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水谷の企みは、淳の予想をはるかに超える大規模なものだった。大学時代のお祭り男は、社会人になってパワーを倍増させたらしい。待ち合わせの駅から連れていかれたのは、懐かしのエーサン。チヨや仲間たちが卒業し、来年から淳が復学する栄架産業大学である。
チヨと淳は趣旨が分からないままキャンパス内に連行され、着いた先は第二学食。彼らが在学時、ジンギスカンと粉チーズはどちらが臭いかで闘った舞台である。その入口には白い花で飾られ「Happy Wedding」と書かれたウェルカムボードがあり、チヨの友人の悠花や梨絵がおめかしして手を振っていた。
「そういうことか!」
先に気がついたチヨが、まだポカンとしている淳に説明した。これは水谷が仕掛けたサプライズパーティーで、主役はチヨと淳の新婚夫婦。二人が出会った大学内の思い出の場所で、学友たちに祝ってもらう演出なのだ。
「せやから、今日のドレスコードは白、って言うてたんか。その割には水谷が白い服着てへんから変やなと思ってたんや」
ようやく気付いた淳の背を、水谷が押して会場へと誘導する。扉にチヨと自分の似顔絵が描いてあるのを見て、淳は一気に気恥ずかしくなった。
「さあさあ、主役の到着だよ!」
学食内に入ると、一斉にクラッカーが鳴った。大学生協に申し込むと学食でパーティーができるのは知っていたが、まさか本当にやる人間がいるとは。そしてその主役が自分たちとは。淳とチヨは目を丸くしてリボンや風船でにぎにぎしくデコレーションされた会場を眺めた。
学食の半分をパーテーションで仕切ったスペースには、大テーブルを6台合わせたフードコーナーと、淳の同期の男二人が蝶ネクタイでスタンバイしているバーコーナー、そしてひと抱えほどもある立派なケーキ。しかし何より驚いたのは、その顔触れである。
エーサンで共に学んだ仲間たちはもちろん、福井さんやツキちゃん&ハナちゃん、チヨの妹の真美と彼氏の顔も見えた。さらに、一度だけ淳が会ったことのある、おとなしそうな女性。名前は何だったかと淳が考えていたとき、チヨが素頓狂な声をあげた。
「千夏子ぉ!」
そう言ってチヨは親友の千夏子に歩み寄ると、手を大きく広げて盛大にハグをした。淳はその瞬間、深夜に胸ぐらをつかまれて凄まれた、恐怖の夏を思い出して冷や汗をかいた。
「来てくれたんだ」
「結婚式はしないって聞いてたから、お祝いできるチャンスがあればと思ってたの」
親友の顔を見て、チヨのテンションが一気に上がった。小牧台でつるんでいた頃は、千夏子の方が先に結婚するんだろうと、何となく思っていた。しかし蓋を開けてみれば、こうして自分が早々に人妻になってしまった。全く人生というものはわからないものだとチヨは感慨深かった。
「さあ、主賓はこっち」
友人たちに誘導され、二人は高砂と思われる席に座らされた。マイクを持った水谷がテカテカした笑顔を浮かべて開会のあいさつを述べる。
「本日はお忙しい中、お集まりいただいてありがとうございます。本日は、海東淳くんと瀬川チヨさんのご結婚を祝う会を設けさせていただきました。長い前置きは抜きにして、大いに飲んで食べて、新郎新婦をいじって楽しもうと思いますので、とりあえず乾杯しましょう。各人グラスをお持ちください」
やがて「乾杯」の声と、グラスを合わせる音が鳴り響く。チヨと淳は、嬉しさ6割・照れくささ4割でもじもじしながら、みんなが乾杯しに来るグラスを受け続けた。仲間うちではトップを切っての結婚ということで、二人の新婚生活にみんな興味津々だ。案の定、あっという間に酔っぱらった悠花が絡んできた。
「ねえねえ! どっちがプロポーズしたの~」
「あたしだよ、押し倒して迫ったんだよ!」
「ひゃぁっ、チヨったら! 肉食~~」
チヨも慣れたもので適当に相手をしながら、花嫁らしからぬ豪快さで料理を楽しんでいる。そのうち、みんな適度にアルコールが入って、宴もたけなわとなった頃、千夏子がチヨのいる席へ近づいてきた。手に山葡萄の蔓で編まれたバスケットを持っている。
「これ、ささやかな結婚祝い。よかったら使って」
そう言って千夏子がバスケットを差し出した。チヨが「えー、なになにー!」と言いながら上にかけられた布をめくってみれば、ペアの和食器が入っていた。ご飯茶わんに湯飲み、大小の皿。陶芸家である彼女が自ら焼いたのだろう。チヨの家に来るたび「ろくな食器がない」と嘆いていた、料理好きな千夏子ならではのスペシャルなギフトだ。
「結婚祝いに割れる物はどうかなと思ったんだけど、私これしか思いつかなくて」
「めちゃくちゃ嬉しいよ! ありがとう、大事に使う。ほら、淳もお礼を言って」
いきなり振られて一瞬たじろいだが、淳は立ち上がると千夏子に向かって深いお辞儀をした。
「ありがとうございます。……そして、いつぞやはご迷惑をおかけしました」
二人が付き合いを始める直前、淳の軽率な行動でチヨが千夏子の家に逃げ込んだ。あの時、千夏子が淳を叱ってくれなかったら、きっと今ごろ二人はここにいない。そういう意味では、大きな借りのある人である。
「ちょっと、海東くん。そんなにビビらないでよ、私怖い人みたいじゃない」
千夏子はそう言ってケラケラと笑った後、ぐっと表情を引き締めた。
「でも、チヨに何かあったら容赦なく〆るから。それだけは覚えておいて」
やはりこの人は怒らせてはいけない。淳は改めてそう心に誓った。やがてチヨと千夏子の話が盛り上がってしまったので、淳は席を立って仕事関係で来てくれた人々に挨拶に回ることにした。まずは福井さんにビールの酌をする。
「おお、海東くん、おめでとう。あっ、名前が変わったんだったよね」
「いや、仕事の場では海東でいいですよ。めんどくさいし」
「まあ、この業界みんな偽名と芸名ばっかしだからね~。ところで、よかったらこれ、使ってくれない」
そう言って福井さんが取り出したのは、コンパクトなアクションカメラで、旧モデルではあるがタッチパネルやwifi機能が備わり、自転車などにも取り付けられるものだった。今まで自分で撮影するときは、スマホか古いデジカメだったので、これは淳にとっては飛び上がらんばかりに嬉しいプレゼントである。
「宴会の景品で当たったんだけど、さすがに仕事には使えないんで、押し入れで眠ってたんだよ。もらいもので悪いけど、結婚祝いのかわりに」
「ええんですか! 買うたらけっこうな値段しますよ」
「いいよ、使わない方がもったいないから。これで何かまた撮ってよ」
心の中でガッツポーズをしながら、福井さんに頭を下げた。出会って以来、世話になりっぱなしの先輩に、いつか恩返しができたらと願う。いつになるかはわからないが、この人とは長い付き合いがしたいと思える、天の恵みのようなご縁である。
しばらく福井さんとしゃべっていると、少し向こうでツキちゃんが手を振っているのを見つけた。一人でテーブルの端っこにいる。淳は歩み寄って愛のヘッドロックをお見舞いした。酒に弱いツキちゃんは、顔が真っ赤になっている。
「来てくれて嬉しいわ、忙しいのに、ありがとうな」
「うん、今日は海東くんにお祝いが言いたくて。それと、聞いてほしいこともあったし」
「聞いてほしいこと?」
「うん……、いいやもう、勢いで言っちゃおう。俺、海東くんのこと、好きだったんだよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、ツキちゃんの思いつめたような表情を見ているうちに、鈍い淳にもその「好き」が何を意味することなのか、じんわりと理解ができた。しかし、適当な返事が思い浮かばない。幸いにも席がみんなから離れているので、気づいた者はいないようだ。
「ごめん、結婚祝いの席で言うようなことじゃないよね」
「いやいやいや、ありがとう……、って言うのも変やけど」
「緊張しなくていいよ、もうとっくの昔に諦めてる。チヨさんと海東くん見てたら、無理だもん。でも、気持ちを伝えておきたかった。俺、公にはカミングアウトしてないから、海東くんの心にだけ留めておいて」
「お、おう、わかった」
「そして、これからもよろしくね。仕事仲間として」
そう言ってツキちゃんは握手の手を差し出した。お互いぐっと握り込んだところで、ツキちゃんが席を立った。
「ちょっとトイレ行ってくる」
まだびっくりモードの淳を残して、ツキちゃんは会場の外にあるトイレに向かった。途中、ドアまであと数歩というところにチヨが立っていた。壁にもたれて腕組みをし、ツキちゃんをじっと見ている。
「チヨさん、気づいてたんでしょ」
「なんとなくね」
「ごめんね、気分悪いよね」
「謝ることないよ、この間まで独身だったんだもの。正々堂々と来るなら、受けて立とうと思ってたよ」
「その度胸はなかった。今日は、すっぱりけじめつけるために来たんだ。でも、海東くんもチヨさんも、ちゃんと受け止めてくれてありがとう。ほら、俺みたいなの……気持ち悪いって人も多いから」
「好きに男も女もないでしょ。でも、この先ちょっとでも手を出そうとするなら、蹴っ飛ばすわよ」
「怖ぇえ」
こんどはチヨから握手の手が伸びてきた。恋敵ではあったが、ツキちゃんは淳の良いところを見てくれた、その気持ちが嬉しかった。彼はチヨにとっても、ずっと本音で付き合っていきたい大切な仲間なのだ。
第二学食の貸し切り時間が終わり、カラオケとボウリングをはしごして、淳とチヨが帰宅したのが午前5時。ふらふらとベッドに倒れ込んだ彼らを、無慈悲なインターフォンが起こしたのが午前9時だった。
訪問者は宅配便で、ぼんやりと回らない頭で荷物を受け取ったチヨは、差出人の名前を見て一気に眠気をぶっ飛ばした。気配で目を覚ました淳が、リビングに出てきて寝ぐせ頭で荷物をのぞき込む。
「誰から?」
「……お父さん」
荷物は小さな古びた天鵞絨の箱で、中には小粒な真珠にルビーをあしらったネックレスが入っていた。デザインからして、ちょっと古いものに見える。添えられた便せんを開くと、チヨにとっては懐かしい、几帳面な父の文字が目に飛び込んできた。
ご結婚おめでとうございます。
貴女には許してもらえるとは思っていませんが、せめてもの気持ちを伝えたく、銀行口座にお祝いを送りました。新しい生活に役立ててください。
このネックレスは、私が貴女の母へ結婚前に贈ったもので、実家に残ったままになっていました。思い出深いものなので、貴女が使ってくれたら嬉しく思います。
どうぞ、海東さんと共に末永くお幸せに。
チヨの肩が細かく震えているのを見て、淳が後ろから抱きしめた。臆病な父親が勇気を振り絞った、精一杯の愛情が短い言葉から迸る。この先も、親子の関係が昔に戻ることはきっとない。しかし、チヨにとっては心の奥底で渇望していた、家族の絆を手繰り寄せる出来事であった。




