誓約は蒼天
■
初夏の日差しを避け、大樹の木陰の両端にそれぞれ腰を下ろした少年と少女。
「ねーねー。今日こそお話を聞いてくー?」
「御免被る。物語なんて下らないね」
「む!聞き捨てならないことをいったね今!」
彼女はよく書物を読む。
その中でも特に御伽話の類――物語が大のお気に入りなようだった。
「――――いくらよく出来た話だろうと物語なんて結局は嘘、虚妄にすぎないだろ」
「けどじゃあ真実って何よ。お偉いさんが検閲しまくってるせいで、ボクらほんの百年前の歴史だっててんで分からないじゃん。それとも自分の目で見たもの以外信じないっていうの?」
「そういう事じゃなくてだな。要は自分の手の及ばぬものを求めたって虚しいっていいたいのさ」
「空想の中でいくら夢を膨らませたって、現実に戻れば今ある自分を余計惨めにするだけだ」
「むー、キミってつまんない奴だなぁ。現実を離れて夢を見ることが出来るってのが宝なんじゃないか!」
ティルツェは僅かに上を見上げる。
「そしてね、人は夢見るものをいつか必ず形にできる生き物だよ。…そうとも、どんな時、どんな場所にいたって人は想像することが出来る。ボクらが生きてく今の先に待ってるはずの楽園をさ」
「けど、酷い結末の物語もあるぜ」
「うーん、そういうのの作者さんはきっとベリアみたいなひねくれ者だったんだろうねぇ」
「いってろよ。…ていうかそもそもさ、神子様が禁忌を犯していいのかよ」
現在、真世界においては文物は極度の検閲下にある。
文化・文明・語学・習俗・歴史――――それらは人々を分かち争いを生むものとして厳しく制限されていた。
「へへんだ、こっちは天下の神子様だぜい。罰せるもんなら罰してみろっての!」
「質の悪い開き直り方だな」
「いいんだよ。外に出してもらう代わりなんだから。このくらいは大目にみてもらわないとやってらんないよ」
本に手をやるティルツェ。
「それにこの子たちだってね。わざわざ保管してるのに誰も読んであげなきゃ本が可哀想ってもんさ」
「ま、俺としてはお前が本を読むのは一向に構わないんだがな。なんで俺に聞かせようとするんだ」
「だって自分だけ楽しむのなんてもったいないじゃん」
「お付きの侍女にでも聞かせたらどうだ」
「ダメダメ、彼女たち怖がってまともに聞いちゃくれないんだ、罰が当たるからってさあ。無理強いしたら可哀想じゃん」
「俺に無理強いするのはいいのか」
「うん。キミとボクとの仲じゃない」
「……つまり主人と奴隷の間柄ってことか」
「うーん王子様と燕みたいな?」
「なんだそりゃ」
「そういう物語があるんだよ。今度聞かせたげる」
「だから、いいっていってるだろうが」
庭内を穏やかに吹き抜ける風が一陣。
「―――あぁ、もう」
「動くなよ」
ティルツェの髪にまとわりついた細かな葉をベリアは軽く払ってやる。
「これだけ長いと何かにつけ鬱陶しいんだよねー。いっそ髪切っちゃおうかなあ」
「やめとけよ。中身と合わせて本格的に神子って柄じゃなくなる」
「ん。キミがこっちのが好みだってんなら、面倒だけどしょうがないか」
「おい。誰が好みだなんていった」
「え~照れなくたっていいじゃん今更」
「照れてなんかいない」
「じゃ、切っちゃおうかな髪」
「好きにしろ」
「本当に?本当にいいのー?」
「ああ、俺の知ったこっちゃない」
「…ふうん。そっか…どうでもいいんだ」
消沈してみせる少女を余所にベリアは席をたち出口へ向かって歩き出す。
そして彼は少女の顔を見ずに一言。
「…まあ、そっちの方が似合ってはいる」
少年の言葉に、にんまりと笑みを浮かべる神子。
「キミはもっと素直に生きるべきだね、ベリア君」
「お前はもっと慎みを学ぶべきだなティルツェ」
「…まったく、あの聖女様には大いに悩まされているよ、スクォード」
ベリアは勧められた珈琲を啜る。
「しかしここの所調子は良好のようで何よりだ」
「そうか?確かに機体に不具合はないが」
「そっちじゃなくて、ティルツェの方さ」
「俺はそうは思わないが」
憮然とする少年を面白そう眺めるスクォード。ベリアが少女の元に留まる時間が、僅かだが日を追って増えつつあることに彼は気がついている。
「…ともかく今後ともその調子で頼むよベリア」
「気軽にいってくれるよな」
少年のそれは控えめな了承の返事。珈琲の礼を済ませ立ち去る少年の背を、スクォードは満足気に見送った。
■
―――出撃直前。バルゼベルを起動させるこの瞬間、ベリアはいつも気後れを覚える。
ライフデータの同調に始まる一連の交感体験は心の襞が擦れ合う奇しき錯覚を伴って、四肢に淡やかな細波を聞かせる。
細胞を通し神経糸を震わせるその独自の律動をあるいは唄とでも表現したらよいか。
霊性の重ね合わせによる共感覚といっても複雑な思考や内面までもが相手に伝わるわけではない。表層的な感情程度なら窺えもすれどそれは通常の脳波信とさしたる違いはないはずだ。
もとより種々の生態調整に慣らされてきた身でもある。
巷間に広まる俗説とは異なり綿密な心理誘導処理を施された彼ら調整者は総じて精神的な強度が高い。
当然それはベリアにしてもあてはまる筈。なのに―――――。
(――――うぉーい聞こえてるー?こっちは準備終わったからいつでも良いからね~)
彼はその囁きに僅かな後ろめたさを喚起される。
「ああ、待ちくたびれた――――――こちらバルゼベル、出るぞ!」
遥かな距離を隔て浸透する息づきを自分という人間の翳りがひどく穢すように感じられて。
現在ある地球の姿を、もしも衛星軌道上の高みから観測したなら青い地表に波線を櫛ずる紅いざわめきを確認できる事だろう。
地上の三割を占める最後の人類圏、真世界。
その最外縁周域を結んだフロントラインを防衛線に見立て、その内側に入り込んだ異物を排除するのがADAMの、そしてベリア達の使命である。
異物とはいうまでもなく「魔」を指す。
――――――存在を確認されて十数年が経った今も明確な正体を特定しえないこの現象体は、神域からのエネルギーに依存するようになって以来出没するようになった事から、恐らくは神域と同じような別領域よりの夾雑物であろうと一般的には解されている(したがって「魔」とは即ち神に反するものに擬えた呼び名であった)。
「魔」の正体が正確には何であろうとADAMにとってみればどうでもいい話である。
いずれソレらが排除すべき敵である事は変わらないのだ。
それに。万能の力に付随した思わぬ厄災に気づいた所で、疲弊しきった人類には神域に依存する以外の生き方は残されていなかった。
要塞街都「サートリス」陥落から三日を経て更に勢いを増す魔の侵攻は早くも、次なるユニットをその歯牙にかけようとしていた。
今、ベリアら機兵部隊の前方に飛び込んできた大構造帯―――水精製処理施設がそれにあたる。
砂漠に寝そべる巨大な蝸牛の如き施設外周部は、間近まで押し寄せた瘴気の純粋な変性圧によって既に侵されつつあった。
フレームチューブを網状に囲う防性素子は物象化した魔の結晶に蝕まれて殆ど用をなしていない。
このままでは遠からず施設内部もリング状の地上露出部から侵食を受けるだろう。
自然環境を活用して各種の生活資源を製造する大規模な生態環はその性質上自ずから魔を取り込みやすくなるとはいえ、これ程急速な事例は極めて稀といえる。
「――全機とも、前方捉えてるな…」
機兵各機の可調帯域に合わせたモニターが赤く巻く螺旋流体を認識する。
黄土に出現した黒き虚海、その只中に潜む巨獣は二体とも既に完全な現象化を果たしていた。
丸めた背の側面に沿って並ぶ砲門代わりの突起が此方の動きを敏感に捉え威嚇するように蠢く。
粘糸が別個の生き物の様に這い回り節ばった鉄躯の細部を判じ難くしているが――。
『おい、あの形状…もしかして』
『奴等め……ユニットを取り込んでいるのか……!?』
呻くようにそう漏らす機兵の搭乗者。
「サートリス」は跡形もなく消滅したという話だ―――おそらくは大型構造体を喰らい肥大化したのだろう、両方ともが通常サイズを大きく上回る凶悪な魔塊だった。
「――――各機とも分かってるだろうが純火気系は使うな。熱量ごと喰われるのがおちだ」
飛翔の翼列は左右に散開し、それぞれ施設と敵機の間の空間に陣取った。
(ね、ね、あそこ、まだ人がいるんじゃないの!?)
施設の近傍に備えられた管理用居住シェルターをいい示すティルツェの囁きをベリアはあえて無視した。
施設の維持に比べれば少数の人命は要度からすれば遥かに劣る。
製水プラントの損失は施設に依存する全ユニットにとって深刻な打撃となる。みすみす見殺しにするつもりは寸毫もないが、さりとて率先して保護するべくもない。
一定の距離を保ちながら敵機周空を旋回する機兵各機。
魔機の胴体に、側面に回った「突槍機兵」隊が素早く対大型用長突槍を穿ち込む。
突槍機兵の全長を上回る重突長槍の――理論上では戦艦級にさえ有効な兵器である――――直撃をもってしても巨獣の歩を僅か弛めたに留まる。
だがバルゼベルには、それで充分だった―――機体背部よりマウントした銃の先端が口を開いて連続して火閃を放つ。
無数に走る光直線は一束となって甲殻に入った疵を執拗に押し広げ、機に乗じた打剣機兵隊の荷圧振動短刀が一斉に開いた内腑を抉りたてる。
一体を鎮圧するのに要した時間は数分余り――磐石の態勢はこれ以上ないほど機能している。
このままの布陣を維持していれば後の一機とていずれは仕留められようが。
『――――各機気を緩めるよッ、まだ「穴」は拡がってるんだ、もたもたしてると地面ごともってかれるぞ!』
誰もが迅速な掃討を求めるあまりセンサーが感知しえた微弱な兆しを読み損なったのは些細だが重大な誤謬。
いち早く異変を察知したのはティルツェだった。
(―――あそこ!まだ……いるよっ!?)
施設内側の砂面、啼く隆起が背後より迫る。
「小賢しく伏兵かよッ……!」
新手の存在に反応する部隊の進路を、遅れて地中より噴き上げる蟲群が遮断した。
分断された部隊は浮き足立ち後方に待機していた突槍機兵隊の第二波も重武装が仇となって対応が間に合わない。
浮き足立つ部隊の目前でシェルターが新たに現出した魔孔へとゆっくりと傾き始める。
少女の声は今度は強く訴えかけるもの。
(ベリアいけない!あそこには人がいるんだ、見えないのッ!?)
内よりの響きと外界の光景―――――居住区から離脱する幾つかの小艇――――がベリアの心中をかき乱す。
脱出したものは極僅か。
内部にはまだ半分以上の人員が残っている筈――――最後の最後まで稼動の維持を試みているに違いない。
「……」
魔蟲の妨害を逃れた「打剣機兵」数機と合わせて、バルゼベルが一直に新手に向かう。
シェルターには目もくれず。
(―――駄目だよッ、ベリアッ!)
「今はどうしようもないんだ!誰だって好き好んでやってる訳じゃないんだよっ!」
――――と、振り払った思念の波に突如として空白の断裂が挟まった。
直後に安定を欠いた力場がバルゼベルに重力の陥穽に落とし込む。
視界が一面の砂漠に転じ、急速に拡大していく。
「―――っく!」
暴れまわる機体を力づくで押さえ込むベリア。
バルゼベルは瞬時に推進翼を翻し、推圧が砂塵から機を押し上げた。
砂海を叩いて上昇した機体がなんとか制御を取り戻したのと、魔影がその凄まじい暴威を発揮したのはほぼ同時。
巨獣のもたげた両腕が縦に割れたかと思うと礫―――通常サイズの機兵とほぼ等しい直径の―――を全方位に弾いた。
巨大な礫と降る熱塊が砂丘の連なりを崩して蒸煙をしぶかせる。
射程範囲から外れていたバルゼベルは幸運だったというべきだろう。
対して、巨獣のほぼ正面にあったその打剣機兵は運がなかった。
弾列から辛うじて逃れた機躯が影に染まる。反射的に構えた短刀は何ら意味を成さず。
塵を巻きあげて鉛の血袋を挽き潰す巨腕。
――――咽奥から搾り出す小さな悲鳴は少女か或いは少年のものか。
「馬鹿野郎がッッ…!」
ベリアの頭頂から背骨へ、透徹した刃が差し込まれた気がした。
痛みと怒り。
心を満たす破壊の慾動。
黒く熱く赤く冷えた凶暴な知性が身体を支配する。
「――――バルゼベルが仕掛ける。各機こちらに構わず目標向かって撃ちまくれッ……!」
彼の意に応じて放たれた機兵部隊の一斉砲撃の光中へ、抜き払った曲刀を手に飛び入るバルゼベル。
幾十もの光弾道を背に引き連れて、赤影が巨獣と切り結んで、離れ。
刃先のすれ違った後、ぱっくりと朱い内側を開け晒した鉄躯に一拍おいて怒涛の光矢が群がった。
施設表面を吹き抜ける爆風。
熱量の海の中に崩壊していく魔物の傍ら、モニターに映じた音もなく陥没に沈む居住区の建群を目の当たりにして少年に篭る濁った激情は急速に覚めてゆき、鈍い疲労だけ残して去った。
「…だからいったんだ……」
誰に聞かせるでもないその呟きもまた虚しい。
趨勢は決し、機影は残る一体へ向けて機翼を翻した。
通信回線を通じてシモイベ・ロイが戦闘結果を読み上げる。
『―――幸い施設の被害は軽微なものだ。復旧も二十時間以内には完了するだろう』
「…そうか」
『そう気を落とすな、お前は良くやったさ―――』
そういい残して回線は切れる。
「ティルツェ、聞こえているか……もうあんなことは二度と御免だぞ」
暫しの沈黙が重く答えを返す。
「分かっていただろう。戦場ではこういう時だってあるんだ」
うち沈む少女と、自分を慰める言葉。だがそれを遮っての少女の問いはひどく唐突なものだった。
(キミは何の為に戦っているんだい)
唐突な問いにベリアは眉を顰めた。
「…何のためってそりゃ、それが俺達の仕事だからだ。訊くまでもないだろ」
(ならなんでそんなに苦しそうなのさ)
「こんな目に遭った時は、そりゃそうなるさ……だからって、任務自体が厭なわけじゃあない」
(じゃ、嫌いなのは自分?)
息を呑む程の僅かな間、言葉を失ったベリアは苛立ちを抑える。
「いちいち…俺を責めているのか」
(そうじゃない…ただ、キミはキミが思うよりずっとかけがえのないものを守っているんだって知っていて欲しいんだ)
何をいうかと思えば。
「お優しくあるのは結構だけどな、それを他人に押しつけるのはやめてくれ」
(…時々ね、何もかも毀れてしまえって思うときがあるでしょ?そういう君の姿、みていて苦しいよ)
響きは柔らかな棘となってベリアを射す。彼の根にある破滅的な衝迫を彼女は識っている。
「……それで?」
内面を発かれたベリアを襲うのは羞恥よりも激しい怒りだった。
考えるよりも早く言葉が口を衝いて出る。
「確かに俺達は人々を救う…けどそれがどうした。考えてみろ、連中が俺達にとって何だというんだ?あいつらはこっちの顔も知りやしない。こっちだって同様だ。名さえわからぬ連中に一体何を期待しようというんだ?感謝か?称賛か?崇拝か?ああ、それこそ神子様のお望み通りというわけか。通り過ぎる奴らの虚しい言辞に囲まれてればさぞ満足なんだろうよ、お前は。」
(違う!違うんだよベリア…!)
怫然となる激情に自分でも戸惑いながらも、口をついて出る嘲罵を止めることは出来ない。
「いいや違わないね。…結局、お前は手前勝手な理想を都合のいい現実に重ねてるだけなんだ。神子と祭りあげられたお前がそう吹きこまれたとおりの理想をな。けどな、お前の想いをどれだけ重ねてみてもそんなものは誰に届く事もないし何が変えられる訳でもない。せいぜい自己満足の殻に包まって俺が血をみている間、呑気な夢に浸ってればいいさ」
いい終わって直ぐに口中を蟠る苦味に少年は顔を顰めた。
後悔は遅く、酷く惨めな気分を引き摺りながら彼は後始末へと頭を切り替える。
戦闘終了時点で機兵部隊出撃機中二機が「消失」、三機の被弾中破。
敵勢の激しさを勘案すれば上出来の部類には入るが。
現時点で目立った魔象の観測がない以上、ひと時の安息が保証されるだろう――。
帰還の途上、ティルツェはずっと沈黙を保っていた。
硝子壁に歪む青年の顔。
「どうにも同調係数に偏りが出るね……可動への移行率もまとまらない」
スクォードは忙しない素振りで三方に据えた盤面を指がなぞる。
「俺の方ではいつもと同じなんだけどな。機体の方だって不具合はとりたてて感じていない」
「問題は機体の方ではないようだね」
円筒の内側に立つベリア。
脳梁に埋め込まれたインプラントがせわしなく機器に身体情報を送信する。囲む薄翠に色づく気流がわずかな四肢の動きに弱い反動を返す。
被験時にかかる負荷を軽減した新式の調生装置は、ベリアにしてみれば今更という感もあったが所要時間を大幅に短縮できるのは有難かった。
円筒を覆う六角形の床と側壁が作る空間には、いつもスクォードだけ――心理的配慮だろうか、外郭に控える技術者は誰一人立ち入った事がなかった。
「あんまり彼女の機嫌を損ねないでくれよ。彼女は唯一無二、代わりは誰もいないんだから」
「そりゃあ、「端末」風情とは違うさな」
「端末」と、自分が影でそう呼ばれていることを彼は知っていた。
そもそもベリアがバルゼベルの乗り手に選ばれたのは秀でた戦闘技術以上に神経系レベルでの適応能力の、つまりは同調者としての資質の高さに依る。
そういう意味では機体の搭乗者は出力器である「HEVENS」の拡張部品に過ぎないという訳だ。
「そう拗ねるなよ」
「事実に腹を立てる必要はないさ。ただ例の計画は、出来るだけ早く進めた方がいいかもしれないな」
バルゼベルは新世代機兵の雛形となるべく定められた機体でもあった。
機体の実戦投入により得られた戦闘データを元に開発されるであろう新たな機兵は「HEVENS」を自律統御する事で高次力を十全に引き出しうる、それまでの機兵とは根本から異なる新次元の兵装となる筈だ。
「そうすればレディも目出度くお役御免ってことになる、がね……」
スクォードはそう言葉を濁す。
GRDNとしては神域の安定化を目指す事に精力を傾けているに違いないがその結果は捗々しくはないのかもしれない。
「……正直にいうなら彼女を引っ張り出す事自体ナンセンスだと思う。戦いの場を覗かせていいような人種じゃないんだよ、このままじゃいつかあいつ――」
「ならさ。君が守ってやってくれないか」
理解に苦しむ言葉だった。確かに同じ作られた者としての境遇は似てはいるが、自分と彼女ではあまりにも違うとベリアは思う。
「…それは命令ってことか?」
「いいや。ごく個人的な頼みよ」
「分からないな。それこそ俺じゃなくあんたの役目だろうよ、スクォード」
青年は機器を弄るのを止めて手で脇にやる。
「例えばだベリア、君は自分を育てた技術士達をどう思ってる?」
「……何が言いたいんだ?」
「つまりはそういうことさ。…僕には彼女を気にかける資格が初めからないんだ」
スクォードはどことなく寂しげな笑みを絶やさずにいう。ベリアはこの捉えどころのない男の内面に初めて触れた気がした。
「そしてねベリア。彼女の世界に入れるのは多分、君だけなんだよ―――」
■
開け放たれたデッキに坐した各機兵――前回から数えて丸五日ぶりの出撃である。
翔艇の船尾から白い軌条が幾つも伸びる。風に順じ、バルゼベルの機躯が高度を上げて分厚く垂れ込めた雲に迫り。
打ち出された茫洋の空にベリアは追憶を載せる。
「――――先日の件はすまなかったな…ちょっとばかり言い過ぎた」
再び小庭に踏み入ったベリア。
丸めた小さい背中、伏せた顔は長い髪で瞳が隠れている。
「ティルツェ、泣いてるのか?」
かぶりを振る少女は顔を俯けたままいう。
「ボクの方こそ謝らなくちゃ。初めて色々なものに触れられてはしゃいでしまって…そういう気分を押しつけたら、キミは命がけで戦ってるんだから怒るのも無理はないよね」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
ベリアはこの少年には珍しく歯切れの悪い口ぶりで話を切り出す。
あれからずっと彼は考えていた。
何故あんな事を口走ってしまったのか。
露悪的な衝動か、教条に過ぎるいい種が癪に障ったからか。
いいや違う。
彼は少女の夢を否定したかったのではなく、肯定する事が出来なかったのだ。
ふとした時分に此処にいるのが己ではなく兄弟達―――彼が殺めた―――同胞のうちの誰かだったら……埒もない妄想に浸る自分がいる。
少年が守る名もなき命は少年が犠牲としたかけがえない命と果たして釣り合うものなのか?
彼には答えられなかった。
だから。
生きる為に戮して、生きる為に救う――少年はそう昏い責務に自身を埋めて全ての疑念を、遣る瀬ない怒りを封じ込めた。
そんなベリアにとって少女の想夢はただ一途で、真っ直ぐで――。
「――――いってしまえばただ、羨ましかっただけなんだ」
少女が肩口からゆっくりと顔を覗かせて少年を見やる。
「…それでつい、意地悪いっちゃったんだね」
「…ああ」
「…それで後でマズイ事いったなって、後悔したんだね」
「…まあな」
「それなのにすぐに謝りにこないで、今の今になるまでグチグチ悩んでて踏ん切りつかなかったんだね」
「…そりゃな」
「さっきだって、なかなか入ってこれずに入り口の前でたっぷり五分はうろうろしてさ。叱られるの怖がるガキかっつうの」
「…おい!」
「どうしようもないなァ、まったくキミってやつは!」
「…人が下手に出てりゃ…好き放題いいやがって…お前はッ…!」
「―――でもね、そんなキミにボクは救われたんだ」
伏せた顔を上げたティルツェと目線を合わせて、ベリアはそこで初めて彼女の異常に気がついた。向けられた相貌に混じる僅かな違和――澱んだ片側の瑠璃に少年は息を呑む。
「お前、左目が…」
「うん、ちょっとね」
虹彩を失った瞳は奇蹟の代償。
高次域からの膨大な力能/情報を編纂し加工し伝える―――その膨大に過ぎる力能を神ならざる人の身で扱えば結果は自ずと知れた事だった。
心魂の欠損。
神力を行使する度に少女の霊性は高次域に同化していく。
この神域への偏移現象は此方側からすれば消失と同義である――感覚失調はその影響であり、これから先「HEVENS」を操作し続ければ少しづつ生命の片鱗を失っていくことになる。
かつて彼女に先立って消えた者たちのように。
「スクォードが話しちゃったんだね」
「どちらにしろそのうち分かる事だったさ」
――――スクォードは語った。
「HEVENS」計画は初めての試みではないということ。かつて六度繰り返された実験、六度捧げられた犠牲の結実こそが今の「HEVENS」でありティルツェである事。
第七次計画。至天の高みに到達する為に、地を這うものはひたすら肉の礎を積み重ねるしかなかった。
旧時代の自然を象った花園は独立した小世界。
だが、ただそれだけでは模造物は所詮、模造物であるよりない。其処に人があってこそ、土と木と風が織り成す空間ははじめて世界として認められ存立し得る。
閉じられた庭で小揺るぐ浅いまどろみはティルツェなりの黙祷――少女の姉妹は此処に眠っている。
和やかな光が降るエリドの永遠庭はまたソフィアの名を継ぐ少女らの墓標でもあった。
自分と同じ、いやある意味ではそれ以上に酷薄な運命の元にある少女にベリアは微かな憐みを覚えた。 彼とは違い彼女は自分自身の過ちを責めて生きる事さえ叶わないのだから。
ベリアにとって戦いとは、彼が戦士であるという事は罪であり罰であり贖罪だった。
しかしティルツェにとってはどうであったか。
犠牲の上に依って立つ生誕であれば祝福された生を責められようはずがなかった。拒む事も逃げる事も赦されないままに。
―――――人の為に。他者の為に命を磨り減らす。
それは無垢なる夢想でも高邁なる欺瞞でもあるまい。
「ボクに出来るのってこれだけだもの」
――――ただそうあるよりなかったから。
「……憎くはないのか?」
少年は問う。
「お前はこんな運命を恨まないのか。怒りを感じないのか」
少女に問わずにいられない。
「生まれた時から鳥籠に入れられ自由もなく、理由もなく当たり前のように奪われる……なのにどうして」
ベリアは己の苛立つの理由を覚った。
少年は理不尽に奪う運命を憎んだ。
なのに、彼女は奪われてなお笑う。
いつだって。楽しそうに。闊達に。喜び。
それが理解できなかった。
「…なんでそんな風に笑っていられるんだ…?」
「やれやれ。キミって本当に肝心なとこはおバカさんなんだねベリア」
ティルツェは少年の前に立つ。
「そりゃキミの前だからに決まってるじゃない。ボクがいつだってアホみたいに笑っているのはベリア、キミがいるからさ」
彼女の指がそっと頬に触れる。
「…ゴメンよ。ずっと前からキミの苦しみは知っていたのに…」
―――この世に生を享けてより続く少年を灼く運命。
「キミがどんなにか他の生き方を望んだか、そうすればキミがどんなに救われていたかを分かっているはずなのに…」
―――その嘆きと怒りと絶望の果てに―――。
「それでもボクは今ここに、キミがいてくれるのが嬉しくてならないんだ」
―――彼女がいた。
「ねえベリア。ボクの運命がキミなんだとしたら、どうして憎めるはずがあるだろうか?」
少女がはにかむように微笑む。
「―――少し前までは自分の境遇なんて、真面目に考えもしなかった……今思えばきっと逃げていただけだったんだと思う。どうしようもない、仕方がない事だって、神子らしく悟ったふりしてさ」
神御子の衣鉢にひた隠した彼女の真実。
それは使命の檻に閉じこもり葛藤から身を遠ざけたベリアの似姿でもある。
「ボクは諦めていただけだった。そうキミに会って気づかされたんだ」
彼女もまた運命に恭順する者だった。
しかし――。
「ベリアは何も変えられないって、あの時いったね――――けど、ボクは変わったよ。外の人たちの声を、皆の泣いて笑って喜ぶ声をキミが運んできてくれたおかげでね」
バルゼベルを―――少年を通して初めて垣間見た外の世界。そこにいる人々の声は彼女にとって天啓にも等しいものだった。
「キミが皆とボクを繋いでくれた。だからボクの世界は変わったんだ」
「もしもこんな出逢い(きせき)が人にはごくありふれたものなんだとしたら…だったらさ――」
決して交わる筈のない世界と、隔絶されて独り在る彼らと。
「――――多分、そんなに遠くないんだよ。「世界」とボクたちって」
宿命の籠から手を伸ばし―――いま一つの孤独をみつけ認め―――触れる仄かな温もりからやがて繋がりゆく世界。
彼女にとっての祝福とはその奇蹟を守る事なのだと――。
――――だから。
「ボクはみんなの為に生きたい…ボクはみんなと共に生きたいんだ」
―――少女の決意。
「その中には勿論キミもいるよ、ベリア」
―――それは少年の救済。
「……ボク一人じゃ何も出来ない。けどキミがいるなら。ボクたち二人だったら…」
宙に舞う風媒花が少年の頬を優しく撫でつける。
「ね?ベリア・ケイツ――――どうか、キミのそのどこまでもいける翼をボクに貸してくれないか」
歩みよる足取りは、距離感の狂いからか躓いてしまう。
「……ほら」
よろめいた身体を両腕で受けとめるベリア。
彼は差し出された少女の手をとり、静かな輝きをそっと掴んだ。
「……ああ、誓う…誓うよティルツェ。お前が託す気持ちは全部、俺が預かって、世界に届けよう―――」
曇天を進む翔翼がそれぞれの軌道で雲形に線を刻む。
部隊の先陣をきる紅の機躯。
(――――みえるだろベリア、これがキミがボクにみせてくれたものだよ)
囁きに導かれ彼女の目でみた空は――鬱雲を分けて舞うバルゼベルを迎えるのは無限を内包した蒼穹。
そよぎを漕いで舞う魂は依然として地に還るべき虜囚。
泥濘の如く足をとる闇の深色はそのままに――――されど、この空の色を覚えていれば。
少年の凍てついた焼結が少しずつ癒えていく。
失くしたものは取り戻しようもない。
―――――少年の翼と。
手に入らぬものを求めても虚しいだけ。
―――――少女の唄が。
けれどそれがたとえ、ほんの束の間に過ぎないものだったとしても。
――――――高く、高く、果てない群青に溶け込む魂二つ。
共にある律動を今は確かに感じているなら。
いずれは消え去る命を欺く束の間に過ぎぬ悲夢だったとしても。
その為に生きてゆけるなら、そう信じてゆけるなら―――。
密やかな誓いが少年をうつ。
彼女の響きを届ける為に。
彼女の祈りを顕す為に。
この、今にも崩れてしまいそうな脆い世界へ、叶うかぎりの幸福を降らせよう。
編隊の列は目標へと定めて降下をはじめた。
(――さてと、ボクたちもいくとしようか♪)
「あんまり、浮かれてるんじゃないぞ」
(大丈夫、今すっごく気分良いんだから。キミだってそうだろ?)
「お前なあ……ああ、」
ぶっきらぼうな口ぶりで繕ったものの内心を隠し果せたかは定かでなく、流れる調べには密やかな笑みが交じる。
(ベリア……今、笑ってるの?)
「多少、ぎこちなくても許してくれよ。なるべくなら俺が笑顔でいた思い出を残したいんだ。…お前がよく笑ってるのも、つまりはそういう事なんだろう?」
(…うん)
少年の意識を微かに伝う快い漣は少女の心を顕すもの。
孤濤を渡って大空を滑る二人の翼に風はただ優しかった――――。
――――この日の戦いでバルゼベルは一個大隊にも相当する魔群を見事掃討してのけ、以降、神子の御使・英雄ベリアの名は広く巷間に知れ渡る事となる。
それは、少年にとって闇路に等しい生を照らすほんの一時の安息の日々の始まりであり、やがて全てを灰塵へと帰す破滅の火へと至る端緒であった―――。




