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神醒躯導スピリデウス  作者: ↑
殲天を翔ける
PR
18/19

運命は紅蓮

■

 白の天蓋が見下ろす広景―――木々が悲しげに身を震わせ葉を疎らに散らす秋の園。

 草原にて互いに背中合わせに座る二人。

「なあ」

「うん?」

「まだ、戻らなくていいのか」

「だいじょぶ。今日はずいぶん気分がいいんだ」

「そうか」

「少し寒い?」

「いいや。お前は?」

「ボクは、あったかいよ」

 傍らに置いてあった本を手にとる少女

 彼女の指が本の小口をなぞり、お馴染みのの頁を探り当てる。

「これ、読んでよ」

「…またこの話かよ、ほんとに好きなんだな」

「だってロマンチックじゃない?」

「そうかな」

「そうさ」

 少年は慣れた様子で本を開き、盲目の少女に物語を読んで聞かせてやる。




■

 救うたびに零ちおとし、守るたびに剥離していく生の欠片。

 邂逅の春、眩い夏を過ぎ金葉の秋を経て、万物が音潜め万象が色失う冬。

 月日は流れ、変わりゆくものがある。

 少女の庭に再びの場所を得た少年。

 いつからか彼の渾名は戦闘機械の端末部品から、聖女の肩を宿木にする燕へと変わっていた。

 バルゼベルの、戦地で戦いを終える度に神都へとってかえすその様を渡り鳥に擬えたものがあったのだろう。

 終わりのみえない戦いに挟まれた束の間の平穏(やすらぎ)。

 幸福と呼ぶにはささやかに過ぎる時間の中、やがて終わる陽の名残を惜しむように少年と少女は日々を重ね。

 

 そうして、そんな想いさえ飲み込んで日々を蝕む闇と火――――世界は徐々に暗転してゆく。


 バルゼベルの戦線投入から優に一年近くが経過した頃。

 災魔の侵食は収まるどころか更なる勢いをもって人類圏を脅かしていた。

 先だって壊滅した「サートリス」に次ぐ第二・第三要塞ユニットの陥落はこの上ない大事を意味した。

 各方の軍事拠点として配備されたユニット各基の消滅はついに真世界(エデン)の防衛線を維持出来なくなった事を意味するからだ。

 一方、このような事態を前にして議府首脳部の動きは不可解の至りだった。

 かねてより掲げていた復興計画「レ・コンキスタ」――――魔を掃討し、侵食される以前の版図を取り戻す作戦を企図していたからである。

 高次域の安定も未だ成らず、防衛すら満足にはいかない現状を鑑みればこれはまさに血迷ったとしかいえない愚挙だった。

 机上の空論を繰り広げるばかりの者達に兵士らの苛立ちは募るばかりであり、いうまでもなくそこにはベリアも含まれている。

悪化の一途を辿る戦況に合わせて、以前に増して目覚しい働きを示す様になったバルゼベルも今では絶え間ない臨戦態勢を強いられていた。


 工蔽の奥座にて屹立する真紅――改修に次ぐ改修を施された機体。

 暗褐色の追加装甲に覆われたその姿には魔を滅す意志と怒りが一段と鋭く漲る。

 数しれぬ死線を経る内、ADAMの聖剣である筈のソレはいつしか悪鬼の形相を湛えるようになっていた。



 大小の十字を並べたてた壁が暗く鎖す神都最深部にあたる空洞。

 地下深くに設けられた工房に立つ青年が見上げるのは蛍光が照らし出す天井より垂れる無数の金鎖に吊り下げられた骨格像――「ダイヴィヌス」・「ベヌデクテ」・「ディキオス」。

 次世代機兵部隊の長たるべき三つの機体は剥き身の姿を晒したまま収蔵されていた。

「――――やはりここまで開発は進んでいた訳だ。ミレニアム・シリーズ…」

 青年は声がした方へと振り向く。

「…尾けてきたのかベリア」

「連れてきた、の間違いだろうスクォード」

 そう答える少年の疲労の色が濃い顔には強い眼光がひときわ目立ってみえる。

「君が諜報活動まで優秀だとは、聞いていなかったな…」

「勝手知ったる他人の何とかというやつだ。それに、機械の扱いは餓鬼の頃からそれなり以上に心得てるつもりでね。人を呼ぶか?」

 しばし間を置いたスクォードは否定を素振りで表す。

「それよりも何故ここに眼をつけたのかが知りたいね」

「推理にも及ばん世の道理さ。風もないのに木々がざわつくなら、異常は根元で起っているもんだ」

 一見、無謀ともいえる聖府の企ての裏にはGRDNの動向が絡んでいるのは想像に難くない。計画の幹たる新世代機兵も高次域の調整も彼ら抜きには成り立たないのだから。

「――けれどおかしいじゃないか。ここまで出来ているものを今更、凍結というのは全く理に合わない」

 吊り下げられた機兵の剥身をベリアは見上げる。

「神の御魂(スピリデウス)……なんとも大仰な名前だな…」

「完成の暁にはその名に恥じぬ機体になるだろうね。バルゼベルの培った総てを受け継ぎ発展させた機兵になるはずだから」

「…ああ、そうかもな。完成しさえすれば」

 青年にベリアは懐中から取り出した円板を無造作に床へと放る。

「…こいつらに関するどの記述も、肝心の炉心について一切の言及がなされていない。まるで初めから完成させる気がないとでもいわんばかりだ」

 そういうと彼は何気ない手つきりで青年の襟元を掴んだ。

「いえよ…!GRDNは何を隠している。あんた等は」

 警告を促すように、指にはより強い力が込められる。

「……いったい何を待っているんだ……いいや…何時まで待たせるつもりだッ…!!」

 もはや少年は抑えていた怒りを隠そうともしない。

「分かっているだろスクォード!彼女には、ティルツェにはもう時間がない。…あいつはもうとっくに限界を迎えてるんだぞ……!」

 少女の知覚とその命を引き換えにして発現する神の御力。

戦闘を重ねるにつれティルツェは衰弱の度を深め、今やベリアには機体越しの共感覚を通してさえ彼女の生気が萎んでいくのをはっきりと感じ取れるほどになっていた。

 スクォードを絞める力がふと緩む。

「…なあ、頼むよフリッツ…あいつを守れといったのは、他の誰でもないあんたじゃないか……」

 搾り出すような言葉は懇願に似る。

 拘束から解き放たれた青年はややあって話しを始めた。

「――GRDNはミレニアム・シリーズを今の局面には必要ない、あくまで次代の兵器と位置づけている。というのも、神域との交流(コンタクト)は間もなく正常化するものと考えているからだ。同時にその暁には魔災の頻発も解決するだろうともね。魔の増大は安定しつつある高次域の収斂過程における揺らぎによるものなのだから」

「…つまり、遠からずバルゼベルは「HEVENS」は無用になる。そう思っていいんだな」

「………ああ。そういうことになるだろうね」

 その言葉をベリアは信じようとした。

 仮令それが仮初の気休めにしか過ぎぬ言葉であっても。



 エリド庭への来訪者を、輝く金壁が出迎える。

 女神像が見守る陽光の御許、千々に彩なす花園に冬の影はない。

 芝生を踏み分けて少年は木陰に入った。先客に習って彼は大樹の根元に凭れかかる。気配を感じとった彼女は少年に光を失くした瞳を向ける。

(―――来てくれたんだ)

 もう喋ることが出来ない彼女は念信技術を応用した念信でのみ意思の疎通を図る。

 いくらかの罪悪感を覚えながらもベリアは自分の顔を見られないことに安堵していた。

 疲労と苦痛とそれらを裏側に押し込めることで摩滅しきった彼の笑みは、きっと酷いものだったろうから。

「手土産って程のものでもないけど」

 少年は透明なケースを被された鉢を少女の手に添えてやる。薄く張り連ねた濾過フィルターはその芳香のみを伝える。

(これは花……だね)

「そう、遺伝欠損も汚染濃度も誤差の範囲、保護区の外で見つかったやつさ。随分待たされたけど、ようやく持ち出し許可が出た」

 長きに渡って試行を繰り返してきた土壌再生がここにきてようやく実を結びつつあるという事だった。

「技士連がいうには、来春にはもっとあちこちでみつかるんじゃないかって話でさ。そりゃ、とても此処とは比べられやしないだろうが」

(けど、本物だもんね)

「…その内、野生の草木が当たり前になる時代が来るんだろう」

(そうなるといいね。待ち遠しいや)

 少女の掌中で揺れる楽園の未来を兆す一輪。

 それは確かに彼等の営みが遺した希望の芽に違いなかった。

「北境じゃ海洋の復元作業だって始まるらしい。ティルツェ、そっち方面はまだ行った事がなかったよな」

(海を見た事あるんだ?いいなぁ)

「…なら行けばいい。状況が一段落したらかけあってみるか」

(珍しいね?ベリアがそんなこというなんて)

「俺だって休暇くらいは欲しいよ」

(けどボクも一緒にいっても良いのかな…?)

「……当たり前だろ。さんざん真世界(エデン)の為に、みんなの為に尽くしてきたんだ、その程度の我侭は許されるに決まってる」

(―――ねえ)

 蒼い瞳がこちらを捉える。

(ボクは今でも、今のままでも充分だよ)

「……俺が不満なんだよ。お前も外に出て、少しは俺の苦労を味わってみればいいんだ」

(はははっ、楽しみだね……)

 出逢う度に虚しい約束を交わし合う二人。

 叶う筈のない夢想だけを徒に積み重ねていく時間はしかし、穏やかな光で少年を充たすもの。

 草花を揺らす柔風に言葉は消え、ベリアは両眼を瞑る。

 朽ちていく運命を忘れられるこの瞬間が少しでも長く続くよう祈るように。

 傍らには穏やかな微笑みを浮かべるティルツェ。


 彼女はその日、花の香りを喪った――――――。






 万物の眠りを誘い万象の夢を醒ます、冬。

 時計の針は進み、終端の座標を示す。

 

―――――夜の底を叩く踏音だけが廊下に行渡る。

 肌を刺す凍てつきは内からの熱と混然となって息を咳かせる。

 抱きかかえた少女の四肢は力なく垂れ下がり、ただ白く吐く息だけが僅かな生気を感じさせる。

「我慢しててくれよ…ティルツェ」

 少女の躯を優しく抱え直すベリア。

 額に滲む汗を拭おうともせず、格納庫までの廊郭を闇に歩をつかえながら進む。

 このまま機兵にさえ乗り込んでしまえば後はどうとでもなろう。

「何処にだって行けるさ。何処へだって連れていってやる……」


 通路の角にさしかかるや否や視界を白光が覆う。

 ささやかな逃避行はそこで終わり。

 少女を抱いたまま構えるベリアの前に待ち受けていたのは狭い通路を塞ぐように立ち並ぶ兵士達。


「―――監視の目をこうまで欺くとは大したものだがな。御子の動きは常にモニタリングしているんだ、そんな事も分からないお前ではないだろうに」


 兵士の列を分けて前に出る男がいった。

「……どうやらあんたもそっち側だったようだな、シモイベ」

 シモイベ・ロイの顔からは何らの感情も伺えない。恐らく裾下に忍ばせた右手には銃杷が握られているのだろう。

 考えてみればADAM内にGRDNと通じた人間がいたとしても何ら不思議ではあるまい。殊に「バルゼベル」を扱う者の傍であれば尚更の事。そうであっても、だ。

「結構、頼りにしていたんだがな……あんたの事を」

「そうなるようにお前には接してきたつもりだとも。だが茶番は終わりだ、帰るぞ」

 応じようとしない少年を彼は冷たく睨む。

「いい加減にしておけベリア。これ以上は冗談ごとでは済まされなくなる」

「冗談…?窮状を女一人に押しつけて、挙句使い潰そうという方が余程冗談事に思えるね」

「世界の為だ」

「……随分安い世界もあったもんだ…!」

「そういう台詞をこれまで死んでいった奴等に対していえるのか?」

 背信を責める言葉は数知れない生を過ぎ越して褪せた魂の怨嗟を纏う。

「戻るんだベリア。あまり失望させてくれるな」

 低くしわがれた死霊の招きを振りきる様に叫ぶ少年。

「…こいつはもう充分に働いた。これ以上何を奪えば気が済むんだ、お前等はっ!」

 次いで彼は廊郭を塞ぐ兵士の背後に控える男に声を張りあげた。

「いるんだろ、スクォード!」

 背中をむけ、青年は頭を垂れたままでいた。

「あんたはそれでいいのか!?このままじゃ、こいつは…」

「――――どのみち彼女は外では生きていけない……そんな風に作られていないんだよ…」

「それがあんたの答えかよ……」

 うっすらと冴えた怒りが滲んで少年の声を嗄らせる。青年はひたすら口を噤み、目を閉じた。

 そこに、緊急事態を報せる警鐘が鳴り渡る。駆けつけた兵が切迫した様子で告げた。

「神都周域に魔災の反応が、それも嘗てないほど強力な反応が確認されたとの連絡が」

 少年の腕の中で初めて少女が動きを見せた。

 彼女は僅かな瞼の瞬きで訴える。

 それだけで、ベリアはすべてを察した。


―――――彼女が望むのは。

 今ここで逃げ出せば彼女の存在は理由と意味を失う。


―――――彼女が望むならば。

 そう誓った時から、初めから分かっていた結末ではないか。


 胸穿つ感情の波をねじ伏せて決断を下す。

「―――そうだよな…いこう」

 少女を託した少年は絶望に至る階梯を上ってゆく。

「GRDNはもう間もなく神域を復元し終える、との事だ。つまりこれが、事実上最後の大戦ということになる…任せたぞ」

 振り向こうともせず、少年はそれに答える。

「……忘れるな。任務でもなければ使命の為でもない、俺がこうするのはそれが何よりもティルツェの彼女の意志だからだ……!」




 万物に白き朧光を加え万象に黒き渺茫を添える、冬。

 神都の四方に位置する浮界から駆り出される機兵。

 彼等を待っていたのは己が目を疑うような光景だった。


 黒雲を開いて燦然と映える月光の淵が融けていく。

 真円を歪める曲線の揺らぎはそして、天穢す禍鳥の異形をゆっくりと産み落とした。


「―――馬鹿をいうなっ、これだけの質量を今まで検知できなかったというのか!?」

「ですから通常空間の則った運動であれば探知のしようがありませんよ!つまりあれは虚域から降って涌いたんじゃなく、物理的な移動で成層域まで辿り着いたとしか―――」

「……空から来たというのか…アレがっ……!」


 月を擬える大いなる凶光は――かつて星間船であったものの変貌しきった姿だった。

 大戦後、放棄された月施設からの招かれざる使者。

 古の方舟が今、災厄を運んで帰り来たのだ。


 やがて、羽撃く偽月がおとす影が神都目前に領界を拓き――砂塵を割って現れ出でた赤銅に波打つ虚海――底なしの深淵は宵闇を埋め尽くす魔影を喚ぶ。


 天から降臨する禍鳥に、随行する「魔鯨機(グラーナ)」数十機。

 全長にして400mを越える重躯が空を陸を圧する。

 痺れるような戦慄が躯を貫き、強い恐れがベリアの決意を汚していく。

 これだけの軍勢を相手にして、よしんば戦いを制したとしても彼女はもうもたない。

 もつはずが、ない――――。






■

 艦艇十数隻から矢継ぎ早に送り出された巨大弾頭。

 その前面に彫り込まれた紋様円陣が障壁を展開して迎撃の閃光と衝突する。

 爆砕が起こり、飛散した弾丸からそれぞれ三組の翼が姿を現し、残余の外装を一斉に脱ぎ捨てた機体は熱と怒号が飛び交う戦線へと新たに加わった。

 無慈悲な異月が弾く揺らぎは血走った雲霞を撒き熾し、重粒子のスコールは鋼の群れをしとどに叩く。 天ばす荘厳を飾るのは無数に輝くありふれた明滅が織る数珠華。

 狭まる天地の狭間は地獄。生存か死かを決する審判の戦場は際限なく時と命を掠奪し去る。

 回避の遅れた突槍機兵(スパイラ)を巨獣の腕が鋏んだ。

 巨体に似つかわしくない敏捷な挙動で獲物を狩りたてる魔鯨機(グラーナ)は月鳥への途を執拗に阻む。

 自らの倍もある掌に押さえ込まれた機体は携えた短銃で魔機に制裁を加えた。

 突槍機兵(スパイラ)の機体をも巻き込む爆発を浚う金属の雨滴。

 投げ出された長槍をバルゼベルが掴む。疾風の如く爆風を駆け抜け、勢いに任せて戦士の魂を巨獣の胸郭に突き立てる紅戦鬼。

 合わせて小剣機兵(スピクル)の一群が切っ先から放つ紫電で、犇く跳梁を灼き払ったのも束の間、後方から襲いくる弾丸に機躯は纏めて攪拌される。

 バルゼベル両腕から伸びる爪にも似た連刃が魔影を刻む。

 嘗てない高まりをもって魔を蹴散らす赤い刃光の必死も戦局を覆すには充分ではなかった。

 そして機体が発揮する凄絶極まる力とは裏腹に、操者であるベリアの心は惑いに満ち彼へ伝わるティルツェのか細い囁きは逐一弱く小さくなっていく。

 ここまで戦力の半数を費やしても未だ敵勢を崩すには至らない。

 ADAM決死の奮戦にも関わらず禍鳥の緩慢な降下を防げずにいる。

 大質量の魔象を維持するエネルギーはあの星船から供給されている事を解析の結果は示していた。逆にいうなら、理論上はあの禍鳥さえ墜とせば他も一掃出来る筈なのだが、激しい迎撃の合間を縫って行われる何度目かの突破も悉くが無為に帰す試みだった。


 斥衝が区切る天の境に、叩き落とされる幾多の機体。


―――――禍鳥が響かせる翼の奏でによって生じた潮汐場。


 魔群と引き合い紡がれるある種の結界はユニット全域を覆うほどの大きさを、都市を防壁ごと押し潰すほどの威力を備えている。

 魔が振り下ろす長大な断頭斧は神都へ向けて着実に近づいていた。

 機を駆るベリアの動悸が早鐘を打つ。

 障壁を破るにはバルゼベルの装甲は傷つきすぎていた。

 これまで決定的な傷こそ被っていないものの戦闘による微細なダメージの蓄積は既に無視できないものになっている。

 最も激しい戦いを続けるバルゼベルの損耗が大きいのも至極当然の帰結といえよう。

 それでも戦場を縦横に翔けずる機躯に衰えがみられないのは偏に操者であるベリアの限界まで研ぎ澄まされた回避精度に依る。


 神都を護る盾が四つ――浮界の粒子加速砲が撃つ閃光は魔影を広く薙ぐ。


 それまで神都上空に固まっていた浮界は各々距離をとって散会し、回り込むように包囲の手を広げる。 恐らくはあえて魔群を懐に誘き寄せた上で、浮界を飛翔させる斥力操作システムを以ってその結界を減衰しようという心算なのだろう。

 みれば上空に張られた多層天蓋に亀裂が走り、一部は崩落を始めている。神都表装の被害は覚悟の上、捨て身の方策を選んだという事だ。

 四方から射掛ける浮界は漆黒の月影を支えるように位置をとる。

 恰もを圧し掛かる天空を押し返そうとでもするかの如く。

 満身創痍で放つ小剣機兵(スピクル)渾身の一太刀が魔鯨機(グラーナ)にフレアを奔らせ。

 柘榴の断面を炙る一斉射をかけた部隊もまた迎撃の火閃に埋没し。

 敵勢にしばし開いた余白はたちまちの内に塞がり、突出した連隊は牙を持つ群隊軌道にあえなく沈んでいく。

 内部からの爆砕を抱えて、敵群を道連れにして墜落していく戦艦。空を這う鉄と火――――百の光は千の魂を送る導灯。

 極限まで精度を高めたバルゼベルの、ベリアの感応は散る人々の発する最後の意思を拾う。


 苦痛に切り裂かれ呻く思念の波は形をとる前に瞬いて無に還る。


 文脈を失った単語の羅列。

 土地の名。

 人の名―――届かずに、叶わずに、断たれた想いが残す閃影が滂沱の如く少年を過ぎ越していく。


 鉄の花弁が赤々と燃える怒号を噴きあげた。

 真正面よりの直撃によって火飛沫を散し沈む浮界。


 争い絶えぬ世に生み出され、終端の千切れたこの悲惨を己が場所として生きてきたベリア。

 凄惨な戦いの渦中にあって意識は刹那、闇を湛えた高みに喘ぐ。


 いったい「此処」は、これ程の犠牲に堪えうるものなのか。

 これ程の痛苦を払うに足りうるものなのか?老いたる土地に載せられた新生の夢は重く、押し潰された現実が血肉を絞り滴らせ――――か細い誓いと痩せた祈りを織りあわせ、営々と巡る環が紡ぐ愚想郷。


 名状しがたい嘆きと怒りに打ちのめされた少年は、それでも機体を加速させる――。

 戦力の大半を失いながらも抗う護り手たち。


 幾度と死を数える無常を経て、明けの明星を連れてようやくそれは訪れた。


 撃ち合いの最中、虚宙を焦がす新たな光の粒をベリアは認識する。

 夜天の奥に控える光点は徐々に数を増し、数多の弾頭で敵勢を駆逐していく。

『間に合ってくれたか……』

 明けの稜線に乗って現れる艦船と援軍機。真世界全域からの増援が続々と駆けつけていた。

「聞こえてるかティルツェ…これで勝てるぞ、俺達は…」

(うん…)

 もはや少女には答える力も残っていない。

 横合いからの強襲に魔群の統制は揺さぶられ、ADAM全軍はここぞとばかりに火力を集結させる。

 とうとう砲撃の一弾が布陣を崩し、結界に綻びを生じさせた。


 さざめく黒影の切れ目を裂いて飛ぶ翼が一陣、地に向かって降下する禍鳥の元へ舞う。

 凝縮された魔因へと辿り着いた紅機――ベリアの目に、禍鳥は寂びた星船の底を露にする。

 

 バルゼベル最大の一撃であればこの戦いに終止符をうてるだろう。

 だが、決定的な好機を迎えた「バルゼベル」の動きはしかし、そこで僅かな逡巡をみせる。

 ベリアは直観していた。彼女に残されたほんの一欠けが今まさに潰えようとしていることに。

 二人交わした誓いが、辿りついた場所。

 少女の翼であろうと誓ったあの日から―――初めから分かっていたこの瞬間を迎えた今、ベリア・ケイツの意志は「それ」を拒んだ。

「―――――厭だ…」

(ベリア…!)

「……出来やしない、出来るもんか!……俺には……無理だ…!」

 塞き止めていた想いが決壊する。

「仲間を…兄弟たちを殺したように、俺は今またお前を手に掛けようとしている……もう沢山だ、こんなのは耐えられないッ…!」


―――その時、少女の脳裏にうつる情景は、血まみれた鉄棺に縋り泣き伏す年端もいかない少年の姿。


 血を吐くような叫びは次第に縋りつくような啜りになって消える。

「―――――お願いだ、ティルツェ……どうか、どうか俺にこの手で愛する者(おまえ)を奪わせないでくれ……!」


 祝福されし収奪の御手。


 かけがえないもの、守るものを――掴んだその指で手折る業を担わされた少年の――――生まれながらの簒奪者が曝け出した、残酷を強いる世界に痛み病む歪な心の奥底には。

 そこにあったのはただ、傷つく事に傷つける事に哭くあまりにも凡庸な弱さだけ。

――――そして、彼のそんな弱さをこそ彼女は――――――。


だからこそ。


(―――ごめんね…)

 意識の端に微かに響くほどのが諭すように語りかける。

「……ティルツェ…頼むよ…俺にそんなことを…させないでくれッ……」

(ベリア……お願い……)

 茫漠と霞みゆく錯像が俯いた少年の背をそっと抱く。


(―――――――ボクたちに、世界を救わせて)


―――――――ここで、二人が出会ったその理由(わけ)を。

―――――――ここに、二人が在ったその証明(あかし)を。


 それが少女の意味(すべて)だった。

 求めるならば、与え。傷つくならば尚のこと憐れみ――。


 それが二人の証(すべて)だった。 

 彼ら二人の日々がこの世界に遺してゆくもの―――――――。


 誓約の果て、約束された結末は今。

 静止した空に浮かび、真円を抉る禍鳥を仰ぎみるベリア。


 彼はこれからする事を永遠に悔い続ける事になるだろう。

 「それ」をした自分を決して許すことがないだろう。

 

 上方へ向け、頭蓋を跨ぐ長距離大砲を展開する機体。


――――――――それでも尚、託された願いを叶える為に―――――。


 赤翼を開き、バルゼベルが射印す白光が狂おしくよじれる閃裂で夜空を分け、天を明かす御柱を立ち昇らせた。

 瞬く白柱に貫かれた禍鳥――魔性の根源たる異月は胎に光芒を孕み、千尋の闇に散り果てる。


 薄暗い下天を清らに還した虹条はそこで途切れ。

「――――――――――ティルツェっ!!」

 何かを云いかけた少女の言葉もまた静寂に断ち切られた。


 彼女の一片は虚しい煌きにのせて舞う。

 久遠へと伸びる空の果てに………分かたれた心の片割れである少年を一人、置き去りにして。


 後世に「リバース・ディ」と語り継がれるこの大規模戦は旧体制下に於ける事実上最後の戦闘となり、直後発令された「レ・コンキスタ」を機ににして歴史の表舞台に躍り出たGRDNの台頭によりADAMはその地位を逐われる事となる――――。







 白き清浄の社――薄暗い霊廟へと、唐突に場面は移る。

 冷気が充溢した室、円柱の中心に鎮座する聖櫃に納められたその身体。

 少女の体を縛するが如くに纏わりついたチューブを力任せに引き千切るベリア。

 彼は屍を抱き起こし、その白く透き通った頬にかかる髪をそっと指で払った。


 以前と変わらぬ相貌は安らかな微笑を湛えたまま―――けれどもう決して瞼を開くことはない。


「―――――悲しむ事はない。今ようやく、神御子は古き衣を脱ぎ捨て本来望まれた役割を担うに至ったのだから――――これで漸く、この世界は真なる創世を迎える事が出来る……」


 振り返れば、見知らぬ男が其処にいた。

「「議会(ゲアス)」に代わって礼をいおう。よくやってくれた、ベリア・ケイツ」

 石段に蹲っていた老人は身を起こしすくと立ち上がる。

「高次域……神能とは単なるエネルギー以上のもの、いわば因果を再構成する超常の力……この力なくば死の星と化した地球上で、人類が生き延びることはかなわなかった事であろう」

 骨格の浮き出た痩躯は靴まで垂れ下がった法衣に包まれ、深い皺に押し込められた眼は虚ろにただその声だけが若々しく生気をもって響く。

「――そしてその力能は人にのみ反応し人の意に応じて発揮されるものだ。またそこにこそいかなる意志や選択も克服しようのない絶対的な欠陥が潜んでいる。無限を秘めた力を行使する人は不完全な有限存在でしかないのだから」

―――――それは、上部構造・世界の外に在るものに世界内存在が干渉すること自体が抱えた根本的な矛盾だった。

 神の力能はこの矛盾を内部と外部のクライン面的様相として構造処理化することで解消した。

 だがその際、人間という存在律が内包する不確定な揺らぎは人を通じて作用する高次域が確定する世界像にも反映されてしまう事となった。

 かくて、認識の最終審級を外された人類は未曾有の脅威に晒されることになる。

 肥大化したシュレーディンガーの猫、現実を食むエヴェレット解釈の複数像。

 世界を解釈し決定する一つの公理系、「神」という定理に押しやられた乱数値が縒り集い形をとった姿――――在りうべき、かつ在りうべからざる可能性の群像に。

「――そうした「モノ」が人を蝕むのはある意味で当然の帰結だろう。ソレらは人の分かち身にして相争う骨肉、ものいわぬカインにして再帰せしアブサロム……いうなれば「魔」とは神の光を望んだ人間の影なのだよ。畢竟、魔なるものは人が神域に介在する以上避け得ない事象といえるだろう。だがね、皮肉なことに神が人の求めに答えるのもまたそれが理由でもある……」

――神意とは働き――――運動法則。

 高次域・空間体の働きは広がりを増す運動といえる。

 世界という現象を組み上げる公理系は体系の外部―――演繹過程における無数の「異物」を掬いとり理に取り込む事で拡張していく。

 故に、「異物」は強大であればあるほど伸張の素地として神域の欲する所のものとなる。

「そう。――――――魔とは神の食餌に他ならないのだ」


―――――神は魔を望み、魔は人を侵し、人は神を求め。

―――――人が魔を生み、魔が神を育み、神が人を生かす。


 三位が織り成す無限運動こそ世界をそう在らしめる構造にして理。


 そして、定立された三つの極を媒介する鋼の御使い―――――――機兵(ドゥナミス)の存在。

 神の理力を受信する炉心は魔を討つ度に神域にその情報子を送る送信機関でもある。

 人が駆り、魔を滅することで神へと供物を捧げる機械使徒。


―――――つまり。世界を守る魔との戦いとは神に贄を捧げる神聖なる供犠の祭礼であった。


「聖霊を繰る者よ。ようやく理解したようだね、神の理と己が役割の全てを」

 暗く澄んだ絶望と共に、聖なる神世の真実をベリアは理解した。


 全能に等しき存在に依っても尚、争いが悲嘆が。

 凄惨が苦が何故かくも繰り返されねばならないのか。


――――いうまでもない、神がそうある事を望むからだ。


「だが、神域の増大する力能をこの世界が支えきれなくなってしまったのは想定外の事態だった。より正確にいうなら人の方が耐え切れなくなってしまったというべきだが」

 強大化した高次力の働きは人の認識によっては保てないほどに世界を変容させつつあった。

 高次域が求めるのは揺らぎを発するものであって、人間という固有の性質ではない。

 いいかえるなら神が人間存在自体に執着する確たる理由はどこにもなかった。

「これ以上変革が及べば増大した神域は人間を並列的な諸様相の束に還元してしまう。だからこそ、神の世界を人の為に補完する機構………世界像を再解釈をする第三機構が必要とされたのだ」

 老人の熱に浮かされたような声が急速に遠ざかる。

「人の認識を解しながら、人の揺らぎを持たないもの……それを造り上げるにあたって、我々は長い歳月と夥しい犠牲を費やした……」


 忌まわしい閃きが少年を襲う。

神域の操作が人の手によるものだというなら、それは他でもなく……。


―――――その時。

 女神像が纏った大翼のしなう音を少年は確かに聞いた。

 涼やかな羽音のさざめきに導かれるように少女の亡骸が実体を失い煌く粒になって少年の手から零れていく。

 現象の鎖から解かれた存在が世界の境に消えていく。


「新生だ。遍く人々が望み、遍く人々の望みに応える存在―――」


 度重なる「秘蹟」を経て、より高みにより純粋に、磨き上げられた霊性(アウラ)。

 度重ねた「試練」を経て禊は果たされ、祭壇にかけられた魂。

 これこそが「HEVENS」の、バルゼベルの真の目的――――。

――――EVEコンバータ」の核は機械などではなかった。

 真正の「HEVENS」の源であったのは――――。

 高次域を此方を均衡させる結ぶ結節点。

 隔世とこの現世に打ち込まれた楔として神とヒトを繋ぎとめるものとは――。


「神と世界との調和を齎す不滅の礎―――これぞ、「神の台座」と呼ぶに相応しい…!」


――――――――神御子・ティルツェの魂そのもの。


 歌が、始まった。


 世界成す絶対の万能奏器を繰る不滅の弾き手。

 どこからともなく少年の裡に鳴り響く歌声は紛れもない少女のそれだった。

 恒久を讃える聖譚曲に再び、老人の声が重なる。


「この調べが響く限り、世界の安寧は約束されよう。今までも、そしてこれからも永遠に…」


 そう、永遠に。

 心身全てを余す所なく光輝へと捧げた聖贄は永遠に解放されることなく。


「全ては神子の介添えたる君がいなければ叶わぬ所業だった……歓迎しようベリア・ケイツ。この神座が迎えるであろう新時代へ」

 呆然とする少年に向け。

「世界を救った聖約の子等に――」

 老人は純粋な労いと感謝と、祝福の言の葉を告げる。

 その言葉さえ聞かなければ少年は狂うことはなったかもしれない。


「――――恩寵あれ」


 ただ刈りとる為だけにあった少年の生と。

 ただ奪われる為だけにあった少女の生を。

 この悲惨を神なる世は肯定するという。

―――――――――恩寵。

 ただその一語のみをもってして。




―――――――違う。


 こんなものは。こんな世界は。彼が、彼女が、望んだ世界ではない。

 彼女が夢見、そして命をかけたのは。


―――――――違う。

 

 少女の生と死を神の世をなす生贄(パーツ)としてしかみない彼ら。

 

 死が折り重なり、屍の上に成り立つ万人の生―――――その凄惨をこそ変えたかったはずなのに。

 己が半身をこの手で剥ぎ取り、傷つけ、ついにその生の一片までも捧げ尽くしてなお、逆しまな世界は醜くそのまま。



――――――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 認めない。

 在ってはならない。

 こんな世界は根底から違えている。



 少女の夢は汚された

 少女の願いは裏切られた。

 少女の祈りは欺かれた。

 少年と少女、二人の希望(のぞみ)は、かくも無残に捻じ曲げられた。



 一切が反転する。

 福音(イワイ)は呪詛(ノロイ)へ。

 救済(スクイ)は罪障(ツミ)へ。

 儚き夢は果てなき悪夢へ―――。

 あらゆる感情は遠のいて、胸に広がりゆく名づけえぬ濁熱はひたすらに黒く、黒く、黒く、黒く黒く黒く黒く―――――――。

・

・

・

・

 気づけば世界は一面の赤に染まっている。


 燃え盛る床面が少年を仄照らす。

 映すものはみな暗く。

 映えるものはみな紅い。

 足下に転がる肉塊はもはや答えを返さない。

 血坩を垂らした耳を打つ夥しい瀑布の鳴動。


―――――それでもまだ、響きは止むことがない。

 


 恐らく彼は狂っているのだろう。

 「これ」を恩寵と呼ぶのなら。


 

――――――少女の救いを認めなかった運命。

 「これ」が肯定される世界であるというのなら。


――――――死して尚少女の安らぎを許さない運命。

 この世界が無垢なる悲惨の上に成り立つものだというなら。



 そして彼が狂っているのなら。

 この世界の在り様もまた等しく狂っているはずだ。

 

 ならば――――彼の魂が灼かれるが如く、世界もまた裁きの劫熱に灼かれなければならない。


 真実を否定する意志、ついに仮象でしかありえなかった可能性を渇望する意志を抱く者は。


 御座に塗り込められた魂は神の栄光を一心に謳い続ける。


 絶え間なく、果てなく、限りなく……。


 神なる世界が終わらない限り、少年を狂わせるこの祝ぎ歌は決して消えそうにない。



 何もかもを灼き尽くす起源にして終末(すえ)の火。

 逆巻く灼熱の果て。

 垂れ下がる緞帳を白廟を、隅々まで炎が包む――――――――。


 

 ベリア・ケイツ――――紅蓮を運命(さだめ)と生きる少年の、これが総ての始まり――――――。







■

――――――収束する閃光が現在を呼び覚ます。


 追憶に浚われたダネルの刻は空白の一瞬へと置換され、昔日を映じた幕が取り払われた眼前に再び魔獣の禍々しい機躯が現れる。


 戦闘は継続――――激発する憤怒のままに隻腕を振るう魔獣(ゲフェンノーム)。

 破断の剣勢は斜めに奔って魔獣の一閃を受け流し、切り返す刃で続く突進を退けた。


 ゲフェンノーム――――――漆黒の狂影にバルゼベルの貌が重なる。


「――もう止めろっ!お前がやっている事はお前が憎むものを反復しているだけなんだぞ!」

「あいつの祈りを捻じ曲げた貴様等が今更道義を語るのかっ!」

 ダネルの説得も「D」には届かない。

「彼女が守った世界だろうにッ!」

 飛突する魔獣の爪が蒼炎の揺らめきを裂いた。

「だからこそ、あいつの屍を踏みつけて!貪って!今此処にある世界とやらがどれ程のものか、審判を下してやろうというんだ!最後の一欠けまで灰になって、それを笑って受け容れられるというなら俺は貴様等を崇めてやるさ!」

「巫山戯るなッッ!!」

「あいつは―――ティルツェはそうした…」

「……!」

「―――そうだ…!貴様等がそうさせた……この俺の手を使ってえぇっっ!!」」

 彼女の――彼の――「幸福」を、何処にも許さなかった世界に向けて、少年は絶叫する。

 この狂気を前にして、語りかける言葉はあまりに空疎。

「血塗られた宿命というならそれもいいだろう…!お望みどおり、何もかも灼き尽くしてやる……貴様の思惑諸共なぁっ!」

「「D」っ!」

 荒ぶる魂を鎮める為、魔獣の裂叫に騎士機(ディキオス)は応え―――。


 闇を漕いで交錯し火燐を散らす双焔が成層の高域まで翔け上る。


 鮮烈の蒼。


 凄絶の朱。


 希望潰え、絶望終なる臨界の刻。

 

 対にし明暗が鬩ぎ交じわり、やがて一つに融ける殲天(ソラ)。


 切り結ぶ機と血肉、その魂――――翔ける互いの影である二者。

 両極に立つ似姿は互いを否定しあうことでしか自らを証立てる術を持たず。

 技量も技巧も戦術もない、剥き身の闘争が応酬が生の本質を炙りだす。

 狂乱に啼く精神がその身を責めぬく愚かな血宴(うたげ)――――。


 脇を抜ける爪が離れ際に腕の付け根を掻く。

「まだだっ!」

 燃える剣刃が魔獣の牙を根元から叩き斬って、焦げた熱爪が騎士機の片目を持っていく。


 光と闇―――対称のトリルを打って蛇行する平行軌道が一度大きく膨らみ分かたれ、再び衝突する。


「――だけど!こんなのは!間違いなんだよっ!―――ベリア!ベリア・ケイツ!」

「俺を・その名でッ・呼ぶなあぁッ!」

 ベリア。

 災厄の名。

 収奪者の名。

 愛する者をその手で殺す者の名。


「「――――――――ッ!」」


 二人の空間に叫びが爆ぜる。

 ゲフェンノームの尖爪は、構えられた剣を根元から断ち折って騎士機の胸元を貫通した。

 装甲を穿つ爪がコックピットにあるダネルの頭上を奔る。

 凄まじい衝音が耳朶を割り鉄のささくれが肩を裂き割れた額から鮮血が瞼に重く垂れる。

 しかし、操桿をまさぐる手は決して動きを止めない。

 蒼焔と化した翼が大きく羽ばたきディキオスは流れる血にも怯むことなく食い込んだ爪を更に深く深く、機体に沈み込ませる。

 ぎしぎしと軋みをあげる鋼骨。

 機躯を揺する度、赤く澱んだ視界に捕らえる獣の姿は少しづつ近づき。

 長爪がめり込む程に両機の距離を埋め――――。

「――――堕・ち・ろおおおおおおおっっ!!!」

 遂に間合いにまで達したディキオスが全てを振り絞って突き上げる、欠けた剣に残った刃がゲフェンノームの咽を縦に割った。

 魔獣の裂傷から鮮血と飛沫く熱に顔を焼かれながらも騎士機は握った剣を僅かに緩める事もない。


 広がる爆涛が天の高みから二体の躯を弾き落す。

 鎧衣を剥ぎとる摩擦熱―――翼もぐ衝撃につれ流れる焔の尾は、夜に一筋の線条を描き。


 終焉の殲天(ソラ)を翔ける魂が一対。


 互い貫く刃で繋がった二機は流星となって地へと降りゆく―――。




 荒野を焼く炎火に佇む鉄くれ――――睦みあう破滅の彫像が俯くバルネアの大地。

 砂利に伏した少年を見下ろすダネルの片目は凝血で塞がり、濡れた髪が垂れた額を抑える片手には新しい血が滲んでいた。

 よろめく彼はもう一方の手に握った拳銃を「D」の頭に向ける。

「……一度だけ聞く。投降の意思はあるか」

「……やれよ。ダネル・アラクシ」

 少年の口の端を血泡が汚す。

 その一瞥が一切を物語っていた。

 彼はこの先、道をかえることはないだろう。

 この世界にはもう彼を押しとどめるものは何一つとして残っていないのだから。


 彼は決して世界を赦すまい。

 何よりも自分自身を赦せぬが故に。


―――――――正しい事。

―――――――正しくあるべき事。

 それは、弱さが救われ、過ちに報いが与えられる事。

 ダネルにとってそれが正義の意味だった。

 しかし――――――。


「―――――――――何を奪って得た未来だ?」


 ダネルにとって今ここにいるのは理不尽な暴力の権化たる「D」ではなかった。


 災いの仔・ベリア。

 少年(ベリア)は少女(ティルツェ)の犠牲の上にある世界を認めなかった。

 「D」を赦してある世界を認めない少年(ダネル)のように。


 真実を識ってしまえば。

 今ある世界のすべてが裁かれえぬ罪の上に築かれたものであるなら――――。

 

 守るべきものを奪われたダネルの怒りも悲嘆も、目の前の少年と同じではなかったか。

 彼と自分と、何が違う?どう違う?二人の少年を隔てるものはもはやない―――――。

 

 彼は心の奥底からベリア・ケイツを理解しまた共感しえた。

 だからこそ、この手で葬らねばならなかった。

 

 ダネルがこれまで歩んできた行程は彼に立ち止まる事を許さない。

 選択の余地は初めから彼の手には委ねられていなかった。

 銃の引き金に指をかけた少年の胸に暖かな肖像がよぎる。


―――――そうだ。「彼女」だけが彼等に赦しを与えられる唯一の存在だったというのに。

 二人の少年を留める者は、もはやいない。


 指に力を込めるダネルは「それ」を絶望的に覚る。


 彼の指を動かすのは原始的な闘争の原理――――報復。復讐。憎悪。怨恨。


 この行いに正義はない。


 ここに正義はない。


 この世界に正義はない。


 いかなる理由をつけようとこれは剥き身の暴力(うばうもの)でしかない。


「――――――ああ、そうだ……。お前はみんなを……何よりも、お前を救おうとした者を……フィーラをやってしまったんだぞッ……!」

 そして。

 撃鉄が人の醜さを弾き出す。



 

 土に転がった薬莢を赤く染めた火は、やがてくずおれた肉形を内に呑みこんでより激しく燃え盛る。

 痛む四肢を引きずりながら、やっとの思いで火の手から逃れたダネルはそのまま倒れこむように地べたに膝被いた。

 返り血を拭い落とすように指は強く土を掴み、胃の腑を焼く酸汁に嗚咽が零れる。


 背中越しに黒く揺らめく灰塊を眺める内。

 少年の世界は揺らぎ、そして昏さに呑み込まれていく。




 ダネル・アラクシはベリア・ケイツを殺した。

 その事によって同時に、ダネル・アラクシは己を殺した。


――――こうして。

 ダネル・アラクシは自身の正義と半身とを共に喪失(うしな)ったのだった。


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