた。

 魔に侵された魂は魔物にとって格好の獲物である。先日撃退した魔甲機(ヴァロワ)は汚染された棄民の匂いに引き寄せられたのだろう。

 集落の人々はこれからもずっと災魔を招きよせ続ける。そうそう起り得る事ではない、まさに凶運としかいいようがない事態に愕然とするダネルにケイルブの言葉が追打ちをかける。

「既に対応は本部に打診したが、準備が整い次第、早急に浄化措置用の作業部隊を派遣するとの事だ」

 浄化措置。

 本来は地場に染み付いた魔を除去する処置の総称である。通常は危険域にまで達した汚染地域に行われる処置であるが、今の場合対象は人間になる。

 しかし、目的はあくまで魔質を分解・消滅するためのものであり汚染対象の安否は考慮されておらず奥深く沁み込んだ魔を浄化するために加えられる極度の霊圧は人の身体には耐えられない。

 つまり、浄化措置を受けた者は例外なく死に至るということだった。

「なんだよ、それ……フィーラ、セイリオスならなんとかなるんだろ?ほら、あの時みたいにさ……」

 縋るようなダネルの視線を向けられた少女は苦しげに目を伏せる。

 浸透した魔の根は存在に食い込んでおり無理に引き剥がそうとすれば宿主すら壊しかねない。

 ましてセイリオスのあまりに強力すぎる聖性に洗われれば肉体は摩滅し霊性はおろか存在の核たる魂まで分解されて、あとには何も残らないだろう。

「そんな……」

 誰もが重苦しく口を閉ざす中、ケイルブだけが事務的に淡々と語る。

「今後についてだが、あちらの処置は救済部隊に回ってもらうとして、我々はいま少し神民の保護に当たらねばなるまい」

「参謀、あんた!」

「ここで喚いてみても事態は変わるまいよ、ダネル導士。全ては決定したことだ」

「決定って、あんた立場が逆だったら言えるのかよそんな言葉……棄民を、人を何だと思ってるんだッ…!」

「君こそ―――我々を、GRDNを何だと思っている?」

 冷然と言い放たれるあまりに直ぐな真理。

 救世機関GRDN----厳格なる神罰の執行者、主の代行たる酷薄無慈悲な審判の雷。其は神世の秩序を堅持する為、時として非情の槌を容赦なく呵責なく人の身に振りおろす。

「…せめて、あの人たちをそのままにしてはおけないのか」

「それでどうする?どうなる?彼等を守るものはない。放って置いてもいずれは体内の魔によって滅びる運命だ」

「なら、せめてそれまで俺が、」

「守るというのか。機兵もなしの身で」

 ケイルブは斟酌なく少年の甘さを指摘していく。

 命に反する行動をとれば聖魂機を降ろされるのは自明の理。GRDNを放逐されればダネルには何の力も残されない。

「……出来るもんかよ……皆、生きてるんだぞ…。助けを求めて手を伸ばす人間を、屠り殺すのがGRDNのやり方かッ…!そんなもののどこが神の騎士だっ、なにが代行者だっ!!」

 堪え様のない激しい悲憤に我を失うダネル。そんな彼をフィーラは必死で引き止める。

「ダネル……ごめんなさい…」

 下唇を強くかみ、濃い蒼い目一杯に涙を溜めている少女の姿を目にして潮が引くように少年の怒りは収まっていった。

 震えるフィーラの肩をミディはそっと抱いてやる。

「…苦しいのはあんただけじゃないよ、ダネル」

「こちら生まれのお前が動揺するのはもっともだ。気持ちがわかるとはいわん。けどな、少なくとも部隊の人間でこんな決定に納得している奴は一人としていねえよ。みんな内心臍を噬む思いさ」

「……分かってるよ、そんな事」

「なら、その先も分かるだろう。お前は聖霊手(ドミヌス)なんだ。そのお前が機関に公然と異を唱えれば必ず部隊のみんなに動揺が生まれる。そいつは今後の作戦において致命的な毒になるかもしれない…事によっちゃ何もかも滅ぼす位のな」

 聖魂機を駆る者の義務と使命。その身に世界を負う責任をダネルとて忘れたわけではない。

「………」

「少し、頭を冷やしてこいよ」

 いつになく真摯なウェルバの言葉に発作的な激情は完全に冷め、代わりに澱のようなやるせなさへとかわる。仲間に当たってどうこうなるものでもない。どちらにしても本部からの指令が下ればいずれ浄化措置はとり行われよう。

「…ごめんよ、フィーラ」

 ダネルは沈鬱な雰囲気に包まれたブリッジを力ない足取りで船室を後にした。

―――それから半時の後、ディキオスが無断で艦を出奔したとの報告を受けたウェルバは掌で顔を覆う。

「―――あの馬鹿野郎めっ…!」

 ディキオスを駆るダネルの心は濁々と流れる夜霧を映して暗い。

 集落に赴いた所でどうにかなるという当てなどない。所詮は馬鹿げた思い上がりだ。

 無力など承知の上--しかし見捨てることなど到底出来はしなかった。

「(出来る訳がないじゃないか…)」

 自分自身を見捨てることが出来ようか。

「(救済部隊は、セラ律士は…)」

 頑なな想いに囚われ闇宙を疾走する少年は、それゆえ機の足元に這い寄る破滅に気付かない。

 月が隠れた刹那、宵闇に同化する粘つく大気が飛翔翼に絡みつく。

 不意に姿勢を崩される聖魂機。

「!?」

 暗く波打つ大地に光る夥しい紅点。ディキオスは霧を割って突然伸びる無数の腕に脚をとられ―――。



 神民居留地に停留するタルシス艦隊はいずれも混乱の淵にあった。

「夜襲だと…!?ここまで接近されるまで、なぜ気づかなかったのか!」

 参謀役の叱咤にうろたえつつも通信師は答える。

「分かりません、おそらくはなんらかの通信妨害があった模様です」

「この霧か…!」

 機兵部隊からの途切れがちな通信で機体に搭載された広域センサーの異状報告が入っているのみならず、戦艦の高精度幽視界モニタにまでノイズが生じる状態だ。

「どういうか仕組みかは分かりませんが、辺りに立ち込める霧が念信を遮っているようです…」

 魔気に満ち聖を阻む、悪しき雫が分厚い層を張るそこはある種の結界だった。

 そして、夜霧の世界から現れ出でる魔の軍勢----慄然たる髑髏を彷彿とさせるその相貌。鈍い灰緑色の装甲に包まれた忌まわしき機体の群れ。

 ソレと対峙した弐式(マハ)の搭乗者が呟く。

『こいつは…ニオブだと?』

 旧世代の遺物。機兵のはじまりから存在する古の機兵は今、亡霊の如く蘇る。

『SINの奴ら、また性懲りもなく…』

別の弐式(マハ)乗りが叫ぶ。

『違う、モニターを確認してみろ、こいつら核がない…機兵もどきだ!』

 放射する魔気は明らかに尋常のものではない。

 これらは魔性のモノだ。

 接近する敵機に応戦しようとする弐式歩兵機(オムニ・マハ)、だが漂う魔霧は機体制御にまで影響を及ぼしているのか、反応が鈍い。

 目前まで迫るニオブの、眼光の閃きと共に戦斧が振り下ろされようとした瞬間――吹き抜ける一陣の調べが霧をさらう。

 寸前で拘束を解かれた弐式歩兵機(オムニ・マハ)が光径機銃を死霊兵(ニオブ)の胴体に叩き込んだ。

「大丈夫ですか皆さん!」

『おおよ!聖魂機が来てくれりゃ怖いものなしってもんだ!』

 天より舞い降りるセイリオス。ダイヴィヌス、ベヌデクテの姿もそこに続く。

「各機、陣形を立て直せっ!なんとしても居留地には近づけるな」

『了解!』

 夜半すぎ。霧たなびく深闇の最中に、粉砕する光槌の轟音が開戦の合図をけたたましくも告げた。



■

 横一列に並んだ弐式歩兵機(オムニ・マハ)の一斉掃射が死霊の群れに放たれる。

 対するニオブの連射機銃はセイリオスの障壁に防がれる。居留地の防御をセイリオスが、局所の隙間をベヌデクテの飛鐘分翅が補う。

「オムニス隊は壁を作れ!こうも視界が悪くちゃ同士討ちの可能性がある!」

『照準まで狂ってやがる…くそっ!』

 苛立ちに操作盤を叩く弐式歩兵機(オムニ・マハ)の搭乗者--霧による霊場干渉は通信はおろか各種センサにまで被害を及ぼしている。

 魔霧と守るべき拠点という足枷は、弐式歩兵機(オムニ・マハ)自慢の高機動性・高視界のアドバンスを奪う。なれば当然、近接戦闘を強いられる。

 そして白兵戦であれば旧型のニオブとて充分な脅威となる。

 戦斧を盾で受け止めた弐式歩兵機(オムニ・マハ)は銃口を死霊機(ニオブ)の目玉に押しつけそのまま打ち抜く。頭を吹き飛ばされ倒れる機体を踏みつけて、すぐさま押し寄せてる新たな死霊機(ニオブ)。

 その上、敵は一体倒せば三体新たに現れるといった具合だ。対して弐式歩兵(オムニ・マハ)の機体数は20機余り。タルシス級艦隊の援護を受けられない今、高性能機による少数精鋭編成がここでは完全な裏目と出たのである。

 種々の戦術的不利は両機種の性能差を埋め、戦局はさながら泥仕合の様相を呈していた。四方から迫る見えない敵に対してのプレッシャーは搭乗者を少しづつ追い詰めていく。

『畜生、倒しても倒しても…』

 一機の弐式(マハ)が残弾の尽きた機銃を捨てて死霊機(ニオブ)に格闘戦を仕掛ける。交差する加速帯刀と戦斧。

 鍔迫り合いを繰り広げる両機―――が、あろうことかニオブの群れは組み合う僚機をも巻き込んで機銃斉射を浴びせかけてきた。

『なっ…うあああっ!!』

意想外の銃撃を無防備に喰らった弐式(マハ)は頼みの綱である光学センサを砕かれる。

「ちっ!」

咄嗟にダイヴィヌスの胸部振動砲がニオブの一団を切り刻み弐式(マハ)の窮地を救った。

「お前さんはもういい、下がってくれっ」

『申し訳ないがそうさせてもらいますよっ…!』

「各機も出来るだけ固まってくれ、孤立すりゃ各個撃破の的になっちまう!居留地の守備が第一だッ、いいな!」

『了解!』

 敵味方を遥かに凌駕するスペックを持つダイヴィヌスもまた本来の火力を封じられている。

 至近にある居留地を守りつつ戦場を駆ける様子はまるで、無数の蟻を避けながら激しいタップを踏む巨象とでもいった具合―――まさしく神業ともいうべき芸当ではあるが、恐ろしく神経を磨り減らす操縦には違いあるまい。

「皆さん、お願いします!」

フィーラの掛け声と共に、居留地に張り巡らせた防護障壁をほんの一瞬緩めたへヴンスの放つ風唱が束の間霧幕を押し開いて中に潜んだ敵影を暴き出す。

『任せろっ!』

 すかさずそこに弐式歩兵機(オムニ・マハ)隊の集中砲火が重ねられる。

 追い討ちとばかりにダイヴィヌスの背部弾倉から打ち出された螺旋弾頭弾は中空で拡散し、闇を縫ってうねりながら弐式(マハ)の撃ち漏らした死霊機(ニオブ)数体を容赦なく貫く----敵を追いたてる「猟弾」の異名は伊達ではない。

 しかし。

 次の瞬間しとめたはずの一体が、霧に沈んだ身体を起こし背後からダイヴィヌスに狙いをつける。

「ウェルバ、迂闊ッ!」

 間一髪、ベヌデクテの振動矢が魔機を射抜いてダイヴィヌスの窮地を救った。

「指示が忙しいのは分かるけどさっ、司令塔が沈んだんじゃ洒落になんないよ!」

「へいへい、ご忠告痛み入ります」

「どうもこの霧、機体の再生まで促してるみたい。半壊程度じゃまだ駄目ね」

 ベヌデクテは飛鐘分翅(フォリム)を陣営防御に回して、上空からの砲撃で味方機を援護していた。そのせいか霧のこの特性もいち早く見抜けたらしい。

「道理でなかなか数が減らないわけだ。ますますもって面倒くさい……おい―――!」

 その時、ウェルバは横たわる一機の死霊機(ニオブ)の異常に気がついていた。

「これ――」

 ミディが促された先に見たのはのけぞる機体の胴体部。開いたコックピットより覗く人間の腕。

「嘘でしょっ…だって生命反応はなかったはず…」

「ああ、そうだ。ってことは…あれは…」

 そう。コックピットは文字通りの棺。失った魂核の代わりにするかのように、ニオブは零れ出た屍を腹中に押し込めて再び立ち上がる。

―――亡霊機械は、死せる搭乗者を求めているのだ。

 セイリオスの機躯が宙に浮かんだ。

 いいしれぬ不安に襲われた彼女はダネルの元へ赴くために機体を翻そうとする。

「ちょっと、どこ行くの!?フィーラっ」

「ダネルが心配です…」

「あちらを気にかける余裕はねえよ。戻れ、嬢ちゃん」

「けれど…」

「フィーラッ!」

 今まで聞いた事がないウェルバの一喝が少女の身を刹那竦ませ、その場に押しとどめる。

「持ち場に戻れ。ここを死守だ」

 予断を許さぬこの状況で個人の身勝手が許されよう筈もない。

「…分かりました」

「とっととこっち片付けてさ、あのアホたれを迎えに行ってやろうや」

「ええ!」

 セイリオスの唄句が混迷に満ちた戦場に再び響き渡り―――。


―――--搭乗者のざわめく気持ちのままに、ディキオスは纏いつく霧と機影を蹴散らす。

 ダネルは沸き立つ焦りを必死に押さえて急ぐものの、集落に近づけば近づくほど数を増していくニオブに徒に時間を食われていた。到着までにどれ程の時が経過したろうか。

「くそぉッ!こいつらッ」

 切りかかる一機を袈裟懸けに切り伏せた先、眼前に飛び込むのは暗緑の軍勢に蹂躙されつくした棄民集落の成れの果て。

穿たれた大地、微塵と化した家屋、泥と血と灰に塗れた死景。

救済部隊の機兵は既に倒れ、隊長機であるセラの聖僧兵(コレクサ)の足元には僅かな生き残りが寄り添っている状態だった。

『来ては駄目ですダネル導士!ここは、もう…!』

 生存者の列の中にハヌンの姿を認めたその瞬間、ダネルの中で何かが撃発(はじ)けた。

「----どけええええぇッッ!!!」

―――疾く。ただ、ただ疾く。

「(助けるんだ助けるんだ助けるんだ助けるんだ!)」

――――手を差し出せ。救い出せ。守れ。

 その為の聖魂機、その為の機兵(ドゥナミス)の筈。

 猛る少年をあざ笑うかのように行く手を遮るニオブの壁。構わず更に突き進むディキオス。しかし我を忘れ闇雲に振るう剣刃に平常の冴えはなく。

 一体。二体。三体。四体…なおも迫る機体を飛び越えるべくダネルは機体を空に舞わせる。

 不用意な跳躍は格好の的。

 背中からの集中砲火を食らって、聖魂機は無様に地面を擦った。

 すぐさま立ち上がろうと揺らめく機体に間断なく覆いかぶさる鋼の死霊。魔の水粒に浸されたディキオスの装甲は鮮やかな色を失い灰に澱んでいる。あまりに無防備に魔性を帯びた霧を突っ切った機体は本来の能力を発揮できずにいた。

 群がる屍の鉄躯に成す術なく圧し潰され地面を抉る聖魂機(ディキオス)の四肢。

 歪んだ視界。反転した世界――――。

 揺らめく景色にただ鼓動だけがはっきりと耳を打つ。少年はやがて起こる惨劇をただ見ていることしか出来なかった―――。



 「――ったく、後から後から涌いてきやがって…」

 敵は依然、霧に紛れて何処からともなく襲いかかる。消耗戦を強いられている部隊員の精神的疲弊もそろそろピークに近い。

 ダイヴィヌスが振るう槌の閃きに合わせて弐式歩兵(オムニ・マハ)隊の銃火が舞う。

「嬢ちゃん、いっそこの霧一片に払えないのか?」

「範囲が広すぎて、払っても払ってもすぐに戻ってしまうんです。もう少し時間があればなんとか…」

「フィーラ、私が「輪唱」するから。それなら出来るよね?」

「……!、ええ。お願いしますわ、ミディ姉様――」

 即座にミディの意図を察した彼女はセイリオスの大翼を広げ唄波を空に向けて放射し始めた。と同時に、霧雲を螺旋に裂いてアサイラムの操る飛鐘分翅(フォリム)が天空を跳ねあがる。

「そういう訳だ、少しばかり手薄になるが、全機、持ってくれよっ」

『どうしたっ、前に出るのか?』

『分からんがセイリオスが何かやるらしい。それまで持ちこたえろってさ!』

『確かにこのままじゃ、ジリ貧かもな』

『期待してるぜ嬢ちゃん、ここは任せとけっ』

 戦導主長の指示に弐式歩兵(オムニ・マハ)隊は全力をもって応える。飛び交う銃火が更に激しさを増していった。セイリオスの放射する聖振が空に飛び散った飛鐘分翅(フォリム)各基を激しく振るわせる。


 同期―――同調。


 共感―――共振。


 歌声に共鳴したベヌデクテの飛鐘分翅達(フォリム)はセイリオスのそれと全く等しい旋律を囀るに至る。

  一つ一つの飛鐘分翅(フォリム)が聖律に響く音叉であり、それらは祝福を謳う天上の聖歌隊となって調べを高く高く、伝え繋いでいく。

 そうして魔雲を越え成層圏まで達した唄声の輪舞は、やがて形をとり、天の息吹となって地に還りゆく。

 その様は、月に燦然とかかる輝色の滝。


 要請を受けたタルシス級の援護奏射も加わって振り落ちる金鱗の大流はますます勢いを増していく。

 幻体を沈めた以前の時とは真逆の発想、霊質の集中ではなく拡散。

 濃密な魔層に静かに浸透する聖気。

 魔の水粒は薄い聖性を少しづつ含んで中和されていく―――。

 いかなベヌデクテの飛鐘分翅(フォリム)とて、セイリオスの超常極まる「唄」をそう易々と模倣できるものではない。

 現にいまも、各基は限界を超えた制動を強いられ不規則に身を軋らせている。それを統御するミディの額にもいつしか汗の滴が浮かんでは流れ。

 それでもなお、この天唄が途絶えることは無いだろう――――充溢する邪なる霧界を清め尽くすに至るまで。



■

 亡霊に覆い潰され地に伏す泥に塗れた神の騎士。

 あと少しで手が届きそうなこの距離が、ダネルには無限に遠く感じられた。

 防戦を続ける聖僧兵(コレクサ)の後方から近づいたニオブの集団が光杭に串刺しになる。設置されていた最後の対魔地雷が作動したらしい。救済部隊の備えた対多数用の牽制兵装を備えていたのは幸いだったといえよう。

 何にも増して、セラ律士のなんとしても敵を寄せ付けまいという気迫は凄まじかった。

 セラ機の光熱榴弾が近づく亡霊の一群に炸裂、尚も近づく一機も薙刀で切って捨てた。熱の障幕が尽きる事のない軍勢をしばらくは遠ざける。武器弾薬がそこを尽き掛けようという今になってもその気迫は一向に衰えをみせることはない。

 だが、そんな緊張もついに途切れる事になる。

 「セラ律士!」

 僚機であったはずの聖僧兵(コレクサ)の残骸がセラ機の腕を掴む。霧は操り人形のようにGRDNの聖導機兵までをも魔の走狗に変えていた。

 その時セラの頭をよぎったのは怯えか悲しみか。

 僅かな間動きを奪われたセラ機に迫る一機のニオブ。

 ――時間がひどくゆっくりと流れる。

 一瞬。ただの一瞬で。終焉はあっけなく訪れ、去る。

 戦斧を振りかざす魔械。

 最後まで人々の盾となるべく立ちはだかるセラ機。

 次の瞬間。弧を描く兇刃が容易く聖僧兵(コレクサ)の腹を貫く。

 恐らく搭乗者は、即死だろう。

 聖僧兵(コレクサ)の巨体があっけなく崩れ落ちる―――あろうことか、守るべき人々の上に。

 瞬間、ダネルの目にあるのは丘に立つ仔の姿。

 ハヌンは一歩も動かなかった。

 その姿を聖僧兵(コレクサ)の影が折り重なって、呑みこんでいく。

 巨大な影に消えるハヌンの姿―――その瞳に、映るものはただひたすらな闇一色。

 地を打つ崩音に舞いあがる土埃が闇霧へと融け。

 獲物を求めて群がる死霊が後に続く。

――手を差し出し、掴んだ筈のその命は、ぬめってすぐに滑り落ちる。

 ダネルは声を限りに叫んだつもりだった。

 けれど、悲鳴はもつれた舌と狭まる咽に絡みついてただひゅうひゅうと乾いた呼気を漏らすだけ。

 暫しの後、立ち上がる懐に屍を収めたセラの聖僧兵(コレクサ)。

 相貌に刻まれた聖なる十字紋に浮かぶ煌々と光る紅き単眼。

 美しい紫紺をどす黒く染めた装皮が立てるおめきともつかぬ振動音を垂れ流す。がくがくと不安定な足どりで、セラ律士であったものをのみ込みゆるゆると動く鉄棺は迫る。

 少しずつ、ダネルの世界が遠く退いてく。指一つまともに動かす事ができない。言葉は依然凍りついたまま。

 やがて、堰をきって溢れ出る感情の濁流が堰をきって少年の意識を押し流していき。



―――――奥底に封じていた罪の記憶を呼び覚ます。


「…ルス、俺いくよ。先に行って待ってるから」

真世界(エデン)への出立のあの日。上衣、毛布、僅かばかりの食物…ダネルはルスに己の持ち物をすべて渡し真世界での再会を約束した。熱病に浮かされ、喋ることもままならぬ友の腕を握りながら。


 救済部隊が到着した朝、ルスは病を発症した。

 真世界(エデン)中枢に招かれる帰依民は厳重な検疫を通過せねばならない。

 よって救済部隊の方針は先ず検疫の少ない健常者を連れていき、傷病者は程なく訪れる第二陣が先ず専用の治癒区画に運ぶとの事だった。

 真にルスの身を案じるならダネルも居残り、共に次の救助を待つべきだった。

――しかし。

 次とはいつか?それまでに食料は充分に保つのか?自身もまた病に侵される危険は?このキャンプ地が暴動に巻き込まれるかもしれない。

――――なにより第二陣など本当に来る保証があるのか?


 病床のルスを前に。逡巡の末、少年は苦渋の選択をする。

「――――いいかルス、必ず迎えが来るからな。それまで待っていろよ…!」

 思えばなんと寒々しく残酷な言葉をかけたものか。熱にうなされ、瞳に絶望の色を讃える友に対して。

 こうしてダネルは別れを告げた――――我が身可愛さにたった一人、共に生きぬいたかけがえのない友に。

 真世界に移住を済ませたダネルは、以来折あるごとに情報局に確認したがついに新たな帰依民の中にルスの名は発見できなかった。どうにか分かったのは彼らのいた第十三避難居留地が程なくして解散したとの事実だけ。真相は杳として知れず。ただ、はっきりしているのはルスは真世界(エデン)の地を踏めなかったという事。


 結局。

 彼はルスを見捨てたのだ。

 そしてすべてを忘れて楽園に逃げ込んだ。

 それがダネル・アラクシの罪。


 一つ、一つ、手の中のぬくもりをこぼし落とす毎。

 その分だけ、足どりは軽く大きくなってより遠くまでいける筈。

 一つ、一つ……ついに、すべてを失ったこの身であれば。

 どこまでも崖(はて)なく翔けてゆける。

 どこまでも――――。


 そう信じて、そう信じていると信じて。


 けれど。


 悉皆の闇に振り返れば。


 あの時―――。


―――――――耳を済ましていれば

―――――――手を伸ばせば

―――――――声をあげれていば

―――――――諦めずにいれば

―――――――もっともっと抗ってさえいれば


―――――――失わずにすんだはずの総てが心を灼く。


 ただ生きるために、生き残る為に、かけがえのない何もかもを捧げ果てついに空っぽになったその心に。

 大仰な理想を填め、夢を填め、無理矢理に動かす無様な機巧。


 それがダネル・アラクシという少年の真実だった。




 俄かに天空より射し込む煌く息吹。

 微かに届く純白機(セイリオス)奏でる聖律の束が、霧に隠された魂のおめきをあぶりだす。

 ダネルは観た----魔機に重なる魂魄の揺らぎを。

 身悶えする儚い光点は死霊の腹中に閉じ込められ、魔に囚われた苦しみから逃れようとするかのように微かな明滅を送る。

 屠り殺された人々の魔に囚われた痛苦の嘆きが、責め苛まれ続けた者の無念が。外部から流れ込む無限の声が彼の脳髄を灼き尽くす。

 視界の戻る先にはセラの黒き聖僧兵(コレクサ)。既に霧魔の傀儡と化した憧憬の残骸。

 機体に重なるハヌンの魂像。掌から零ち落としたあの日の自分。


「……待ってろよ。今そこから…そんな場所から…こんな世界から…解放してやる…俺が」


 何一つ掴めなかったその手は今、切り裂く剣を握りしめる。

 聖なる息吹によってかすかに緩んだニオブ共の拘束はディキオスが抜け出すのには充分だった。

 全開の飛翔で群影から飛び退る聖鎧に歩み寄るのは、たったいま魔に堕したばかりの聖僧兵(コレクサ)。突き出される薙刀をディキオスは身じろぎもせず胸に受け。

―――在りし日の誓いを、縋るような憬れを断ち切るように。


 静かに、躊躇いなく、魔機となった聖僧兵(コレクサ)を閃断した。


 その一閃は贖う刃―――――抜き放たれた刀身が纏う蒼光は、いわれなき咎人を現し世から解き放つ浄罪の火、煉獄の焔。なおも機体を取り囲む死霊の列を前にして、噴き上げる激情に身を委ねる操り手に応えたディキオスは、蒼炎にいななく一個の咆哮と化した。


 黒の帳を瞬く白の残影。明滅する白熱光。残る黒煙は霧に溶け――。

 天に鳴り渡る光輝の聖唄の下、魔を刈りとる蒼い慟哭が大地を引き裂く。並びたつ蒼炎の柱は駆け抜けた裁きの痕。息つく間もない連弾に唸る砲門。

 限界を遥かに越えて励起される発振機が悲鳴にも似たスパークを撒き散らす。鋼骨格から引き剥がれそうになる装甲の軋りは肉ひちぐ音にも似た機体の狂おしい叫喚。

 制動の度、血の如くしぶく蒼い焔。

 交錯する十字の斬衝が死霊の波を割り、すれ違いざま叩き込む二門の振動砲が残る魔導機(ニオブ)を光塵へと帰す。

 空間を光と翔ける速度は刃。

 触れる全身が必殺の兵装。

 もしこの光景を目の当たりにするものがあったとしても、ディキオスの姿を確認する事など叶わなかったろう。数十と重なる壊音と数百と連なる破断の亀裂、そして駆け巡る機体の残光だけがただその存在を示すのみ。

 蒼炎が舞う。

 神聖の翼が奔り抜けるたびに生じる鉄裂く残響も続く砲爆に打ち消され、途切れることなく続く連鎖は轟音の嵐を生じ起こす。

 蒼炎が哭く。

 両断し切断し分断し寸断し砕断する刃に腕削がれ胸裂かれ首もがれ眼孔抉られるニオブの群れ――――もはや相対するのは標的でも、獲物ですらもなかった。

 戦場は嘆きの火と光に揺らぐ祭壇。死の群勢は怒れる機神に捧げられた供物。


 封じていた痛み。忘れたはずの怒り。ダネルのそれは禁じられた感情だった。

 かつて焔の雨に灰と散った故郷を前に少年の心に宿ったものは。

――――この悲惨が在る世界への怒りであり、この凄惨を許す世界への怒り。


 彼は無慈悲に奪い去る世界をひたすらに憎んだ。

――然れど、彼は世界を憎む資格をもたなかった。


 何もかも容易く奪う世界を憎みぬき、なればこそと望んだ新天地。

 約束の地への符と引き換えに、唯一残った同胞を自ら棄て―――――かくも憎んだ筈の“奪う世界”に彼は加担したのだから。


 故にこそ。

 彼は世界を受け容れようとした。

 だから――――――彼は欲した。

 罪を糊塗する神なる救済――――――。

 虚ろを埋めるための神世(エデン)の理想(ユメ)――――――。


 ダネルは残酷な世界を赦そうとした―――何よりも自分自身を赦すために。その赦しが真実であると信じる為にこそ、少年はなによりも他者を救おうと決意した。


 だが、ここに全ては頓挫し、灼熱の絶望は虚飾の信念を焼きつくし隠した心を剥き出しに曝す。

 忘れなければならなかった痛み。奥底に仕舞い込まなければならなかった憎しみの火。

 少年の信じた、信じ込もうとした楽園の華は穢れた劫火に腐れて溶け落ちる。


 何か意味が

――――生きた

 何か意味があるはずだ

――――生き残った

 何か意味がなくちゃ。

――――死をかき分けて

 何か意味を

――――死から逃れ

 痛みの意味を

――――こんなにも

 失った意味を

――――こんなにも苦しいのに

 奪われた意味を

――――こんなにも醜いのに


優しい母―――――――滅多に笑顔をみせなかった父―――――――騒々しい小さな弟たち―――――――共に野山を駆け回った幼馴染たち―――――――


―――――血と燻された肉の臭い。紅蓮と煙。怒号と怒声。すすり泣きと悲鳴。


一切が火と闇にとけゆく夜。


暗闇を。


逃げて逃げて逃げて。

そして求め。


生き抜く意味を。

生きていてもいい意味を。

ここにいる意味を。

ここにいても赦される意味を。

ここにいる己の意味を。

ここにいない者たちの意味を。


――――――――そうして今、辿り着くのはまたも闇。



 灰に染まる光景から立ちあがるのは「D」の幻影。世界を、神を敵と断じた少年の鮮烈なる怒り。

 輝ける理想郷に散った花弁が落とした対をなす影。

 結局は、そういう事だったのだ。

 彼のゲフェンノームへの、「D」への執着の正体は。

――――そう、「D」の怨嗟は、世界を拒む狂おしい程純粋な意思はまた、ダネル・アラクシという少年の根源でもあった。


 対極を成す神聖の光輝と獄炎の常闇――しかし、次々と魔形を虐砕する聖魂機(ディキオス)の姿は魔獣(ゲフェンノーム)のそれとなんと近しい事か。



 全てが終わり、白騎士のみが立ち尽くす野に鎮魂の雨が降る。

 セイリオスの聖歌によって霧は魔力を失い雫となって地に注がれ、至る所に鋳鉄とガラス片を散りばめた荒涼に雫が白銀の機体をしとどに打つ。

 間断なく鎧を伝って零れ落ちる雨滴。

 一切が色落ちくすんだ寂寞の世界でただ蒼の送り火だけが、いつ果てることなく哀しげに揺らめいていた―――。




■

「――――流っ石にな……」

 少年は気だるげに手で髪を梳く。額に垂れるいく筋かの金色が閉じかけた瞼にわずかにかかった。

「今回ばかりは、後味が悪いぜ畜生」

『遅かれ早かれ訪れた事態だったさ…』

 男は無表情にいう。

 タルシス級一番艦(アレオパギダ)司令区画にて、ウェルバは目でそれとなく通信師の少女を遠ざける。他のクルーも弁えたもので、自然に二人の話が聞こえない程度まで距離を置く。

「ダネルな、謹慎処分ってとこでどうだろうか。聖霊手が独房入りってのも外聞が悪いんでな」

「…隊の士気への影響を考えても無難な選択だと思います」

 自分より二回りほど年下の上官の言葉にケイルブ参謀は淡々と応える。このしかつめ顔から考えている事を読むのは余程骨だなと、ウェルバは思う。

「なにかいいたいことがあるのかい」

「別に。…ただ、彼のゲフェンノームに対するあの憎しみは、使えるかもしれません」

「…嫌だねえ。何が嫌だって俺もまったく同じ意見だからさ。長く続けたくない稼業だなお互いに」

 そう片目を瞑って笑い、下から相手の顔を見上げるウェルバ。普段仲間には見せないGRDNの一幹部としての表情。これもまたウェルバ・イルの一面である。

「貴公もADAMは太教院の狗だとお思いか」

 主として魔災を取り扱うGRDNに対して、ADAMの任は都市ユニットの秩序を乱す行為――即ち暴徒の鎮圧や犯罪の摘発など、いわば半端な汚れ仕事を専門としている。

 またそもそも、現今のADAMは唯一つの巨大軍事力・GRDNへの牽制の為にそれまで解散状態であったものを新たに再編したという成立経緯があり、当時設立を推進したのが太教院であった為ADAMを太教院の子飼いと捉えるむきは強く、GRDN内には彼らを毛嫌いする者も多い(但しミディの場合は太教院絡みで自分の仕事が増えるからだが)。

「いいや、アダムは“人間”さ。神なんぞよりよほど信用できる」

 冗談めかした口調でウェルバは応える。聞くものが聞けば「神」への不敬とも取られかねぬ発言を敢えてしてみせるのはケイルブへの信を暗に物語っているといえよう。

「ADAM上層部より通達が来ましてな。『目標の機体回収を最優先せよ』とのことです」

「へえ」

 ADAMはそれほどあの機体に執心ということか。もしくはその上からの指令ということもありうる。

「(どこもかしこも騒がしいな…ゲフェンノーム(ヤツ)はあらゆる意味で火種だぜ)」

 ウェルバの内心を知ってか知らずか直立しモニターを見据えたまま、ケイルブは続ける。

「主長、私には我慢ならない事が三つほどありましてね。一つは愚かな部下の身勝手な振る舞い。そしてもう一つが、上司の無茶な命令…」

「最後の一つは?」

「紅茶にミルクを注ぐ事、ですかな」

別段ふざけた様子もなく、手にしたカップに口をつける男の姿にウェルバは肩をすくめてみせる。

「はっ…、こうして腹を割って話してくれるって事は信頼の証と思っていいのかな参謀殿?」

 細い目を更に細くして 方眼鏡を外すケイルブ。

「そうとってくれて構わんよ。我々が追っているのは、内輪争いにかまけてはいては到底敵し得ない相手だ」

 ウェルバは腰掛けた椅子から身をせり出し宙に人差し指で円を描いた。

「そんなら、こちらも手札を切ろう。至法院からの指示だ。巣穴をつつけってさ」

 宙空に展開する映盤。そこに写った浮遊都市が次の目的地。


 ごつごつと広がる荒地。

 谷あいから射す夕陽はいまだ熱を失わず地に照り映える―――窓から覗く風景は昨日とまるで変わらぬまま。

――楽園の果つる地。辿り着く先求め歩んだ長く長くのびる道。 あの刻と風景は変わらぬまま。

 しかし、今の彼には約束の場所はもう存在しない。

 途切れた道程。

 途絶えた可能性達。

 蒼焔に灼かれた魔機から飛散した光の粒は天から舞い降る息吹にさらわれて風へと消えた。あの光はどこへ還っていくのだろうか――。

 窓に映る少女の影に気づき、ダネルは振り返った。

「フィーラ?」

「御免なさい…。私がもっと早く霧を浄化できていたなら…」

 力なくうなだれるフィーラ。

 色素の薄い肌は窓から漏れる陽を浴びて、きらきらと輝く少女の濡れた瞳を際立たせる。ダネルは少女をあやすように目尻に溜まる涙をあわてて拭う。

「フィーラが泣く事なんかないんだ。キミのせいなんかじゃない。……俺が上手くやれなかったのが悪いんだ」

「自分を責めないで、ダネル」

「うん、大丈夫。心配しないでくれ」

 少年の空疎な笑いは穏やかな拒絶を表す。いつもと同じ、だが何かが欠けおちた眼差しは少女の胸を微かにしめつける。

「フィーラさ、あの時キミがいった言葉を覚えているか」

 ダネルの視線が外の荒涼に戻る。

「奴を赦せるかって――――――俺には赦せそうにない。どんな理由があろうと俺はあいつを、あいつがやった事を、そしてあいつを理解する俺自身を、絶対に赦しはない」


「―――だから、奴を赦さなくては成り立たないような世界なら…そんな世界は、俺は決して認めない―――」

 あまりに強い想いは胸に痞え、言葉に詰まった少年はそれきり押し黙る。握る手に強く食い込む木彫りの十字架。

 ダネル・アラクシは選び取った。

 蹂躙には抵抗を。屈従よりは戦いを。あらゆる地獄を生み出すモノ共との果てしなき戦いの道程を。

――――そしてその手に掴んだのは、我が身をも切り苛む正義の諸刃。


 畢竟、ダネル・アラクシは死人であった―――故郷が火に焼かれたあの時。あるいは掴んだ友の腕を離した時。それとも漆黒の魔獣(ゲフェンノーム)と出会ったあの日からか。

 何もかもを亡くし、失くし、無くし、残った虚ろに幼い憬れを詰め込んだ人の似姿。

 絶望とともにそれを覚った今、彼は再び生まれかわる。

 人としてではなく、聖魂機(スピリデウス)の聖霊手(ドミヌス)―――――真世界(エデン)の剣。神罰の代行者。一箇の断罪機構として――――。

 少年は楽園(イツワリ)に背を向け地獄(シンジツ)に向かい合う。

「ダネル…」

  全てを見通した少女はそれ以上何もいわず、少年の背をそっと抱く。これより訪れるであろう運命の酷薄から彼を守ろうとでもいうかのように。


 楽園の最果ては、静かに夕と夜とのあわいに染まっていく―――――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。