災厄の仔と救世の神子
■
「―――ふーん、キミがベリア?」
少女は少年をまじまじと眺める。
「ええ。既にお聞きになってはいるでしょうが、今日から共に任務につかせて頂きますベリア・ケイツです。以降よろしくお願いします」
「こちらこそ。知ってるかもだけどボクの名前はティル・ツァヴィ・アンメル。ティルツェって呼んでね」
「…神子様をそのようにお呼びするのは些か憚られますが」
「あーあー、そんな他人行儀な話し方もやめやめ。ボクらはこれから、一心同体のパートナーなんだから。いいね?」
「…………了解した」
少年は内心の戸惑いを隠しながらそれだけ答える。
二人の邂逅を見守るのは、ただ咲き誇る花々と穏やかな春の日差しだけ。
■
見上げるは四角に遮られた遠い空――――――。
組み合ったサイロ状の壁に四方を隔絶された室内。高く掲げられた天窓だけが外界との唯一の接点だった。
砂丘の片隅に据えられた円形のドームは長きに渡る大戦の後に統合をみた神聖府において、新たに結成された一大軍事体系ADAMの下部組織が運営する施設の一つ。
――――予め各種身体的ポテンシャルに優れた個体を得る為に体組成段階から調製された人工種の存在はこの時代では格別珍しいものではない。
そうした人工種の中から選り集められた素体に、更なる肉体調整を施し機兵操縦に特化した人間を生み出すのが施設の目的だった。
幼子らを純粋培養する巨大な巣箱。
その中に少年――ジレもいた。
素体を管理する為だけの識別記号でしかない名前を賜った少年はそこで、辛酸極まりない日常を送っていた。
神経の一糸に至るまで分子レベルでの細心かつ精密な『最適化』作業は肉体の所有者に拷問めいた責め苦を与え癒えない幻痛を四肢に刻み込む。識域下で長時間おこなわれる機兵での戦闘を想定した仮想戦術模擬試験は精神に過大な負担を強いる。
「素体」の中でも特に年若い彼には苛刻に過ぎる日々。
少年は生来争いを好まぬ穏やかな気性だ。けれど素体である彼らに否やの余地があろうはずもない。
あまりに厳しい訓練の最中、致命的な損傷を被った者や不適格と判断された者が一人、また一人と姿を消していく。少年には姿を消した者達がその後どうなったのかを知る術はなかった。彼らのいた痕跡は速やかに拭い去られ、ただ空白になった席だけがかつての存在をわずかに示すのみ。
いつか自分もまた処分される事になるのだろうか―――――仲間が消えていくごとに募る恐怖に追いたてられて、痛苦に満ちた日常に歯を食いしばり縋りつく少年。
「―――あまり無理はするなよ、ちっこいの。俺の真似さえしていればきっと上手くやれるさ―――」
逼塞した暗鬱が占める日々にあって、その声はジレにとって天恵となった。
―――――少年の名はベリアといった。
鳶色の瞳が柔らかな相貌に颯然と強い光を湛える個性。
幼いジレはその瞳の中に己とは異なる剄さの証を見、気高さの徴を感じとる。
素体の中でも抜きん出た力を持つベリアは彼ら少年たちのリーダー格だった。
彼を中心に生まれ・育ち・年の違う子供等の連帯は深く、その存在は少年らにとって、一握の希望を萌すもの。
そんなベリアがちっぽけな自分を眼に留めていてくれた事が純粋に嬉しく、彼の言葉は憧憬と溶けた淡い疼きとしてジレの胸にいつまでも残った。
かけられた言葉を裏切らぬように。そう信じればこそ、薄弱な心身を支える糧として訓練という名の責苦にも耐えられたのかもしれない。
「―――――いいか。俺達は絶対に生きてここから出て外の空を拝むんだ」
囲われた檻の裡で、拘束の鎖で結んだ兄弟達との紐帯が希望を繋ぐ幾年。
いつしか彼はかつてあれほど厭うていたはずの調練にも怖じずに耐えられるようになっていた―――。
「――あと少し、これさえ終われば此処ともお別れだ」
やがて訪れた最終試験の時。
外での再会を約束する少年達の数は当初の半分にまで減っていた。
剥き出しの鉛色で編まれた区画。
開け放たれた眼前には蒼穹が広がり、微かな興奮が心に沸きあがる。最終訓練は実戦に限りなく近しい様式でもって行われた。
思考による絶え間ない研鑽を重ねた少年達は、初めてである機兵への搭乗にも戸惑う事はない。
稼動する推進管が機体を空へ跳ね上げた。
最後発での単独出撃を促されたジレ。
初めての空に映る十数機は全て敵影―――――――敵である「魔」もまた機兵だった。
無論、敵機が実物である筈がない。
魔とみえるのは心理的操作の産物によるイミテーションに過ぎないが、それでも異形の機骨を晒す敵影の攻勢はこれまでの訓練とは比べものにならぬ猛攻でジレを追い詰める。
だが彼は多対一の不利な状況下にあっても連携の輪から外れた標的を見逃さなかった。
彼の機兵が交錯の間際、敵機の頭部を擂り上げた。
シナプスに染みつき第二の本能とまでなった戦闘技術が遺憾なく発揮され。
――――――――咄嗟に頭が働く。俊敏に体が反応する。
一機ずつ敵機を蹴散らす少年はその度にいや増す力の手応えに身を委ねる。戦う為に得た己が力のすべてに。
残った一機の動きは他のどの機影よりも俊敏かつ狡猾だったが、秘めたる力に目覚めた彼にとっては到底敵しうるものではない。
振り上げた加穿熱刀の一閃が最後の獲物を見舞った時、少年は知らず胸中で快哉を叫んでいた。
地獄の日々は此の時の為にあった――――。囲うもののないひらかれた空へ向け生まれて初めての激しい歓喜を解き放つ少年。
乗機とともに帰到を果たした少年。
開け放たれた鉄躯の腹から下りた彼を出迎えた見知らぬ男が云う。
「おめでとう。君こそが<勝利者>だ」
少年は自分が最後の帰還だと思っていたが奇妙にも仲間の姿は見当たらない。
「本当の事をいえばとうの昔に君を選ぶ心算ではあったんだがね。しかしながら君の情緒面、いささか優しすぎる性質を心配する向きもあってね。だから上の連中に君の力をはっきりとみせつける必要があったのさ―――――」
ほんの一瞬で覚めた戦闘の熱。
少年はその時になってやっと自分が何をしていたかに気づく。
そこから先の記憶は定かではない。
――――彼が毀したのは。
眼前には回収された機兵の残骸――――――鉄棺の縦列。
鮮血を包む殻。
隙間から垂れて装甲をしとどに濡らす赤い液体。
――――――その中に在るものは。
思考が理解を拒む。掠れた呼気が口から漏れ出る。
音が遠のき、ただ己の鼓動のみが強く響く。
それでも少年は目を背けなかった。目を背けることが出来なかった。
「君は存分に自らの強さを証明してみせた。他の誰にも劣らぬその力をこれ以上ないくらい明瞭な形でね」
そう。これ以上ないほど明確な選別手段――――――――最後の試験は選抜者同士の戦いだった。
「おめでとう№.016、ジレ」
穏やかな口調が告げる。
「……いいや、今からは君が「ベリア」だ」
それは計画の最高傑作品を指す称号だった。
最も優秀な道具を顕す茨の冠名。
受け継がれた死人の名。
―――――――――「最後のベリア」。
それが、何もかもを失って引き替えに得た少年の新しい名前だった。
■
流砂を割る邪光が溢した黒い水面に映える腐肉の闊歩。
隆起した巨体は怒りを示すかのように鋼皮から伸ばした繊毛を盛んに揺らしながら緩慢な歩みで黒の深淵から這い出でて、三対ある脚肢を砂岩に荒々しく突き立てた。
産み落とされたばかりの災魔―――「魔鋼魚」と、それを取り巻く鉄蛆の群影を前にして。
「―――ブナン、エルファタイ、その位置じゃ悪いがまるきり邪魔になる。各機とも側面から伴体を引きつけておいてくれ」
飛翔する機騎士達の編列を割って一機先行をかける赤銅色の機兵。
『―――貴様、手柄を一人占めする気か!?』
少年の耳元で年若いパイロット――といっても彼よりは年長だが―――――不平をあげる。
「焦るなよ新入り。名を上げるチャンスなんて腐るほどあるんだ」
そう、それこそうんざりするほどに。
鉄の駆動が早鐘を鼓つ。
雪崩撃つ幾数の条光を細かな機動だけで巧みに避ける紅の機影は瞬く間に対象を射程内に収めた。
撓んだS字を描いて疾風駆ける紅の機動は巨獣の鈍重な動きに影すら踏ませず――高空を制した少年の機兵は周囲の群蟲には脇目も触れず魔鋼魚へと狙いを定めた。
ようやく敵影を捕捉した巨獣の眼孔を貫いて入る真上からの直閃。
複数の狙点をほぼ同時に刺す光弾が厚い殻に覆われた躯を鮮やかに捌き分ける。
抑揚なく行われる蹂躙作業が展開されるなか功を焦ったか、果敢に攻めたてる機兵が射線上にかかる。
先程通信でつっかかってきた搭乗者である事を確信する少年。
今砲撃の手を緩めれば魔獣の大口径火砲が放たれよう。
「(馬鹿な奴め……!)」
強く舌打つ少年は、躊躇わずに引き金を引いた。
通り過ぎる射熱が機兵を炙って端に弾き出す。脚部を失った程度の損傷ではまず大事には至るまい。
爆砕を纏う巨獣がタールの湖面へくずおれると共に統制を失った蟲僕は槍と短剣をそれぞれ携えた二種類の機兵連隊によって容易く駆逐されていく。
蒸散する瘴壁が戦闘の終わりを告げると、後衛にて控えていた部隊が黒沼へ徐に弾頭を投げ入れた。
『位相軸固定及び反動。偏向領域の縮小開始します――』
徐々に実体から虚象へと落ちていく境界域の上を偏移の赤で染まった砂粒が漂う。
「領域及び歪曲場反応、ともに完全消滅を確認。これより帰投する」
任務を全うし再び虚空へと還りゆく翔翼の編列。
彼らが後にした大地には土くれへと還りゆく魔の骸だけが残されていた。
地表を覆う果てない砂丘の連なりに穢れた風が吹き荒ぶ。
頽廃した大地に点在するユニットは人的・物的資源の著しい窮乏と自律復元を絶望視された自然環境で人が生きていく為の帰結だった。
そのユニットとても六割以上が生産施設に充てられているのというのが現状である。
――――――未曾有の大戦から百余年を経てもなお、人類は未だ惨劇の痕から立ち直れないでいた。
―――どれほど愚行を重ねようと人はいつか過ちに気づき、それを正そうと試みるものだ。
そう、人の善性を信じるものはいうであろう。
―――しかし試みはいずれ無為に帰し、取り返しえぬ過ちが残るだけだ。
そう、人の宿業を嘆くものはいうであろう。
必然か、それとも些細なすれ違いの連鎖か――。
一つの旧き世紀の終わりに勃発した星系規模の大戦は次第に禍を広げ、遂には終末戦争とさえ呼べるほどの惨状を露呈するまでに至る。
惹起された最悪の破壊によって宇宙にまで広がった人類の生息圏は再び地球上へと後退し、総人口の七割が喪失れた。
それだけではない――――――地表を焼き、山を砕き、海を渇えさせ地軸を歪めた愚劣な破局――――。
―――堆積する汚灰に冒された土が広がる荒景はその結果。
死に瀕した星の上で生存を許されたした人類は自らの行いに慄き息を潜めるように、静かな平穏を守り続けた。
凪の世紀は穏やかな停滞の時節でもある。
だが世界は今長い閉塞を打ち破り、速やかな変革の刻を迫られていた。
神暦797年現在、人類の生存圏は未知なる災厄ーーーー「魔」によって脅かされていたからである。
世界各地に配された浮遊要都が結ぶ経路を辿って至る終着点―――神都に最も近い小浮界「アルジエラ」に一隻の重空翔艇が入港した。
外縁に設けられた湾口部に着艦した翔艇はそのまま両側を挟み込むレールに固定されて屋内へと収容されていく。
艇船と区画を直結した廊画を踏む隊員達に紛れて重圧から解かれた少年、ベリア・ケイツは大きく一つ息をついた。
「――お前なら目に入らなかった筈がないと思うが」
気性の激しい者の多い部隊員の中にはADAMでも特殊な地位にあるベリアに露骨な敵愾心を燃やすものも多い。
そうした輩とのトラブルをいつも未然に防いでくれているのがシモイベ・ロイだった。
いつも他者と距離を置くベリアにとって周囲との緩衝材となってくれるこの男は、多少なりとも信頼のおける数少ない人物の一人だ。
「……」
「お前さん、分かっていて仲間を射ったのか?」
――――――「同族殺し」。
脳裏をよぎるノイズに意識は一瞬立ち止まるがすぐに流す。
「…正直に告白するよ、少し気が抜けていたんだ。それで反応が遅れた。ブナンには後で謝っておくよ」
白々しい嘘でも信じたふりをする方が良い時もある。シモイベはその点で抜かりのない男だった。
「ま、ここんとこ疲れてるだろうからな…わかった」
表面を取り繕うだけの益体ない会話を交わす二人。
「ともかく大した怪我では無かったんだし、俺の方からそれとなく話しはつけとく。……それと、「サートリス」地区の一件はもう聞いてるだろ」
「ああ。ユニット一基が丸ごと呑み込まれたってな」
「もう番兵程度じゃ相手にもならんってことだ、これからはきっともっと厳しくなる」
そういって去る男に、少年は呟くように漏らした。
「……すまないな」
「気にしなくっていいさ。エースはお前なんだからな」
港内格納庫に艇より降ろされた機兵が側壁に並べられる。
鎮座する突撃機兵達―――腰に大槍を携えた重騎兵「突槍機兵」と特徴的な短剣形兵装を帯びた「小剣機兵」。
どちらも汎用機兵としては申し分のない性能といえるが、年々活発化を続ける一方である魔災の脅威に次第に圧倒されつつある。
況してや不安定な動力では尚の事――――数年来に渡る特位空間「神域」との接続不調が状況の悪化に拍車をかけていた。機兵の動力源である炉心は上位構造野からの力を得るという原理上、接続が不完全では本来の性能を十全に発揮出来ないのは道理である。
無論ADAMとて何ら対抗策を講じなかった訳ではない。
彼等はこの難局を打破する為の切札となる一体の機兵を完成させていた。
居並ぶ機兵の中でも異彩を放つその機体は紅く染め抜かれた外装と細身にも圧倒的な力を感じさせる骨格で従来の機兵とはかけ離れたフォルムを構成している。
――――――機兵「Vers・EveEl」。
軍事機関ADAMが擁する決戦級兵機機兵と呼称された一連の機兵群は真世界最高の武力といえる。
そして、神域とのリンク不全を受けて使用不能に追い込まれた旧世代機兵(能力の大部を炉心の高励起に頼っている機兵はそれゆえ不調の度合いも深刻なものだった)に代わって新たに開発された次世代型機兵第一号こそがこのバルゼベルだった。
(「―――エースはお前なんだからな」)
戦場は時として個々の生命に非情な格差を作る。
確かにベリアとその乗機の能力は他と比べて突出している。徐々に悪化する戦況ではなにを於いても最も優先されるべき事柄であろう。
だが同時にまた、少年の孤立もその点に起因するものではあった。
彼が夥しい敵を屠り、戦功を上げ、名を高めるほどにかえって周囲とは距離が出来る。
少年としてはそれでも構わなかった。些事に気を取られることなく目の前の任務に集中できるから。
暫し留めおいた紅い翳りに背を向け、定まらぬ感情の砕片をか細い身躯の奥底に鬱々と燻らせるベリア・ケイツ。
彼の孤独は火に似ていた。
■
搭乗機を技術部に委ねそれぞれの帰途に赴く兵士達。
港駅の広場の雑踏に珍しい人物を認めた少年は、人の輪を避けてその男の前まで進み出る。
「やあ。遠征お疲れ様」
「あんたがわざわざ出てきているとは思わなかったよスクォード」
「そろそろ調子はどうかと気になってね」
フリッツ・J・スクォードは合いも変わらず表情の読めない物憂さで少年を見遣った。
「お蔭さまで実に悪い。それもこれも誰かさんらがろくに仕事をしないからだろうな」
「そうせっつかんでくれるなよ。これでも部署の全人員を投入して原因解析に勤めている最中なんだ」
「まだ解析段階だって?この体たらくじゃ終いまでに世紀があけちまう」
神域とのアクセスを司る特殊機関GRDNに属する技術者であるスコートは「バルゼベル」の運用にあたって出向してきた人員だ。
この事はADAMにとってだけでなくGRDNにとってもバルゼベルが一際特別な意味を持った機兵であることの証左といえる。
「――――随分と荒れているようだねベリア」
「そりゃあ辺境をあっちこっちと三つ回って、その上休む間もなくここにとんぼ返りだ。いい加減くたびれもするさ」
特異な機兵であるバルゼベルは任務が終わる都度入念な機体調整と操縦者の精査を必要としており、それらは全て神都においてしか行えないのである。
已むを得ない事とはいえ、辺境と神都の頻繁な往還は少年にとって結構な負担だった。
「で、俺は検診に回ればいいのか?」
「いや、身体データの採取は後回しでいい。代わりにレディに顔をみせてやってくれないか。彼女、寂しがっててね」
少年は露骨に嫌そうな顔をする。
「寂しがるもなにもないだろうが。任務の度に<交信>してるってのに」
「直接顔をみたいそうだよ」
バルゼベルの運用におけるスクォードの役割はもう一つある。彼は「少女」の管理役、いうなれば世話係でもあった。
「…それも任務の内だっていうのか」
「そういう事。なあに、ほんの少し顔をみせてやるだけでいいんだ」
青年は肩をすくめてベリアを伺う。
「常々思ってる事なんだがなスクォード、あんたあいつに甘すぎるぞ」
一瞬だけ恨めしそうな顔をした少年は、すぐに観念したように息をつく。
どうやらゆっくり休むにはもう一仕事をこなさねばならないらしい……。
立体交差の網、多分岐複層回廊に運ばれていく。
硝子の曲面を通して眼下に眺める都市帯は神都という響きから連想する華々しさとは裏腹に鈍色のモジュールが建ち並ぶ荒涼とした風景。
他のユニット群と同じかそれ以上に居住域を限られた街は個々モジュールが有機的連関を形成する一つの体系的機構と呼ぶべきものだった。
世界の中心たる権勢を誇示する為に植えられた街路樹が却って無機質な調和を崩しているように感じられる――ベリアのそうした直観も妥当ではあろう。
事実。その都市機能の殆どを神域とのアクセスに費やす此の街は、人ではなく「神」の為に造られた都市なのだから。
顔を僅か上にあげれば、内向きに閉じた花弁。
くぐもった白煙が薄い霧になって都市外周に立つシャフトによって吊り下げられた六芒形の天蓋まで昇っていく。
そして、硝子の皿盤が進む架橋の奥に煙柱を分けて佇立する巨大な構造物。
――――――黒ずんだ石と鉛で組んだ大聖堂こそ神都の運行を司るGRDNの本拠だった。
高次域管理機関GRDN。
神聖府機構においては表立った活動はないものの、神域とのリンクに頼る人類にとっては文字通り世界の中枢を担う組織だといっても過言ではない。
薄暗い床を流れる導灯を頼りにうんざりするほどの小路と広間を巡って、ベリアはようやく歩を止める。
扉を開けた少年を迎える女神像―――――――――。
現前する花園が眩暈を誘う。
湿潤の気を含む循環風が土と木々の香りを舞わせ、花々で色めく繭床――「エリドの庭」と称される屋内は砂埃と鉄で出来た外界とは別天地とさえいえよう。
庭内に踏み入るベリアの先、古びた揺り椅子に身を預けた少女の身体を穏かな白光が包む。
自分よりやや年長である少女。無垢の長衣は輝く長髪と合わせて花園に落ちた一片の淡雪をおもわせる。
傍らにまで近付いた少年はそこで、少女に声をかけることを止めた。
彫刻めいた相貌。
軽く開いた口唇から漏れる微かな呼気。
「人を呼びつけて寝こけるとはいい気なもんだな……」
艶めいた銀髪を編んだ飾紐が肩に垂れ、透ける様な白い頬にはうっすらと朱がさした。
神聖ささえ帯びた美貌の持ち主はだが、ひとたび口を開けばまるで異なった印象を醸し出す。
「―――――ん? あぁ……おぅ…もう戻ってたんだね…ベリア…おはよう」
寝惚けた声を漏らす少女の深い蒼瞳がこちらに微笑む。
花咲ける神御子ティル・ツァヴィ・アンメル。
GRDNの彫琢しあげた至高の聖成品。
少年は彼女をしばし見詰め、それから己の口元を指さしていった。
「とりあえず涎を拭けよ、神子様」
次いで暫くの間、庭内を頓狂な嬌声が響き渡った。
白翼を負う女神像を抱擁く金色の壁柱が庭園を見下ろすように聳える――――――創聖機巧「EVE」の心臓。
新鋭機バルゼベルの圧倒的なアドバンテージの大部分は新機軸のシステムに由来するものといっていい。
この機体に搭載された新型炉心は「EVEコンバータ」と呼称される機構によって本来の性能を引き出される。
それは端的にいうなら一旦、外部にある高精度の受信機関を経由して同位波長の炉心に大出力を送る仕組みである。
要するにバルゼベルという機兵は高次域と炉心との不接合という問題を、間に媒介する調整器「EVEコンバータ」を挟む事とで解決した訳だ。
だが、この方法にしても幾つかの欠点がある。先ず、現時点で接続が可能なのはバルゼベルただ一機だけだという点。
二つ目は、「EVEコンバータ」を起動させる一連のシステム「Homologous EVE Nuero network System」―――略称「HEVENS」の操作は、その為に生育された存在である神御子ティル・ツァヴィ・アンメル以外に扱う事が出来ない点。従って彼女なしにはバルゼベルは張子の虎も同然の存在に成り下がってしまうのだ。
高次力の収束と戦闘、別個の役割を割当てられた「HEVNS」と機兵バルゼベルは二つで一つの存在ともいえ、異なる受信機関を並行稼動させるという性質上、お互いの操縦者同士による霊性レベルでの共感が求められる。
そしてその事実は自然、両者の良好な親交をも要求する訳ではあるが。
べリア・ケイツとティル・ツァヴィ・アンメル。
既に幾度目かの実戦を経た今になっても、二人の間には決して小さくはない轍が横たわっていた。
「―――あーびっくりした。急に来るんだもん
「お前が呼んだんだろ」
「かれこれ一週間ぶりくらいかなぁ、ねえベリア」
少年の表情が僅かに曇ったのを彼女は見逃さない。
「そういえば名前で呼ばれるの嫌いなんだったっけ?」
「…いいや。気にしなくていい、俺もお前に―――」
「ぶー、お前じゃなくてティル・ツァヴィ・アンメル」
「長いな」
「だから、ティルツェって呼びなよ」
「……それじゃティルツェ、少しばかり訊きたい事があるんだが」
「いいよ、何だって訊いてよ」
「この前の機動時からな、気のせいかどうもバルゼベルの反応に時々ムラがある気がするんだよ」
「ふうん。それって機械の方の問題じゃないかな多分?」
小首を傾げる少女の様子からして若干思い当たる節がありそうだとベリアは感じた。
「単刀直入に聞くがな。今回、戦闘中に思いきり気を何かに気をとられたろ。それも三回くらい」
「んん?いやぁボクにはなんのことやら分からないなァ…」
「目をそらすなよ」
相変わらず嘘の下手な少女だ。
「ち、違うんだッ。これには深ーい理由があってさあ……」
「なら、納得いくように説明してくれ」
指先で髪をいじくりながら、彼女はさもバツが悪そうに答える。
「……その、遠くの方の空にね、面白い形の雲があったんだ、ちょうど親犬が子犬をつれてるみたいやつで、それがもう見れば見るほど愛らしくってさ―――」
少女の頭部にヘルメットが直撃した。
「いたーッ!?スコーンつったよ今!?仮にも神子の頭をヘルメットでぶっ叩くなんてッ!」
「悪いが拳固でいかなかっただけでも我ながら自制したもんだと感心しているよ」
「うぅ~」
目を潤ませ抗議するティルツェ。いうなればバルゼベルを駆るベリアの命綱を握っているというのに、当の彼女がこの調子では先が思いやられるというものだ。
「いいか、お前のムラッ気は下手すりゃ戦闘に致命的な支障を来しかねない。いつまでもお遊び気分でいられちゃ困るんだよこっちは」
「うう、スクォードみたいな事いう……けど、ボクだってずっと訓練してきたっていっても、本当に試すのは初めてなんだしさあ…」
「だったらせめて真面目にやってくれと頼んでいる」
「むうー、ならボクだっていわせてもらいますけどね!」
「なに?」
「すっごく窮屈なんだよキミとの同調は!キミ全然ボクと合わせようとしてくれないでしょ」
「波長合わせはしっかりしているつもりだが。その証拠に同調係数に問題はないはずだ」
「そういうんじゃなくてさ。キミの意識ってなんか刺々してて、合わせてるとすぐヘトヘトになっちゃうんだよ。こう、ガサガサしてるんだ」
「ハア?そんなこといったって戦場だぞ、多少の昂揚は仕方ないだろ」
「キミのはそういうレベルじゃないよ、なんかビックリするぐらい荒んでるもの!…多分キミはね、心の奥底でボクを…他の人間を拒んでる」
少女は知ってか知らずか、少年の急所を的確に射抜いていた。
「…じゃあ、どうすりゃいいってんだ」
少年はしらず険しい面持ちになる。
「そう!それがいけないんだッ!」
そう少年を指さすティルツェ。
「……何?」
「いっつもいっつもそうやってぶすっと不機嫌そうな表情してるでしょベリアって」
「生まれつきだよ悪いな」
「そんなだから気持ちだってささくれ立つし、ボクだってすごい絡みづらい!」
「…絡みがどうののはこの際あまり関係ないんじゃないか?」
「大ありだよ馬鹿ァ!ほらほら造作は結構いいんだから!ホラ笑って」
凡そ理不尽なもの言いではあるが、ここでむきになるのも大人気ない。
「…こうか」
彼女の機嫌をとるのも任務の内と割りきって、ベリアは精一杯の笑顔を作ってみせた。
結果。
「―――――――――うははははははは!ひっでえツラッ!」
「…おい」
「ぷるぷるいってる頬が、ぷるぷるって…駄目だ、お腹痛い…くっ、くうっ…!」
「お前なあ…」
涙を流して笑い転げる少女の様に、怒りよりも呆れる気持ちが勝るベリア。
「くっ…キミは…ヒュー、ボ、ボクを…ヒュー、笑い死にさせるつもりだな…ヒュー」
「…鼻水出てるぞお前」
彼女が落ち着きを取り戻すまでには暫くまだかかるようだった。
「――――ねーねーねー。笑ったのは悪かったってばさー」
「別に怒っちゃあいない。ただ神子様のあられもない狂態に少しばかりどっ引いただけだ」
「そうヘソ曲げないでさー。素敵な笑顔は日頃の心掛けなんだから」
「ああ分かった、考慮はしておこう」
このへんで義理は果たしただろうとベリアは考える。となればこれ以上長居をする理由もない。
「あっと、待って待って待って…折角だからもっとゆっくりしていきなよ―――」
「ありがたいが気持ちだけもらっておく。今はなるべく早く休みたい」
引きとめようとするティルツェを一瞥もせずに、少年は部屋を後にした。
「あれが救世の神子だって?まったく悪い冗談だ…」
壁一枚越えれば元の世界、別の現実へと帰り着く。
区画間を繋ぐ空中通廊をゆるゆると戻りながら、しらず小さな嘆息を漏らすベリア。彼はこの僅かな間で激しい戦闘の倍も消耗した気分になっていた。
暮れなずむ空へ目をやる少年。
心中にさざめく小さな苛立ちの棘に今はまだ気づく由もない―――。




