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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;6 私たちの生き方
63/77

6-1



 チヨと淳が結婚してから、一年が経った。お互い忙しい日々を過ごしていたため、アニバーサリーを祝う暇もなく、クリスマスに小さなケーキを食べながら映画を一緒に見たのが、唯一のロマンチックな時間であった。


 特に淳は、専門学校と大学の追い込みをしながら、自主制作の作品を撮り終えるという殺人的なスケジュールだった。コンテスト作品の提出締め切りが3月末日で、4月からは大迫監督の新作準備が始まる。その間には大学と専門学校の卒業があり、チヨの扶養から外れて個人事業主としてスタートするため、役所関係の届け出も済ませておかなくてはならない。


 本当なら正月はチヨを連れて大阪の実家に帰省しようと思っていたが、今年はそれも諦めた。家族は寂しがっていたが、また時間ができたときに帰ればいい。そう思っていたら、正月明けに海東家の愛犬、ケイシーが虹の橋を渡ったと連絡があった。捨て犬だったので正確な年齢はわからないが、およそ12~13歳。淳は涙をこらえながら、制作に没頭することで大きな喪失感を紛らわせた。




 しかし自主制作に関しては、幸運が続いた。キャスティングをどうするか最後まで悩んだ末、以前に肝機能サプリのCMで仕事をした劇団員の人を思い出した。この作品は登場人物が少なく、ほとんど一人二役の主役の語りで物語が進む。わずか10秒の出演でもリアリティを追求していた彼の芝居は、淳のイメージにぴったりだった。




「すごいタイミングです、来月だったら連絡取れなくなってるところでした」



 彼の名前は伊佐山さんといって、現在もまだ劇団とアルバイトで繋いでいるが、年内での退団が決まっており、故郷の新潟に帰る予定なのだという。40歳を前にして同じ劇団に所属する恋人と身を固め、実家の農家を継ぐ覚悟をしたらしい。



「田んぼの畦塗りが始まる4月半ばごろまでなら、いつでも時間が取れます。むしろ、こっちからお願いします。記念に主役、演らせてください。できれば彼女も一緒に。すごい役者なんです、俺が保証します」



 こうして主演は伊佐山夫妻に決定した。撮ってみてわかったのだが、二人とも客前で長年パフォーマンスをしてきた実力者で、淳の要求を超える演技で応えてくれた。知名度は才能に直結しないという実例である。お陰でチームのみんなも本業そっちのけでのめりこんでしまい、活発な議論を交わしながら、時にはオールナイトで撮影を行うこともあった。




 その甲斐あって、予定より4日早い2月下旬にクランクアップし、その後はエンジンさんの息子の遠藤豊さんのスタジオで、デジタル処理と編集作業に突入した。42分のショートムービーとはいえ、こだわろうと思えば時間は足りなくなる。ベテランの遠藤さんの意見を取り入れつつ、譲れないことは率直に伝え、こちらも朝までコースを連発しながら、なんとか提出日までにはエントリーができた。






「乾杯! 皆さんありがとうございました!」



 いつの間にか「制作会議室」という名前で呼ばれるようになった、いつもの居酒屋の個室で、乾杯の音頭を取った淳は深く頭を下げた。作品をエントリーし、あとは5月の結果発表を待つだけである。制作費はあらかた使ってしまったので、メンバーには雀の涙ほどの金一封が出るだけだが、みんなの顔は晴れやかだ。



「俺は面白かったよ、普段の仕事はスポンサーに忖度しないといけないけど、これはやりたい放題だからストレス発散できた」



 ツキちゃんがそう言うと、妹のハナちゃんもあとに続いた。



「私と嘉助も好き勝手に遊ばせてもらったよ。決まりごとがないのって最初は戸惑うけど、ピタッと決まったときは快感だよね」



 大人しい彼氏の嘉助くんは頷くだけである。そしてその隣には、主演の伊佐山夫婦。映画の中では憎々しい冷血漢と追い込まれる女性を演じているが、普段はにこにこと穏やかなカップルである。



「俺たちも、声かけてもらって嬉しかったです。まさか、田舎に帰る前に主役が演れるなんて。こんなに長回ししてもらったの、役者人生で初めてですよ」



 そこでドッと笑い声が上がり、今度はベテラン組にお鉢が回った。福井さんに促され、おしぼりをマイクがわりに、遠藤さんが語りだす。



「僕、フクちゃんから誘われたことになってるけど、実は海東くんと仕事がしてみたくて自分から参加したんだ」



 全員がええっ、という顔をした。いちばん驚いたのは淳である。



「海東くん、親父の葬式の時に古い脚本を渡されたでしょう。あの中の書き込み、僕も若いころから何度も読んでて、親父すごいな、こういう映像を自分の手で扱ってみたいなと思ってたんだ。でも、すでに世に出てる作品だし、今どきこういう映画は撮らないよねって、諦めてたの」



 その後の言葉は、福井さんが引き継いだ。



「でも、海東くんならきっとあれを自分の中で消化して、面白いアレンジをするんじゃないかって思ったんだ。自主制作するって聞いて、なんか予感がしたから参加せずにはいられなかった。思った通り、エンジンさんのテクニック、8か所あったよね」



 淳は例の脚本を穴が開くほど読み倒し、実写と照らして頭に叩き込んでいだ。辣腕のカメラマンであり、天才的な演出家でもあったエンジンさんのテクニックをヒントに、自分の表現として作品に組み込んだつもりだったが、やはり弟子と息子には見抜かれてしまったようだ。



「あちゃー、パクり丸出しでした? かっこ悪」


「パクりとは思わなかった、あれはオマージュだよ。お陰で、俺たちも夢が叶った。おっさん二人がやけに張り切ってただろ、嬉しかったんだよ」



 淳は鼻の奥がツンとした。大変だったけど作品を撮ってよかったと思ったし、このメンバーで撮影できて幸せだった。怒りのままに暴走しかけた自分を、映像に向い合せてくれたチヨにも深く感謝している。淳はもう一度、みんなに向かってお辞儀をした。






 淳が自主制作に張り付いていた年末年始、チヨにも大きな変化があった。まずは12月20日、全く惜しまれることなくホテルを退社し、その翌日から大学時代のバイト先である「ジェイズ」に復帰した。この時期はパーティー続きで猫の手も借りたいほど忙しい。ホール業務に慣れているチヨが戻ってきてくれるなら、ジェイにとっても大助かりなのだ。



 自主退社なので、すぐに働くと失業保険がもらえなくなるが、もとから休むつもりは毛頭なかった。ジェイズとかけもちで昼間は英会話スクールのパートにも入った。会社を辞める前から周到に準備し、退職早々2足のわらじ生活に突入したのである。そこらがチヨのバイタリティのすごいところだ。



「資格もないのに、先生とかできるんか? 特殊なスキルがいるんと違うか?」



 いきなりフル回転のチヨを見て淳が心配するが、タフネス妻は三日月の口でニヤリと笑った。



「英検1級持ってるし、TOEICだって800点は取れてるよ。子供向けの教室だから、あんまり条件厳しくないの。それより、卒業してからコツコツ受けてる翻訳の通信講座の方が本命。いつか映像翻訳、やりたいんだ。会社辞めたから、これで思う存分勉強できるよ」



 転んでもタダでは起きないのがチヨである。その逞しさに、淳は何度も救われてきた。自身も春からは大迫監督の仕事が始まり、ある程度は収入が安定する。二人でいれば何とかなるさと、淳もチヨを習って楽天的に構えることにした。






 5月になり、最高に良い知らせと、最高に悪い知らせがセットになって飛び込んできた。良い方は、コンテストの結果である。淳の作品「オーディエンス」が、なんとグランプリを獲得したのだ。チヨと淳は抱き合って喜び、その翌日には制作会議室で大宴会が行われた。小さなコンテストだし、賞金だって多くない。しかし、海東淳の映画人としての輝ける第一歩である。



 早速、翌月には授賞式が行われ、映画雑誌やネットの片隅に淳の受賞記事が掲載された。その後、全国5か所の文化施設で公開される段取りになっていたのだが、ある日コンテスト実行委員会から連絡が入った。これが「最高に悪い」方の知らせで、信じられないことに、公開予定の施設から全てキャンセルされたというのである。



「ちょっと内容がきつすぎるそうで、施設側がNGらしいんですよ」



 5か所の文化施設のうち東京のひとつは、過激なテーマの展示会もたびたび行われている。それなのに何で断られたのか。サポートしてくれた仲間たちにも顔向けできないと、落ち込んでいた淳に意外な人物が真相を教えてくれた。



「改新党から圧がかかったらしいよ。知り合いがその施設で働いてるけど、公開すんなって言われたらしい」



 その声の主は、大迫監督である。淳は現在、大迫作品のアシスタントに入っており、この日もスタジオで室内シーンの撮りを行っていた。その休憩時間に監督から呼ばれて、事の真相を知らされたというわけだ。さすがに業界のつながりが多いため、方々から情報が入ってくるらしい。


 大迫監督は、自身も自主制作からスタートした人で、淳の受賞を我がことのように喜んでくれた。それだけに、彼にとっても今回のキャンセルは納得がいかないようだ。



「俺、なんか力になれることある?」


「ありがとうございます。とりあえず、状況を詳しく確認してみます」



 淳は曖昧に言葉を濁した。間違いなく、これにはチヨの元職場が絡んでいる。大迫監督を頼れば施設に交渉してくれるだろうが、そうなると彼が矢面に立ってしまう。有名監督ともなれば政治とつながるスポンサーもいるわけで、淳の私事に監督を巻き込むわけにはいかない。



 取りあえず家に帰って策を練る必要がある。そう考えていたらチヨの方から連絡が入った。今晩、制作会議室でブレストをするらしい。メンバーの誰かが業界筋から情報を得たのだろう。腹の底がムカムカする。きっとみんなも同じ気持ちだ。


 公開することで不条理を糾弾するのが目的だったのに、その相手から先手を打たれてしまった。しかしこのままお蔵入りには絶対にしない。淳は湯気の出そうな頭を無理やり切り替え、再び目の前の仕事に集中した。



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