新たな火種
そうして。
タカヤは最後までセマユキの求める答えには辿り着けなかった。
そもそも答えが存在するのかすら怪しい。
だが、それでもどうにか議論を切り上げ、お好み焼きを準備することには成功した。
鉄板の上で焼き上がるお好み焼き。
香ばしい匂いが部屋中に広がる。
その瞬間まで険しい顔をしていたセマユキも、今は機嫌が良い。
むしろ上機嫌だった。
ニコニコしている。
本当にニコニコしている。
さっきまで論点だの定義だのと言っていた人間とは思えないほど嬉しそうだった。
「できたぞ」
タカヤは皿を差し出した。
セマユキは目を輝かせる。
「ありがとうございます」
そして。
ソースを手に取った。
べちゃり。
たっぷりとかける。
タカヤは頷く。
うん。
ここまではいい。
問題ない。
だが次の瞬間だった。
セマユキは何の迷いもなくマヨネーズを手に取った。
ぶしゃあああああ。
白い線がお好み焼きの上を踊る。
たっぷり。
遠慮なく。
これでもかと。
かけた。
沈黙。
タカヤの思考が停止する。
数秒後。
ようやく口が動いた。
「な、なぁ……」
セマユキは不思議そうに顔を上げる。
「なんですか?」
「お前……」
「はい」
「マヨネーズ……」
「はい」
「かけるんだな」
「かけますよ?」
当然のように答える。
当然らしい。
タカヤは震えた。
「いや……でも……」
「でも?」
「お前、ソースの話を……」
「しましたね」
「マヨネーズ派がどうとか……」
「話しましたね」
「論点がどうとか……」
「話しましたね」
「じゃあなんでマヨネーズかけてんだよ!!」
ついに爆発した。
だがセマユキはきょとんとしている。
本当に意味がわからないという顔だった。
「なぜ怒っているのですか?」
「いやいやいやいや!!」
タカヤは立ち上がる。
「お前ソース派じゃなかったのか!?」
「言ってません」
「マヨネーズ派じゃないのか!?」
「言ってません」
「じゃあなんなんだよ!」
セマユキはお好み焼きを一口食べた。
もぐもぐ。
幸せそうな顔。
そして。
「美味しいですね」
満面の笑みだった。
タカヤは頭を抱える。
もう嫌な予感しかしない。
だがセマユキは続けた。
「ですが……」
出た。
タカヤの背筋に冷たいものが走る。
その『ですが』から始まる話で平和だった試しがない。
セマユキは箸を置いた。
そして静かに尋ねる。
「なぜあなたは」
嫌な予感が加速する。
「ソースをかけた後にマヨネーズをかけると、ソース派ではなくなると思ったのですか?」
タカヤは天を仰いだ。
ああ。
終わった。
終わっていなかった。
第三ラウンドどころではない。
これは新たな戦場だ。
こうして。
お好み焼きが完成したことにより。
第四ラウンド開始の鐘が、静かに鳴り響いたのだった。
タカヤは即座に悟った。
ここで反論してはいけない。
反論した瞬間、議論はさらに二時間延長される。
それだけは避けたい。
「わかったよ」
タカヤは肩を落とした。
「その通りだ」
「……」
「お前が正しい」
「……」
「全部お前が正解だよ」
沈黙。
勝利宣言のはずだった。
だが。
セマユキの表情はなぜか曇っていた。
そして。
箸を丁寧に置く。
かちゃん。
妙に静かな音だった。
「そうですか」
低い声。
嫌な予感しかしない。
「私が全部正解……」
「お、おう」
「それはつまり……」
セマユキは目を閉じる。
「思考停止ですね?」
「え?」
「本当につまらない」
「なんでだよ!?」
セマユキは失望したように首を振った。
「タカヤ」
「なんだよ」
「あなたはいつからそんなつまらない男になったんですか?」
「いや最初から俺はこうだろ!?」
思わず立ち上がる。
だがセマユキは、
ふふふ……
と小さく笑った。
どこか楽しそうに。
どこか嬉しそうに。
しかし次の瞬間には。
すっと表情が消えた。
空気が変わる。
タカヤは本能的に察した。
――やばい。
これは本当にやばい。
セマユキは静かに言った。
「タカヤ」
「な、なんだよ」
「どうして私があなたと一緒にいるかわかりますか?」
「いや」
タカヤは即答した。
「聞きたいのはこっちだよ!?」
本音だった。
心の底からの本音だった。
「そもそもなんで俺みたいな男に……」
タカヤは頭を掻く。
「お前、美人なんだからさ……」
セマユキの眉がぴくりと動いた。
「話はまだ終わっていないのに」
「あ」
「なぜ次の質問をするのですか?」
「しまった……」
遅かった。
完全に遅かった。
セマユキは椅子に座り直す。
そして指を一本立てた。
「私は今」
「はい」
「あなたに質問しました」
「はい」
「それに対してあなたは」
「はい……」
「質問で返しました」
「はい……」
「つまり」
セマユキは静かに微笑む。
「質問に質問で返す人間は、自分の意見を持っていないということでよろしいですか?」
「よくない!!」
タカヤの叫びが響く。
だがセマユキは止まらない。
「あるいは」
「まだ続くの!?」
「私の質問に答えたくなかったのでしょうか?」
「違う!」
「ではなぜですか?」
「だから!」
「なぜですか?」
「だからぁ!!」
セマユキは静かに腕を組んだ。
まるで裁判官だった。
逃げ道はない。
反論しても罠。黙っても罠。
同意しても罠。
タカヤは悟る
お好み焼きは美味しかった。
だが。
それ以上に。
今日の議論はまだ終わらない。
こうして――
『なぜセマユキはタカヤと一緒にいるのか』
という新たな論点が誕生し。
第五ラウンドのゴングが、
静かに鳴り響いたのだった。




