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「車で来て正解だったね」
車にするか電車にするか迷ったが、喪服で葬儀場まで電車を乗り継ぐのは躊躇われ、結局二人は車を選んだ。パーキング代はかかったが、袋3つの台本を抱えて帰らなくて済んだので、チヨの言うとおり大正解である。
「ちょっと寄り道していかへんか」
「お葬式の帰りの寄り道は良くないのよ」
淳の提案に、運転しながらチヨが顔をしかめる。彼女は柔軟な思考回路を持つ一方で、対外的なマナーや伝統については保守的だ。いわく「因循姑息な家で育ったから」だそうで、お浄めの塩をまいて喪服を着替えないと、ウロチョロできないと主張した。
「車からは出えへんから大丈夫や。エーサンの裏手の展望台、あそこにちょっと寄ってくれるか」
二人が通っていた栄架産業大学、通称エーサンの裏手は小高い山になっていて、街を見下ろす小さな展望台がある。学生たちのデートコースとしてもおなじみで、チヨと淳も何度か訪れたことがある。
淳が大学を中退してからは立ち寄ることもなくなった場所だが、たぶん先日の件で話がしたいのだろうと察したチヨは「了解」とだけ言ってハンドルを切った。自分から言い出したことながら、じわじわと緊張感が高まってくる。
小さな展望台の脇にある駐車スペースは、平日の夕方なので貸し切り状態だった。夏の緑に包まれた丘の風景は鮮やかな彩りで、間もなく落ちかけようとする太陽が、そのコントラストをさらに色濃く際立たせている。その向こうに広がる住宅街、そしてすぐ眼下に二人が出会った大学のキャンパスがある。
「久しぶりだね、ここに来るの」
「せやな、家からほんの近所やけど、生活が変わると縁がなくなるな」
縁という言葉に、チヨは不思議な響きを感じた。たった今、エンジンさんを見送り、これから淳と将来の話をしようとしている。目の前には懐かしい大学の風景。人の暮らしは、小さな縁の連続で綴られた織物のようだ。
「預金残高、4万7810円」
「へっ」
「週末にバイト代が入るけど、家賃でぶっ飛ぶ。せやから、また節約生活や。就職するまでこんな感じやろ。いや、就職しても貧乏は変わらんかもな」
突然はじまった貧乏ぶっちゃけトークに、わけがわからずチヨが呆気に取られているが、構わず淳は語り続けた。
「とりあえず体だけは健康。出身は大阪府八尾市、173㎝、58㎏、好きな食べ物は焼肉、嫌いな食べ物は……」
そこでチヨが「納豆」と割り込んだ。淳が「ご名答」と笑うと、
「ていうか、なんで今さら自己紹介なの」
チヨが不思議そうな顔をしている。しかし淳はなおも続けた。
「学歴は大学中退。才能があるかないかわかりもせんのに、夢を追って現在はフリーター。就職できるかどうかは神のみぞ知る」
そこまで一気に言うと、淳はチヨに向き直った。
「まぁ、世間からしたら、結婚相手としては絶対やめとけ、っていう条件やけど、それでもほんまにええんやな?」
ひと呼吸おいて、淳の意図することがチヨの中に染み込んできた。緊張して冷たくなっていた手に、じわっと血が流れていく感覚がして、気がついたら思ったより大きな声が出てしまった。
「あたしだって!」
淳が驚いた顔をしているが、気にしない。こっちだって確かめておきたいことがあるのだ。
「あたしだって本当はけっこう根が暗いし、きつい言い方しちゃうこと多いし、三歩下がって男を立てる大和撫子じゃないわよ」
「よう知ってる」
「体だってムダにでかいし、足なんか25センチもあるし」
「はは、蹴られんようにするわ」
「それに……、私は昔……」
チヨが言葉を詰まらせると同時に、淳の腕が彼女を引き寄せた。肩越しに「言うな」と低い呟きが聞こえた。
「昔の話なら、お互い様やろ」
淳の腕に力がこもる。お世辞にも逞しいとは言えない細腕ではあるが、なによりチヨにとっては安らげる、唯一の拠り所だ。
「俺は、チヨが頑張ってきたのを知ってるし、尊敬してる。せやから、チヨと釣り合いの取れる男になりたいと思ってる。まあ、さっきも言うたように今は何も持ってないけど、チヨの家族になりたいと思う」
「それって」
「頑張ってみよ、二人で」
今度はチヨの腕が淳をぎゅうぎゅうと抱きしめた。リーチが長いのでけっこう強烈である。小さな車の中で、半ばねじれながらしばらく淳に抱きついた後、満足したらしいチヨがようやく体を離した。
「私たちのことだから、きっといっぱいケンカするね」
「せやな、お互い言いたいことは我慢せえへんしな。でも、それでええんちゃうか。遠慮して溝ができるよりええやろ」
「そうだね、家族だもんね」
やがて夕陽が落ちてきて、見慣れた街の風景をロマンチックに染めた。軽自動車の中で喪服の二人はいささかムードには欠けたが、未来に夢を膨らませ、短いキスを何度か交わして家路についた。
「ええええええええ!」
二人が結婚を決めたことを、真っ先に報告したのはチヨの妹、真美だった。彼女は驚いてしばらく「えええ」を連発していたが、やがて姉に喰らいついて質問攻めにした。淳はその横で、借り物の喪服からTシャツに着替え、ちゃっかりと瀬川家の夕食にありついている。本日のメインは真美の作った麻婆豆腐である。
「ねえねえ、いつからそんな話になってたの」
「あんたが引っ越しするって言い出した後だよ。一部屋空くから、一緒に住めばいいかなと思って、そこからいろいろ」
妹の前ではしっかり者の姉貴でありたいのだろう。あくまでも合理的な理由であるというポーズで、情緒的な部分が大幅に編集されている。淳はそういうチヨも可愛いなと思いつつ、黙って麻婆豆腐を食べ続けた。
「じゃあさ、私ちょっと早めにここ出ようか? 海東くん、なるはやで引っ越ししたいでしょ」
真美が気を使って申し出をしてくれたが、チヨはきっぱり断った。
「いや、予定通りでいいよ、その前にやることいっぱいあるから」
「やること?」
結婚式は行わないつもりの淳とチヨであったが、まずは筋を通さねばいけないことがいくつかある。イレギュラーな形式ではあっても、礼儀だけはしっかりわきまえたいというのがチヨの願いであり、淳もその意見に賛成した。
そしてその翌々週、二人は何度目かの高速バスに乗るために、新宿のバスターミナルへとやってきた。まずは第一関門にして最大の難所、淳の両親に報告をするためだ。申し訳ないが、きっとまた彼らを驚かせることになるだろう。
「やっぱりやめた、って言うなら今だよ」
コンビニで買い込んだおにぎりをほおばりながら、チヨが淳を見てニヤッと笑う。「アホか」と言いながら淳がシートベルトを締めた。
「俺は学んだんや、人生タイミングが大事や、って。ついこの間、見舞いに行ったばかりのエンジンさんかて、その次の週にはもう会えん人になってしもた。もしこのバスが高速で引っくり返ったら、俺らかてどうなるかわからんし」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「せやから、な」
淳がチヨの手をぎゅっと握った。ちょっと海苔の匂いがするのは、この際気にしないことにする。
「一分でも、一秒でも、一緒におる時間は長い方がええやろ」
チヨが三日月の口でにっこり笑い、間もなく夫となる男の肩に頭を預けた。今夜はバスに揺られながら寝て、起きたら二人にとっての「大坂夏の陣」である。




