ソウセイノヒ
■
無数に連なる砲撃の叫びが、鬩明の木霊となって震撼する空域。
無残に首をもがれた機体が戦艦表装を滑り落ち漆黒の気流に放り出された。
夥しい熱量を押し留めて十二の羽が謳う天の根元へ、全速で上昇を続けるタルシス級一番艦。
黒鋼うずまく崩嵐の只中を突っ切る戦艦は、取りついた魔機の大群によって既に船体の八割以上を覆われていた。
左舷側面に配置された砲門は悉くが破壊され、幾つかの砲門が残る右舷もまた敵群による侵食が続く。
灯りに引き寄せられる蟲のように群がった機骸どもは獲物の体躯を乱暴に櫛ずりぎしぎしと締め付ける。
甲板にたった機兵隊の迎撃もまるで追いつかない。なにせ一機を撃破するごとに十以上の増援が押し寄せるのだ。これで何度目の邀撃か、数えるのさえ厭わしい程の大波状。
艦上の一段高い部分にある指令区画は正面部を守護する羽光盾が途絶えたが最後、雪崩れのごとく押し寄せる魔の群れに埋め尽くされるに違いない。
執拗に艦を叩く黒い蠢きに弾幕を浴びせかける聖導歩兵。
上天へと至る血路を拓く為、機騎を駆る命の光点が一つ、また一つと逃げ場のない闇へと紛れていく。
爆音が劈く船内、ひときわ大きな爆砕に傾いだ足場が乗員の身を左右に揺する。
「―――――副機関は三番以降全て捨てていい。あとは一気に突っ切るだけだからな」
損傷した推進機関を排出した戦艦。多少推力が落ちるのは已む無し、主機関部に火が回っては元も子もない。
「しかし、これだけやられて沈まないでいるのが不思議ですよ。これもご加護というやつですかね」
「かもしれん。いずれ碌な死に方はせんと覚悟はしていたが、まあ、上々だな」
「同感ですね。最後にこういうかっこつけ方が出来るんなら、悪くはない」
そう軽口を叩く操舵手の額には汗が滲んでいる。
「お前もADAMからの出向だったな―――」
通信手が鷹揚な口ぶりで告げた。
「ブロックの切り離し終わりました、これで幾らかは身軽になるでしょう」
「あとは祈るだけか」
「意外ですね、参謀の口からそんな言葉が出るなんて」
「ああ。戦場で神に祈るなど、ここにきて私も敬虔な神徒の仲間入りという訳だ」
憮然とした表情でケイルブは応えた。
天頂に近づくほどに強まる霊圧を突破せんと戦艦は最後の加速をかける。
『機兵隊はもういい、撤収しろ!』
後方を固めるアドエス級からの支援砲火も途切れがちになる中、艦首前方に孤立した機兵隊の奮迅ぶりはここまで凄まじいものがあった。
荒々しい悲鳴をあげる機体間接。たわんだ層鋼。消耗しつくした機躯で魔群をひたすらに蹴散らす。汎士アンス・タイアンはようやく繋がった通信に怒鳴りつけるように呼びかける。
「聞こえたかコノー、俺達の役目はここまでだ。下でアドエス級が拾ってくれる、とっとと降りるぞっ!」
コノ―と呼ばれた男は努めて陽気に応えた。
『そうしたいのはやまやまなんですがね、もうこいつがいう事きいてくれませんや』
甲板に空いた陥没に埋まった弐式はみれば左半身を著しく損傷させている。これでは移動はおろかまともな動作もままなるまい。
『という事で、自分に構わんで行って下さい』
「……実は俺もな、推進管をやられちまった。お互い引き際誤ったようだな」
『そうでもないみたいですよ―――そら来た!』
猛然と迫る魔の塊球。先に戦艦から離脱していた僚機の後方から襲い掛かる機群の波を、二体同時に放った砲光が弾く。
「確かに援護は出来たか……コノー?おい」
魔機に浚われたか射撃の反動で転げ落ちたか、先程までそこにあった弐式の姿はみえず、通信も途絶え。
「…ちぇっ、最後の最後までつき合いの悪い野郎だったぜ」
銃杷を握った機械の指が軋音を唸らせ。残されたアンス機は弾丸を装填し新たに湧き出る敵影に向き直った。
非情の虚空に、弐式は鎮魂を謳う線条を火奔らせる。
夥しい爆砕の火を経て後、ようやく魔獣の圏内に飛び込んだアレオパギダ。
天に滞った霊流が生むこれまで以上の暴圧によって、船体外装と共にバラバラと舞い散る魔機の群れ。天空を華麗に雄飛するタルシス級艦の姿は今ではもう見る影もなく貪り尽くされていた。
血彩る指令室――立方体であった空間は崩落した天井と潰れた側壁によって歪に縮んだ室内に動くものはケイルブ以外にない。
喫煙を止めてからも未練がましく紙巻を持ち歩いていた彼は慣れた仕草で煙草を巻き終えたものの、そこで自分がライターを失念していた事に気づき失笑を漏らした。
「(借りる相手ももういないか……)」
早くに家族と死別し、これまでの人生で格段親しい者も持たなかった彼にとってこの場に至り思いを馳せる相手などいなかった。
その代わりに彼の心を占めたのは、脳裏に焼きついた少年の面立ち―――。
数えること八年前、ADAMに所属するケイルブは辺境区での職務に就いていた。
一般的に大規模の軍事力を行使しあらゆる厄災を除去するGRDNとは異なり、軍事的権限の限られたADAMが主とするのは治安維持活動である。自然、その対象となるのは魔よりも人である事が多くなる。
当時、彼が所属する第63区域辺境部隊に命じられた保安活動もまたそのような任務の内の一つだった――――工業ユニットの閉鎖に伴う領民の移送作業に伴うあらゆる危険の排除。
締め出された棄民の混乱を場合によっては武力を持って鎮圧しなければならない、謗りを受けこそすれ決して称賛を浴することのない汚れ仕事。
隊を率いる主長として任務にあたったケイルブであったが、彼はそこで飽かず続けられる代理闘争の名を借りた区画整理の一場面に出くわす羽目になった。
ユニット近隣に根を張ったSINの傍系組織の一団が、大量に流出する棄民の保護を名目に蜂起蜂起を画策していたのだ。
SINとはいえその末席を連ねるだけの彼らにとって武力行使とは詰まる所縄張り争いの手段に過ぎず、ADAMが番犬というなら彼らは肉餌にむらがる野犬の類といえた。
秩序が統べる真世界より摘みとられた不和と混沌の芽はやがて七天の外、廃棄された世界に根を下ろし凄惨な闘争の果を実らせる。
―――詰まるところ第八世界とは神代の陰、罪と穢れを一手に担う「機構」であった。
原則的に第八世界への干渉はなるべく避けるべきではあったが、神民を巻き込みかねないとなれば話は別だ。それに、小規模とはいえ暴徒の鎮圧は必ず幾許かの被害を招く。
そこで暴動を未然に防ぐべくケイルブは一つの策を講じた。
彼は蜂起を企図する一派とは敵対関係にある勢力を裏から支援する見返りにユニット近隣への不可侵を誓わせた。要は火種を別方に移すよう尽力した訳だ。
多分に一時凌ぎの方策ではあったが、要は移送作業を終えるまでの時間さえ稼げればよかったのだ。
結論として毒をもって毒を制するケイルブのやり方は覿面に功を奏した。
以前から諍いの燻りを無数に抱えていた諸組織は即座に小競り合いをはじめ、一方でADAM第63区域辺境部隊は移送の間の保安活動をさしたる問題もなくやり遂せたのである。
数ヶ月の後、耳に届いた紛争にまで発展した武力衝突の報せにも彼には何の感慨ももたらさなかった。 所詮は楽園の外、中央への転属が決まったケイルブにとってはいずれ他人事の些事でしかない。
だからこそ、である。
後にダネル・アラクシの出自を知った時に彼は思いもよらぬ打撃を受ける事になったのは。
――第63区域にて発生した小規模な紛争に端を発した血生臭い略殺の応酬はやがて近隣の村々にまで拡大していった。
その中にはダネルの生まれ育った寒村も含まれていた。
――――まさしく奇縁としかいいようがあるまい。
少年から全てを奪った侵掠の炎。その火を放ったのは誰あろう少年の前に立つ己である。
かくてケイルブは、少年の顔を見る度に己が犯した所業が招いた結果をつきつけられるようになった。
ケイルブはダネルに事実を明かそうとはしなかった。
それは結局、自らの負った重荷の幾許かを少年に肩代わりさせるだけの行為に過ぎないと彼には分かっていたからだ。
第一。ケイルブは自らの行いを過ちとは考えていない。
全ては真世界の秩序の為、安寧の為。彼は最善の方策をとったと今も頑なにそう信じていた。
一を捨て十を守る。
十を殺し百を生かす。
いずれ誰かが手を染めねばならない事であるなら彼は迷わずそれを成してきた。
誰もが目を背け得ない現実に対し、執り得る唯一つの道こそが正しき行いであるはずだ。
しかし。誰憚ることなく答えるその言葉は所詮、死したる者に届きはすまい。
胸を這う一抹の慙愧があった。
どれほど高邁な理想であれ土に撒いた血の昏さを濯ぎようもなく――――――重ねた過ちを知っていながら。至福に満ちた未来を念じながら。永久に続く安らぎを願っていながら。
人は絶望的なまでに繰り返す。
――――――些細な暴動の末に愛するものを失った男が、いつしか己もまた全く同じ愚行に加担していたように。
分厚い暗幕が晴れた先に迎える光景は世界の罪の総和。
濃密な霊圧を割って進むアレオパギダの面前に聳える赤壁は魔獣の展開翼が取り込んだ砲門の外殻。
予想通り、ゲフェンノーム本体からみて最外延にあたるこの箇所は霊障濃度が比較的低い。
狙うならばここだ。
「よく、持ってくれた……!」
目標を認識した一番艦の機首に立った三枚羽が前に倒れ角推の光銛を形成する。
タルシス級に搭載された相打ち覚悟の突貫兵装が災禍の根源への航路を指し示す。
紅蓮に哭く狂獣。
劫火をもって世界を糾弾する「彼」もまた、忘れえぬ人の業が生んだ犠牲者なのかもしれない。
だとすれば、真の意味で彼を裁く資格はケイルブにはあるまい。
もしも裁き得る者がいるとするなら――――――――。
振動銃の射撃が前進する一番艦の艦橋を薙いだ。
『決死の覚悟とは侮れんものだな。正直、畏怖の念すら覚えるよ』
前方には一番艦の障害となる機兵が一機―――途を閉ざす赤衣兵はその機体越しに繰り手たるルードゥスの不気味な薄ら笑いが透けて見えるかのよう。
操舵室に侵入した焔が踊る。
粉煙の立ち込める中、映盤を通して相対する冥府の使者を前にしながら、ケイルブは取り巻く炎で煙草に火を点す。
「わざわざ出迎えてもらって恐縮だが、死出の道行きに案内は要らんよ――」
ルードゥスはケイルブの、神命に黙して殉じる男の矜持を甘くみていた。
もとより信念に偽りはなし。
だが。生きるべき者、死ぬべき者―――強いられた選択とその結果は人の身には余るものではないか。少なくとも、彼にとってはそうだった。
罪には罰を。
それが人の世界を形づくる原理であらばならない。
人が不可避に負う罪であっても、それが罪と呼ぶべきものであるなら。
怖れも迷いも捨て下された審判を粛然と受けとめよう。
船室に向けて赤衣兵の振り下ろす薙刀を突然の爆光が遮る。
「―――よく覚えておくといい、蜥蜴の尻尾は自ら切り離すものだ」
機関部の自爆による最後の一押し。
爆圧により屑おれる船体から切り出された船首部の鋭銛は巨大な鏃と化し鏡搭の登頂に向け突貫していく。
『ぐっ……?!』
赤衣兵を巻き込み、天に生える紅翼の根元を刺し貫く贖いの一矢。
爆散の火に我が身を裁いた男は焼尽の刹那、紫煙を深く肺に吸い込んだ。
■
――たゆたう夢の輪郭にまどろみの深さを忘れ。
ささめきが遠鳴る薫陶。囀りが刺激する在りし日の残滓……。
群芳の梢に繁れる永遠園生にて、娘の瑠璃にそれは映る。
――真紅に揺れる双瞳。
誕生の瞬間から常に、共にある少年の面影は幻想ではなくいつか訪れる真実の兆し。
魂核の移し身として定められた娘の生は幾度となく訪れる予見は神座に顕された未来記述にまつろうもの。
不可避の確定事象としてその魂に印づけられた烙印が囁く―――――――お前は彼の者の為に命を落とす事になるだろうと。
始めのうちはいうまでもなく、それは少女にとって恐怖を意味するものだった。
つきまとう死の予感は造られた身であっても、否、だからこそ恐れは募る。
この想いも、いずれは消えてなくなる片時の泡沫と知れば―――あどけない贖罪羊を純然たる虚無が充たしていった。
狭い世界で絶えていく我と我が道。
人が蒔き神が摘みとる小さな蕾花は舞いうつ風霜に慄く様に、ただその身を震わせるばかり。
けれどもまた、少女の目を見開かせたのも少年の幻映だった。
―――――――――この世界で彼女が唯一、心を許せる人間であった老父セファー・ジェラルド。
いつだって包む両の手が幼子の愁嘆を鎮めてくれた。
けれど、注がれる限りない慈しみの裏にある深い哀しみを彼女が知った時―――――救われる命を冷徹に選別するノアであり、神の御旨に傅くヨブ、代償であるべき恩寵を浴し得なかった憐れな老人の底知れぬ悲憤。
己が行いに戦慄き、罪を輩となす人間の哭き咽ぶひたすらな慟黙――――少年の緋の瞳に宿る翳りは、神が賜うた宿業に一人抗う老父の眼見に潜む輝きと同じものなのだと気づいた時から、背を向けず眼を逸らさずに少女はそれを受け容れるようになったのだった。
そんな彼女に、やがて去来する不可思議な懐愁は受け継がれた追憶の痕。
神の台座から抽出した霊子情報を基に造形された、セイリオスの量子的相同体である少女は先んじて生み出された同種の存在と遡視化された同一体といってよい。
いうなれば「ソフィアの娘」とは同じ過去、同じ記憶を共有する者の総称であった。
境遇を同じくした彼女ならざる彼女の経験。霊性に繰り込まれた情報は郷愁の如く胸を締めつける。まるで前世の思い出のように。
過去と未来と、二つの光景、二つの時制が奇しくも重なり描出する背徳者の肖像。
世界に棄てられ世界を棄てて、夜の永劫に一人とり残された少年――。
初々しい啓示を得たその日から、少女の胸に宿った想いの萌芽はそっと呟く。
――――――たとえ、世の誰しもが否定したとしても、彼女だけは、この命を宥そうと―――。
未だ出逢ったことのない者へと向けられたその想いに、誰もが奇異の念を覚えるかもしれない。
事実それは、少女自身にとってさえ戸惑いを覚えるものだった。しかし少なくともその意志は感傷ではなく、理屈に依るものでもない。強いていうならばそれは誓いともいえるものだった。
自分は何故生まれたのだろう?何の為に産み落とされたのか?
―――――何を求め。何を成し。そして、何を遺すのか。
その為にこそ彼女は在ったという証。
そう在ろうと願った夢。
そうして少女は己の、自分だけの意味を定めたのだった。
胸に点った小さな意志は清らに透いて、けれど淡く脆く小さなもの。
過ぎにし陽の鮮烈な残り香に憑かれた少年に―――――心灼く恨悔はその陰となり、心裂く愧怨はその影をなし。
永久に去らざる冥さの淵、自ら望んで溺れ堕ちた魂にどんな言葉が届こうか。
少女はずっと自問を続け、そうして結局は覚る。
かけられる言葉などありはしないのだと。
――――――けれど、いつか。
籠より飛び立ち識った世界は喜悦に充ちて。
かけがえのない出会い、かけがいのない長閑き日々に一つ一つ確かめて、息づき、色づき、精彩を与えられた密かな想いは次第に確かなものへと育まれていく。
清明の朝に咲く白百合は一日を待たずして夕暮れには枯れゆけど、幾千と尽きぬ永夜を越えて芽生える一粒の種子を路程に溢し落す。
それが少女、フィーラ・アンフィルエンナの――――――――。
咆哮の熱が揺らぐ意識を覚醒させた。障壁を侵掠する赤禍き凶光は無垢に染みし嘆きの獄海。厖大な火となって振り注ぐ天を封じた詠障壁の蓋を支える羽根は次々に割落していく。身悶えの度に琥珀の飛沫を散らすセイリオス。
堰きとめられた対流は尚一層の刻薄をもって乙女の機躯を刻々と崩壊に導く。
炉心と同調した魂が漏らすか細く消え入りそうな少女の囁声を遮ぎって流れる烈火の波。
フィーラはその身を引き裂かんばかりの苦痛に悶え苦しげな吐息を漏らす。
焦焔に爆ぜて飛散する羽根。
瘴熱が機体に滲みていく純白を穢し焦がし。
最後の羽根が砕け散ったこの瞬間、セイリオスは魔光に呑み込まれていた筈だ―――――
狂光に穿つ衝角の一閃――――。
――――――――若しも寸前に、崩壊の均衡を突き破る一番艦がくわえた決死の一撃さえなかったならば。
横合いからの爆圧にゲフェンノームの羽翅が支える「砲身」が僅かに揺らいだ。
膨大な霊流を押さえ込む力場への些細な影響はたちまち深刻な結果を及ぼしめる。
収束を乱された魔霊の束はとたんに制動を失って荒れ狂い、赤焔の勢いを弱めた刹那―――。
―――追い、求め。繰り返す円環は問う。
―――求め、識り。この痛みは何の為か。
―――識り、願い。この悲しみは何をもて償えるか。
――――願い、再び追い、求めて。
そう沈黙に問う言葉は彼方に尽きて、漆黒の木霊に還る。答えは何処にもない。答えられる者は何処にもいない。
取り戻しようのない昨日と。掴み得なかった明日と。
それでも―――――。
この機を見透かしたかのように天の聖霊は躊躇いなく業火にその身を投じ入れる。
閃光の奔流に発振機関を宿した十二の翼羽は灼け融けてなくなり、薄衣は崩れて灰に。
白形の裸身を晒したセイリオスが放つ耀き―――魂核の幽かな明りが形どった翼なき鼓翼きが白い鋼を引いて舞う。
灼輪を潜る先に待つのは瞋恚に燃える狂獣―――相対する白く黒い双つの性は引き合うように接近していく。
―――――それでも彼らの―――「彼女達」の生と死に値するものがほんの少しでも残されているとしたら―――。
そうしたら人は。
世界は―――――いつか、変われるのではないだろうか。
愚かしくさえあるほどの純なる願いと祈りを携えて、真紅に染まる世界に儚くも存在を明かす一条の至白。
祭壇の炉に身をなげうった乙女は狂おしい嘆きに充ち溢れた世界の全貌を受けとめて。
少女の意志を伝える為、満天を抱いて翔る聖霊は絶望に眩んだ魔獣の魂を鎮める風となり。
――――――手をのばす。
囁くように。慈しむように。
暗灰に染まる銀の肌。赤嵐に、鏤めた光粒の羽撃き(はばたき)が次第にゲフェンノームへと近づいていく。
――――――手を差しのべる。
乞うように。与えるように。
焼ける銀爛の髪条。
旋律がなぞるセイリオスの煌形は空へ、遥かへと延びる無限の双曲線を紡いでいく。
囁きが伝う天空――少女のもどかしく震える指が触れたその先に――塵ゆく想いは彼の孤独へ辿り着く。寄り添うように魔獣と重なる銀灰の乙女。
―――――白羽の焼じ失せた機躯にはもう魔獣を浄する力はない。たった一つ、聖性の本源である魂核の光以外には――――。
邂逅の時、境界は彼岸に消え。
対存在であるはず聖と魔の衝突が融合へと変わる瞬間、黄昏に舞い散るはあまりに短い少女の軌跡。
崩天に儚く生命が光る。
セイリオスの命ともいえる魂核が白光に解け、黒白のあわいに消えていく天を抱いた少女の意識もまた霞みゆく。
――――――――取り戻しようのない昨日と。掴み得なかった明日と。
――――――されど、迎えるこの刻は至福。
―――少女は少年を抱きとめる。その怒りを。その憎しみを。その悲しみを。
燦然と煌く一陣の浄光は魔獣をくるむ抱擁、色なす瞬きは永久の徴。
とめどもない光の奔流に包まれたゲフェンノーム。心をなぞる感触に少年は面影の永遠を想起し――――。
翔ける蒼空。豊穣の花園。
傍らにある少女の姿。
その声と。
その響きと。
「―――――――ああ…ティルツェ……」
少年はそう絞りだすような声で呟く。
昇天の彩虹に暫し時は潰え、やがて真空の闇に吐き出される緋の螺旋。
獄焔の滞留が一挙に大気の外へと放出されていき、対称をなすように白の極光が地上へと垂れる。
星霜の灯りとともに寂幕を取り戻す空にはもう、セイリオスの姿は存在しない。
砕け散った広翼の支えを失い天の頂から投げ出されたゲフェンノームが体表から焔を苦しげに吐き出した。
全身に徴づけられた数多の裂痕。解き放った業火の暴威は自らの機躯をも傷め尽くしている。
かくて地上を焼き尽くす滅びは去った――――――しかし。
空を揺さぶる咆哮が一つ。
言葉にならない裂帛の呼気を伴って疾駆する蒼――――神威の煌きに包まれたディキオスは繰り手の狂おしい怒りに引き摺られるまま魔獣に激迫していく。
宿命が相引き寄せた螺旋の真中は果たされるべき決着の場。
ゲフェンノームとディキオス、一対の機動が遂に終幕へと辿り着くべき激動のコーダを奔らせる――――。
聖魔が最後の衝突を繰り広げる戦線から十数キロの地点。バルネアⅣを南に仰ぐ険しい丘陵地帯の一角に、ルードゥスは伏兵を潜ませていた。
総数五百を超える大量の機群――――もしもこれらがバルネアに到来してれば確実に戦局は決していたであろう。
―――築かれた機屍の山に立つ一群の機兵。
「―――こちらはあらかた片付きましたぁ」
ひらひらと舞う胡蝶の群れを身に纏わせる少女を思わせる華奢な機兵。
「「こっちもオッケーだよー」」
機兵は機躯を覆う程の巨大な髪飾りを羽のように忙しなく震わせて、落ち着きなく辺りを旋遊する。
「あんまりちょろちょろするな、遊びじゃないんだぞ」
兵士の一人が一団の長らしき男に次の指示を仰ぐ。
「で、どうしますか団長?」
「うむ、完全に出遅れてしまったらしい。……こと此処に至ってはGRDNの者たちに任せるよりほかあるまいよ」
男が搭乗する機体。
黄銅の光沢に覆われた鉄躯、黒一色で塗りつぶされた面相。
両の手に提げた長刀は戦闘の熱を残して未だ鈍く輝いている。
真世界のどこにも存し得ない機兵を駆る者達。
彼らは「SIN」の一分派にして自らを「人類解放戦線」と名乗る一団だった。
「口惜しいな。戦いの趨勢をただ指を咥えて眺めているしかないとは…」
「ここまで来るのにもだいぶ時間を食ってしまいましたからね」
「ああ、出入り口さえ封鎖されていなければな…」
「彼らはあの化け物に勝てるんでしょうか?」
「そのように願うよりあるまい」
そこで男は口を噤み。両の眼光を隠したバイザーが破滅の空へと向けられる。
「真の敵は未だ姿をすらみせていないというのに―――」
■
紅く滾る鳴動をやめた天から、虹の細粒が機兵を山と積載した甲板の上に降りしきる。旗艦アレオパギダの爆沈を後に残しいち早く戦線から離脱を開始したタルシス級弐番艦隊は僚機を収拾し終えて今は事態の趨勢をただ見守っていた。
「あの光…やってくれたってのか……?」
真上から注ぐ極光が黒の気流を押し流すにつれて力を失い元の鉄塊れに還る機影の群れ。艦を防衛する使令機部隊は敵勢が急速に沈静化していくのを如実に感じとっていた。
「おい、上は今どうなってんだ!?」
「観測しようにもこの距離からでは…センサーさえまともに働けば、」
機兵搭乗者であるユゴ・ラウヘンはその時見晴るかす上空に、色燐を尾とたなびかせ天を溯るディキオスの姿を眼見に捉えた……。
宙楼を落下するセイリオスの残骸。
闇に沈んでゆく銀の倒影を追うディキオスの中、ダネルは臍を噛む思いだった。
「(俺はいつも…間に合わないっ……!)」
侠雑が混じる念信回線から届く声。
(『―――ダネル……』)
少女の言葉は彼を諭すように慰めるように優しく響く。
(『彼を……頼みます…』)
「フィーラッ!」
(『……ごめん、ね――――』)
それきり、途絶する想念の波長。見失った機影。
繰り手の想いの欠片を零すように煌めく双翼が羽ねる。
ダネルは震え、歯を食いしばりながら、その眼光は鋭く葬り去るべき狂執の在り処に焦点を絞り――――――。
焦熱にけぶりをあげ、全身を苦しげに捻じる魔獣。
身を挺したセイリオスの衝突、魂核の至光がゲフェンノームに刻んだ影響は単なる疵以上のものだった。
癒着した装甲の裂け目から覗く体幹に浮かんだ魔気の血流は盛んに収縮と分裂を繰り返し煮え爆ぜた脈瘤が熱粒と共に白い条光が漏らす。
これまでにない変調を来たした獣躯は今や、体表を閉じる瘴衣の其処彼処に綻びを作り始めていた。
―――魔獣の足下へと切れ込む飛躍。
衝迫を叩きつける一刀を伴って蒼翼の軌道が翔け上がる。
『矢張り、お前かッ……ディキオス!』
強硬に攻め立てる振動帯砲の速射を迎える炎鞭が幾数条。
相殺の爆音もディキオスの前進を弱める事は出来ない。
爆膜を、速度を弛めることなく突っ切る機騎士。
魔獣の牙を大太刀の先が削った。
敵機の上方へ抜けた軌道は反転、逆立する機体が再び剣の刃を向ける。
二機の機兵、ディキオスとゲフェンノーム。
二つの怒り、ダネルと「D」。
痛覚に取って代わり冷えた泥濘の重みが侵しつつある心と身にあって、茫漠に溺れる意識を明かすのは揺らぐ己が影。
能うる限りの全てを懸けたディキオスの渾身―――――二の空身より四つの剣刃、四つの身より八の剣、五より十、十より二十―――――。
残身残影。
晃旗が無数の幻像を結び、切りかかる百もの剣の刀身が魔獣の眼光を映す。
放たれた爆炎が押し返す剣刃の波打ちから一足抜きん出る実体の刃先。
白い機体に絡みつく熱の飛沫。
ディキオス本体が振るう一閃は魔獣の左腕を抉り抜いた。
突き立てられた剣をゲフェンノームは逆の腕で掴む。
「――――お前がこれまで奪ったものすべての重さを、その身に刻み込んで果てろぉッ!」
『っは、それがお前の救いになるのかダネル・アラクシ!?』
「黙れッ…!お前は、奪うことしか出来ない者だッ!誰にも望まれず、誰にも赦されない存在、それがお前だッ!!」
『そうさせたのは―――――貴様等だろうがッ!!』
「D」が吼えた。
鎮まりかけた怨嗟を無理やり呼び起こしでもするように。
骨を露出させた背翼が炎熱を嘶かせる。
己が腕ごと薙ぐ魔獣の轟熱は瞬発的に退いたディキオスの腕甲を千切りとった。
その手から零れた太刀を続けざまの熱爪が二つに折る。
霊質の大部分を放散し傷ついて尚、魔獣は身に禍々しき暴性を残していた。再度の追撃に機を起こすダネルは残ったもう一振りの左太刀、「正義」を握る指先に更なる力を込める。
―――非情にもそこで、ダネルの視界に暗幕が下りる。
順次切断されていく神経接続に力を失う機躯。
過負荷に耐え切れなくなったディキオスの炉心が働きをやめた。
時間切れ――――――クルセイドの発動がついにその限界を迎えたのだ。
繰り手の意志を裏切って制動を失った機体の上に紅蓮が射す。
成されるがままに焼かれ、裂壊し散乱する鎧の破片。
重力に引かれ底なしの闇黒へと飲まれていくディキオス―――逆向きの重加に弄ばれうめきを漏らすダネル。
流れる意識の中にあって。
「まだ……」
鼓動が広がる。
「まだだッ……!」
血が訴える。
遠のく器官を掴む狂おしいまでの狂憤――――この身、灰と化そうとも、この魂、塵とつこうとも……。
「――――――奴だけは…あいつだけはッ……俺のこの手でぇぇッッ!!」
少年を衝き動かす内なる火。
心奥を灼く暗く激しい光。
己をなす倫理の外形をかなぐり捨てて一心に求める叫喚が遡逆と侵犯と開放と甦成と―――――復活を喚び寄せ。
色褪せた機腑の奥――――――停止した筈の魂核に再び輝きが戻り――――
――――――そしてもう一つの火が目醒める――――。
虚の空に闇を剖いて青く、火柱が佇立する――――――魔獣が纏う紅蓮と対象をなす蒼焔の渦中に在るのは聖魂騎士。
到底在り得ざる現象だった。
ディキオスは今、奇蹟なす聖魂機の条理さえ超克した力を発揮している。
青き焔は魔獣の赤炎に呼応して奔騰で機騎士の躯を包み、もつれて巡る炎環を、咬み合う尖鋼がゆがめて躍る。
高鳴る斬戟が削りあい、火花を撒き散らす双龍が逆巻いて機の骨肉を互いに相食む戦場。
砕き/砕かれる鉄鋼巨人、魂を削く機械人狂――――成層の高闇に照らし出された紅蓮火/蒼焔。
闘争の果てに何かを振るい落とし剥ぎ落とそうとするかの如く、漆黒を掻き乱し滾る血潮のままにぶつけ合う二機と二人。
互いが互いを引き裂き・喰らい・貪り・捧げ――――――。
―――――そして。
ゲフェンノームがその身に走る裂傷から体内を横溢する激しい条光を吐き漏らす。
残る一太刀と爪をもって十数度に渡る打ち込みの後、剣閃の弧が食い込んだ刹那ディキオスの上に射したものはダネルの知覚を幻想の平野にまで誘う輝き。
―――――――その精神にまで流れ込む凝光は記憶の洪水。
長く引き伸ばされた瞬きの内、彼は真実の断片を識る事になる。
即ち「D」と呼ばれる少年の――――――――――ベリア・ケイツの物語を。




