birthday 2
部屋に戻るとミレナは浴室にいた。
“着衣遊泳”
はじめて会った時そう呼んでいた。
ノックしてから浴室を覗くと、バスタブ一杯に張られた水の中ミレナが服のまま体育座りで潜っていた。黄色い髪がゆらゆらと水中で泳ぎ、微かな泡が口元からぷくぷくと零れ出ている。目を瞑っていてこちらには気づいていない。
「ミレナ」
玄嗣はバスタブの水中に手を差し伸べてミレナの冷たい肩を抱いて起こした。
少し息を荒くしたミレナが蜂蜜色の瞳でこちらを見る。
「…お、かえり」
「嫌なことでもあったか」
「…何にもないよ、玄嗣最近心配しすぎ…っ」
そう言うと水が器官に入ったためかミレナが急にごほごほと蒸せた。玄嗣は黙ってその背中を摩る。
「お前さ」
「…な、に」
玄嗣はミレナの背中を撫でながら、無感情に言った。
「生まれてきて良かったって思う?」
ミレナの息遣いが落ち着くのを待ってから玄嗣が肩から腕を抱いて引いても、ミレナは水中から立ち上がらなかった。
この冷たい水にこれ以上浸かっていない方がいい。
玄嗣は鎖を引いてバスタブの底にある栓を抜く。大きな音を立てながら水が排水溝に流れていくが、それでもミレナが立ち上がる様子はなかった。
しばらくそのまま座っている様子なので、脱衣所からバスタオルをとり、戻ったが、ミレナはじっと動かない。
「…玄嗣が兵士だったって知って、はじめてキスしたときさ、あの帰り道で。本当は優しい玄嗣が罪悪感で苦しめばいいって思ってたんだ」
ミレナは玄嗣の問いには答えず、ふいにそう言った。
「…そうか」
「だからキスしたんだよ」
「ああ」
それは何となくわかっていたことだ。
あの時の泣き笑いのような笑顔には、憎しみもどこか感じたから。
「玄嗣は生まれてきてよかったと思う?」
それは…。
俺が殺してきた傷つけてきた命。
俺がいなければ救われた命。
生まれてこなければ、救われた人がいたんだろうか。それすら思い上がりなのか。
「…どうだろうな」
玄嗣はバスタオルを1枚ミレナの肩に掛け、もう1枚を手に取ってミレナの頭に被せると、髪を優しく拭いてやった。
「俺は玄嗣が今いてくれてよかったよ」
ミレナは小声でそう言うと、バスタオルの下で鼻をすすり、湿ったタオルの端で顔を拭く。
「お前のが大人だな」
玄嗣は暖かくそう言うとバスタオル越しにミレナの頭をぽんっと軽く叩いた。
「コーヒー入れるから、着替えたら来い」
洗濯したばかりのミレナの服を手渡し、玄嗣は先に浴室から出た。
暖房を付けてリビングを暖め、コーヒーを2つ淹れると、玄嗣はソファに腰掛けた。
不安定なミレナを見るのは珍しいことじゃない。
一緒に暮らしてからこれまでにも何度もあった。
弥生の電話で少し言い争った後や、嫌な夢を見て起きてすぐ、ミレナはよく“着衣遊泳”する。
今回も悪い夢を見たんだろうか。
“着衣遊泳”の後はミレナの感覚が鈍る。
外出はとてもできる状態じゃない。明日も家にいた方がいいだろう。クラブは無しだな。
ガチャっと扉の開く音がしてそちらを見ると脱衣所からふらふらとした足取りでミレナが出てきた。
玄嗣はそっと近づいて腕を支えようと手を伸ばす。
だがミレナはその手を避ける。
「おい、転ぶぞ」
「大丈夫だよ」
その声はいつもより冷たく有無を言わさない雰囲気を纏っていた。
玄嗣は黙って傍に佇み、ミレナがゆっくりと周囲を辿りながらソファに座るのを見守る。
「玄嗣」
ソファに座って一息つくとミレナは玄嗣に隣に座るよう促した。
玄嗣が横に腰掛けると身体を預けるようにミレナが寄りかかる。少し濡れた髪や冷えた身体が玄嗣の肩や腕にくっつくと皮膚がすぐ微かに暖かくなった。
「…疲れた」
「読むか…?」
玄嗣は昨日途中まで読み聞かせた本を手に取ってミレナの指先に触れさせる。
「うん。読んで」
玄嗣はコーヒーを1口啜ると本のページを捲った。




