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あっという間に夏が過ぎ、ジャケットの必要な季節になってきた。淳が新しいスタジオで働き始めて半年。ようやく職場の雰囲気や段取りをつかみ、先輩ディレクターとも打ち解けられるようになった。
たまには仕事の後で飲みに行くこともあり、今日もディレクターの真木さんと、スタジオ近場の居酒屋で一杯やっているところだ。肉豆腐と串焼きの盛り合わせを肴に、ハーフ&ハーフの大ジョッキを豪快に煽る、「肉体労働最高」と思える瞬間である。
「そんで、海東は次の作品どうなの。なんかもう練ってんの」
デビュー作「オーディエンス」はいくつかの賞を受賞し、業界では小さな話のネタになったものの、それからは新しい仕事で手一杯だったせいもあり、自主制作の動きは全く起こしていない。
いや、忙しいのは言い訳である。何もテーマが思いつかないのだ。前回は雷に打たれたようにアイデアがスパークしたのに。もしかしてこれが「一発屋」というものなのかと、淳はじんわりとした恐怖を感じていた。
「いや、それが何も考えてないんです。ネタが浮かばんというか、こう……強く心を動かす出来事があれば、何か下りてくるんかなって思うんですけど」
「ははは、燃料がないとムリ? そこがプロとアマの境界線だわな」
そう言って真木さんが枝豆を口に含む。彼は坊主でマッチョ、全身タトゥーというゴツい見た目とは裏腹に、繊細で絵画的な映像を得意としていて、化粧品会社や女優のPVなど、大手からのオファーが引きも切らない。
「俺らの仕事は、好きだろうが嫌いだろうが、相手の求めるものを提供しないと金にならんだろ。だから、自分で燃料ぶち込んでモチベーション上げないと、仕事のレベルがダダ下がりする」
「真木さんあたりになると、いつも天才的にひらめいてるんかと思ってました」
「んなわけねーし。毎度のたうち回ってるよ、アイデアなんて天から降って来ないし。だから常にアンテナ張ってる。見るもの、聞くもの、ビビッときたものは何でもストックしとくんだよ、ここに」
そう言って真木さんは自分のこめかみを叩いた。Boucheronのリングがぎらりと光る。いつも現場をあっと言わせる独自の映像が、地道な努力で練り上げられたものだと知って、淳は新鮮な感動を覚えた。
「ありがとうございます。ぶっちゃけ、行き詰まってる感があったんで、めっちゃ参考になります」
「趣味でやってるだけならいいけど、世の中に認められたい欲があるなら、受賞して追い風に乗れる今がチャンスだろ、立ち止まってんのはもったいないぜ」
強面を歪めて真木さんが笑った。もしかすると、この見かけの100倍やさしい先輩は、淳の行き詰まりを察知してカウンセリングしてくれたのかもしれない。天啓を待つのではなく「感動をストック」する。このアドバイスはこの後、海東淳の脚本制作において、常に発想の礎となった。
チヨも相変わらずフル回転で飛ばしていた。再就職しようか悩んだ挙句、パートでやっている英会話スクールの仕事が面白くなってきたので、1年間の契約を更新した。正社員へのオファーもあったが、やはり映像翻訳がやりたいので、フリーランスとして生活する道を選んだのだ。
とは言っても、通信教育が終わったばかりのひよっこに仕事が来るわけもなく、様々なネットワークに登録したり、制作会社に営業をかけたりしながら、ひたすら勉強の毎日である。ようやく先日、短い尺の添削を頼まれ、それがチヨの初仕事となった。
「フリーランスって見積書とか請求書とか、事務的なことが大変よね」
チヨがPDFの請求書フォーマットを保存しながらつぶやく。フリーになると決めた瞬間から、彼女は自営業に関する情報を収集し、節税だの還付だの、すっかり詳しくなっていた。イカサマをする気は毛頭ないが、1円でもムダに払いたくないらしい。さすがチヨだ。
「経費とか年金とか考えたら、会社員の方がお得感はあるよね~」
「会社員じゃなくなったん、後悔してる?」
「するもんか」
チヨがビッグな三日月の口で振り返った。後悔する暇があれば、次に向かって突進していくのがチヨである。そのうち翻訳の仕事で成功して、大ボスに成り上がりそうな予感がする。
世間の目から見れば、夫婦ともども駆け出しフリーランスというのは不安定に見えるだろう。淳もレギュラー発注があるとはいえ、作品ごとの業務委託なので、二人合わせても収入は心もとない限りではある。
しかし、住居はチヨの持ち家で生活費は折半。贅沢はできないものの、毎月1度は二人で映画を観て食事を楽しむくらいの余裕はあった。それだけで彼らには十分な幸せだったのだ。
デートの日は、必ず外で待ち合わせをした。チヨはわざと早めに来て淳を待つのが好きだった。数十メートル先に淳の姿を見つけて、一歩ごと近づくのを見守り、やっとチヨを確認したときの一瞬の笑顔にときめいてしまう。
結婚して間もなく3年になるが、新婚当時がバタバタしすぎたせいか、今ようやく夫婦としての時間を味わうことができるようになった。
「もー、遅いよ!」
「はは、すまん、すまん」
淳が遅刻することは滅多にないが、そのやり取りが二人のお約束だ。チヨはお姉さんキャラに見られるが、元来かなりの甘えん坊である。育ちのせいで封印していたデレを、思い切り発揮させてくれる淳と結婚して本当に幸せだと思う。
困ったことも、もちろんあった。最近いちばんチヨが頭に来たのは、淳の会社に押しかける距離なし女性であった。彼女は大手出版社のウェブコンテンツ担当者で、スタジオとの取引がきっかけで淳と知り合い、以来なにかにつけ絡んでくるようになった。
当の淳は鈍感なので、距離を詰められても「フレンドリーな人」だと気にしていなかったが、ある日、淳のバックパックにつけられていた、ピンクの象のマスコットにチヨが気づいた。
「これ、どうしたの」
「あー、取引先の人にもろた。欲しかったら、やるで」
チヨのレーダーが、なんとなくイヤな電波をキャッチした。このデザインから考えるに、くれた相手は男性ではないはずだ。それとなく探りをいれてみることにした。
「ノベルティ? 会社の人みんなに配られたの?」
「いや、なんか知らんうちに鞄につけられてた。よう物くれるねん、その人」
チヨのレーダーが強い電波をキャッチした。知らない間に敵のステルス機が近づいていたようだ。チヨは鈍感な夫に背後の敵を知らせることにした。
「あんたそれ、狙われてるわよ」
「はぁ?」
淳を尋問して吐かせたところによると、相手の女性は30歳前後のバリキャリ系。作品の納品が終わった後も「近くに寄ったので」と、手土産を片手にスタジオに顔を出すようになった。最初はケーキなどスタッフ全員へ向けての差し入れだったが、そのうち職場で使う歯磨きセットや仮眠用まくらなど、淳本人へのプレゼントに変わっていったという。
気持ち悪い。品物のチョイスが非常に気持ち悪い。消えものではなく、身の回り小物であるところが、実にあざとい。淳が既婚なのは知っているだろうに、いったいどういうつもりなのか。
「人懐こいだけかと思うてたけど……、すまん、もう何ももらわんようにするわ」
「そうして。変に期待をもたせるといけないから。考えてごらんよ、私が誰か他の男にしょっちゅうプレゼントもらってたらイヤでしょ」
そう言うと、淳の眉間にシワがよった。具体例を出して想像させてようやく、これはアカンやつだと理解したようだ。
「そやな、それはまずい。断る、明日の昼に弁当作ってくるて言うとったけど、いらんて言うわ」
「……なんだとぉ?」
翌日、淳の勤め先「Sequence」のテーブルの上には、スタッフ全員への差し入れとして、淳&チヨ特製の重箱三段スペシャル弁当が並んでいた。チヨのレーダーが迎撃指令を発動したため、昨日は深夜までかかって二人で仕込みをしたのだ。
「いつもお世話になってるので、ぜひ皆さんでどうぞ」
スタッフが大喜びしながら弁当をつついていると、例のバリキャリ女史が入ってきて目を丸くした。手には保冷ランチバッグが握られている。
「おお、いいところに。よかったら一緒にどうですか。海東と奥さんからの差し入れだよ」
何も知らない先輩が、いい感じでジャブを打ち込んでくれて、淳は心の中でサムアップをした。さらに、遊び人のまま四十路を迎えた先輩が追い打ちをかける。
「夫婦で一緒に料理するのって、憧れるな。そういうの聞くと俺でも結婚したくなっちゃうよ」
「いいですよ~、結婚。そろそろどうですか」
すかさず淳がノロケで突っ込み、どっと場に笑い声が沸いた。さすがにこの雰囲気の中で、淳に弁当を差し出す根性はなかったようで、バリキャリ女史はわざとらしくスマホの画面を見ると「社から呼び出しが」と言いながら撤退した。
学生時代の誘いは、仏頂面で蹴散らせばよかった。しかし社会人になればそうもいかない。妻に余計な心配をかけないよう、人付き合いも上手くやらねばと、チヨ特製バクダンおにぎりにかぶりつきながら、淳は肝に銘じた。




