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カルロとジョシュアの動画投稿は、彼らが高校を卒業するまで続いた。そしてそれと同時進行で、チーム海東は半年に1回ペースでフィリピンと日本を往復しながら、彼らを題材としたドキュメンタリー映画を撮影した。
実を言えばこの一連の流れこそが、スタジオ海東が開設早々に大赤字を抱え込み、延々と借金生活が続くことになった原因なのだが、その数年後には10倍以上の収益をもたらした。それが海東淳の名を世界に知らしめた「スカベンジャーボーイズ(Scavenger Boys)」である。
発展途上国の若者たちに大きな希望をもたらすとともに、先進国にもパンチのきいた問題提起をしたその作品は、世界18か国の映画賞で高い評価を受けた。しかし、何より淳とチヨが喜んだのは、カルロとジョシュアが高校から大学に進学し、トンド地区に映像技術の専門学校を設立したことである。収入の少ない者は、無料で週2回の特別授業が受けられる。この学校から多くの映像技術者が世の中に羽ばたいていった。
やがて数年後、映像制作会社を立ち上げたカルロと、プログラミング会社の代表になったジョシュアをモデルに、彼らのサクセスストーリーを描く「スカベンジャーボーイズ2」が制作された。こちらは本人たちではなくハリウッドの有名俳優が演じ、監督もアメリカ人である。
当初、淳に監督のオファーが来たのだが辞退した。何しろ既に出来上がっていた脚本では、スナオ・カイトウが彼らの救世主よろしく祀り上げてあったのだ。さすがにそんな筋書きを本人が撮るのは気恥ずかしすぎる。そんなわけで、今回は観客になり切って楽しませてもらうことにした。
その映画のエンドロールには、カルロとジョシュアのコメントが挿入されている。淳とチヨはそれを見て、館内に電気が点いても鼻をすすりあげていた。
――僕たちはゴミの山で生まれて育ちました。ある日、そこに天使が舞い降りたのです。あなたはあの日、僕たちに大きなチャンスをくれました。スマートフォンの小さな画面は、僕たちが世界に飛び立つ魔法のドアでした。そのドアを開けてくれた、スナオ・カイトウに心から感謝しています。I love you.
Carlo Esperon & Joshua Bautista ――
こんな調子で、スタジオ海東が低空飛行からようやく安定飛行に移ったのが、設立から10年を数えたころ。その間、淳はあちこちの撮影のヘルプに入りながら自分の作品を撮り続け、チヨは憧れだった映像翻訳の仕事を任されるようになっていた。
幸せなニュースとしては、ミコちゃんがお姉ちゃんになった。4歳違いの妹、テル(光)ちゃんが生まれ、いまや瀬川家は四人家族である。生まれつき体の弱いテルちゃんは病院のお世話になることが多かったが、そのお陰で夫婦ともども小児医療や福祉など、社会の仕組みを実地で学ぶ経験となり、淳は小児医療のドキュメンタリー作品を残した。
ただし、知名度はいくらか上がったとは言え、淳もチヨも納得した仕事しか受けず、儲けた金は作品に残らず突っ込んでしまう。そんな風なので、相変わらず住まいはチヨの2LDKのマンションである。そして事務所は伽藍堂の2階の元倉庫。トイレだけは淳の切なる願いでウォシュレット付きの洋式になった。
ところが、そんな万年自転車操業のスタジオ海東に、喰らいつく物好きな寄生虫が現れた。テルちゃんが生まれて1年と少し経ったある日、スタジオの代表番号にかかってきた電話に出たアルバイトの持山君が、眉間にシワを寄せて「社長は出かけておりますが」と言いつつ片手を上げた。よからぬ電話のサインである。
「戻り時間は不明です。打ち合わせの場合は終わる時間がはっきりしませんので、お名前とご用件をお伺いしてよろしいでしょうか」
そう言いながら持山君は通話をスピーカーに切り替えた。現在のスタジオ海東は、社長が淳、専務がチヨ、そしてアルバイトの持山くんの3人所帯である。持山君はエーサンの学生で淳の大ファン。将来は映像の仕事がしたいという事で、週2~3回来てもらっている。なかなか機転が利く人物で、この業界に多い少しクセのある人も上手にあしらう。
さっき淳が外出中と言ったのも、知らない人間から電話があった時の常套句で、実際は目の前に座っている。事務所にかかってくる迷惑電話の多くは、新人俳優の売り込みか、監督と直接議論がしたい困ったファンのどちらかなので、内容を吟味して取り次ぐ必要があるなら、後でこちらからかけ直すようにしている。そもそも知人やクライアントであれば、淳に直で連絡があるはずなのだ。
「用件は、会うてから言うわ。取りあえず水曜日の午後8時に、渋谷の〇〇ホテルに来るように伝えてくれる? 名前は中谷、中谷笙子。私のことはよう知ってる仲やから」
関西弁の女性は、そう言うとさっさと電話を切ってしまった。勝手にアポを押し付けて、何という無責任な……と思っていたら、淳がパソコンの前で暗い顔をしている。その理由にピンと来たので、チヨは淳を向かいの喫茶店に誘った。
「例のあの人だよね」
チヨがレモンスカッシュを飲みながら淳に問うた。昭和の香りが漂うこの純喫茶は、メニューも昔懐かしいものが多い。今日は今からムカつく話を聞くことになりそうなので、せめてすっきりしたものが飲みたかった。淳はうんざりしたような表情で「うん」と頷いた。
「事務所に電話して来るって、どういう事だろう。淳の連絡先がわからないなら、普通は共通の知人に聞くじゃない?」
「……うん、まあ、その事なんやけどな」
「なるほど、すでに何か動きはあったのね。いつ頃?」
チヨ刑事の尋問は今日も冴えている。夫婦間で隠し事はしない主義の淳だが、しょうもないことだし聞いても気分が悪いだけだろうと言わずに置いたことを、洗いざらい白状させられた。
淳が最も会いたくない人物、それは元カノの笙子である。その笙子が半年ほど前に、淳の幼なじみであり、彼女の従弟でもある橋本経由で連絡を取ろうとしてきた。淳は大阪を離れたときに、電話番号やメールアドレスなどを全て変えたので、昔の知り合いの大半は今の連絡先を知らない。
それをわかっている橋本は「勝手に連絡先を教えるわけにはいかない」と一旦預かり、淳にどうするかと伺いを立ててきた。もちろん淳は言下に「教えるな」と頼んだのだが、すると今度は淳の実家に電話をしてきたのだ。あれだけ過去に両家で揉めたのに、どういう神経をしているのか。
しかしそこでも海東家のオカンに「ふざけんな」の婉曲表現で撃退され、とうとう事務所に突撃したというわけだ。よほど会って話したい事情があるのだろう。
「まあ100パー、ええ話ではないわな」
「お金、復縁、仕事世話しろ……ってとこかな。何にしても迷惑ね。で、どうすんの?」
「行かへんよ。会いとうないし、ムカつくだけや」
「そっか」
そのまま二人とも黙り込んでしまい、しばらく無言の時が流れた。その静寂を破ったのは、チヨの「よしっ」という声だった。
「そうだね、淳は会わない方がいいね。代わりに私が会うよ」
「は? 何でチヨが会うねん、ほっとけや。どうせ金貸せとか、そんなんやで。無視しといたらええねん」
「いや、たぶん放っておいたらまた来るね。あちこちロクでもないこと言って回るかも。面倒なことになる前に、ガツンと叩き潰しておこう」
「ちょ、待て」
「いいから任せといて」
有無を言わせない炎がチヨの目に宿っている。何やら対策を思いついたようだ。彼女が言うように、放置しても笙子は再びコンタクトを取ってくるだろう。きっぱり拒絶するのがいいという理屈はわかる。しかし、自分が蒔いた種でチヨに迷惑をかけることが忍びなく、淳は「すんません」と言いながら冷めたコーヒーをすすった。
それから水曜日までの間に、チヨは何か所か電話をしたり調べ物をしていたが、特段これと言って準備をしている風でもなく、当日も普段のような格好で涼しい顔をして、笙子の指定した待ち合わせ場所に出て行った。
「俺、近くで待機しとかんでええんか? 家で待ってて大丈夫か?」
笙子は利己的で押しの強い女である。丸腰で対峙して大丈夫かと淳はしきりに心配したが、チヨは「10分で終わるから」とピースサインでニヤニヤしている。彼女がそういう顔をする時は、勝算があるのだ。淳は保育園に娘たちをお迎えに行き、ワンオペで家事をこなしつつ妻の帰りを待った。
チヨが帰ってきたのは9時半すぎ。8時にホテルに着いたとして、本当に10分ちょっとの話で終わってしまったらしい。チヨはジャケットを脱いで、まだ起きていたミコちゃんにちゅーをすると、ラップのかかった夕食をレンジで温め、
「お腹すいた~。話は夕ご飯の後でいい? その間にミコちゃんたちを寝かしつけてきて」
そう言って、淳特製の肉野菜炒めとかきたま汁を猛然と食べ始めた。ひと仕事やってきた後の爽快感があふれている。淳はそんな妻の姿を頼もしく眺め、言われたとおりに愛娘を抱っこして子ども部屋へ向かった。




