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論破王セマユキ  作者: くりょ


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1/4

論争はいつも唐突に

ある日の夕食時だった。

 テーブルの上には、まだ何も並んでいない。

 だが、その日何を食べるかはすでに決まっていた。

 タカヤが腕を組みながら言う。

「今日はお好み焼きを食べよう」

 その一言に、セマユキの表情がぱっと明るくなった。

「いいですね、お好み焼き」

 満足そうに頷く。

「では、お好み焼きといったらソースです。ソースを出してください」

 当然のように告げるセマユキ。

 だが、タカヤは少し困ったように頭をかいた。

「あー……俺、マヨネーズ派なんだよね」

 その瞬間だった。

 セマユキの動きが止まる。

 数秒の沈黙。

 そして、ゆっくりと首を傾げた。

「……はぁ」

 深いため息。

「確かに、そういう派閥の方もいますよね」

「派閥って」

 タカヤが苦笑する。

 しかしセマユキは真剣だった。

「ですが」

 一度言葉を区切る。

「今はソースの話をしているんですよ?」

「いや、だから俺はマヨネーズ派で――」

「それは理解しています」

 即座に遮る。

「ですが、私はソースを要求しました」

「うん」

「するとあなたはマヨネーズ派だと言った」

「うん」

「つまり会話が成立していません」

「なんでだよ!」

 タカヤが思わず声を上げる。

 セマユキは静かに指を一本立てた。

「例えば私が『水をください』と言ったとしましょう」

「おう」

「そこであなたが『私はお茶派です』と答えたらどう思いますか?」

「いや、それは確かにおかしいけど」

「同じことです」

 勝ち誇ったように頷くセマユキ。

 タカヤは眉をひそめた。

「いや違うだろ。お好み焼きの話だから関連性はあるじゃん」

「関連性があることと、会話が成立していることは別です」

「うっ」

「私はソースを要求した」

「うん」

「あなたはマヨネーズ派を表明した」

「うん」

「ソースはどこですか?」

「いや、だからマヨネーズを――」

「ソースはどこですか?」

 圧が強い。

 異様に強い。

 タカヤは助けを求めるように天井を見上げた。

「なんでそんなソースにこだわるんだよ……」

 するとセマユキは椅子にもたれながら静かに言う。

「私はこだわっていません」

「絶対こだわってるだろ」

「いいえ」

 即答だった。

「私はただ、ソースを要求しただけです」

「それをこだわってるって言うんだよ!」

「違います」

 セマユキは首を横に振る。

「こだわりとは、譲れない信念を指します」

「そうだな」

「私はソースがなくても構いません」

「お?」

「ただ、ソースを要求した際にマヨネーズ派を名乗られると気になります」

「なんでだよ!」

「論点が違うので」

 あまりにも真顔だった。

 タカヤは頭を抱える。

 そして悟った。

 ――駄目だ。

 今日はもう駄目だ。

 お好み焼きが焼き上がる頃には、食卓にはソースとマヨネーズの両方が置かれていた。

 だが二人の論争は終わらない。

「だから私はソースの話を――」

「だから俺はマヨネーズ派だって――」

 鉄板の上でお好み焼きが香ばしい音を立てる。

 その横で。

 誰も求めていない議論だけが、いつまでも熱々のまま続いていた。


「わかった。わかったから」

タカヤは額を押さえながら、半ば降参するように言った。

「お好み焼き、買ってくるよ」

セマユキは腕を組んだまま、じっとタカヤを見ている。

「セマユキはソースで……俺はマヨネーズで……それでいいだろ?」

これで終わる。

そう思った。

だが、セマユキの眉がぴくりと動いた。

「……なるほど」

「え?」

「つまり、あなたは」

セマユキはさらに不機嫌そうに目を細めた。

「そうやって話から逃げるのですか?」

「なんでだよ!?」

タカヤの叫びが食卓に響く。

セマユキは静かに言った。

「私はソースの話をしています」

「してたな!!」

「あなたはマヨネーズ派だと言いましたよね?」

「言ったな!」

「そして今、お好み焼きを買いに行くことで、この議論を終わらせようとした。」

「終わらせたいんだよ!」

「それを逃避と言います」

「言わない!」

「言います」

「言わないって!」

「では説明してください」


セマユキは淡々と続ける。

「なぜ私がソースを要求した場面で、あなたはマヨネーズ派であることを主張したのですか?」

「まだそこ!?」

「当然です。そこが論点です」

「論点って……お好み焼き食うだけだろ!」

「いいえ」

セマユキは首を横に振る。


「これは、お好み焼きの話ではありません」

「お好み焼きの話だよ!」

「違います」


即答だった。


「これは、会話における論点のすり替えの話です」

「重い! お好み焼きに背負わせるテーマが重い!」

タカヤは頭を抱えた。

まだお好み焼きは目の前にない。

ソースもない。

マヨネーズもない。

あるのは、セマユキの納得していない顔だけだった。


「……もういいだろ。腹減ったんだよ」

「私も減っています」

「じゃあ買いに行かせろよ!」

「その前に」

セマユキは人差し指を立てた。


「あなたは、なぜ逃げようとしたのかを説明してください」

「逃げてない! 買いに行こうとしてるだけ!」

「では質問です」

「うわ、始まった……」

「買いに行くことと、議論を終わらせること。あなたの中で優先順位が高いのはどちらですか?」

「お好み焼き!」

「では、議論から逃げていますね」

「なんでそうなるんだよ!」


こうして。

ソース派とマヨネーズ派の戦いは、まだ始まりにすぎなかった。


お好み焼きが焼かれる前に。

第二ラウンドの火蓋が、静かに切って落とされたのだった。


「わかったよ……」


タカヤは深いため息を吐いた。

もう疲れていた。

お好み焼きはまだ食べていない。

なのに精神だけは満身創痍だった。

「俺の負けだよ……」

セマユキは黙っている。

「ソースだ」

「……」

「ソースが最高だよな」

これで終わる。

今度こそ終わる。

そう思った。


だが――


セマユキの表情はさらに険しくなった。

「はぁ……」

深いため息。

それは勝者のため息ではない。

失望した者のため息だった。


「どうしたんだよ……もういいだろ?」


タカヤが恐る恐る尋ねる。

セマユキは首を横に振った。

「またですか?」

「え?」

「なぜそうなるのですか?」

「なにが?」

「私は別に」

セマユキは真顔で言った。

「ソースが最高だとは言っていないのですが?」

沈黙。

タカヤの思考が停止する。

「……は?」

「私はソースを要求しました」

「うん…」

「ソースを出してほしいと言いました」

「うん…………」


「ですが、ソースが最高とは一言も言っていません」

「いや、でもソース派なんだろ…?」

「それも言っていません」

「は?」

「私はソースを要求しただけです」


タカヤは目を瞬かせた。

理解できない。

理解できる気もしない。


「待て」

「はい」

「お前、ソース派じゃないのか?」

「そのような発言はしていません」

「じゃあマヨネーズ派なのか?」

「そのような発言もしていません」

「じゃあなんなんだよ!」


セマユキは静かに答えた。

「私はソースを要求した人です」

「肩書きみたいに言うな!」


食卓が揺れるほどの勢いでタカヤが叫ぶ。

だがセマユキは冷静だった。

「タカヤ」

「なんだよ」

「あなたは今、非常に危険な思考をしています」

「怖いんだけど」

「ソースを要求した人間はソースが最高だと思っているはずだ」

「普通そうだろ!」

「決めつけです」

「決めつけじゃねぇよ!」

「では聞きます」


セマユキは腕を組んだ。


「水をくださいと言った人は、水が世界一美味しい飲み物だと思っているのですか?」

「それは違うけど…」

「同じことです」

「同じじゃねぇ!」

「同じです」

「違うだろ!?」

「同じです」

「違うって!」

「同じです」

「うるさい!」


セマユキは静かに目を閉じた。

そして残念そうに呟く。


「やはり話を聞いていませんでしたか」

「聞いてたよ!」

「聞いていれば、ソースが最高という結論にはなりません」

「じゃあ何が正解なんだよ!」


セマユキは数秒考えた。

そして口を開く。


「ソースを出してください」

「最初に戻った!?」


こうして。

ソース派ですらない男と

ソース派だと思い込んだ男の。

第三ラウンドが始まるのだった。

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