7-3
娘たちが寝静まったリビングで、ようやくチヨは今夜の顛末を淳に報告した。あれこれ悩ませては仕事に差し支えるので、裏でやっていたことは黙っていたらしいが、それでも準備したことはたった二つだけである。
ひとつは八尾のオカンに電話をして、実家に淳が置いてきた「ある物」を送ってもらうこと。もうひとつは、代理店を通じて笙子のプロフィール確認をしてもらうことだ。
スタジオ海東は映画の他にPVなども作っているので、代理店にタレントの問い合わせをすることはよくある。関西の30代女性タレントでCMを企画している、という架空の設定で笙子の評判を尋ねてみたところ、大阪の代理店マンは聞かれていないことまでホイホイ教えてくれた。
「中谷さんはやめといた方がええかもですね~。若いころは人気あったんですけど、だんだん顔が変わったりして、テレビ向きじゃなくなってる感じやし」
現在はレギュラーも持たず、メディアへの露出はほぼないという。では何で生活しているかと言えば、ミナミの外れのクラブで雇われママをしている。しかし、その仕事も暗礁に乗り上げているらしい。
「知名度だけはあるから店も期待したんでしょうけど、彼女、トラブルメーカーなんですわ。なんか、お金のことで揉めてるらしいですよ~。うちもトラブルはご免やから、できたら彼女は使いたくないんです。他の人で考えてみてもらえません?」
そこまで聞いて、淳は笙子の転落人生を容易に想像できた。自分を磨かず、他人にぶら下がって生きてきた結果がこれである。クラブの仕事も、どうせ店の金でも使いこんだに違いない。うんざりして頭を抱える淳を前に、チヨはなおも話を続けた。
「目的がお金っていうのはそれでハッキリしたんだけど、どうも指定されたホテルが怪しげだったんで、私ちょっと探りを入れてみたの」
「探り?」
以前、ホテルに勤めていたチヨだけに、ピンとくるものがあった。案の定、指定ホテルを調べてみたところ、カフェもなければバーもない。話をするには極めて不向きな造りで、登録上はビジネスホテルであるものの、実質はラブホに近い施設だったという。いったい何のために笙子は淳をそこへ呼び出したのか。
「ははーん、ホテルの中で話をする気はないんだな、って思ったの。要するに、罠よ。最初は、怖いお兄さんが出てくるかと考えたんだけど、それなら防犯カメラばっちりのロビーなんか指定しないだろうし」
「おいおい、危ないことしたんちゃうやろな」
「大丈夫、今日ホテルに行ったら謎が解けたわよ。エントランスの道向こうの目立たない場所で、じーっとしてる男がいたの。でっかい望遠レンズのついたカメラ持ってたわ。写真を撮るのが狙いだったのよ」
「はぁあ?」
笙子が淳に金を無心するとしたら、揺するネタは過去の詐欺事件に違いない。マスコミに公表しないかわりに援助をしてくれと迫るつもりだろうが、それと同時にスキャンダルを捏造する狙いもあるのではとチヨは推察した。
カフェのないホテルをわざと選んだのは、そのためだ。「ここは話ができないので移動しよう」と言いつつ、ホテルから腕でも組んで出てきたところを証拠として撮影させておけば、もし援助を断られた場合にも、映画監督とタレントの不倫ネタでメディアに露出できるとでも思ったのだろう。
もしそうなら余りに浅知恵すぎて笑える。探偵と思しき一眼レフの男を見た瞬間、チヨはその場で勝利宣言をしたい気分だった。
「まあ、私なら写真撮られたってダメージないし、さっさとホテルの中に入ったわよ。彼女、もう来てたわ」
ホテルのロビーには安っぽいプラスチックの椅子が二脚あり、奥の一脚に女が座っていた。インナーカラーやハイライトで外国人風に作り込んだ、派手な髪である。「中谷さんですか」とチヨが声をかけると、驚いた顔で振り向いた。まさか女が来るとは思ってなかったようだ。ご愁傷様、である。
「誰?」
チヨは答えず笙子の隣に座り、ハンドバッグから名刺を出した。そして単刀直入に切り出す。
「スタジオ海東の専務取締役をしています、瀬川チヨです。海東淳は私の夫で、今日は彼の代理でお話を伺いに来ました。どんなご用件でしょう」
丁寧なのに、まるでケンカを売っているようなムードだ。それほど圧がある。しかし笙子も負けてはいない。
「なんで淳が来ぇへんの。私はあの子に話があんねん」
「夫の方は、話はないそうです。なのでここへは来ません。もし話があるなら私にどうぞ。それが嫌ならこれにて失礼しますけど」
笙子がムッとして唇をかむ。フィラーを打ちすぎて両サイドがめくれ上がった、いびつな形の口である。元は美人なんだろうが顔全体が人工的で、ボトックスのせいで眉から上が動かない。淳が「バケモノ」と言っていたのがよくわかる。
「ふん、ビビって嫁に来さしたんか、相変わらずヘタレやな」
「そのヘタレに話があるんですよね。聞くだけ聞きますよ、ご用件は何でしょう」
挑発に乗らず、淡々と返すチヨに笙子がいら立つ。しかし、ここで帰られると交通費がムダになると思ったのか、不機嫌極まりない表情で「話」とやらを切り出した。
「単刀直入に言うとね、いくらか都合して欲しいの。公になると、そちらに不利な情報を私が持ってるのは知ってるでしょ?」
「さあ、何のことやら」
笙子の顔がますます歪む。そんなに顔をしかめると、中に仕込んでいるシリコンが出てしまうのではないかと思うほど、嫌らしいしかめっ面である。
「とぼけんといて。淳が私に無断で婚姻届け出したん、聞いてるやろ。しかもあの子、私の知り合いから金巻き上げたんやで、恐喝や。それマスコミに知られてええの」
知り合いじゃないだろ、パパ活の相手だろと思ったが、そこは流してチヨは「どうぞ」と切り返した。
「公表したいならご自由に。でもマスコミに知れたら、あなたの方がダメージ大きいんじゃないですか」
「はあ、何言うてんの」
「夫からお金、受け取ってますよね。証拠が残ってます」
そう言ってチヨはバッグからクリアファイルを取り出した。中身は淳の18歳当時の銀行通帳のコピーで、出納記録には「カイトウスナオ→ナカタニショウコ」へ、350万円の振り込みが記載されている。これが八尾のオカンから送ってもらった「ある物」で、アホな二人は裏取引とも言える金を銀行振り込みでやり取りしていたのである。
「それを見た人、どう思いますかね。当時、夫は18歳の高校生。そんな大金、持ってるわけないし、彼女に振り込むなんてあり得ないでしょう」
「せやかて、これは淳が巻き上げたお金で、私は慰謝料としてもらったんやから正当なもんやで」
「教唆って、知ってますか」
笙子の言葉を遮るように、チヨのアルトの声が響いた。いよいよ叩き潰しに入る。
「教唆って言うのは、他人をそそのかして犯罪をさせることです。当時未成年だった淳を成人のあなたがそそのかし、偽装婚で交際相手をだまして金を巻き上げ着服したという犯罪の流れを、この証拠が裏付けてくれるんです」
「嘘や、私そんなことしてない! 淳が勝手にやったことや!」
「嘘か本当かはどうでもいいんです、要は世間がどう見るかでしょう。あなた、実際こうやってお金を受け取っていて、しかもこの金額、淳があなたの交際相手たちからもらった数字と完璧に一致するんですよね。こういうの俗に何て言うか知ってます? 美人局 (つつもたせ) って言うんですよ」
何となく意味がわかってきた笙子の顔が引きつる。チヨはさらに追い込んだ。
「もしあなたがマスコミに彼の過去を公表したら、こちらも事情を説明することになりますよね。その時、この口座の記録を出して、未成年のときにそそのかされて犯罪に加担した、全てあなたの指示だったと言います。お望み通りスキャンダルの主役になれるでしょうけど、その後に仕事が続くとは思えませんね」
「ちょっと、冗談やないわ。そんなことしたら逮捕されてしまうやないの」
「さすがに時効が過ぎてますから刑事罰は下りませんけど、民事はどうでしょうね」
「どういうこと?」
「民事の場合、詐欺は被害者がその事実を知った日から最長で20年訴えられる可能性があるそうです。もしニュースを見た被害者が、淳ではなくあなたに騙されたと知って裁判を起こしたら、面倒なことになるかもしれませんね」
チヨは心の中で「知らんけど」を付け加えた。関西人の夫がたまに使う、責任逃れの文末オプションである。裁判の話は聞きかじりなので本当かどうかはわからない。ただし、笙子には十分に効果があったようで、青ざめて膝の上で手を固く握っている。チヨは立ち上がり、とどめを刺した。
「さっきも言いましたけど、言いふらしたいならご自由に。ただし、あなたに何の得もないどころか、この業界にいられなくなる覚悟をしてくださいね」
そのまま振り返らず、チヨはホテルを出て行った。おそらく笙子はもう絡んでこないだろう。八尾のオカンからはリーサルウエポンとして、笙子の整形前の写真も送られてきていたが、それを使うことはきっとないはずだ。
以上を説明し終わったら、時刻は翌日になっていた。淳は何かをじっと考えていたが、チヨに向かって深く頭を下げた。
「すまんかった、嫌な役をやらせた。吐かんでええ嘘も吐かせてしもて、ほんまに悪かった」
その言葉を合図に、チヨの戦闘態勢が解除された。かわりに甘えん坊の涙があふれ出てくる。彼女だって怖かったのだ。不愉快だったし、淳の過去を占領していた女に一握りの嫉妬もあった。
「ありがとう、チヨ」
広げた淳の腕の中にチヨが滑り込み、鎖骨の上におでこをのせる。相変わらずやせっぽちの胸だが、チヨにとってはどこよりも心安らぐ場所である。
「当たり前でしょ。あなたは私の夫で、運命共同体なのよ。もし、またこんなことがあったら、私はまた闘うよ。何度だって私が、あなたを守る」
長い夫婦の歩みの中で、ときおり起こる小さな嵐。手を取り合って懸命に凌ぎながら、やがて絆が深く結ばれていくのだ。
この夜のロマンチックな抱擁は、テルちゃんの夜泣きで中断されたが、それもまた瀬川家らしい幸せの一幕である。




