黎明への出立
■
戦闘終了から半刻が過ぎたバルネアⅣ周空――。
アドエス級艦と合流したタルシス級弐番艦の操舵主の表情はたった今、信じられないものをみたという様に硬直していた。
―――――バートルビの鼻先を掠めて浮かぶ巨大艦船。
上下二つの外骨が五つに独立した直方形の船体各部を結ぶように支持しているその外観は特異にして荘厳な華美を醸し出す。
「あの羽旗……鼎の錫状紋は、マーカ導師の「アエネイス」か…」
赫奕と瞬いて翔ける神殿船――――今、前方に浮かぶ船こそ世界に六隻しか存在しないネイビウム級、その二番艦アエネイスであった。
「―――かの船が、いったい何故こんな所に……いや、なんだって事が終わった今頃になって―――!?」
「―――ディキオスとセイリオスの回収が済んでないってのに……ダイヴィヌスはあちらが拾ったのか?」
「―――しかし、主長からの通達は受けていない」
「―――だったら、つまりそういうことなんだろうが!畜生ッ!」
艦隊を振り切って消えたベネデクトに、バートルビ艦内の様々な疑問と憶測のざわめきが投げかけられる中、ミディ・ファラムは一人、柵柱に凭れかかり喧騒から耳を背けていた。
「だから…信じられないのよっ……あんたなんか……」
「本当、勘弁してくれよな…」
ベネデクト甲板にて一人、ウェルバ・イルは誰にいうでもなくそう呟いた。
「―――積み込み及び封印作業は完了したよ、ウェルバ・イル」
男が告げる。
指差したデッキの奥――閉鎖済みの艦倉内にはいかめしい鎖に全体を拘束された魔獣の残骸が鎮座していた。
「これはこれは、主導閣下直々にお迎え頂けるとは光栄の至りで御座います」
女性的な顔立ちの男が辺りを見遣って云う。
「皮肉はよし給え。他に見ている者もいないのだ、他人行儀なもの言いも要らんよ」
「ああ、そうだな」
かつて自分をGRDNへと送り出した人物―――ミンヤミン・マーカ主級導師を前にして、少年は畏まった様子を途端に崩してみせる。
位階に拘らない両者の均等な間柄は信頼とも友愛とも異なった特殊な連帯を匂わせるものだった。
「―――ったく、話をややこしくしてくれたもんだぜあの爺さんときたら。神都ごと隣接次元に引き篭もられちゃ、こっちとしても手も足も出ないものな」
「その代わりにあちらからも直接的な干渉はできなくなるがね」
「そういう事。上手く出し抜いたつもりだったろうが、方舟の炉心はこっちが押さえさせてもらった。賭けに勝ったのは俺達ってことだ」
「「HEVENS」の同位体、アーキタイプ聖魂機たるセイリオスとの接触、及びにディキオスをはじめとする聖魂機との血戦を経てゲフェンノームはついに反神の座に至った。同士オベドの死を含む幾つかの波乱もあったが、結果としてはこれ以上は望めまい。良くやってくれたねウェルバ」
「そういう台詞は、あそこで命を張った連中にいってやってくれ」
「仲間、か……」
ミンヤミンの微笑が皮肉げに歪む
「胸が痛むかね?」
「あぁ、張り裂けそうだよ」
冗談とも本気ともつかぬ口ぶりでウェルバは答えた。
「「ソフィアの娘」を回収したのもそういう情けの表れだろうか」
「死んじまったら敵も味方もないだろう。出来ればエリドの庭に収めてやりたかったが」
「必要あるまいよ。直に「還元化」がはじまるだろうからな」
「…神の身元に召しかかえられる、か」
「その身を捨てて世界を救った功績をもってね。美しい話じゃないか」
「……」
ウェルバは黙したまま何も答えない。
「少なくともゲフェンノームを確保出来たのは偏に彼女のおかげだ、そこは純粋に感謝しておこう。なにしろあれは神ですら不可知の領域なのだからな、全くもって上手く運んでくれたものだよ」
「危うくこっちは死にかけたがな。どこぞの巫山戯た仮面野郎が横槍入れてくれたせいでさ」
「ふむ、彼の者があそこまで露骨な介入を行ってくる誤算だった」
「まったく、とんだ同胞もあったもんだぜ」
「無理もない。我々を繋ぐ紐帯とて絶対とは言い切れまいしな」
向けられた視線をウェルバは軽く受け流した。
「それもこれも元はといえばゲフェンノーム強奪にはじまったことだ。「D」……結局のところ、あいつは何者だったんだ?マーカ、、あんたは知ってるんだろ?」
「いいや。尋ねてはみたがね、最早済んだことだと返されてしまったよ」
「ちっ……議会の奴らの秘密主義にも困ったもんだ」
「爺さんがこのまま指をくわえてみてるはずもないってことだが。「客人」のちょっかいにしたってあれで最後って訳もなかろうし」
「それほど心配も要らないよ、至法院は機関の半数を掌握済みだ」
「だと、いいんだがな――――」
そこで突然、甲板に伝う衝撃が二人の会話を妨げた。
凄まじい轟音が神殿艦を襲ったのだ。
縛鎖を千切る黒白の焔―――夥しい霊圧が伝播する艦倉区画。
駆けつけたウェルバは、巻き起こる暴風の煽りを受け、甦った魔獣の異様をただ見守るしかなかった。 朽ち果てた機躯、砕けた装甲の奥から露出する魂核の輝きが、吐き出した粘塊。
床に落ちた泥のようなそれは変容し、次第に人の形を整える。
聖魂機用魂核炉心――――――真世紀種。
それは「神の台座」から得られた情報を基に、やがては神の対存在とするべく創られた特別な五つの魂核だった。
そして、GRDNはその内の一つにとびきり悪辣な意匠を施していた。
「神の台座」との同調をより強める為の方策として、「台座」の礎となった魂――ティル・ツァヴィ・アンメル――との共感者を魂核に組み込んだのである。
肉を捨て血を取り去り神経糸を解き、骨髄を割り、脳梁を腑分けにし――分解した生体情報を魂核の裡に再構成する。
明滅に置換された記憶・思推・意思――情報光子のマトリクスが描出するベリア・ケイツの魂。
彼らは少年から死の安らぎをさえ奪った。
だが、彼等は甘く見積もっていた。
分子単位にまで分解されて尚生きる量子的運動の慣性―――「塵」の怒りを。怨嗟を。絶えざる劫火の只中でさえ決して燃え尽きる事のない憎しみを。
聖魂機に搭載される筈であったその炉心は開発の最中、暴走により旧都市「べト・エケド」を消失させるに至り半世紀以上もの間、異なる次元の領野へと行方を眩ませるになる。
―――――そして現在。
再びこの世界に顕現した魂核を用いて開発されたゲフェンノームはより大きな凶事を、遠い過去から「彼」を喚び起こす結果となった。
ウェルバはゲフェンノームが強奪された夜の光景をありありと思い浮かべる事が出来た。
今、目の前にあるのはあの時の再現だ。厳重な警戒がまるで役に立たなかったのも当然だろう。
なぜなら初めから侵入者など存在しなかったのだから。
魂核が産み落とした分身――羊水滴る少年の髪は白く、うっすらと開かれた瞳は赤に染めあげられる。
神域の対存在ゲフェンノームの外部ユニット。死者の写身。
ウェルバは息を呑んだ。
「―――「D」……Defunctus(死者)……!」
プロファイル・コード「D」―――災いの仔、ベリア・ケイツのこれが三度目となる生誕だった。
骨ばった鋼の指が船室の外壁を捻じ取る。
魔獣機の射抜くような眼光が寝台の上に横たえられた少女――フィーラ・アンフィルエンナを捉える。
ゲフェンノームは機械の腕に少女を抱えると、千切れた枯葉の如き大翼をはためかせて天へと舞う。
「……くっ、!誰か、機兵を出せ!奴を逃がしてはならないッ!」
ミンヤミン・マーカの叫びは虚しかった。
魔獣の罅割れた機躯より白光が漏れい出る。
これまでのゲフェンノームとは異なる神聖ささえ湛えた放光は、急速に膨張し一帯を白く塗りつぶし。
再び辺りに闇が戻った時には既に、ゲフェンノームの姿は消え去っていた。
後にはただ真黒き闇天が広がるばかり――――――。
―――礫砂の潮流堆き死都バルネアの地表。
風と煙だけが脈をうつ死の地平に、岩肌を這う影が一つ。
大破した機体の爆発から奇跡的に生き延びた少年は身体中を責めたてる痛みに呻きながら歩く。
「――あなたは無事でしたか、プレ・イグ」
仮面の男――ルードゥスの姿を認めたプレ・イグは同胞の安否を問う。
「っつ、いてて……ラ・コーダとチルのやつは……」
「残念だが」
「…糞がッ……畜生ォッ…!」
「…申し訳ありませんが今は悲しんでいる暇はありませんよ、一刻も早くここを離れなければ我々とて危うい」
仮面の男はうち沈む少年に離脱を促す。
「なに、敗けはしましたが、これで何もかもが水泡に帰したわけではありません。ゲフェンノームが反神として目覚め、しかもあの者達の手を離れた以上ゲームは未だ続行中というわけです……なんとなればあなた方が運んできた「べへモス」とて使いようはあるかもしれませんね」
外部には決してしられる筈のない事実を仄めかす男に、少年はうわずった声で訊ねた。
「…あんたはいったい何者なんだ」
男は口の端をつり上げる。仮面に目元が隠されているせいでそれが笑いなのか怒りなのか容易に判じがたい。
「いったでしょう?貴方方と同じく、愚神を礼賛する者どもに仇なすただの人間です」
第九の世界――世界の外からの来訪者。
隔世の真実を生きる御使い達を見守るのは浅い闇に薄くかかる凍月。
■
――――たったの半年。
それだけで、まるですべてが変わってしまったかのように――――。
「マティ」・「マコノム」双方に隣接する境界域。
所々ガラス化した地面に立ち並ぶ石と鉄の奇妙なオブジェ。建群の残骸を踏みつぶして進軍する鉄の兵団。
朽ち果てた都市の残影を隔てて対峙する「至法院派」と「太教院派」の聖導機兵部隊は、本来ならば共に世界の安永を守る為のものであった筈。
しかし。
今や両軍の激突は必至であった。
布陣を敷き睨み合う両の軍勢。
幾多の発振器の囀りが不思議な程静まり返った一帯を微かに震わせる。
――――やがて沈黙を断ち割って、曇天に閃く爆花の大輪が開戦の合図となる。
甲高く嘶く発振器。次々に怒号をあげる推進管。そして、弾丸の炸裂音。
疎らな砲撃の応酬は次第に熱を帯び質と量を増して互いの上に降り注ぐ。
両軍の間に挟まれた礫柱の列は激しい銃弾に晒され微塵も残らず四散する。
徐々に本格化する戦場の最中。太教院派にあってただ一機、動きがみられない機体があった。
―――真世界の守護天使・聖魂機ベヌデクテ。
同胞たるべき機影に躊躇なく銃口を向ける僚機に機中のディミ・ファラムは我が目を疑う。
「ちょっと待ってよ…みんな正気なのッ……?…相手は同じGRDNなのよッ……!?」
飛散する榴弾が大量の熱釘を周囲にばら撒く。
新型機兵の兵装は聖属性の機兵であっても減殺を受けず十全たる威力を発揮するべく調整されたもの。つまりは明らかに真世界の機兵同士の戦闘を想定して造られた兵器である。
まるで、予めこの事態を予測していたかのように。
―――――――否。
予めこの機を見計らっていたかのように、次々と新造される新たな機兵たち。
けたたましい砲撃の響きと発振器の嘶きは、あるいは順々と狂いゆく真世界の断末魔か―――。
六ヶ月前、「バルネアⅣ」で繰り広げられた死闘。
太教院がゲフェンノームによって現実となりかけた世界崩壊の危機を巷間に暴露し、以ってかかる事態を招いたGRDNを告発しその即時解体を求める旨を表したのはそれから僅か数日後の事だった。
この布告に対し至法院は反発、少なからぬ数のGRDN各派もこれに協調することになる。
―――GRDN分裂。
聖魂機強奪事件に端を発した一連の騒乱は聖領の政治的闘争を一気に本格的な軍事的抗争に発展せしめる結果になったのだった。
この日「マティ」「マコノム」区域間で行われた武力衝突以降、真世界は未曾有の内乱状態へと突入していく事になる。
あたかも地獄の火が更なる血を求めてその手を広げていくかのように。
これが後の世にいう「ゲフェンノームの火」――凡そ千年ぶりに訪れた人類間戦争幕開けであった。
■
一見何の変哲もな小さな室内には逃走を阻む十重二十重の封鎖措置が施されており、古めかしい外観を除けばその部屋は小牢獄と表しても差し支えない代物だった。
治療期間も含めて、こんな所に半年近くも置かれれば気が塞ぐのも仕方がなかろうと、ロンマ・イマハムは少年に同情する。
「……イマハム教査官、でしたよね」
対面に腰掛けるダネル・アラクシの変貌ぶりはひと目でもはっきりと分かるほどだった。
血気に溢れた面立ちは蒼白の色が増し、陰りを帯びた瞳には静かな情動が映る。
前よりも伸びた髪とこけた頬が少年を十も年経たように見せていた。
少年が纏ったぎこちない落ち着きは空虚さといい換えてもいいだろう。どちらにしろそれは、以前の彼からは感じられなかったものだ。
バルネアⅣでの死闘が終わりを告げた直後、ダネルは愛機とともに救助されたのだが――己でやったのもか最低限の応急処置は施されていたものの――心身ともに消耗し果てていたという。
一体どれほどの凄惨が、このわずかの間に人これほど豹変せしむるのかとイマハムは疑問に思う。
「久しぶりだね。こうして顔を合わせるのはレボホトでの一件以来ということになるかな…」
治療は長くかかったようだが、深手の癒えた少年の憔悴ぶりは寧ろ内側からのものといっていい。
天井近くに備え付けられた小さな窓をぼんやりと見やる少年の横顔はなにか、自身を支えていた芯が失われでもしたかのような不安定さを漂わせていた。
「また審問でしょうか?俺が知っていることはすべてお話したつもりですが」
「そうだね。だから、今日はこちらが知っていることを話す番だ」
魔獣が何処かへ持ち去られた事を知らされた少年の動揺はごく僅かなものだった。
「あまり驚かないのだね?」
「……これでも驚いてはいます。けど…予感はありました…これで何もかも終わった訳じゃないって」
「…君と「D」との間の不可思議な感覚の同調……繋がりといった方がいいかな。それと、先の戦闘で観測されたディキオスの異常な力、君は直に感じている筈だね」
垣間見た「D」の記憶。
停止した筈の機躯を揺り動かした蒼く燃える焔。
「今日は、その正体について話にきたのさ」
茫洋と漂っていた少年の目線が強くイマハムを捉えた。
「君はゲフェンノームの起動実験について詳細を知らされていたかい?」
「…いいえ」
あの日、第四開発支部で行われたゲフェンノームの起動試験。
「とするとだ、あそこに何故聖魂機ディキオスが駆りだされる事になったのかも知らない訳だな」
「……それはゲフェンノームを警護する為…それだけではなかったと…?」
軽い頷きでイマハムは肯定してみせた。
「知っての通りゲフェンノームは特殊な機構を備えている。相転移機関と呼ばれるそれは発動に恐ろしくエネルギーを使うものらしくてね、眠ってる魂核を目覚めさせるだけでも莫大なエネルギーが必要だったんだ。それこそ島一つの発動力程度じゃ賄えない量のね」
「エネルギー…大きな力…」
「そう、聖魂機を起動するに足る莫大な力だ」
そこまでいわれて、ダネルはやっとその可能性に思い至った。
――――聖魂機に匹敵する力を持つのは他ならぬ聖魂機だけ。
「おそらく今、君が考えている通りだよ――――ディキオスの魂核と共鳴励起させることでゲフェンノームは起動したのさ」
―――――ニューロケーブルを通して繋がった二つの機躯とその炉心。
「これまで何ら兆候がみられなかったのでこれまで見逃していたのだが…」
―――――ゲフェンノームが起動した瞬間、直結した魂核の力は逆流し。
「そう、あの時点で既にディキオスは汚染されていたんだ」
さにやあらん。考えてみればあまりに出来すぎた話だったのだ―――ダネルが適正者ではなかったにも関わらず聖魂機を操る事が出来たのは偏に機体・魂核の変質が故。
ゲフェンノームの魔性に狂った魂核が、傍らにいたダネルを侵食し取り込んだという事。
「そして、ディキオスに乗り込んだ君もまた…ここに来てからの調査で裏づけはとれたよ」
―――爛れた奇蹟が彼を選んだ。
「――――ダネル・アラクシェ。君はゲフェンノームの魔性に冒されている」
少年は何も云わず押し黙っていた。
「……ダネル、」
声をかけてから、少年が顔色を変えずに笑っているのだとイマハムは気がついた。
「だって、笑うしかないじゃないですか……道理でこんな所にいつまで経っても縛りつけられているはずだ」
とんだ茶番だ。魔の必滅者・救世機関の聖霊手が、他ならぬ魔に侵されていたとは。
「きれいはきたない、きたないはきれい……初めから矛盾していたってことか、俺は……馬鹿な話だ」
聖と魔の間に立ってその双方に苛まれた少年は自嘲めいた嘆きを漏らした。
「悲劇は第三者からみれば常に滑稽なものだよ。……いいや、人はその愚かさを免れ得ないからこそ悲劇的なのかな」
イマハムは少年に憐みを覚えずにはいられなかった。それでも、彼にとって酷な話はまだ続く。
「……これもいっておかなければならないな、君の処遇についてなんだが。君の場合、汚染経路にしても症状にしても他に類例のない特殊なものだ。しかし、いずれにしろ症状が進行すれば通常の汚染者と同じ運命を辿る事になるに違いない―――よって、乗り手は機体ともども浄化措置にせよとの通達が近々下される事になっている」
少年の表情が強張るの無理からぬ事だろう。なにせ事実上の死刑宣告に等しいのだ。
魔に対するGRDNの決定は非情にして絶対。それを覆す力は何処にもない事を、彼は身に染みて理解している。
「――――しかし、だ」
それまで閉じきっていた扉がひとりでに開け放たれた。
「恐らく浄化処置は行われないだろう。なぜならダネル・アラクシェは人知れず、聖魂機を奪いここから脱走するのだから」
「……逃がしてくれるっていうんですか?」
イマハムは身振りで、廊下に誰もいないことを示してから泰然と歩き出す。
少年は暫く迷い、それから彼の後に続いた。
「―――知っているだろうが「至法院」と「太教院」はお互いを弾劾しあっている。しかもそのどちらもが「議会」の名の下にというからなんとも奇妙な話じゃないか。君ならこの状況をどう解釈する?」
「普通に考えれば、どちらかが騙っているということでしょう」
「ある意味ではどちらの言い分も正しいし、またどちらの言い分も偽りなのだと我々は考えている」
「?どういうことでしょう」
「率直にいうとね――我々は調査の結果、「議会」など存在しないという結論に至った」
「……それって、あの、冗談で言っている訳じゃないんですよね?…確かに議会は極端な秘密主義で公の場にも殆ど姿を表さないと聞いてますけど。」
「むしろ冗談であってくれれば良いんだがね」
経歴上、真世界の社会構造に疎い所のある彼にとっても、その発言がどれだけ突飛であるかは解っているのだろう、ダネルは驚くというよりはイマハムの真意を探るように訊ねた。
「……そんな馬鹿な、神智院は議会直下の組織の筈でしょう…!?」
「確かに神智院は議会に最も近い場所にいるといっていい。が、その我々にした所で今まで議会と直接相対した者はいなかったんだ。勿論、この私も含めてね」
「…でも、今まで誰もおかしいとは思わなかったんでしょうか」
「議会は絶対。指示さえ滞りなく出ていれば疑いなんて及ぶべくもなかったんだ。我々は議会の指示が途絶えてから初めて、君のいう当たり前の疑問に向き合う羽目になったのさ」
「けれど、それでも議会の全容は把握できなかった、と」
「そう。いくら調査を進めようと命令の出処を辿っていけば元の末端に戻ってしまう。堂々巡りを繰り返したよ。けどね、一つだけ目を引く事実が浮かび上がってきたんだ。「議会」という組織を証すものは何もみつけられなかったが、巧妙に隠蔽されたいくつもの伝達経路に何度も名前の出てくる人物がいた」
「それは……?」
「神都とともに消えたGRDN総帥「セファー・ジェラルド」」
組織内ですら謎に包まれた執行機関の長。
「今に至るまで皆目行方が掴めぬ以上憶測で語るよりないんだが、我々は一つの仮説をたてた。七十一頭議会とはGRDNの傀儡組織だったのではないかとね」
「ちょっと待ってください!議会が三院を動かして、三院がGRDNを動かして、そのGRDNが議会を動かすって…それでいったい聖府は成り立つんですか?」
「…きっと綻びは無数に生じ進行していたのだろうね。機関の中枢がすっぽりと抜けた今の聖府の混乱ぶりはそれを如実に示している。これまで大過なく聖府がまわっていたのは救世機関が確固たる重石として各組織を支えていた故だ」
「混沌も秩序もみなGRDNが生み出す……」
「そう。その機構がいかに大きく、歪な存在であったかが分かるだろう。真世界の中心にあったのは疑いようもなく、GRDNという存在なんだよ」
「……今回の件もGRDNの分裂が先にあって議会の矛盾はそれに伴うものだといいたいんですね」
「そういう事だ。神都と総帥の消失がGRDN内紛の発端か結果かは現時点では分からないが
ね。」
そこでイマハムは話を元の地点に戻した。
「ここまでいえば解るだろう? 神智院は土を掘り返しているうちに知らず自分たちの足場をも崩してしまったようなもんさ。依って立つ後ろ盾がなければ神智院自体まともに機能しようがない。事実として神智院は端から両陣営に取り込まれつつあるのが現状だ」
だがね、とイマハムは言葉をつぐ。
「他院の干渉も阻む力もないような有様とはいえ、だからといって唯々諾々と従ってやるのも少しばかり癪じゃないか」
「それが、俺を逃がす理由ですか……俺の命は貴方がたのちょっとした意趣返しの為の道具というわけだ」
「そう悪く受け取らないでくれないか。我々なりに世界の為に良かれと思う行動をとっているだけなのだから」
「ええ、きっとそうなんでしょう、誰もがそうやって生きて、争い、そうして血を流す…」
少年の言葉に皮肉の響きはなく、ただ純粋な諦観が滲み出ていた。イマハムは僅かに目を細める。
「現在ここ「シェハキム」領は太教院の管轄という事になってる―――」
「アラボト」を初めとする中央部三領区を根拠にする「至法院」派―――新生GRDN。他界四領のユニットを掌握する「太教院」派―――GRDN残存部隊ADAM。
「至法院にダイヴィヌス、太教院にはベヌデクテがつく形となった」
「ウェルバとミディが……」
少年の表情が曇る。
分かたれた仲間達の身を案じはすれど、我が身さえままならぬ彼にとっては如何ともし難い―――。内心歯噛みする思いではあろう。
「つい先日の事だが、両陣営はその境界となる「マティ」・「マコノム」領区間にて戦端を開いたらしい」
「…!…戦争ですか…!」
「ああ。もう、歯止めはきかないかもしれない」
真世界聖府――絶対的な頭を欠いたウロボロスの円構造はいまや抑制を完全に失い、我が身と共に世界そのものを呑み込みつつある。
「…すべてはゲフェンノームがはじまりだった。そもそも、救世機関直属の聖魂機として開発されたゲフェンノームは当初から真世界聖府の微妙な均衡を崩す不和の胤だった。そこに強奪事件―――聖府各機関は魔獣の脅威に対抗すべく大っぴらな軍備の拡張、更なるGRDNの軍事組織化を急ぐ一方、ゲフェンノームを密かにその手にしようと水面下で争うように画策を続けた。今にして思えば我々は分裂の芽をせっせと育てていたようなものだな」
「……結局、俺達のやったことっていったい何だったんでしょうかね?」
イマハムに答える術はない。
少年の虚無感と徒労感を滲ませるその問いは、ゲフェンノーム討伐に関わったものの総意であったことだろう。
夥しい犠牲を重ね、遂にゲフェンノームを討ち果たしたものの、直後に守るべき世界はバラバラになってしまった。当面の危機は回避されたといっても、あの地獄を闘いぬいた者には決して慰めにはなるまい。
「…我々は霧中の闇にある。真世界を二つに割った抗争は収まるどころか、辺境である第八世界にまで波及しつつある。……これはあくまでも私個人の勘だけどね。君とディキオスはこの混沌へと突き進む世界に於いて何らかの役割を負うているように思えてならないんだ」
「……まるで預言者のような事をいうんですね」
「ならば、もう少し預言者の真似事をしてみようか?」
イマハムは肩をすくめる。
「鍵はやはりゲフェンノームに違いない。現状において、各機関とも共通した見解がある。一つはかの魔獣は単なる機兵を超えた、真世界にとって重要とされる何ものかであるという点。そしてその為にこそ、一連の不可解な事象は引き起こされたのではないかという点」
そこで、彼はダネルをしかと見据える。
「ダネル・アラクシェ、奇しき因縁で奴と繋がった君はそれ故、真実に近しい場所に立っているのかもしれない。だから、いいかいダネル。君はこんなところで果ててはならない。君自身の為だけではない、この世界の行く末の為にもね」
少年は苦しげに目を伏せてかぶりを振った。
「……世界の行く末なんて、今の俺にはよく分かりません。俺は、ただ死ぬのが恐ろしいから逃げさせてもらうんです」
「今は、それでいいさ」
壁一面を占める格子枠の方形扉を前にして二人は歩を止めた。
「この先の自動階梯を下りれば機兵格納庫はもうすぐそこだ。外へ出たらまっすぐ東の方角へ進み給え、最も監視が手薄な筈だ」
「…有難うございました」
礼をいい、走り去っていく少年の背を見送るイマハム。
「…無事でいろよ、聖霊手ダネル・アラクシ。願わくば君の道行きに幸あらんことを…」
暫く経って、地下に反響する鋼翼の機動音が彼の耳を震わせた―――――。
隔壁を自力でよじ登って、地上部に顔を出したディキオス―――修復は手付かずで機体には骨格まで達した裂傷を未だに残している。
イマハムが手を回した結果だろうか、監視の目一つなくここまではこれた。
とはいえぐずぐずしていればすぐに追っ手が押し寄せるに相違ない、速やかにここを離れるべきだ。
そして……。
「(…そして、どうするんだ? 俺は―――) 」
行くべき道も。
共にある仲間も。
守るはずの世界も―――――少年を鎖す千尋の闇には映らずに。
開けた世界、何ものも見通せぬひたすらな深遠が模るのは―――漆黒と紅蓮の主。
獣の幻影に囚われ、且つ導かれるかのように、傷ついた羽根をうって騎士機は飛び立つ。
「(…………フィーラ……俺はこれから、どうすればいい…?)」
狭間に迷う少年・ダネル・アラクシェ。
その行く手に寂寥とした夜の闇は、どこまでも果てしなく広がるばかり……。
物語が始まる。
神と、人との物語が。
語られえぬ少女らの唱奏が照らす、語られるべき少年たちの物語が。
―――――――――それは、いずれ死せるものと生けるものの総てに結びつき。
世界の来し方を辿り行く末を示す歴史の一節。
―――――――――それは、無限に反復される、されどただ一度きりの創世録。
「真醒の反神機巧」。
果てなき果て、終わりなき終わりを謳う物語は――――――――此処より始まる。
完
これにて既出分は終わりです。
一先ずはここまでおつきあい頂き、誠に有難うございました。
続きは「真世躯導カントゥアデウス」にてお送りします。
それでは又。




