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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;5 回る、回る、運命の歯車
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5-13



 企画の大枠ができあがったものの、さてこれからどうするかというのが、目下の淳にとっての悩みであった。自主制作については専門学校で大まかな授業を受けてはいたが、マニュアル通りに行かないのが映画の世界だ。何しろ先立つものがない、スタッフもいない、それより何より就職先もまだ決まっていない。


 しかし、運命とはわからないもので、ないないづくしで立ち往生していた淳に、思いもかけない人から声がかかった。なんとあの大迫監督から、来夏クランクイン予定の次作の現場に、アシスタントとして入らないかとオファーをいただいたのだ。契約としては業務委託。いわゆるフリーランスとしての参加となるが、淳は一も二もなく飛びついた。


 準備の始まる春からの安定収入が確保できるだけでなく、著名な監督の名指しでスタッフ入りとなれば、例え一年遅れたとしても次の就職に有利になる。しかし、何といってもエンジンさんのアシスタントとして経験した現場の空気を、また肌身で感じられるのが魅力だった。きっと仕事は雑用と使い走りだろうが、現場にいられることが、淳の何よりの願いなのである。






 そんな訳で、しばらくは作品作りだけに集中できる環境が整ったわけだが、こちらも事態が思いもよらぬ方向に転がっていった。制作にあたって、プロの意見を聞くために福井さんとツキちゃんに企画書を読んでもらったのだが、二人から「これはちゃんと撮った方がいい」という意見が出され、とある居酒屋の座敷で、緊急制作会議が行われることになった。


 参加メンバーは脚本・監督の淳とマネージャーのチヨ、カメラマンの福井さんと大道具のツキちゃん、小道具のハナちゃん、ハナちゃんの彼氏で駆け出しミキサーの嘉助くん、そして何とエンジンさんの息子の遠藤豊さん。淳がお迎えに行っていたエンジンさん宅の世帯主であるが、時間帯の関係で会ったことがなかったので、初めましてである。



 彼は映像のデジタル加工が専門で、旧知の中である福井さんが声をかけたら、興味を持ってくれたらしい。みんな忙しいメンツなのに、自分のために集まってもらい、淳は嬉しいような申し訳ないような、複雑な気分だった。



「海東くん、これ自分でカメラ回そうと思ってたの? あ、海東くんでいいんだっけ」



 遠藤さんが企画書をめくりながら、淳に質問した。淳が書いた走り書きに近い企画書を、ハナちゃんがコピーして綴じてくれた。それが一冊ずつ、みんなの手元に配られている。プロが書くような立派なト書きではないので、もっときれいに書くべきだったと後悔したが、遠藤さんは全く気にしていないムードだった。父親のエンジンさんのような荒々しさはなく、白髪頭のほんわか系おじさんである。



「はい、仕事では海東のままで大丈夫です。福井さんからもらったアクションカメラで撮ろうと思ってました」



 最低限のセットと人員で撮って、若手の自主制作を募集しているフィルムフェスティバルに応募してみるつもりだと淳は答えた。自己満足の意味が強かったので、具体的な公開手段については計画していなかったのだが、ここへ揃ったメンバーはもっと大きなことを考えたらしい。



「せっかくだし、これ世の中に出してみない? 俺たちサポートするからさ」



 遠藤さんがニコニコしながら淳に問うた。さらっとした口調だったが、言っている内容はとんでもない。引く手数多のプロフェッショナルが5人、いったいどれだけのギャラが発生するのか。慌てて淳が辞退しようとしたが、銭の話はやはりチヨの方が早かった。



「いやいやいや! そんな予算、ないです。こんな立派な皆さんに言っていただいて、お気持ちは嬉しいです。でも、ほんと無理ですから」



 しかし、今度は福井さんが攻めてきた。



「面白そうだから、手伝わせてくれないか、って言ってるんだよ。お金のことは気にしなくていい。もちろん、みんな仕事があるからそっち優先だけど。それならいいでしょ?」


「でも、もし儲かったらがっぽり請求するよ~」



 福井さんの言葉尻にかぶせるように、ハナちゃんが冗談めかしてウインクした。みんな淳の企画に興味を持ち、手弁当で参加してくれるという。身に余る光栄に、返す言葉はひとつだった。



「ありがとう、ございます」



 正座をして深く頭を下げる淳とチヨに、みんなのグラスが差し出された。カチンと乾杯して、あとは怒涛のような制作会議である。今度みんなが揃うのは、たぶんしばらく先になりそうなので、仕事の早いハナちゃんが速攻でLINEグループを作って連絡板にした。


 話しあった結果、取りあえずは淳が企画書をちゃんとしたカット割りの脚本に仕立てて、そこから全員で相談して必要な機材や撮影場所を決めていく。淳が苦手な経理関係や広報はチヨが引き受けた。まるで大人の文化祭のようだ。プロが揃っているだけに、手抜かりがないのが素晴らしい。



「以前、海東くんの書き込んだ脚本を見たとき、スマホで動画サイトに上げるんじゃなくて、ちゃんと撮るべきだと思った。ようやく形になりそうだね」



 福井さんが芋の水割りをちびちび飲みつつ、しみじみとつぶやく。そう言えば、最初に淳を評価してくれたのは福井さんだった。彼のお陰でエンジンさんや、他のメンバーとも知り合えたのだ。人のご縁はまさに宝である。そしてこの面子が後に「チーム海東」と呼ばれる映像制作集団の一期生となることは、この時点ではだれにも予測できなかった。






 淳の作品が幸先の良いスタートを切った翌月、チヨの身に最低最悪の事態が訪れた。ある日、人事課の課長から応接室に呼び出されて、勤務態度についての叱責を受けたのだ。上司や先輩の指示に素直に従わず、指導がしにくいというのが理由である。そして結論から言うと、改善ではなく自主退職を勧められた。もちろん嫌な予感がありまくりだったので、スマホの録音機能はオンである。



「このホテルは、社員一同がルールに従って業務を進めています。瀬川さんのように、上司の指示に従わない人がいると規律が乱れ、パフォーマンスの低下につながると考えます」



 人事課長に呼ばれたのに、なぜか例のマネージャーがいる。どいつもこいつも、イエスと言わない人間を排除したくて仕方がないのだろう。



「私がいつ上司の指示に従わなかったか、そして私のどういう行為がどのようにパフォーマンスを低下させたのか、具体的に教えていただけますか?」


「瀬川さん、そういうところだよ、そういうところが可愛げがないんだよ」



 気の弱い人事課長が、助け船と思って発したひと言に、セクハラ・モラハラの滓が凝縮されている。本人はそれが当たり前として生きてきたので、こちらが権利の主張をしても認識のすり合わせができない。長々と話し合うのも嫌だったので、チヨは単刀直入に切り込むことにした。



「緒方さんから窃盗を疑われた件に関して仰ってるんでしょうが、私でなかったのは証明されています。一方的に疑いをかけられて侮辱されたので、謝罪を求めただけです。それは正当な権利だと思いますけど」


「先輩に謝罪を求めるのが変だろう。あんた女の子なんだし、普通は何を言われてもすいません、って言うもんだよ」


「課長」



 人事課長のズレまくった突っ込みを、マネージャーが制した。さすがにこれ以上おかしなことを言うと、不利になると思ったのだろう。しかし、かわりにもっとおかしなことを言いだした。



「緒方君はあなたにきちんと謝罪をしましたよね。それでも頑なに態度を変えないのであれば、業務に差しさわりがあると考えるのが妥当ではないでしょうか」


「謝罪?」



 3秒考えて、ストーリーが組み上がった。緒方は先日の件の顛末を、自分の都合のいいように曲げて上に報告したようだ。そして謝罪したにもかかわらず、チヨが態度を硬化させていると言い訳したのだ。もう頭にきた。捨て台詞は吐かれたけど、謝罪のシャの字も聞いてはいない。


 チヨはポケットからスマホを取り出した。最後の切り札に温存しておこうと思ったが、ここまで嘘をつかれて釈明しないのは精神的によろしくない。チヨはあの日の録音データを呼び出し、ここぞという場面で再生ボタンを押した。



「謝罪って、このことでしょうか」



 ――それが生意気だって言ってるんだよ。目上の人間が言うことに逆らうな! 黙って従っとけばいいだろ。お前は何でもいちいち逆らいやがって、女のくせに可愛げがないんだよ!



 マネージャーの顔色が変わった。これは明らかなセクハラ・モラハラの証拠である。彼も緒方の言い分を一方的に信じていたのだろうが、コンプライアンスの管理責任者としては、裏取りが甘かった。チヨはさらに追い詰めた。



「この音声データはクラウドに上がっていますし、録音日時も残っています。まさかないとは思いますが、いざとなれば裁判に使えるよう、法律関係の事務所をしている私の父にも預けてあります」



 最後の一文は本当とウソが混じっている。チヨの父親は行政書士なので法律関係と言えばそうなのだが、きっと相手は弁護士だと思っただろう。もちろん音声データは父には預けていない。しかし、マネージャーには効き目バツグンだったようで、しばらく沈黙が続いた後で立ち上がり、



「しばらく時間をください。また連絡します」



 そう言って応接室を出て行った。緒方とチヨ、どちらに責任を負わせるか。きっと貧しい頭を寄せ合って相談するのだろうが、結果はわかっている。ここ数日のリサーチで判明したことだが、緒方は重役の親戚なのである。




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