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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;6 私たちの生き方
65/77

6-3



「気ぃつけてな」


「いってきます。淳も撮影がんばって」



 マンションの玄関でぎゅっとハグをして、淳はチヨを送り出した。成田まで送っていきたいが、大迫監督の撮影がクランクインしており、1日ほぼ12時間はスタジオにいる生活である。今日もあと30分ほどしたら出勤だ。


 今回は監督が若手を積極的に起用しており、6人のアシスタントディレクター全員が、淳と同じく自主制作のホープである。自身も自主制作からデビューした大迫監督が、新しい境地に臨むために組んだ布陣であったが、志を同じくするライバルたちと切磋琢磨する毎日は、淳にとって新しい発見の連続であった。






 淳がスタジオで駆けずり回っている頃、チヨは中国の空港のベンチで仮眠をとっていた。チヨの購入した5万円を切る航空券は、当然のことながら直行便ではない。行きは浦東プドン経由で20時間、帰りは南京経由で30時間。それぞれうんざりするほどのトランジットを空港で過ごす。


 さらに、LAインNYアウトのオープンジョーで、内陸部は自力で移動する。ホテル代を節約するため、深夜のグレイハウンドバスを利用しながらの強行軍だが、明確な目的があるので辛くはない。とにかく淳の作品を世に出したくて、そのためなら何でもやってやるという覚悟だった。




 LAの空港では、ロージーが愛娘と出迎えてくれた。久方ぶりに見るロージーは、母親らしい貫禄がついていたが、ラテン系らしい陽気な笑顔はそのままだ。そして愛称ピッパことフェリパは、天使のような可愛らしさでチヨをノックアウトした。この日はロージーの家に泊めてもらい、明日の午前と午後にLAの2か所でスピーチ、そのままロージーの車でカリフォルニア州北部の大都市、サンノゼに向かう。



「あなた、すごいスケジュールだけど体を壊さないでね。ビタミンやスムージーで栄養補給するのよ」



 そう言いながら、ロージーはヘルシーの欠片も見当たらない「プーティン」をつまむ。最近メジャーになったカナダのファーストフードで、山盛りのフライドポテトの上にグレイビーソースをかけ、チーズをトッピングしたものだ。チヨは疲れた胃で消化できる自信がなかったので、控えめにチキンサラダにしたが、ロージーの言う通りこの国では食事をコントロールしないと、帰る前に胃炎になってしまうだろう。



「そのすごいスケジュールに合わせていろいろ手配してくれてありがとう。お陰で当初の予算から大幅に安く上がるよ」


「どういたしまして。自費でアメリカまで来てくれて、無料で上映と講演をしてくれるんだもの。私たちのグループも全面的にサポートさせてもらうわよ」



 チヨはサンノゼからサンディエゴ、フェニックス、サンアントニオ、ヒューストン、ダラス、シカゴ、フィラデルフィアを回り、最後にニューヨークへ向かう。多くの街では支部のメンバーが自宅に泊めてくれるし、中には次の街まで車で送ってくれる人もいる。そのため、交通費とホテル代が大きくカットできたのだ。事前にロージーが各支部と連絡して、準備をしてくれたお陰である。






 翌日、チヨはスピーチの壇上に立った。上映、スピーチ、質疑応答という順序で、チヨは映画の内容を説明すると同時に、日本の独特な社会構造や、多様性への不寛容など、現代日本の抱える問題についても語った。小さなホールで観客も100人程度の会ではあったが、アメリカらしく活発に意見が飛び交い、チヨは非常に手ごたえを感じた。


 会が終わり、ロージーの車でサンノゼに向かいながらその事を言うと、彼女は慎重に考えて、自らの意見を語ってくれた。



「アメリカだって、まだまだ問題は山積みよ。女性を力で従わせようとする人間はいっぱいいる。でも、私たちは黙らない。そうしているうち、世の中の意識が変わってくるわ。気が遠くなるほど長い時間がかかるけれど。でも、諦めなかったから今がある。だから、アメリカよりもっと厳しい環境の日本で声を上げたあなたはBrave(勇士)よ。私はチヨを誇りに思うわ」


「You’re brave」



 後部座席のチャイルドシートに座っているピッパが、可愛い声でほめてくれた。チヨは体の奥にパワーが湧いてくるのを感じた。そう、諦めないことが大切なのだと。




 13日後、ニューヨークのJFK空港に着いたチヨは、気絶寸前だった。北米の10都市、21か所の支部を訪れスピーチをした。車やバスや国内線で移動し、何人かの映像関係者にも紹介され話をした。非常に濃厚で有意義な2週間であったが、さすがに疲労困憊である。


 このキャンペーンがどのように影響するかはまだわからないが、アメリカの人々の率直な意見を聞けただけでも収穫はあったと思う。何より勇気をもらったのは、女性ばかりでなく、男性やLGBTのメンバーも参加してくれたことだ。社会全体が協力して全ての性をイコライゼーション(平等化)させていこうという、その姿勢が素晴らしいとチヨは感動した。






 30時間のフライトを終えたチヨを待っていたのは、夫の強烈な抱擁だった。大迫監督にお許しを得て、淳が成田まで迎えに来ていたのだ。人目も気にせず抱き合ってお互いの感触を懐かしんだ二人は、チヨの切なるリクエストで蕎麦屋に飛び込んだ。普段なら「空港の飯は高くてマズい!」と嫌がるチヨだが、出汁と醤油に飢餓感を覚えていたらしい。



「お疲れさんやったな」


「ありがと、やることは全てやってきたよ。あとはどういう目が出るか。賽は投げられた状態だね」



 そう言ってチヨは豪快にざるそばをすすった。たかが2週間、されど2週間。自分のいない場所で、チヨが勇敢に闘ってきてくれたことを思うと、淳は胸がいっぱいになった。彼女のために、もっと自分を磨きたい。よい作品を作って、彼女の笑顔が見たい。淳の中に灯った情熱の火が、ひときわ明るく燃え上がる瞬間であった。






 それから約2カ月後。秋とはいえ真夏のように暑い午後、ロージーからのチャットが飛んできた。ピッパが寝たので話がしたいという。向こうは深夜である。



「作品を上映したいという施設から、問い合わせを受けているの。もしOKなら連絡先をメールするから交渉してみて」



 チヨは飛び上がって喜んだ。先方から「上映したい」と申し出をもらったのだ。もちろんイエスと答えて、条件の交渉に入った。作品を見たグループメンバーが、知人やSNSを通じて作品を紹介してくれたお陰だ。上映先はその後も増え、3カ月後のトータルでは全米40か所を超えた。


 いったん物事が動き出すと一斉にスピードが高まるもので、上映会場が増えるにつれ、何度かメールで取材を受け、インターネットのサイトで紹介された。さらにそれが映画専門のメディアの目に留まり、インタビューを申し込まれた。とどめは、エントリーしていたコンテストの入賞である。



 いずれもグランプリは逃したものの、外国映画特別賞や批評家協会賞など、日本での受賞を加えれば4つの冠がつく。こうなると日本のメディアも放置できなくなり、ついにメジャーな映画雑誌からの取材が入った。厳しい闘いではあったが、チーム海東の勝利である。


 クラウドファンディングの支援者も世界で1万人を超えた。チヨへ制作費を返済し、メンバーに正当なギャラを払えるほどの収益だ。ここで淳とチヨはいったんネット配信を終了し、ディレクターズカットを引っ提げて、日本国内の上映に全力を注ぐことにした。改進党の連中も、きっともう手が出せない。メディアの注目度が高くなったので、下手なことをすれば策略が明るみに出る危険性がある。






「乾杯!」



 慰労の宴が開かれているのは、いつもの制作会議室。みんなしみじみと勝利の美酒を味わっている。嘉助くんが感激して泣いている他は、誰もが満面の笑顔だ。



「勝利の女神のお陰だな」



 遠藤さんが感慨深げに言った。もちろん女神とはチヨのことである。淳もその意見には大賛成であった。さんざん飲んで騒いでお開きの後、駅までの道をぶらぶらと歩きつつ、淳はチヨに改めて感謝の意を示した。



「私だけの力じゃないよ。淳の作品に値打ちがあったからだし、それはみんなで築いたものでしょう。それに、誰も諦めなかったじゃない。Nothing is written、だよ」



 その言葉を淳はしばらく考えて、パッと頭に砂漠の風景がひらめいた。



「アラビアのロレンスか」



 砂漠に取り残された兵士を救出しに行こうとするロレンスに、アラビア人の兵士が「It is written」と言う。それはコーランに書かれている、すなわち彼が死ぬのは運命だという意味だが、ロレンスは灼熱の砂漠に引き返し、死の境界線を彷徨いながら兵士を救出する。そのときの言葉が「Nothing is written」である。直訳すれば何も書かれていないという意味だが、「運命などない、道は自分で切り拓くもの」というニュアンスになる。



「Nothing is written」



 淳はくり返した。自分たちの前にある未来も、まだ何も書かれてはいない。月の光を浴びながら、美しい黒髪を輝かせる伴侶とともに、自分たちの生き方を切り拓いていくのだ。つないだ手を、ぎゅっと握る。少し冷たい秋の夜風が、10月の到来を知らせていた。



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