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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;6 私たちの生き方
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6-4



 年が明け、3月になった。間もなく28歳の誕生日を迎えるチヨのため、淳は日ごろの感謝をこめて温泉旅行をプレゼントした。とにかく昨年は怒涛の一年だったので、二人ともゆっくりリフレッシュがしたかったのだ。


 いよいよ来月公開となる大迫監督の新作は、秋にクランクアップした。その後は自主制作の「オーディエンス」が、全国の小劇場やアートホールで次々と公開されたため、淳は挨拶や取材などに忙しく正月もほとんど休みがなかった。



 ちなみに、ディレクターズカットには、チヨがスマホで録音した緒方の罵詈雑言やマネージャーの冷徹な言葉が、エンドロールの効果音として使用されている。観客には単なる演出と思われただろうが、本人たちには冷や汗ものだ。しかし、訴えでもすれば自分の言葉だと認めることになるため、きっと今ごろ腹をかきむしって悶絶しているだろう。チヨと淳のブラックな意趣返しである。




「あー、気持ちいい。いろんな意味で」



 露天風呂につかったチヨが、肌をピンクに染めて首をコキコキと鳴らす。色っぽいのかオッサン臭いのか微妙なところだが、ふだんは絶対に一緒に入ってくれない風呂に、こうしてお供を許されただけでも淳にとっては僥倖であった。



「また帰ったら忙しくなるな」



 淳は4月から遠藤さんの紹介で、映像制作会社「Studio Sequence」で業務委託として仕事をする。ギャランティは安いが、時間はフレックス。現場によって長丁場になれば、別途手当てが支給される。また、副業もOKなので、自主制作の第二弾を進めたい淳にはもってこいの職場である。


 しかし何より魅力的だったのは、仕事内容である。映像助手は学生時代に岸社長の事務所「Σ」でも経験したが、あのような何でもありの会社ではなく、音楽のプロモーションビデオやファッションのイメージビデオなど、特殊な映像効果をばんばん使用したこだわりの作品を売り物にしている。




「あそこの仕事は勉強になるよ。気難しいのが多いからADはこきつかわれると思うけど、自由度が高いから現場はきっと楽しいはず」



 そう言って遠藤さんが太鼓判を押してくれた。社長とは旧知の仲らしい。そのためか大した面接もせずに採用されたが、はたしてどんな仕事が待っているのか。初めて本業として映像に向かい合うだけに、淳は今から武者震いが止まらなかった。




 一方、チヨは帰国後、再び英会話スクールの講師に復帰し、4月からは奥さま向けの初心者クラスも担当する。それと並行して週末にはジェイズのヘルプ、そしていよいよ本格的に映像翻訳の勉強もスタートさせる。チヨにとっても淳にとっても、胸ふくらむ春なのである。






 ただし、小さな悩み事はどんなときにもあるもので、淳の場合は受賞作がメディアに取り上げられたことで、彼の本意でない扱われ方をするのが不満だった。



「なになに? イケメン監督は元天才子役……だってさ」


「やめてくれ、っちゅーねん、ほんま」



 チヨが女性誌を見ながらニヤニヤしている。国内の上映前、より多くのメディアで告知をしようと、淳は申し入れのあった取材を全て受けた。多くは作品について記事を書いてくれたのだが、女性誌に関しては「監督自身のお話を」と食い下がられ、子役の話やプライベートなどについても質問された。


 その結果、雑誌が発売されてみれば映画の話は数行で、あとは淳のどアップ写真や、子役時代の話に終始していた。さらにはその記事が出たせいで、同様の取材が新たに舞い込んできて、それが淳の頭痛の種だったのだ。



「劇場公開もそろそろ終わるし、もう受けなくていいんじゃないの、取材」


「仕事も始まるしな。せやけど、雑誌社はどこから探してくんねん、俺の子ども時代の写真。俺かて持ってへんやつやで」


「王子さま系映画監督って書いてた雑誌もあったね」


「浪花の毒吐き男、て言われた方がマシや」




 そんな愚痴を、たまたま飲みに行った福井さんにこぼしたところ、



「ブサイク、って言われるよりいいじゃない」



 と笑い飛ばされた。人に注目されるということは、ある種のリスクを負うものだと福井さんは言う。



「有名税、って言葉は好きじゃないけど、勝手にイメージつけられたりして面倒くさいことはあると思う。作品だって、ひとり歩きするしね」


「ひとり歩き?」


「うん、ものすごく思いを込めた作品だとしても、観客は100%こっちの狙い通りには解釈してくれない。それがまた新たな刺激になったりするんだけどさ」


「それは理解できます。俺も映画みてあれこれ批評するけど、監督が聞いたら不愉快やろな、って思うことあります」


「まあ、作品を公開する人には付き物の悩みよ。それとどううまく付き合っていくかも、今後の海東くんの課題なんじゃないかな」



 遠藤さんのほんわか系とはまた違う、ソフトな中にも芯のある福井さんのアドバイスは、淳の心にいつも深く浸透する。出会ったころは、正規の仕事がないためフリーでやっていると言っていたが、後で周囲の人に聞いたら、腕がいいから大手からもオファーが来るのに「自分の主義に合わない会社では働かない」と、撥ねつけているそうだ。


 そんな職人気質の福井さんが、こうして淳の傍にいてくれるのは、非常に幸運なことである。そして、福井さんの師匠であるエンジンさん、その息子である遠藤さんに出会えたことも。淳は彼らが共通して持つ職人魂がとても好きだ。いつか自分も彼らのように、本質を追求できる職人になりたいと淳は願った。






 新しい会社「Sequence」での仕事は、淳にとって体験したことのないものだった。ディレクターは、いわゆるアーティストに分類される人たちで、フレームの中に創り出される異世界空間が、どのようなステップを踏んで出来上がるのか、夢の舞台裏を初めて体験した。


 また、同年代のアシスタントたちと映像談義を交わすのも楽しかった。確かに遠藤さんが言った通り激しくこき使われるが、その分すべてが駆け出しの淳にとっては勉強だったし、専門学校の100倍くらいの濃さで映像の何たるかを知ることができた。




 そんな興奮の毎日は瞬く間に過ぎ、間もなく梅雨に入ろうかという晴れた午後、休みの重なったチヨと淳は久方ぶりにドライブに出かけていた。明日が淳の26歳の誕生日なので、帰りは奮発して寿司屋を予約している。助手席でチヨが歌う即興の「スシの歌」をBGMに、二人が初めてドライブをした九十九里浜へ向かった。



 初めてここへ来たときは、まだ運転初心者だった淳も、今はすっかり余裕のハンドルさばきだ。ちなみにチヨの愛車ワゴンRは昨年廃車になり、黒のワンボックスカーに乗り換えた。二人とも正社員ではないので車は贅沢かとも思ったが、今後も淳が制作を続けるに当たって、大きめの車があった方がいいとチヨがすすめたのだ。



「もう真夏みたいだね」


「日焼けせんよう、帽子かぶっとき」



 そう言って淳はチヨに麦わら帽子をかぶせた。水色のチュニックに、小麦色の麦わら帽子、白いサンダルで渚を歩くチヨを、淳はアクションカメラで追いかける。あのときは、ひとつに結わえていた長い髪が、今日は潮風になびいている。ファインダー越しにその光景を見ながら、淳の胸に懐かしい切なさがこみあげてきた。


 やがて太陽がだんだんと勢いを失い、昼下がりから夕刻へと時が移ろっていく。そんなロマンチックなシチュエーションに影響されたのかもしれない。淳はカメラを構えたまま、チヨに話しかけた。



「チヨ」



 長い髪を揺らして、チヨが振り向いた。口角がキュッと上がった、淳の好きな表情だ。



「瀬川チヨさん」


「どうしたの、フルネームで」



 チヨの口角がさらに引き上げられ、三日月の口になった。こぼれる白い歯と、鼻の付け根に寄るラブリーなシワ、本人は気にしているが薄く散ったソバカスも、淳にはチヨのチャーミングポイントであった。



「瀬川チヨさん、俺と結婚してください」


「はあ?」



 チヨが目を丸くした。すでに二人が結婚してから2年半。今さら何を言っているのかと不思議に思っていると、淳は「カット」と言ってカメラを止めた。



「なんだったの?」



 意味がわからずキョトンとするチヨの手を引っ張り、淳は防波堤のコンクリートにやってきた。イル・ポスティーノにちょっと似た風景の、海に突き出す背景だ。そこに二人で腰かけて、夕刻前の海をまったりと眺めた。



「前にここに来たときのこと、思い出すな」


「懐かしいね、大学の2年だったっけ? 淳が免許を取って初ドライブだったよね」



 二人は過ぎた日の思い出を反芻していた。まだ恋人にもなっていない、ただの顔見知りだったが、お互いに惹かれ合う部分を感じていた。あれから過去を乗り越え、手を取り合ってここまでやってきた。つい昨日のことのようだが、もう6年近い年月が流れている。



「あの時は、まさかこうなるとは思わんかったな」


「私もだよ、人生わからないものだね」


「チヨと結婚して、よかった」



 唐突に、さらりと紡がれたその言葉に、一種の含みを感じて、チヨは淳を振り返った。夕陽になりかけている黄金の日差しが、美しい横顔を染めていた。淳は海を見ながら、言葉を続けた。



「型通りの結婚やなかったし、無職やったし、先のことは予測できんかった。それやのに、一緒になったとたんに色々起こりすぎてどうなるんかと思ったけど」



 淳のくせっ毛を潮風が撫でていく。確かに結婚してから今までは、あまりにも色々ありすぎて、新婚生活を楽しむどころか、息をつく暇もなかったというのが正直なところである。



「でも、二人でおったらどうにかなるんちゃうかって、不思議な自信があった」



 そう言うと淳はチヨを振り返り、ニヤッと笑った。滅多に笑わない淳のお宝ショットである。



「その通りやったな」



 チヨの胸にじわじわとこみ上げるものがあった。不器用な夫は愛情表現が下手なうえに変化球だが、そのぶん全力投球である。それがチヨにぐさりと刺さった。



「あのときはチヨから言うてくれたけど、今度は俺から改めて――」



 淳が立ち上がり、カメラを構える。趣味と照れ隠しのクロスオーバーなのだろう。「テイク2」と言ってスイッチを入れた。



「瀬川チヨさん」


「はい」


「結婚してください」



 淳の手が差し出された。どんな図になっているのか頭の中に浮かぶほどには、チヨも映像屋の女房になっている。よい角度を想定し、その手をしっかり握った。



「はい」



 いよいよ赤みを増してきた夕陽が、チヨの左半身をブロンズ色に染め上げる。見ているのは潮風とカモメだけ。二人はこの二回目のプロポーズを、生涯忘れることはなかった。




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